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あざらし
402
7
蒼月
2,569
「……ッ、また今日もいない」
深夜の静まり返った共有の拠点。
デスクの端に置かれた冷めたコーヒーカップを見つめながら、甲斐田はやり場のない苛立ちと、胸を締め付けるような焦燥感に爪を立てていた。
ここ最近の長尾と弦月はあからさまにおかしく、コラボでもないのにスケジュールは常に埋まっており、連絡をしても既読がつくのは何時間も後。返ってくるのは決まって「忙しい」「あとで」という冷たい文字ばかりだった。
自分以外の時間で、あの二人が知らないところで笑い合っているかもしれない。
自分を置いて、どこか遠くへ行ってしまうかもしれない――そんな耐え難い恐怖が、甲斐田の頭を狂わせはじめていた。
ガチャリ、と重い扉が開く音がして、長尾が部屋に入ってきた。その姿を見た瞬間、甲斐田は我慢できずに椅子を蹴立てて飛び出した。
「おい、長尾! いい加減にしろよ……! 最近ずっと甲斐田を放っておいて、どこで何してるんだよ!甲斐田以外と仕事すんなって言ったよね?連絡も甲斐田に一番に寄越せって……!」
甲斐田は長尾の胸倉を掴み、すがりつくように捲し立てた。その瞳は潤み、声はわずかに震えている。いつもの余裕など微塵もなく、ただ「自分から離れていかないでほしい」という一心で相手にしがみつく、みっともないほどの独占欲だった。
長尾は、そんな甲斐田の必死な様子をじっと見下ろしていた。
いつもなら「はいはい、わかったよ」と流すはずのその目は、底知れぬ熱と、おぞましいほどの執着に濡れていた。
「……そんなに、俺が他のやつのところに行くのが怖いのかよ、晴」
「怖いよ……! 勝手にどっか行くな!甲斐田を置いていかないでよ……!」
ポロッと零れ落ちそうになった本音を、長尾は逃がさなかった。ふっと妖しく笑った長尾は、甲斐田の細い両腕を背後へと回し、骨が軋むほどの強い力で自分の体にぐっと引き寄せた。
「ッ、痛っ……なに、長尾……!」
「離さないって言ったろ。お前がそんなに『俺だけ見てろ』って泣きそうな顔で縛ろうとしてくれるからさ……俺たち、ずっと待ってたんだよ。甲斐田が自分から、俺たちのところに落ちてくるのをさ」
「……は?」
背後から、ひんやりとした空気を纏って、いつの間にか部屋に入っていた弦月が歩み寄ってきた。その手には、重たい金属製の枷が握られている。
「弦月……ッ!?」
甲斐田が青ざめて身じろぎしようとした瞬間、弦月はすっと懐に潜り込み、その冷たい指先で甲斐田の首筋を撫でた。ぞっとするほど甘ったるく、ねっとりとした声が耳元に這い寄る。
「晴くん、知ってる? 僕たちが忙しかった本当の理由。……それはね、晴くんをこの部屋から二度と一歩も出さないための『準備』だよ」
「なっ……離して! 甲斐田が束縛したかっただけで、こんな監禁なんて――!」
「ううん、違うよ」
弦月は微笑んだまま、甲斐田の顎を無理やり上に向かせた。その瞳の奥には、理性の切れた人間だけが持つ底無しの狂気が煮詰まっていた。
「晴くんが僕たちを『安心させろ』って必死に縛ろうとしてくれたからさ……教えてあげたくなったんだよ。本当の束縛って、本当の独占欲って、どういうものか、ねえ?」
ガチャン、と足元で冷たい音が響いた。長尾の手によって、甲斐田の華奢な足首には逃れられない魔術式の枷がガッチリと固定される。一歩も歩けない、誰にも見つからない、この狭いスタジオの最奥。
「あぁ、たまんねえな……。晴が自分で『俺たちを繋ぎ止めたい』って首を突っ込んできたんだからさ、もう一生、ここから逃げられると思うなよ、晴」
「いやだ……ッ、放して、これ外して……ッ!」
「無理だよ、晴くん。外の世界の連絡も、仕事も、全部僕たちが終わらせてあげたから。これからはこの部屋で、僕たちの愛だけを浴びてよ」
冷え切った外の空気とは裏腹に、部屋の中は肌がじっとりと湿るほどの熱と、澱んだ甘い匂いに満ちていた。
分厚く閉ざされたカーテンの向こうに昼も夜もなく、彼の世界はこの狭い一室と、二人の狂った男たちの手の中に完全に縮小させられていた。
足首に絡みつく枷の冷たさと微弱な痺れが、自由を奪われた現実を嫌というほど突きつける。数日――いや、もっと長い時間が過ぎたかもしれない。
「……はぁ、ッ……ねえ、もう……いいだろ、これ……外してよ……」
ベッドの端に座らされたまま、甲斐田は擦れた声で零した。腕には長尾に掴まれた赤い指痕が痛々しく残り、配信で見せるような軽快な笑い声も、今の彼の喉からはもう二度と出ない。あるのは縋るような泣き声と、乾いた息遣いだけだった。
だが、目の前に立つ二人は、その怯えたような潤んだ瞳を見て、むしろ恍惚とした表情を深めるばかりだ。
「外して、だって? 冗談言うなよ、晴。お前が自分で言ったんだぜ? 『俺以外のやつと仕事すんな』『俺以外の時間に他のやつのこと考えるな』ってさ。あんなに必死になって、俺たちの首根っこ掴んで『俺だけを見てろ』って泣きそうな顔で喚いてたの、もう忘れちまったのかよ?」
「ッ……それは……! あんなの、ただ……最近お前らが変だったから……!」
「変だった?」
被せるように、弦月が冷やりとする指先で甲斐田の肩を包み込むように抱き締めた。
「僕たちが歌の仕事や個人のスケジュールで忙しそうにしてたから、寂しかったんでしょ? 僕たちが自分の知らないところで誰かと楽しそうに笑ってたり、遠くへ行ってしまったりするのが怖くて、嫉妬で狂いそうだったから――だから、僕たちを必死に手元に縛り付けようとしたんじゃないの」
「ッ……うっ……!」
図星を突かれ、甲斐田は言葉に詰まった。そうだ。長尾が誰かと仕事をしていると聞けば胸がザラつき、弦月の知らないスケジュールを知れば居ても立ってもいられなくなった。「自分を置いていかないでほしい」「自分だけを見てほしい」。その拭えない不安と独占欲に耐え切れなくて、自分から二人に突っかかり、強引にその行動を制限しようとしたのだ。
自分が「束縛して、安心したかった」だけなのに。
「まさか、自分以外の人間が、お前以上に狂った独占欲を抱えてるなんて思わなかったか?」
長尾は低く笑い、甲斐田の顎を強引に持ち上げて熱を持った唇を撫で回した。
「お前が俺たちを縛りたがったその瞬間から、俺たちの中ではもう決まってたんだよ。『あぁ、こいつは俺たちに閉じ込められたがっているんだ』ってさ」
「ち、違う……! こんな監禁なんて望んでない……! 仕事も、歌も、まだやりたいことが……!」
「仕事も歌も、全部僕たちが肩代わりしてあげたから安心してよ。これからは、僕たちだけに歌って、僕たちだけにその声を向け続けてくれればそれでいいの」
弦月は首筋に顔をうずめ、吸い付くように熱い口づけを落とした。拒絶しようと身じろぎするたび、足首の枷が重く響く。
「ねえ、晴くん。思い出してよ。あのとき、僕たちが外で他の奴の名前を出しただけで、どんな顔した? すごく不機嫌そうな顔して、僕たちの服の裾を掴んで、離さないでって目で訴えてたよね。可愛かったなぁ……あのとき本当に頭がおかしくなりそうだったよ。だからさ、今度は僕たちがその何倍も、何十倍も狂わせてあげる」
嫉妬に狂い、不安に怯え、自分だけを見てほしいと願ったのは自分自身だ。
「愛されたい」「手元に置いて安心したい」という未熟で歪んだ独占欲の隙を、長尾と弦月という本物の狂人たちは決して逃さなかった。
「もう外のファンも、他の仲間も、誰も君のことを見つけられないよ。見られるのは、僕たちだけ。僕たちに愛されて、僕たちだけに執着されて、ここで一生を終えるんだ」
逃げ場のない甘い泥沼の中で、甲斐田は自分の軽率な独占欲が招いた結末を噛みしめるしかなかった。耳元で聞こえる二人の低い笑い声と、逃がさないとばかりに体温を押し付けてくる重たい愛に絡め取られながら、甲斐田の意識は、底なしの快楽と絶望が入り混じった甘い暗闇へと沈んでいった。
コメント
2件

え、待って、これ……めちゃくちゃ刺さるやつだ……! 最初は甲斐田の嫉妬と不安が切なくて、でも「自分だけ見て」って縋る姿に胸が締め付けられたのに、まさか長尾と弦月がそこまで狂ってるとは思わなくて……「ずっと待ってたんだよ」って台詞、ゾッとするほど甘くて怖い。枷の冷たさと、逃げ場のない閉塞感がひたすら濃密で、読んでるこっちまで息が詰まりそう。自分から縛ろうとした反動で、逆に底なしの愛に飲み込まれる展開、本当に鳥肌が立ちました…!