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読み終えました……いやあ、冒頭のナマケモノの話、すごく印象に残りました。あれで一気に世界観に引き込まれましたね。鈴奈の「性」としてダメ男を選んでしまうところも、読んでいてもどかしくて、でもどこか共感してしまうというか……。自分を大事にできない人の切なさが伝わってきました。黒崎のキャラもただの怖い人じゃなくて、新しい商売を考え出すしたたかさがあって、今後の展開が気になります!
幸手鈴奈(さってすずな)は、26才にして人生最大の窮地に陥っていた。
ここは駅裏にある寂れたカフェ。向かいの席には目つきの鋭いスキンヘッドな巨体の男。
「ナマケモノって動物を知ってるだろ。木にしがみつたまま全然動かないやつ」
黒崎と名乗るその男は細い目で鈴奈を睨みつけながら、そう言う。
「あいつらは1週間に一度しかクソをしない。クソのためだけに木から下りてくる。そこをジャガーやオウギワシが狙っているんだ。ナマケモノの多くは、クソしてる最中に天敵に襲われて死ぬらしい」
「はあ」
「はあ、じゃねえよ。クソしながら食い殺されるなんて最低の死に方だろうが」
黒崎はアイスコーヒーを一気に飲み干すと、カウンターにいる白髪頭の小柄な店長に向かって「暑すぎるだろ! エアコンの温度もっと下げろや!」とドスの効いた声で怒鳴った。
鈴奈は恐ろしさにがたがた震えながら、俯いて膝に置いた手をぎゅっと握りしめる。店内に紛れ込んだ一匹の蝉が壁に張り付き、その鳴き声が激しく耳に鳴り響いている。うだるような暑さと熱気が満ちた、そんな夏の日。休日の午後3時。
「本題に入ろうか。おまえの彼氏の瀬上祐也(せがみゆうや)がとんずらしたことは、知ってるよな」
そう。鈴奈の一つ歳下の彼氏、祐也は突然失踪した。鈴奈に何も告げぬまま。いくら電話を掛けても繋がらないし、ラインを送っても既読はつかない。
「は、はい」
「消えたのは5日前だ。さんざ探したがどうしても見つからねえ。そこでだ、おまえに瀬上の借金を肩代わりしてもらおうと思ってな」
黒崎は蛇皮のスーツケースから1枚の紙を取り出すと、テーブルの上に置いた。
それは借用書だ。金額は100万円と書かれてある。
「ひ、ひゃくまん!」
「100万じゃねえよ。利子が付いて今じゃ487万だ」
「よ、よんひゃくはちじゅうななまん!? そんな大金、なんで私が払わないといけないんですか!」
「ここを見ろ」
黒崎はぶっとい指で、借用書の一番下をトントンと叩く。そこには、連帯保証人として鈴奈のサインがあった。
「そんな……サインした覚えはありません」
それは本当だった。こんな借用書など見たこともない。だが、サインは確かに鈴奈の字に間違いなかった。どうして、いったいなぜ?
「しらばっくれるんじゃねえ。兎に角ここにサインがある以上、瀬上の借金はおまえが払うしかねえんだ。それが社会の道理ってもんだろ」
「ででででも。そんなお金、持ってません」
「ふざけんな。親でも友達でも頼って、なんとかかき集めろ」
「無理です……親は貧乏だし、親しい友達だっていません。派遣社員で給料は安いし、それでも貯金しようと思ってた僅かばかりのお金は全て祐也に取られていたから……本当に工面できるお金がないんです」
壁から飛び立った蝉が、バタバタと店内を飛び回り、挙句の果てに黒崎のスキンヘッドの頭頂部にぴたりと着地した。
黒崎はピクリとも表情を変えることなく鈴奈を睨みつけたまま蝉を素手で引っ掴む。
「ひっ!」
「カネが用意できねえって言うなら……」
掴んだ蝉をぐしゃぐしゃと握りつぶしながら、黒崎は暗い目をして鈴奈に顔を近づけた。
「カラダで払ってもらうしかねえよなあ。おまえ、見てくれは悪くねえから、そこそこ稼げるだろうし」
確かに鈴奈は、かなりの美人と言えるだろう。
大きな目はくりっとして愛らしく、鼻筋が通っており、小ぶりで形の良い唇。身長は158cmと高くはないが、痩せていてスタイルは良い。
その容姿から、これまで数多の男たちから交際を求められた。おそらく選択さえ間違わなければ素敵な男と幸せな人生が約束されたに違いない。
だが、その選択は常に失敗の連続だった。
見てくれはいいが、とことんダメ男と付き合ってしまう。女遊びが激しく、ギャンブル好きで、定職もなくぶらぶらし、執拗に金をせびる。過去に付き合ったのは、そんな男ばかり。あえてそういう男を選んでしまうのは、鈴奈の性(さが)としか言いようがない。
祐也も、そんな定番のダメ男だ。
1年前に街で声を掛けられたとき、顔を見た瞬間一目惚れ。
女心をくすぐる少年ぽさを残した童顔なイケメンに、グレーに染めたマッシュヘアーのスタイリングがマッチしていた。
「あの、落としましたよ」
「えっ? 何をですか?」
「君の心を」
普通なら思わず鼻をつまむようなクサすぎる古典的ナンパに、だが鈴奈はあっさりと引っかかる。
鈴奈から見た祐也はきらきらと輝く異世界の王子様。
たちまち恋に落ちた。
だけど付き合ってみると、案の定である。
クリエーターと言っていたのは嘘で、実はフリーター。しかも殆ど働かない。
ギャンブルにはまって多額の借金を抱え、鈴奈と会うたびに金をせびる。
その上、どうやら他にも女がいるらしい。
それでも鈴奈は健気に祐也と付き合ってきたが、5日前からぷつりと連絡が途切れた。
そうして今日、黒崎なる人物から電話がかかってきて、半ば強引にここへ呼び出されたのである。
「馴染みのソープで働いてもらうからよ」
「い、いやです!」
鈴奈が激しくぶんぶんと首を横に振ると、黒崎はたちまち眉間に三本の深い縦ジワを作り出す。
「あのな、拒否できる立場じゃねえこと、わかってるか?」
「でも、それだけはご勘弁を」
「じゃあ、今すぐカネ返せ」
「だから、無理なんですってば!」
すっかり泣き顔の鈴奈を黒崎はしばらく無言でじっと睨みつけると、ふっと息を吐いて椅子にもたれかかり、腕組みをした。
「……普段なら、有無を言わさずワゴンに押し込んで、そのまま監禁。借金が返し終わるまでソープ漬けにしてやるんだが。だけど、おまえは運がいい」
「ど、どういう意味ですか?」
「今朝社長に言われたんだよ。今やソープも薄利多売だ。だから、時代に合った、もっとデカく稼げる新しい商売を見つけろって」
「はあ」
「それで俺は思いついたんだ。最近じゃガキどもの恋愛はマッチングアプリで成り立っているらしい。いいねのタップひとつで交際成立。恋愛もお手軽指向ってか。しかしこれは、考えようによっちゃ、稼ぐネタになりそうだ、ってな」
「あの、言っている意味がよくわかりませんが……」
おずおずと鈴奈が首を傾げると、黒崎は初めてにやりと口元を歪めた。
「マッチングアプリを活用して、婚活サギをやるんだ。おまえがな」