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みこ
外は静かだった。それもそのはず。
今の時間は午前三時。まだ、あまり人が起きていない時間帯なのだ。私も例外ではなく、いつもなら床で寝ている時間だ。しかし、今は昼間のように目が覚めている。
あの仄かに光る飴玉が喉を通る感覚が。あの肉を裂く音が。あの手の内から溢れ出している感覚が、まだはっきりと残っていた。
それを思い出すと、途端に気分が悪くなって顔を下に向ける。顔を畳に向けると、私の膝で眠るお母様が大きく私の視界に映された。
「……お母様」
赤子を触るように、優しく彼女の頬に指を触れる。もうあの温かさはなく、金属のように冷たい温度が指先の神経を通して伝わってくる。
「愛してる」
お母様から言われた言葉を、同じように返す。
ずっとずっと言いたかった言葉。早く言えばよかったなんて、今更だ。
私の家のリビングは古い畳が敷かれており、その中央の畳の隙間に指を滑らせれば、軽々と持ち上がっていく。その下には土を抉られたような空間があり、中には大きな箱が一つだけ置かれていた。
箱を開けると、昔お母様が買い溜めていたパーカーとスカートのセットが一着だけ残っているのが確認できる。三年ほど前から身長が伸びなくなってしまったせいで、サイズが予定より少し大きいがまぁ仕方ないだろう。
箱から取り出した服に着替えようと、今着ているボロボロの服を脱いでいる最中。玄関の方向から低い声が聞こえてくる。その声には聞き覚えがあり、私は自然と口角を上げながら声のした方を振り向く。そこには、黒い髪に大きな布を一枚頭から通しただけの小さな男の子がいた。
「名無し」
彼の名前を呼べば、その子は口元だけで笑顔を見せる。ベタベタの髪は鼻までちゃんと隠されており、私も三十年の付き合いだがいまだに顔をちゃんと見たことがなかった。
真っ直ぐ私の方に向かって歩いてきた名無しは、私の真横まで来るとピタリと足を止める。
「行くのか?」
彼が口を開けば、ただそれだけ聞いてきた。私は心を読まれたように思い、少し目を丸くする。
「うーん……。もう私がここにいる理由もないし、町の外に行ってみたかったから丁度いいかなって」
名無しは頷きもせず、じっと私を見つめては顔を少しだけ下へ向け「そうか」と、落ち着いた声を溢す。その声がやけに寂しそうな声に感じ、私は慰めるように彼の頭に手を乗せた。
「ありがとう、名無し。今まで私の相手をしてくれて。友達なんていなかったから、名無しといる時間がすごく楽しかった」
「……別に。自分の姿が見えるのが、呪いの魂を持っているユキしかいなかっただけだから」
そう。名無しは実は幽霊で、他の人には見えないのだ。しかし、なぜか私だけ彼が見えている。名無しは私が持つ「呪い」の魂にある滞在的な力のせいだと話していたが、実際はどうなのだろうか。
最後に疑問を抱きながらも着替え終わり、私はもう一度リビングを見渡した。少し前まで温かかったお母様と、リビングの一番奥で倒れているお父様だったもの。
私はそれらから目を逸らすと、玄関の方へゆっくり歩いて向かう。
「どこへ行くとかはあるのか?」
背中から名無しの声を聞くと、私は悩むような唸り声を上げた。外のことなんて何も知らないから、その質問に答えるのは難しい。唯一思いついたのは、花畑のある大きな家の隣から行ける山ぐらいだ。
「自然にたくさん触れてみたいな。あの花畑みたいな場所とか探したいし」
「まー、随分と呑気なことだな。人を殺したってのに」
玄関のドアを開ければ、名無しが意地悪でそんなことを言ってくる。その言葉を聞いて、私はちょっとだけ最低な思考が浮かんでしまった。
「人殺しかぁ。私が人殺しなら、お父様たちはどんな呼び方をされるんだろうね」
私は、何度も殺されているのに。
コメント
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読ませていただきました……冒頭から、とても静かで重い空気に引き込まれました。夜中の三時、お母様の冷たい頬に触れる指先の温度、そして「愛してる」という言葉——このシーンだけで、ユキの抱える孤独と、それでもなお確かにあった愛情が伝わってきて胸が締めつけられました。名無しという幽霊との関係も、最後の「何度も♡♡♡れている」という台詞も、すべてが謎めいていて続きが気になります。一文一文が映像のように浮かぶ、素敵なプロローグでした。