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夜道を並んで歩く。
会話はほとんどなかった。
でも、不思議と気まずくはない。
さっきまで一人で座っていたときの静けさとは違って、
隣に誰かがいるだけで、こんなにも空気がやわらぐんだと、キヨは少し驚いていた。
「遠くないの」
「歩いて10分くらいですね」
「ふーん」
それだけのやり取り。
なのに、ちゃんと成立してるのが、なんか変だった。
(……変なやつ)
そう思いながら、横目でちらっと見る。
うっしーは前を向いたまま、特に話しかけてくる様子もない。
無理に聞き出そうとしない。
でも、完全に放置もしない。
そのバランスが、やっぱりちょうどよかった。
⸻
「ここです」
案内されたのは、ごく普通のアパートだった。
二階建てで、外階段のあるタイプ。
特別きれいでも汚くもない、どこにでもある感じ。
「……ほんとにいいの」
玄関の前で、キヨが小さく言う。
「今さら引き返します?」
「……それは」
「じゃあ入ってください」
軽く笑って、鍵を開ける。
ためらいながらも、中に足を踏み入れる。
⸻
「適当に座ってていいですよ」
部屋は思っていたより整っていた。
生活感はあるけど、散らかってはいない。
最低限ちゃんとしてる、って感じ。
「……ちゃんとしてんじゃん」
「失礼ですね」
少し笑いながら、うっしーはキッチンの方へ向かう。
「なんか食べれます?」
「いらない」
即答。
正直、食欲なんてなかった。
「そうですか」
それ以上は無理に勧めてこない。
代わりに、コップに水を入れて持ってきた。
「とりあえずこれだけ」
「……ありがと」
受け取って、一口飲む。
少しずつ、体の力が抜けていくのがわかる。
「風呂、先入ります?」
「……いい」
「じゃあ後でどうぞ」
やっぱり、距離の取り方がうまい。
干渉しすぎないくせに、ちゃんと気にしてる。
キヨはソファに深く座り直して、天井を見上げた。
(……なんでこんなことになってんだろ)
数時間前まで、全部ひとりで抱えるしかないと思ってた。
なのに今は、知らない男の部屋で、こうして休んでる。
「……変なの」
ぽつりと呟く。
「なにがですか」
キッチンから声が返ってくる。
「いや、なんでもない」
それ以上は言わなかった。
言葉にすると、全部崩れそうで。
⸻
しばらくして。
「はい」
テーブルの上に、小さな皿が置かれる。
簡単なもの。
軽くつまめるくらいの食べ物。
「食べれそうならどうぞ」
「……だからいらないって」
そう言いながらも、視線がそっちに向く。
匂いが、少しだけ胃を刺激した。
「……ちょっとだけ」
気づけば、そう言っていた。
「どうぞ」
何も言わずに、うっしーは向かいに座る。
そのまま、無言で少しだけ食べる。
ほんの少しなのに、体に染みる感じがした。
「……うま」
「よかった」
それだけ。
でも、そのやり取りがやけに落ち着いた。
⸻
「……あのさ」
しばらくして、キヨが口を開く。
「はい」
「なんで声かけたの」
ストレートな質問だった。
うっしーは少しだけ考えてから、
「なんか、危なそうだったんで」
「それだけ?」
「それだけですね」
迷いなく答える。
「放っておけなかった、っていうか」
「……お人好し」
「よく言われます」
少し笑う。
その顔を見て、キヨは目をそらした。
(……こういうのが一番だめなんだよ)
優しいやつ。
中途半端に手を差し伸べてくるやつ。
期待して、裏切られるのが一番きつい。
「……すぐ出てくから」
ぽつりと、距離を取る言葉を落とす。
「体調戻ったら」
「はい」
否定しない。
引き止めもしない。
「好きにしていいですよ」
ただ、それだけ。
「……」
それが逆に、少しだけ寂しかった。
⸻
その夜。
風呂を借りて、少しだけ体が軽くなった。
でも、完全には戻らない。
むしろ——
「……っ」
ふいに、気持ち悪さがこみ上げる。
慌てて口を押さえて、トイレに駆け込む。
「……っ、は……」
吐き気。
ここ数日、ずっと続いてるやつ。
水を流す音だけが、やけに響いた。
「……大丈夫ですか」
ドアの外から、うっしーの声。
「……だいじょぶ」
かすれた声で返す。
でも、その声は明らかに大丈夫じゃなかった。
少しの沈黙のあと、
「開けてもいいですか」
「……やめて」
即答だった。
見られたくない。
これ以上。
「……わかりました」
それ以上は踏み込んでこない。
でも、完全に離れる気配もなかった。
ドアの向こうに、気配だけが残る。
それが妙に安心してしまうのが、悔しかった。
⸻
少しして、落ち着いてからドアを開ける。
うっしーは、壁にもたれて待っていた。
「……すみません」
「謝る必要ないですよ」
すぐに返ってくる。
「体調悪いんですよね」
「……まあ」
曖昧に濁す。
視線を合わせないようにする。
でも。
「……それ、いつからですか」
静かな声で、聞かれる。
「……」
答えられない。
答えたら、たぶん全部繋がる。
「……最近」
それだけ言う。
「病院は?」
「行ってない」
「なんで」
「……」
言えるわけない。
言ったら終わる。
「……別に、大したことじゃないし」
無理やりそう言う。
でも、その瞬間。
「嘘ですよね」
はっきり言われた。
「……っ」
思わず顔を上げる。
うっしーの目は、まっすぐだった。
責めてるわけじゃない。
でも、見逃さない目。
「さっきの、ただの体調不良じゃないでしょ」
「……関係ないだろ」
少し強く言い返す。
踏み込まれたくない。
これ以上は。
でも。
「関係なくないです」
一歩、距離が縮まる。
「ここにいる以上、無視できないんで」
「……」
逃げ場が、なくなる。
「言いたくないなら無理に聞きませんけど」
少しだけ声を落として、
「一人で抱えるには、きつそうに見えます」
その言葉が、刺さる。
やめろよ。
そういうこと言うな。
「……っ」
喉の奥が詰まる。
言いたくないのに。
知られたくないのに。
でも。
「……子供、できた」
気づけば、口からこぼれていた。
「……」
空気が止まる。
「男だけど、できる体で……」
震える声。
「でも、相手に言ったら……逃げられて」
視界が滲む。
最悪だ。
知られたくなかったのに。
「……捨てられた」
最後の言葉は、ほとんど音になっていなかった。
沈黙が落ちる。
数秒。
いや、もっと長かったかもしれない。
(……終わった)
そう思った。
引かれる。困られる。面倒くさがられる。
さっきと同じになる。
でも。
「……そうですか」
返ってきたのは、それだけだった。
静かな声。
「……え」
思わず顔を上げる。
うっしーは、変わらない表情でこっちを見ていた。
「大変でしたね」
それだけ。
同情でも、拒絶でもない。
ただ、受け止める声。
「……それだけ?」
思わず聞いてしまう。
「それだけって?」
「いや……もっと、なんか……」
困るとか、引くとか、そういう反応を想像してた。
でも。
「別に、キヨが困ってることは変わらないじゃないですか」
あっさり言う。
「それが増えただけで」
「……」
「だから」
少しだけ、優しく笑って、
「一人じゃないほうがいいですよね」
その言葉に。
キヨの中で、何かが崩れた。