【視点・氷室 零】
「…………うるせぇ」
もう聞くことはないと思っていた、聞き慣れたやかましい目覚まし音。気怠い体を起こし、住み慣れない部屋にあるタンスを開けて身支度を整える。
「あら、ちゃんと起きたのね」
白髪のメイド長──咲夜が音もなく部屋に入ってきた。
「おい、ノックぐらいしろよ」
幸いあとはコートを着るだけだったが、もう少し遅ければ大惨事になるところだったぞ。
ノックしろと言われた咲夜は少し笑ってから続ける。
「あら、ごめんなさい。起きてないと思っていたから」
確かに時間は午前6時、まだ眠いがこの時間に起き慣れている。
咲夜の話を無視して服装を整え、仕事へ向かう。
──あれから俺は紅魔館の執事長として働くことになった。
6時30分、朝食の準備を行う外観は立派な屋敷のくせに、食器は白無地の庶民的なものが多い。それに調理器具も特別高そうなものはない。
残念ながら、俺は料理が上手くないため料理の運びと並べぐらいしかやることがなかった。
7時、紅魔館の主レミリア・スカーレットを起こしに行く。
「おい、起きろカリスマもどき」
軽くノックをしながら声を掛ける、中から何やらゴソゴソと慌てているような音が聞こえてくる。
「起きてるわよ」
扉を開けて出てきたのは俺の背よりだいぶ低い子供のような体型の吸血鬼、とても残念だがこれが俺が今仮にも使えている主らしい。
本当に、誠に、不服だが。
「というか! カリスマもどきじゃないから! カリスマだから!」
そうは言われても、カリスマのカの字も感じないのだから説得力が無い。発言も行動も子供のそれにしか見えない。
7時15分。食事の時間───このカリスマもどきの意向で飯の時間は必ず顔を合わせろとのことで、毎日必ず全員が決められた時間にここに来る。
「それで、貴方はここには慣れたのかしら?」
カリスマもどきが質問を投げかけてくるが、数日そこらで慣れるわけがないので適当に返した。
「氷室、お嬢様の質問にはしっかり答えなさい」
半ば強制的に契約させられたのにしっかり答える義務は無いので無視しながら、ただ食事を続ける。
「いいのよ咲夜、慣れるまでには時間がかかるものよ」
咲夜は納得のいかない様子で一瞬口を絞り、すぐにいつもの笑顔に戻った。
8時、ここからは場内の清掃作業、無駄にだだっ広い館のせいでカリスマもどきから呼ばれるまでは基本的に清掃、料理、買い出し以外の作業はない。とまぁここまでは別に構わないのだが──。
「へぶぅ!?」
窓から門番の美鈴が寝ていたのが見えていたので、容赦なく手持ちのナイフを突き刺す。
最初頃こそ普通に起こしていたが、声をかけても少し強めに叩いても無反応だった。なのであのメイド長に聞いたところ、刺す以外の起こし方がないらしい。
「ちょ……ヒムロン、容赦無いですって……」
血こそ出ていないが、腹を押さえながら若干中腰になる。
その様子は、どちらかというと腹痛が限界になっているように見える……いや、腹痛ではあるのか。
「その割には、何処か余裕そうだな。常に刺しとけば起き続けられるんじゃねぇのか?」
「いや普通に痛いから勘弁して下さいよ」
そう言いながら、相変わらずの目が空いてるのか閉じてるのか分からない、スンとした顔でナイフを引き抜く。
到底痛いように見えないんだが。
「それはそうと、ヒムロンこんなところで突っ立ってて良いんですか?」
糸目のまま両手でこちらを指差しながら妙な心配をされる。
流石に腹が立ってきた。
「てんめぇがここで寝ていなけりゃ俺は館内の清掃をしてたわッ!」
余りにも腹立たしい為、ナイフを投げつけるが、簡単に躱される。
「……ッたく、なんで居眠り野郎が門番なんだ」
「いやいや、私だって仕事していますよ?」
またふざけた姿勢で話を始める、こいつにはコイツには落ち着くという概念がないようだ。
寝続けている門番の何処が仕事をしているんだ。そう思ったところで続けて話しかけられる。
「ふっふっふ……! 教えてあげましょう私が何故寝ていても仕事をしているという理由を……!」
突然、辺り一帯に緊張が走る。触れてはいけない話題だったのか分からないが、こちらもつられて可能な限りの戦闘状態に入る。
「私には、【気】を扱う能力がありましてね、それを使って紅魔館周辺20メートルを円状に囲っているんです」
先程までの緊張は何処へやら、普通に自分の能力の話をしだすコイツのテンションについていけない。緩急が激し過ぎて掴みどころが無さすぎる。
「……へぇ、それで、その【気】を確認する方法は?」
「鍛えて感じ取れるようにしてください」
最後に1本だけナイフを突き刺し、起き続けるように注意をしてその場を後にする。
13時、全員集まっての昼食を終え、買い出しに出る。基本は人里で食料や生活品を購入するらしい。
人里への行き方はこの前教わったが……。
「外は危険なんじゃ無かったのか?」
「大丈夫よ、私がいるし」
買い物の量が多い為、荷物持ちとして咲夜と毎度同行させられる。
紅魔館から人里までは霧の湖と魔法の森を越えたところにある。霧の湖は妖精が、魔法の森は魔物が出るので俺1人で行こうにも、何処かしらでくたばるだろう。
ようやく人里まで到着し買い物を始める。
「私は食材を買ってくるから、貴方は生活品を買ってきて。これ、必要なもののメモね」
紙の切れ端を手渡してきた、内容はトイレットペーパや洗剤関係と特に変なものはない。
言われた通りさっさと買って終わらせよう。
「ん? 氷室じゃねぇか!」
──この声は……。
「なんだ白黒魔法使い、今忙しいんだ」
白黒魔法使い、もとい霧雨魔理沙だとかいうコイツは、紅魔館に派手に侵入してきては本を盗み、返さないという蛮族。
コイツのせいで業務量が増えてると言っても過言ではない。
「買い出しか? 見かけたからつい声かけちまったぜ」
「ついで呼ぶな」
若干早歩きになりながら目的の店まで向かう。しかし当然のようについてくる白黒魔法使い。隣で最近起きたことや人物についての紹介をしている。
はっきり言って苦手なタイプだ。誰彼構わず話し掛け、知りもしない話題を吹っ掛けられるのは、どうしたらいいのかわからない。
「──んで、アリスとこの前キノコ狩り行ってきたんだけど、アイツ間違って混乱状態になるキノコ食べちまってさ」
心底どうでもいい。それより、アリスとかいう人物がよく出てくるな。
聞いてるだけでも、この魔法使いに異常に執着しているようだが……これは本人、全く気づいてないな。
「とりあえず、これで必要なもんはそろったな。
ついて来ても招くつもりはないぞ」
──俺は確かにそう言ったはずだ、それなのに……。
気づけば奴は紅魔館の食堂で堂々と飯を食べている。
「……何でテメーがここにいんだ」
「んえ? そりゃあ玄関から堂々と入ったんだから私は今客だぜ!」
「客かどうかはこっちが決めんだよ」
暴論もいいとこ過ぎる、幻想郷にはこういう奴しかいないのか?
そうして食事も終わり18時頃。再び館内の清掃と使用しない部屋の鍵を閉める。
それらをさっさと終わらせ、各々個人の時間を過ごす。
「──ッッ!!」
刺されるような感覚が電気のようになって腕から昇ってくる。
「我慢しなさい、特に練習も訓練もせずに魔法を使った代償なんだから」
地下の本が蔓延る大図書館、そこのキャンドルが乗っている木製の長机に突っ伏す。
業務終わりの時間、俺はこの引きこもりこと、パチュリーに手の治療をしてもらいつつ、魔法の訓練を行なっている。
「はい、これで今日の治療は終わり。
何回も言うけど──」
「魔法は絶対に使うな、だろ? 分かってるよ言われなくても使いたくねぇよあんなもん」
使いたくはないが何故魔法の訓練をしているのかと言うと、自分で治療が出来るようにする為だ。
それ以外で使うつもりはない。
手袋を付け直しながら扉を開き帰ろうとしたその時。
「あれ? なんでこんなところに?」
「まだ帰ってねぇのかよ」
外は月が昇り始めたというのに、未だに紅魔館に滞在している白黒魔法使い。
大体の目的は分かるが……。
「窃盗犯を前に、ここを通すと思うか?」
白黒魔法使いは「ちぇー」と言いながら図書館を離れる。
「……なんでついてくるんだよ」
「目を離した隙に盗みに来るだろお前。…………玄関まで送り届けてやるよ」
目を離したら何が起こるかわからない、ただでさえこの短い時ですら馬鹿みたいに厄介事く持ってきやがったし……。
すると突然目の前で走り去る。
「いーやだね! せっかくここまで来たなら魔法書の一つや二つぐらい借りていかないとな!」
無論、追いかける。これ以上厄介事を持ち込まれてたまるか。
「待ちやがれ盗人!! 借りるなら返しやがれ!」
「死ぬまで借りてるだけだぜ!」
勘違いしてはいけない、【死ぬまで借りる】はただの窃盗だ。
追いかけ続けると立ち入り禁止の横道に逃げ込まれる、一瞬躊躇うも仕事が増えるのは嫌だし、仕方なくそのまま追いかける。
装飾が施された先ほどの通路とは違い、石が丸出しで壁には唯一仄かに照らすロウソクが固定されているだけ。
気味が悪いと思いつつ、通路を進むと木製の扉と中から明かりが見える。────ほかに道はない。
軋む音を立てながら扉を開ける。
「……なんなんだ? ここは」
中は壁と床は赤一色で染められた空間、真ん中を仕切るように設置されたカーテン付きのベッドと絵本や玩具を仕舞うであろう棚が壁伝いに置いてある。
ヌイグルミだったであろう残骸とボールが散らかっている、まるで──子供部屋……?
「こんなところあったのか」
白黒魔法使いも初めて来た場所のようで、その異様な光景に目を取られている。
捕まえたぞ。そう声をかけようと手をかけた瞬間──。
「お姉ちゃん達、だぁれ?」
聞き慣れない少女の声に驚いて振り返るとそこには、宝石を吊るしている羽を持つ、レミリアと瓜二つな少女が立っていた。