テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
暫くの休憩の後、レジーナたちは移動を再開する。
アロイスの負傷の影響はあるものの、どうにかその日の内に十階層に到達した。
クロード以外、皆が疲労を見せる。
辿り着いた空間に、レジーナは息を呑んだ。目の前の光景に心を奪われる。
エリカの口から「まぁ」という感嘆の声が漏れた。
「すごいわ。私、ダンジョン都市を見るのは初めて!」
拓けた空間に広がるのは、地上と変わらぬ街並。地中深くにあって、地方の宿場町程度の規模がある。
ダンジョンの資源を元に発展した街は、ダンジョンと共に滅ぶ。が、目の前の街は――人の営みが絶えた今も――その原形を留めていた。
「……宿屋を探す」
クロードの発言に、皆が耳を傾ける。
魔石を使えば、建物一つ程度の機能を回復させられる。火が使え、シャワーを浴びることができるという彼の言葉に従い、宿屋探しが始まった。
やがて、街の中心部に、かつての繁栄が窺える二階建ての宿屋を見つけた。
割り当てられた部屋。
レジーナが部屋全体に――特に寝台には念入りに――クリーンを掛けたところで、部屋に灯りが点る。
宣言通り、クロードが宿屋の機関に魔石を置いてくれたのだろう。
(……疲れた)
レジーナは寝台に寝転がる。
静かな部屋の中、数日ぶりに一人きりになれた空間で考えるのは、今後の自身の身の振り方について。
このまま家に返る気にはなれない。かと言って、行く宛もない。
ただ――行きたい場所はなくても、誰といたいかははっきりしていた。
(……クロードに、ちゃんと話をしないと)
一緒にいたくとも、彼に迷惑をかけることは望まない。「犯罪の容疑者である」なんて、あまり告白したくない話ではあるが。
レジーナが悶々とする内に、扉を叩く音が聞こえた。
「……誰?」
「アロイスだ」
誰何に返った声に、レジーナは慌てる。立ち上がり、扉に駆け寄った。
果たして、レジーナが開いた扉の向こうに、その人は微笑を浮かべて佇む。
「急にすまない。君に話があるんだ。少し時間を貰えるか?」
穏やかな声。
レジーナは緊張しつつも、彼女を招き入れた。だが、座る椅子がない。
結局――迷った末に、二人並んで寝台に腰を下ろす。間に、一人分の距離を置いて。
(……何の話かしら?)
レジーナの鼓動が早まる。黙して待つと、アロイスが口を開いた。
「……レジーナ。君にちゃんと礼を言えていなかった」
ソロリと横を向くレジーナ。菫色の光と視線がぶつかる。
アロイスが頭を下げ、金糸がサラリと流れた。
「命を救ってくれたこと、本当にありがとう。君に心からの感謝を」
「……お礼なんて要らないわ。私の方こそ、あなたに謝罪しないといけない」
「謝罪?」
「私、心を読んでしまうと分かっていてあなたに触れた。事故や偶然ではなく、故意に触れたわ」
レジーナは「ごめんなさい」と頭を下げた。
アロイスが困り顔で制止する。
「顔を上げてくれ、レジーナ。それは治療のためだろう?」
「それでも。……スキル制御が未熟だって自覚していた。自覚して触れたんだもの」
言い訳のしようもない。
アロイスが小さく苦笑した。
「わかった。君の謝罪は受け入れよう」
彼女の顔に嫌悪の色はない。
レジーナはホッとした。
「……ありがとう」
レジーナの感謝の言葉に、アロイスは「その代わり」と笑った。
「私の感謝の気持ちも受け入れてもらえないだろうか。君が私の命を救ってくれたことは間違いないだろう」
「……わかったわ。あなたの感謝も受けとる」
「ああ。……ありがとう」
穏やかに微笑むアロイス。
ガチガチに緊張していたレジーナの身体から力が抜ける。
こんな風に、彼女と言葉を交わせる日が来るなんて。
レジーナの胸の内を温かなものが満たす。
アロイスが小さく首を傾げて尋ねた。
「……もし答えられるならでいいんだが、いくつか聞いても構わないだろうか?」
レジーナは「いいわ」と頷く。
彼女にはその権利があった。
アロイスが緊張気味に口を開く。
「君は、私が女だということをいつから知っていた?」
「入学式典の何日か後、……覚えているかしら? 私、あなたにぶつかって、助けてもらったことがあったでしょう?」
「ああ、覚えている。……そうか、そんな初めから、君は私の秘密を知っていたのか」
アロイスは、フゥと長い息を吐き出す。
「なぜ、君は私の秘密を誰にも明かさなかった? リオネルにさえ黙ってくれていただろう?」
真っすぐな目で尋ねられ、レジーナは僅かに顔を伏せる。
アロイスの選択は、国への背信行為と取られてもおかしくない。それが分かっていて公にするなど、絶対に考えられない。
口にすると陳腐に聞こえるが、レジーナはアロイスを守りたかったのだ。
それに、違えたくない一線がある。
「……『未熟だから』って、人の心を暴くことに言い訳はできても、口外してしまったら、もう戻れなくなってしまう」
制御できないスキルそのものと違い、知り得たものを口にするかはレジーナの意志一つ。
人の心を晒すのがどれほど愚かな行為か。
レジーナにその結果を受け止める強さはない。
「……だから、そうね、あなたのことを言わなかったのは、私の自己保身よ」
アロイスを守りたかった。しかし、「守った」と胸を張って言えるほどのことはしていない。
彼女はレジーナを見つめ、口元の笑みを深めた。
「もっと早く、君とこういう風に話をすべきだったな」
「……どうして?」
「今の一時で、私の君に対する印象は大きく変わった。……自己保身であろうとなんであろうと、君の行いが私を救ったことは事実だよ」
アロイスの微笑。
レジーナは頬が熱くなるのを感じた。目を逸らし、ポツリと呟く。
「救われたのは、私のほうよ」
「え……?」
「……私、スキルのことをリオネルに話せば、彼が戻ってきてくれるんじゃないかと思っていたの」
だが、レジーナが認めて欲しかったのはスキルではなくて自分自身。
彼にとって有用ではない、そのままの自分を認めて欲しい。そして、愛して欲しかった。
「今は、言わなくて良かったと思ってる」
レジーナは身体ごと向きを変える。アロイスを正面に見た。
「言わずにいられたのは、あなたのおかげ。……ありがとう。三年間、あなたは私の支えで憧れだったわ」
アロイスが瞠目する。
その反応が照れくさく、レジーナは早口に告げた。
「私、あなたに自分の境遇を重ねて、勝手に励まされていたの」
一人で戦うと決めた彼女。
自分の弱さが恥ずかしかった。恥じぬ自分でありたいと思った。
「と言っても、私の一方的な憧れだから、別に、あなたに何かして欲しいわけじゃないわ。ただ……、伝えたかっただけ」
あなたへの憧憬、感謝を。
赤裸々な思いを明かし、レジーナは顔を伏せた。
人への好意を示すのは苦手だ。相手の反応が怖くて仕方ない。
彼女に、「迷惑だ」と思われていたら?
そう思うと、顔を上げられない。
視線の先に、固く握りしめた自分の両の手が映る。
不意に、その手を温かい掌で包まれた。
レジーナはギョッとして、自身の手を引き抜こうとする。
「アロイス!? 駄目よ!」
「……いや、どうかこのままで。少しだけ、私の話を聞いて欲しい」
アロイスの真剣な眼差し。
レジーナは動けなくなる。
彼女が小さく息をついた。
「正直なところ、君に……、人に心の内を知られるのは恐ろしい」
読心の制御が弛む。
レジーナの内に、彼女の思考の断片が流れ込んだ。
――私は、自身の全てをさらけ出せるほどできた人間ではないから。
「それでも、君が伝えてくれたように、私も君に伝えておきたい。……レジーナ、ありがとう」
感謝の念と彼女の懊悩が伝わってくる。
「私は、自分の選択を何度も後悔した」
――故郷を危険に晒す、独り善がりの悪あがきではないかと……
「それでも、私は弟も故郷も、どちらも守りたかった」
彼女は「自分ならできる」と信じていた。
(……いえ、違うわね)
彼女は「自分ならできる」と信じたかったのだ。
自分自身に何度も言い聞かせ、彼女はここまできた。
「結果、私は王都で出会った人たちを、大切な仲間を欺くことになった」
アロイスの心が悲鳴を上げている。
苦しい、逃げ出したいと――
(……ああ、そうなのね)
レジーナは自身が勘違いしていたことを悟る。
この人でも――自分が憧れたアロイスでさえ、強いだけではいられないのだ。
迷って、悩んで、苦しんで。
それでも、彼女には守りたいものがあった――
「……レジーナ、私の無謀を称えてくれてありがとう」
「え?」
「私は、君の言葉に救われた。……私は愚かな選択をしたかもしれない。だが、もう後悔はしない」
アロイスが晴れやかに笑う。
初めて見た彼女の屈託のない笑み。
きっと、彼女は故郷でこんな風に笑っていたのだろう。
見惚れたレジーナの頬に熱が集まる。
そもそも、同世代の女性とこんなに近くで接したのが初めてだ。
慣れぬ距離。恥ずかしさに、握られたままの手をそっと引き抜いた。
沈黙が落ちる。
レジーナとは対照的に、落ち着き払ったアロイスが口を開く。
「ところで、レジーナ。ここを出た後は、どうするつもりでいる?」
先程までよりも打ち解けた雰囲気。
レジーナは首を横に振った。
「まだ何も決めていないわ」
アロイスは「そうか」と呟き、レジーナを見つめた。
「私は、あなたの無実を信じようと思う」
「えっ!?」
「ここ数日のレジーナを見て、そう判断した」
レジーナは息を呑んだ。胸が詰まる。
クロード以外に初めて――学園でのレジーナの悪評を知っていて――、「信じる」と言ってくれたアロイス。
目の奥が熱くなる。
アロイスが厳しい表情で、「ただ」と告げた。
「このままいくと、あなたは間違いなく有罪になる」
「……そうね。あちらには証人もいるし」
「いや、実際に罪を犯したかは関係ない」
彼女の目は、ゾッとするほど真剣だ。
「読心のスキル。あなたが秘匿したくとも、フリッツやリオネルは必ず国に報告を上げる」
「そう、ね……」
「国はあなたを管理下に置くだろう。逃げ出せぬよう、敢えて裁判で有罪にするはずだ」
想像を超える展開に、レジーナは慄く。
確かに、「邪魔だ」という理由でクロードを亡き者にするような国なのだ。あり得ぬ話ではない。
恐怖に、レジーナは自身の身体を両腕で抱きしめた。
アロイスが静かに告げる。
「……あなたが国から逃げるつもりなら、私が手を貸そう」
「なっ!?」
レジーナは驚いて叫ぶ。
「何を言い出すの! そんなの絶対に駄目よ!」
「駄目ではない。……レジーナは私の秘密だけでなく、命まで救ってくれた。飼い殺されると分かっていて知らんふりはできない」
アロイスは何でもないことのように笑ってみせる。
「クラッセンの領土は広いんだ。容易とは言わないが、あなた一人を匿うことはできる。私も故郷へ帰るつもりだから、あちらで一緒に――」
言いかけたアロイスが、ハッとしたように口を噤む。部屋の扉に鋭い視線を向けた。
木製の扉がギィという音を立てて開く。
扉の向こうに立っていたのは――