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8
彼が目を開ける前に、俺は吸い付くように唇を重ねた。
「んっ、……びっくりした」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい。でも、いつきさんに会いたくなって、早く起きちゃいました」
「ん? 隣で寝てたのに?」
「……触れていないと、寂しくなっちゃうんです」
伏せられた睫毛が震える。
心臓が、朝からうるさいくらいに高鳴った。
「……可愛すぎ。昨日の続き、ここでしてもいいですか?」
俺が耳元で囁くと、ゆうたさんは頬を林檎のように染めて、小さく頷いた。
「……はい。いつきさんに、もう一度触れてほしくて……綺麗にしたんです」
「ん? どうしよっかなぁ」
わざとらしく昨日の言葉の「おかわり」を促してみる。
ゆうたさんはクスクス笑って、俺の魂胆なんてすっかりお見通しだ。
「……いつきさん、意地悪しないで?」
「はぁい。お気の召すままに」
「ふふっ、くすぐったぁい」
顔中にちゅっちゅっと音を立ててキスを落とすと、彼は本当に幸せそうに身をよじらせる。
この人は嘘が下手だし、そもそも最近は俺に隠し事もしない。
まっすぐなリアクションしか返ってこないから、もう愛おしくてたまらなくなる。
「……あ、あの。飲み会の時の写真の『見切れ野郎』って、誰ですか?」
「ん? 見切れ野郎?」
自分の中で完結させていたはずの疑問が、不意に口を突いて出た。
そうだ。ずっとこいつのせいでモヤモヤしていたんだった。今のゆうたさんなら、正直に答えてくれるはずだ。
「りゅうせいたちと映ってた、最後に送信された写真。ゆうたさんの手の上に、男の手が乗ってましたよね?」
「あ……やっぱり気づいてましたか。いつきさんが何も言わないから『大丈夫なんじゃない?』って二人に言われて、黙ってました。ごめんなさい」
「ううん、そんなことはどうでもいいんです。しつこく付きまとわれたり、変に触られたりしなかったですか?」
俺が真剣に問い詰めると、ゆうたさんは少し困ったように笑った。
「あ、あれ。僕というより、僕たちの前にいた女性社員さんたちを目当てに来た、ナンパのおじさんなんです。仕切りがあったので、向かいの端にいた僕のことも女の子だと思ったみたいで……。写真を撮る瞬間に乗り込んできて、あんなことになっちゃいました」
「はぁ!? 知らないおっさんの分際で、ゆうたさんに触るなんてマジでぶっ殺す!」
「ふふっ。そんなに怒ってくれて、嬉しいです」
勢いで汚い言葉を使ってしまったが、ゆうたさんが嬉しそうだからまあいい。
……おじさん、命拾いしたな。
「そういえば、大変だったんです。女の子の一人がりゅうせいくんに一目惚れして『隣に座りたい!』って言うからしゅうとさんがガードして。もう一人の子がしゅうとさん狙いで来ようとしたから、僕がガードして。企画部の課長さんは僕のことを息子みたいに可愛いって、仕事の話なんて全然しないし……もう、早く帰りたくて仕方なかったです」
ん? 今、企画部の「課長さん」って言ったか?
長身イケメンじゃなくて?
「……その課長さんは、おいくつくらい?」
「ん~、50前くらいでしょうか? 今年、成人式のお子さんがいるって仰ってました」
「……くっそ、あいつらに嘘つかれた。マジでなんなんだよ……!」
膝から崩れ落ちそうになる。
しゅうとの「同い年の長身イケメン」という言葉に、まんまと踊らされていた自分。
きょとんとして俺を見上げる子犬のようなゆうたさんを見て、ようやく我に返った。
そうだ、出勤までもう時間がない!
「うわ、びっくりした!」
急にシャワーを捻ったゆうたさんが、俺のリアクションを見てクスクスと笑っている。
「あ! せっかく拭いたのに、また濡れちゃうじゃないですか」
「……僕、濡れてるいつきさん、すごく色気があって大好きなんです」
ゆうたさんが、トロンとした熱い眼差しで俺を見上げてきた。
そんな顔で、そんな声で言われたら、俺のブレーキなんて一瞬で消し飛ぶ。
熱を帯びた唇に、抗う暇もないほど深く、強引に口づけを落とした。
「んっ、……いつきさん、もっと、強く……」
耳元で急かすような甘い声。
俺は彼の身体を引き寄せ、その熱を余すことなく確かめるように、ゆっくりと、けれど確実に距離を詰めていく。
「今日のゆうたさんは、優しくされたいの? それとも、もっと激しくされたい?」
彼の瞳をじっと見つめ、逃げ場を塞ぐ。
本当は知ってる。この人が、実は激しい愛情を求めていることくらい。
でも、言葉にしなきゃ、一番望んでいることはしてやらない。
「……いつきさんの熱で、僕をいっぱいにして!いつきさんに激しくされるのが……一番好き!」
浴室に響き渡る水音と、高鳴る鼓動。
俺は理性のタガを外して、愛おしい恋人のすべてを独占するように、その奥深くへと何度も何度も、情熱のすべてを叩きつけた。
溢れ出した熱量と共に、ふと現実が脳裏をよぎる。
やばい。今、何時だ? まさか遅刻してないよな!?
「……遅刻、してないかな?」
俺が息を切らしながら訊ねると、腕の中のゆうたさんは穏やかに微笑んだ。
「……きっと大丈夫です。僕の腹時計はまだ鳴っていないので、まだ六時にはなっていないはずですよ」
リビングに戻った瞬間、枕元の目覚ましがけたたましく鳴り響いた。
それと同時に、ゆうたさんのお腹が「ぐぅ~」と可愛らしく鳴り、二人で顔を見合わせて爆笑してしまった。
「コーヒー、淹れますね」
「じゃあ、俺もゆうたさんの分淹れます」
「あ、じゃあ僕、朝ごはんも……」
「じゃあ俺は、ゆうたさんの……」
「……どんだけ仲良いんだよ、俺ら」
穏やかすぎる会話に、ゆうたさんがふふっと優しく目を細める。
いつも上品なゆうたさんも好きだけど、本音を隠せない「素」のゆうたさんも、俺はたまらなく大好きなんだ。
「あ、俺、思ったんすけど……。来週、有給取ってゆうたさんの大阪出張、ついて行っていいですか? 荷物持ちでもなんでもしますんで」
名案だと思った。だが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「え……。それはダメです」
「え?! なんで!?」
「……嫌なんです。こんなに魅力的な人が僕の周りにいるって分かったら、周りが放っておかないでしょう? 絶対、気が気じゃなくて仕事になりません」
「……断られてショックだったんすけど、なんか……嬉しいです」
「……僕の仕事が終わる日に、休みを取ってください。一緒に遊びに行って、僕たち二人だけの思い出を作りたいです」
「……はい! 喜んで!!」
大喧嘩をしたり、ドラマのような劇的な事件が起こったりしなくても。
こうしてお互いを想い合い、支え合う「普通」の日常こそが、俺たちにとってはかけがえのない愛の日々なんだ。
「いつきさん。いってらっしゃい。……愛してます」
「うぇぇっ!? どうしたんですか、急に!」
「りゅうせいくんが言っていたので、僕も言いたくなっちゃいました」
心臓が、今日一番の大きな音を立てる。
「……俺の方が、愛してますからね。ゆうたさんのこと」
「……んなもん、あんたのこと見てたらわかる」
「うわっ、今の言い方……!」
顔を真っ赤にして、照れ隠しにわざとぶっきらぼうな口調で言ったんだろう。
……よし。長身イケメンの嘘をついたりゅうせいへの怒りは、今回は不問にしてやろう。
だって、俺は今、世界で一番幸せなんだから。
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