翌朝、部屋を出る勇気が出なかった。
湊と顔を合わせるのが怖い。
用意して会社に行かなくちゃいけないのに、動けないでいると、いつもより三十分も早く湊が出て行く音が聞こえて来た。
湊も私と会いたくなかったのかな?
ホッとしながら部屋を出てシャワーを浴びに行く。
浴室の鏡に映った顔は酷かった。
散々泣いて腫れた目。荒れた肌。
「……最悪」
心底悲しくなりながら熱いシャワーを頭から浴びた。
結局会社のビルに着いたのは普段より十五分以上遅かった。
毎朝の楽しみ、カフェラテを買う暇も無い。
直ぐに営業部のフロアに行き、席に着いた。
正直、仕事をする気分じゃないけど……心も身体も痛くて、何もしたくない。
でも今日一日、何とか普通に見える様に過ごさないと。
ダメージ大でも手は動くから、それなりに仕事は進められる。
でも頭の中から昨夜の事が消えはしない。
怪我をした訳じゃないし、湊は本気で暴力を振るった訳じゃない。
でも湊の変化が怖かった。優しさの欠片も無く、冷酷な目で……。
「秋野さん、在庫調べて来てくれる?実在庫数を確認したいの」
午後になると珍しく真壁さんが話しかけて来た。
真壁さんとは相変わらず気まずいままで、揉めたりはしてないけど、明らかに壁が有った。
こんな風に仕事を頼まれるのは久しぶりだった。
真壁さんも少しは歩み寄ってくれる気になったのかな。
同じ部なんだし、変にギクシャクしたくないからそれなら助かるけど。
「分かりました」
だから快く引き受けて倉庫に向かった。
真壁さんはやっぱり私と仲良くする気は無いみたいだ。
倉庫で書類を確認した途端、ガッカリした。一人で簡単に数えられる量じゃない。
「棚卸しじゃないんだから……」
思わず独り言が零れてしまう。
埃っぽい倉庫は暗くて人気も無くて、憂鬱になる。
でも戻って文句を言う訳にもいかず、仕方なく仕事に取りかかった。
真面目に作業をしていたけれど、一時間もすると馬鹿らしくなった。
もう何年も注文の入ってない死蔵品を数えて何の意味が有るのか。
どうせ次かその次の棚卸しで廃棄するのに。
やっぱり戻って真壁さんに断ろうか。そんな事を考えてると、急に足音が聞こえて来た。
静かだからヤケに足音が響く。
真壁さんが来たのかな?
そう思い振り返った先に居たのは藤原雪斗だった。
「こんな所で何やってんだよ?」
「……在庫調査です」
「何で秋野が?それって資材の仕事だろ?」
そうなんだけど……でも真壁さんが言うくらいだから、営業部でもやるのかと思った。
「しかもこれ数えて意味有るのか?」
無いと思う。いや、私が数える事には意味が有るのかも、もし嫌がらせだったとしたら。
そんな後ろ向きな事を考えてると、藤原雪斗は突然話題を変えて来た。
「また元彼氏と喧嘩した?」
「え……」
「朝から泣きそうな顔してるけど」
「してません」
顔になんて出てる訳が無い。周りの人達も普通だったし。
「俺の洞察力は鋭いんだよ」
「……」
「未練たっぷりなのは分かるけど、何とかしないと仕事に差し障るな、今日結構入力ミスしてたけど」
「……嘘」
「本当」
仕事はしっかり出来てると思ってたのに……最悪。
「すみませんでした」
「謝るより私生活何とかしろよ」
「……分かってます。このままじゃ無理だって……私がマンションを出て行きます」
「出て行くって、マンションは秋野が契約してるんだろ?」
「そうですけど、私も環境変えたいし」
昨夜の事は言えない。
湊をあんな風に変えてしまったのは私のせいでも有るのかもしれない。
一緒に居ると、私が何か言うと、湊を不快にして怒らせてしまう。
でも何も言わないで黙っていれば、私がおかしくなってしまう。
もう離れるしかない。どんなに未練が有っても仕方ない。
今まで望み通りにならなかったことなんて沢山有った。
その度に割り切って来たのに……失恋だって初めてじゃ無いのに今どうしてこんなに辛いんだろう。
どうすれば忘れられるんだろう。
この痛みから抜け出したい。
でも忘れようとすればする程、結局湊のことを考えてしまう。
怒りも恐怖も過去の思い出も全て湊への強い感情なのだから。
なんだか泣きたい気持ちになった。目の奥が熱くなる。
勿論こんな所で泣ける訳が無いから、気を紛らわす為仕事を再開する。
細かい部品を数えて行くけど頭に入らない。何度も数えてしまう。
その様子を見た藤原雪斗は呆れた様な声を出して隣に来た。
「効率悪過ぎ」
「……」
「環境変えたいって言いながら、未練たっぷりで泣きそうなんだ」
「……そう思ってるなら放っておいて貰えますか?」
少しはそっとしておいてあげようって、思ってくれないのかな?
洞察力鋭いって豪語するなら空気読んで欲しい。
藤原雪斗は何で私に構うんだろう。
目の前で無残に振られるシーンを見たから?
その後が気になる?
同情してる?
面白がってる?
……考えても分からない。
でもどうでもいい気もして来た。
今は藤原雪斗の事なんて気にしてる余裕は無いし、とにかくそっとしておいてくれれば……。
「男を忘れる方法教えてやろうか?」
「え?」
突然何を言い出すんだろう。
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