またからかって、おかしな事を言う気なのか。
そう思って藤原雪斗に向き直ると、意外に真面目な顔をしていたから驚いた。
「前にも言ったろ? 男の傷は男で癒すって」
ああ、その話か。
「聞いたけど興味ないです。当ても無いし」
そんなに直ぐに前向きな気持ちになって、新しい相手が出来るなら苦労しない。
「俺と付き合えばいいだろ?」
「……は?」
この人、いきなり何を言い出すの? 今は飲んでないよね?
不審感でいっぱいになる私に、藤原雪斗は恥かし気も無く言った。
「俺と付き合えばあいつの事も忘れられる。俺は秋野の事喜ばせてやれるからな」
「喜ばせるって、私藤原さんの事好きって訳じゃ……」
それなのに、どうしてこんな話に?。
「お互い好きじゃなくても付き合えるだろ? 気も紛れるし、寂しくもなくなる。忘れたい記憶も薄れる」
「でも……そんな関係虚しいだけじゃないですか? そんな関係で喜べるとは思えない」
そう言うと藤原雪斗はニヤリと笑った。
「結構上手く行くと思うけど。俺達相性も良いって分かってるしな」
あ、相性? それって……。
「つまり……私にそういう関係になれって言ってる訳?」
「そういうって?」
「だから身体だけの関係って事です!」
「別にセフレになろうって訳じゃない、普通に付き合えばいいだろ?」
藤原雪斗はちょっと呆れた様に言う。
まあ……確かに藤原雪斗なら相手はいくらでも居るだろうし、わざわざ私をセフレに選ぶ必要は無いけど。
でも、私と普通に付き合うことにメリットなんて有るのかな?
ないと思う。ということは何か裏が有るんじゃ……。
あれこれ考えていると、藤原雪斗は小さな溜め息を吐いた。
「相変わらず頭が固いな」
もう何度目かの台詞を言うと、急に腕を伸ばして私の二の腕を掴んで来た。
「な、何?!」
心臓がドキリと跳ねる。
昨夜湊に掴まれた場所と同じだったから。
でも藤原雪斗は湊とは全く逆の行動をした。
「……!」
藤原雪斗は私の背中に腕を回して引き寄せて来た。あっという間に腕の中に囲われる。
「ちょっと……離してよ」
突き放そうとしても腕の力は強くて身動き出来ない。
信じられない、会社でこんな事……まだ付き合うとも言ってないのに。
「ねえ! 退いてよ!」
「こうしてると安心するだろ?」
「え?」
突然何を言い出すの?
「抱きしめられるとホッとしないか?」
「……」
確かに……急な事で焦っているけど、昨夜の様に怖くはない。
藤原雪斗の腕は強いけど優しくも感じる。
広い胸も暖かくて……安心して、涙が出そうになる。
好きな訳じゃないけど、心地良い。
こんな関係どうかしてると思うけど、先の事なんか考えられないけど、今はここに居たいと思う。
もしかしたら藤原雪斗も同じなのかな?
別れた奥さんを忘れたいから、温もりを求めてる?
私みたいに苦しくて寂しい?
私……どうかしてる。今この腕を離したくないと思うなんて。
気付けば藤原雪斗の背中に腕を回していた。
あの藤原雪斗が私の恋人になった――。
少し離れた席で打ち合わせをしている姿を見ると、信じられない気持ちになる。
完璧な仕事ぶりで、完璧な容姿で……性格には若干問題有りだけど。お酒も弱いし。
彼が私なんて相手にするとは思わなかった。
それに私も……勢いや寂しさで付き合うなんて、今までの自分じゃ考えられない。
でも、何かに縋りたかった。
湊への執着を断ち切る為に変わりたい。
特に会話を交わす事は無かったけど、五時過ぎになるとメッセージが届いた。
【八時には仕事終るから、この前の店で待ってて】
なんか……本当に恋人同士みたいな内容。
【分かりました】
とりあえず返事はするけど、なんだか戸惑う。
在庫確認のせいで溜まっていた仕事を片付けると席を立ち藤原雪斗の視線を感じながら、フロアを出た。
八時までは時間が有る。
待ち合わせの店に行く前に不動産屋に行く事にした。
まずは直ぐに移れる、マンスリーマンションでも借りて……後の事はそれから考えよう。
今のマンションは来月末で解約して。湊も行く所は有るみたいだから心配無いはず。
余計な事は考えないで、進んでいかなくちゃ。
雪斗は時間通りに店に来た。
「新しい部屋決まりました」
そう報告すると少し驚いたようだった。
半ば勢いで契約してしまった部屋で自分でも急展開に驚いている。
今まであんなに悩んで身動きとれなかったのに。
私の気持ちが劇的に変わった訳じゃないけど、これで環境は変わる。
そうすれば、気持ちも……。
「美月」
「は?」
考え込んでいると突然名前を呼ばれた。
でも呼ばれ慣れないその響きに、つい眉をひそめてしまう。
「付き合ってるんだから当然だろ?」
「まあ……そうですけど」
「お前も今度からは雪斗って呼べよ。藤原を取るだけだから簡単だろ?」
「……」
「新しい部屋にはいつ移るんだ?」
「え、週末には」
「あと三日か……それまで大丈夫か?」
「……大丈夫。湊も仕事だからあまり顔を合わせないし」
「本当か?」
「うん」
本当は不安だけど、でも私が何も言わなければ湊も無理はしないはず。
二人で食事をするのは初めてじゃ無いけど、どうしても意識してしまうせいか緊張する。
目の前で気分良さそうにグラスを手に取る完璧と噂の男……こうしてよく見ると本当に整った顔をしてる。
何で私と付き合う気になったんだろう。
いくら寂しさを埋める為と言っても、他にいくらでも選択肢は有りそうなのに。
不思議で仕方ない。
そもそも私と居て奥さんを忘れる事が出来るのかな。
「どうしたんだ?」
「いえ、何でも無いです」
「なあ、もうちょっと打ち解けろよ敬語も止めろ」
「あ……分かった」
急に変われって言われても、なかなか戸惑うものなのなんだけど。
「美月」
「な、何? 雪斗」
なんか恥ずかしい。雪斗って……。
顔が赤くなってしまいそうな私とはうらはらに雪斗は普通の顔をして言った。
「今日、泊まっていかないか?」
「はっ?」
ま、まさか付き合い初日にいきなりホテルに行くって事?
雪斗に恥じらいってものは無いのかな?
どうして平気で言えるんだろう。
「嫌なのか?」
今度はムッとして言う。
「嫌って言うか……でも急過ぎるし」
「何で急? この前も泊まったろ?」
そうだけど!
でもあの時は酔っ払って普通じゃ無かったし、きっと勢いが有ったし。
「そんな意識しなくても普通の事だろ?」
普通の恋人はそうかもしれなけど、私達は普通じゃない。
しかも私は長い間セックスレス生活を送っていた訳で、意識しないなんて無理。
セックスってこんなに簡単に出来るものなの?
湊を誘う時、どれだけ勇気を出した事か……結局毎回断られて実現しなかったけど。
私にはもう敷居が高くなってしまってる。
「今、昔の男の事考えてるだろ?」
「え?」
「彼とはやってなかったわ。なんて考えてただろ?」
「そ、そんな訳……」
まさに図星な訳で……鋭すぎる。
「やっぱり今日は泊まりな、家に帰ったらますます前の男のこと考えるだろ?」
「ちょっと、強引過ぎない?」
今に始まった事じゃないけど。
そして、いつも私は逆らえない。
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