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会社の倉庫に景品を置くと、今日のすべきことは完了だった。
「少し早いけど、夕ご飯でも食べるか」
「そうですね」
「何か食べたい物はあるか、鈴宮?」
「……うーん。和食とか」
「和食か」
車に再度乗り込み、中村先輩が連れて行ってくれたのは……。
「す、すごい……! こんな高層階のお寿司屋さん、初めて入ります」
「ここは寿司も美味しいけど、天ぷらも旨いよ」
「中村先輩はよく利用するんですか?」
「いやあ、さすがによくは利用しないけど。ここぞ、という時に利用するかな」
ここぞという時に中村先輩が利用するお店は、お台場のホテルの高層階にあるお店だった。メニューを見てビックリ! 予約が済んでいるというコースは、すべて一万円以上。
先輩だし、ご馳走してくれるかも~なんて軽い気持ちで考えていたが、これは自分の分は自分で払わないとダメだろう。
「本日はご利用いただき、ありがとうございます。お飲み物はいかがなさいますか」
店員さんに声をかけられ、中村先輩は……。
「俺は車の運転があるから飲まないけど、鈴宮は飲んでいいぞ」
そうは言われても。
ビールが1500円もする。サワーだって1300円!
「遠慮するなよ、鈴宮。お前より3年分給料は多くもらっているんだから」
カウンター席に座り、中村先輩とは横並びで座っていた。
それだけで距離が近いのに。
今、中村先輩が私の髪をくしゃっと撫でた。
そんなことされると思っていなかったので、ドキッとしてしまう。
中村先輩は、学生時代にバスケをやっていただけあり、長身で筋肉質、よく日焼けした肌をしており、見るからにスポーツマンタイプ。清潔感のある黒髪短髪で、仕事もできるし、実に頼もしい。普通にモテるタイプだから、こんな風に髪に触れられれば、ドキッとしても仕方ないと思う。
ただ、おしどり夫婦で愛妻家と知られているから、絶対にときめいてはいけない人物だ。
ひとまず深呼吸をして気持ちを落ち着かせ「では一杯だけ、梅酒ソーダ―でお願いします」と返事をする。
すぐに中村先輩のペリエと私の梅酒ソーダ―が運ばれてきて、乾杯となった。
2種類の先付も出てくる。
しばらくは仕事の話をしていた。
でもお造りを食べ、天ぷらを食べ始めた頃には恋愛の話になっている。
しかも私の好きな異性のタイプの話をしていた。
「鈴宮は子犬みたいなタイプが好きと……子犬みたいなタイプって、何だ?」
「多分、可愛らしいタイプです」
「可愛らしい……俺とは真逆のタイプってことか」
「いえ、中村先輩は中村先輩ですよ。先輩は爽やかなスポーツマンタイプで、普通に好感度高いですよ」
「そうか。俺はまだモテるかもしれないということか」
そこで銀ダラの西京焼きが到着した。
お酒のおかわりを問われ、中村先輩と同じペリエを注文する。
「飲めばいいのに」と中村先輩は笑い、また髪をくしゅっとされ、ドキッとしてしまう。
どうして今日はこんなに髪に触れるのだろう?
愛妻家だったらそんなことしちゃダメではと思いつつ、直前の発言もあり、つい言ってしまった。
「中村先輩、愛妻家ですよね。綺麗な奥さんいるのに『まだモテるかもしれない』なんて言っちゃダメですよー」
中村先輩は銀ダラの西京焼きを口に運びながら、しばし無言になり、そして口を開く。
「まあ、そうだった、半年前まではな」
「え……」
「おしどり夫婦ってみんなに言われていたし、そうだと思っていたけど……」
まさかと思ったところで、私のペリエが到着した。
さらにノドグロの煮付けもテーブルに並べられる。
「離婚したんだよ」
これには衝撃で言葉が出ない。
「ほら、鈴宮、まだ魚料理二品、食べてないじゃないか。とりあえず、食べろ。この後、お待ちかねの寿司が来るんだから」
「は、はいっ!」
私が銀ダラの西京焼きとノドグロの煮付けを食べている間に、中村先輩は離婚の経緯を離してくれた。
中村先輩は営業企画に異動になる前は、システム部にいた。システム部は支社や工場などのシステムの構築などの立ち合いのため、出張をすることも多かった。別れた奥さんとはその出張で乗った飛行機で知り合ったという。
もうお互いに一目惚れだった。
共に仕事が忙しく、会う時間がとりにくいことからすぐに同棲が始まり、年齢的にも適齢期。自然とそのまま結婚した。
奥さんは噂通りの綺麗な人で、職業柄言い寄る男性も多かった。そして――某有名な二世俳優と浮気をしていることを、中村先輩は知ることになる。
離婚まで一年かかった。気持ちの整理や親戚などのしがらみ。法的な処理などで。
どうして今の今まで話せなかったのかは、聞かれることもなかったというのもあるし、プライベートの話だから自分から敢えて話さなかったのだという。
「お待たせいたしました。季節のネタを使ったお寿司、五種盛りでございます」
お寿司専用の醤油を使い、お寿司を食べながら、今聞いた中村先輩の話を頭の中で反芻することになる。
中村先輩は愛妻家だったのに。気配り上手で朗らかでこんなに素敵なのに。奥さんはどうして浮気をしてしまったのだろう……。
相手はまさかの二世俳優。
きっと見た目は勿論、オーラがすごかったのかな。
「鈴宮、そんな暗い顔をしないでくれよ。俺は……良かったと思っているから」
「離婚してよかったのですか!?」
「だって、そうだろう? ずっと浮気していることを隠されるということは、ずっと騙されることになる。そんなの嫌だよ」
なるほど。確かに騙される……それはキツイ。
「それにまさかの鈴宮も10年来の彼氏と別れた。俺はバツイチ、鈴宮は独り身。仲良くやろうじゃないか」
「!?」
「どうだ、鈴宮。俺で恋愛のリハビリでもしないか?」
「な、なんですか、リハビリって!?」
すると中村先輩はグラスを口に運び、爽やかな笑顔を私に見せる。
「俺も鈴宮も、パートナーの浮気が原因で、それぞれバツイチと独り身になった。俺は女性に対して、鈴宮は男性に対して、不信感を覚えたんじゃないか。だからリハビリだよ。俺は鈴宮を絶対に裏切らない。鈴宮は俺を絶対に裏切らない。それが分かっているから、一緒に過ごせば、異性に対する不信感を払しょくできると思う」
そこでお味噌汁が到着する。
配膳と空いたお皿が片付けされている間に、中村先輩の言った言葉を理解しようと試みるが、理解……できない!
「突然の提案でビックリだよな。難しいことを言ったつもりはないけど、考え込みたくなるよな」
それはその通りなので、頷くことになる。
「遠回しだとダメなのかな。でも……。さすがに急過ぎる。……」
そこで中村先輩は無言でお味噌汁を飲む。
私は何と中村先輩に声をかければいいか分からないので、同じくお味噌汁を飲んだ。
「こうしないか、鈴宮」
中村先輩がその黒い瞳を私に向けた。
「俺は女性に対する不信感を払しょくしたい。鈴宮といると、女性のこと、また信じてもいいかもと思えてくる。つまり鈴宮といることは、俺にとってのリハビリだ。時間がある時、一緒にご飯を食べてもらっていいか。勿論、付き合わせることになるから、俺が費用は持つ」
「それは……」
「でも鈴宮が嫌なら無理強いはしないよ。セクハラだって言われたら困るしな」
「そんな、お世話になっている中村先輩をセクハラで訴えるなんてあり得ないですよ。……時間がある時に食事をしたい、だけなんですよね?」
すると中村先輩は「今のところはね」と、なんだか意味深な言葉を口にする。「どういうことですか?」と口に出さずにその顔を見ると……。
「分かったよ、鈴宮。食事をするだけでいい。しかも鈴宮の気が向いた時で構わない。俺としては、一人ご飯は寂しいというのもある。美味しい食事をした時は、その気持ちを誰かと分かち合いたい。誰かと話しながら食べた方が、美味しく感じる気がする」
中村先輩には、仕事で沢山お世話になっていた。その先輩が元奥さんの浮気で女性不信になっている。でも私と食事をすることで、その気持ちが薄まっていくのなら……。
「分かりました。中村先輩が案内してくれるお店は素敵なところが多いですし、何より食事は一人より二人の方が美味しく感じると思うので」
「ありがとう、鈴宮」
中村先輩は白い歯を見せ、笑顔になった。