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第三十五話 無答核分離戦、届いた鈴
返事は来ない。
その言葉は、ただの絶望ではなかった。
長く待った者の声だった。
何度も呼んだ者の声だった。
届かなかった祈りが、これ以上傷つかないために選んだ最後の壁だった。
無答核。
それは、返事を待つことを諦めた願いの塊だった。
そして沈黙冠は、その諦めを支配している。
返事など来ない。
だから、願うな。
声を出すな。
最初から黙っていれば、傷つかずに済む。
それは、救いの顔をした封印だった。
だからこそ、士郎たちは決めた。
沈黙冠を倒す前に、無答核を引き離す。
返事が来ないと諦めた影へ、まず返事を届ける。
◆
衛宮邸の居間は、作戦室になっていた。
座卓の上には、凛の宝石板。
メディアの術式図。
ミライの分類表。
ユイが描いた無答核の絵。
イリヤが用意した卵焼きの包み。
凛は宝石板の上に無応答層の図を表示した。
「今日の目的は一つ。無答核を沈黙冠から分離する」
士郎は頷いた。
「沈黙冠本体は倒さない」
「そう。正面から沈黙冠を叩くには、まだ手札が足りない。でも無答核を切り離せば、沈黙冠の無答波は大きく弱まるはず」
メディアが指先で術式図をなぞる。
「問題は、沈黙冠と無答核を繋いでいる沈黙輪の鎖ね。前回、士郎の応答剣で亀裂は入った。けれど、完全切断には足りない」
ミライが続ける。
「必要要素は三つ。
一、沈黙冠の干渉を一時的に弱めること。
二、無答核に応答を継続して届けること。
三、接続鎖を切断ではなく、再接続先へ誘導すること」
イリヤが首を傾げる。
「再接続先?」
ユイが小さく答えた。
「返事の庭」
ミライは頷く。
「肯定。無答核を単に沈黙冠から切ると、無応答層内で崩壊する危険が高い。返事の庭の応答待機領域へ接続し直す必要があります」
凛が真剣な顔で言った。
「つまり、無答核を倒すんじゃない。連れて帰る」
士郎は拳を握った。
連れて帰る。
敵としてではなく、返事を待つ願いとして。
そのための戦い。
桜は静かに言った。
「黒い影を受け止めるなら、私の影も使えます」
メドゥーサがすぐに桜を見る。
「サクラ、無理は」
「しません」
桜は先に答えた。
「飲み込むんじゃなくて、道を作るだけです。前に練習しました」
メディアは頷く。
「桜の影は、無答核を一時的に包む通路として使える。ただし、長時間は危険。メドゥーサ、桜の限界を見ていて」
「承知しました」
イリヤは卵焼きの包みを両手で持った。
「私は、帰還アンカーと豊穣の根」
凛が頷く。
「イリヤの豊穣の種で、無答核が返事の庭へ根づくための仮根を作る。ユイは応答接続。ミライは分類と接続制御」
ユイは胸に手を当てる。
「聞こえてるって、言う」
ミライも頷く。
「返事は来ない、という固定文を、返事が来た、という疑問文へ変換する」
士郎は少しだけ笑った。
「疑問文か」
凛が言う。
「大事よ。いきなり“返事は来た”って断定しても、無答核は受け入れられない。まず“本当に来ないのか?”に変える」
メディアが薄く笑う。
「沈黙冠は断定の敵。こちらは余白で崩す」
士郎は頷いた。
断定ではなく、余白。
完全な救済ではなく、最初の返事。
それが彼らの戦い方だった。
◆
出発前、イリヤは卵焼きを一切れだけ別の小箱へ入れた。
士郎が尋ねる。
「それは?」
「無答核の分」
凛が目を瞬かせた。
「食べられないわよ?」
「分かってる」
イリヤは小箱を大事そうに持つ。
「でも、持っていく。返事をもらえなかった願いにも、帰る場所があるって見せたいから」
ユイが頷いた。
「温かい返事」
ミライが記録する。
「卵焼き、無答核接続用象徴媒体として登録」
メディアが額に手を当てる。
「本当に、卵焼きの概念強度がどんどん上がっていくわね」
凛は苦笑した。
「もう下手な礼装より強いかもね」
士郎は思った。
戦いに持っていくものが、剣だけではない。
卵焼き。
鈴。
送別頁。
返事の庭の芽。
誰かの「ただいま」と「おかえり」。
それらが、今の彼らの武器だった。
◆
柳洞寺地下。
返事の庭は、昨日よりも静かだった。
静かすぎるくらいだった。
おかえりの芽も、ごめんの芽も、見ている芽も、送別の芽も、小さく身を寄せ合うように揺れている。
応答待機領域の黒い種たちも、今日はざわめいていない。
その静けさは、沈黙冠の影響が近づいている証でもあった。
ヘラクレスの守護結界が強く光る。
イリヤは小箱を掲げた。
「バーサーカー。今日も行ってくる。無答核を、連れて帰りたい」
守護結界が低く震えた。
言葉はない。
だが、確かに背中を押している。
士郎は返事の庭の中心へ立った。
胸元の防無答鈴に触れる。
ちりん。
小さな音が鳴る。
返事の庭の芽たちが、それに応えるように揺れた。
凛は宝石楔を設置し終え、全員へ視線を送る。
「作戦開始。無応答層第二領域へ突入。目的、無答核分離。沈黙冠本体との長期戦は避ける」
メディアが杖を掲げる。
「防無答結界、強化版を展開するわ。三回までは沈黙輪の直撃を防げる。それ以上は各自鈴を使って」
ミライが頷く。
「応答接続制御、開始準備完了」
ユイが深く息を吸う。
「聞く準備、できた」
士郎は全員を見る。
「行こう」
◆
無応答層第二領域は、前回よりも白かった。
あまりにも白い空間。
声が出る前に消えそうになる。
胸元の鈴が、かすかに震えている。
沈黙冠の影響が、すでに全員の発話意思へ触れているのだ。
白い空間の奥には、玉座がある。
その上に浮かぶ黒い冠。
沈黙冠。
そして玉座の足元には、無答核が膝をついていた。
胸の黒い穴は、前より小さくなっている。
だが、そこへ白い沈黙輪の鎖が何重にも巻きついていた。
沈黙冠の声が響く。
『また来たか』
凛が宝石を構える。
「ええ。忘れ物を取りに来たのよ」
『ここに忘れ物などない。ここにあるのは、願う前に閉じられたもの。傷つく前に救われたもの』
ユイが震えながらも言う。
「救われてない」
沈黙輪がユイへ飛ぶ。
ユイは鈴を鳴らす。
ちりん。
輪がひび割れ、メディアの術式がそれを砕いた。
ユイは言葉を続ける。
「黙ってるのは、救いじゃない。言いたいのに言えないのは、苦しい」
沈黙冠が揺れる。
『言えば拒まれる』
イリヤが前へ出た。
「拒まれても、言ったことが全部無駄になるわけじゃない!」
白い輪がイリヤへ迫る。
豊穣の種から黄金の根が伸び、輪を絡め取る。
イリヤは叫んだ。
「私は生きたいって言った! 言ったから、みんなが聞いてくれた!」
沈黙冠の白い空間に、小さな金色の亀裂が走る。
しかし、玉座の足元から無声影たちが湧いた。
前回よりも多い。
口のない影。
音を奪う影。
言葉を出す前に手を伸ばし、胸の奥から意志を抜こうとする。
ミライが警告する。
「無声影、多数。無響獣への集合予兆あり!」
凛が宝石を投げた。
「集合させない!」
赤い魔力が散弾のように広がり、無声影の足元を弾く。
メディアの術式が白い空間に紫の線を引き、影たちを区画ごとに分断する。
メドゥーサは鎖を振るい、桜の前に迫る影を弾き飛ばした。
桜の影が床を滑り、無声影の足を絡め取る。
「飲み込まない。逸らすだけ」
桜は自分に言い聞かせるように呟いた。
メドゥーサが静かに頷く。
「そのままで」
士郎は盾を投影した。
だが、今日は前回より形が保てる。
返事の庭から持ってきた鈴の音が、投影の核を支えている。
盾の表面には、小さな鈴の紋様が浮かんでいた。
「来い!」
無声影が士郎へ殺到する。
士郎は盾で受け止めず、斜めに逸らす。
触れれば声を奪われる。
ならば正面から止めない。
盾で流し、杭で道を塞ぎ、凛の宝石弾へ誘導する。
凛が叫ぶ。
「いい位置!」
宝石弾が弾け、無声影が散る。
しかし奥で、数体が重なった。
無響獣。
四足の影が白い空間を駆ける。
足音はない。
狙いは、ミライ。
分類と接続制御を担う彼女を潰すつもりだった。
ミライは一瞬だけ固まる。
無響獣が迫る。
ユイが叫んだ。
「ミライ!」
ミライは胸元の鈴を鳴らした。
ちりん。
短音一回。
存在確認。
その音で、自分自身をこの場へ固定する。
「私は、ここにいる」
ミライは言った。
同時に、記録帳を開く。
「無響獣、接近方向三時。対処、士郎右杭、メドゥーサ鎖、凛光壁!」
士郎が杭を投影する。
メドゥーサの鎖が無響獣の前足を絡める。
凛の光壁が進路を塞ぐ。
無響獣が身を捻り、霧状になって抜けようとする。
その瞬間、桜の影が柔らかく広がった。
「通しません」
影が無響獣を飲み込まず、包んで止める。
イリヤの豊穣の根がそこへ伸び、無響獣を地面へ縫い止めた。
ユイが前に出る。
「聞こえないの、怖いよね。でも、ここにいる」
ミライも続ける。
「存在確認、継続」
無響獣の背の手形が光り、ほどける。
獣は灰色の種へ戻った。
凛が息を吐く。
「よし、前回より早い!」
メディアが言う。
「慣れてきたのはいいけれど、本命はまだよ!」
◆
沈黙冠が動いた。
いや、冠そのものは玉座の上に浮かんだままだ。
だが、白い空間全体が王命のように震えた。
『願望発話、過剰。沈黙を執行する』
玉座の周囲から、巨大な沈黙輪が三つ現れた。
前回の輪とは比べものにならない。
人一人を封じる輪ではない。
空間ごと閉じる輪。
凛が顔色を変える。
「大規模沈黙輪! 全員、散って!」
巨大な輪が落ちてくる。
第一輪は、声を奪う。
第二輪は、術式を奪う。
第三輪は、願いを形にする意思そのものを奪う。
メディアが叫ぶ。
「三つ目は絶対に受けないで! あれに捕まると、動く理由ごと閉じられる!」
凛が宝石を七つ同時に砕く。
光の柱が第一輪を支える。
メディアの神代文字が第二輪へ絡みつく。
だが第三輪は、その防御をすり抜けて落ちてくる。
狙いは、無答核と返事の庭を繋ごうとしているミライとユイ。
士郎は前へ出ようとした。
凛の声が飛ぶ。
「一人で受けるな!」
士郎は止まる。
止まった上で、叫んだ。
「みんな、鈴!」
全員が胸元の鈴を鳴らした。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
小さな音が重なっていく。
一つでは弱い。
だが、重なれば音の網になる。
イリヤが言う。
「私は生きる!」
ユイが言う。
「私はここにいる!」
ミライが言う。
「私は未定でありたい!」
桜が言う。
「私は言っていい!」
凛が言う。
「私は黙らない!」
メディアが言う。
「私は誰の道具にもならない!」
メドゥーサが言う。
「私はサクラの隣にいる!」
士郎が言う。
「俺は手を伸ばす!」
それぞれの言葉が鈴の音に乗る。
第三輪が震えた。
まだ砕けない。
だが、落下が止まる。
ミライが叫ぶ。
「今です! 無答核への接続経路、開きます!」
ユイは無答核へ向かって両手を伸ばした。
「聞こえてる!」
無答核は膝をついたまま、胸の穴を震わせる。
『返事は、来ない』
イリヤが一歩踏み出す。
「来たよ!」
『違う』
ユイが叫ぶ。
「違わない!」
『遅い』
士郎の胸が痛む。
遅い。
その言葉は重い。
確かに、遅い返事はある。
もう届かないかもしれない返事もある。
士郎はそれを否定しなかった。
「遅かったかもしれない」
無答核が揺れる。
士郎は続ける。
「でも、遅くても返事は返事だ」
凛も言った。
「遅れた返事を、なかったことにしない」
桜が言う。
「待っていた時間も、なかったことにしません」
ミライが言う。
「遅延応答、無効ではありません」
イリヤが叫ぶ。
「ごめん、遅くなった。でも聞こえてる!」
無答核の胸の穴が強く震える。
『遅い』
ユイが涙を浮かべる。
「うん。遅い」
『遅すぎる』
「うん」
『でも』
その一言に、全員が息を止めた。
無答核の声が、初めて変わる。
『でも、来た?』
沈黙冠が激しく震えた。
『否定。錯覚。返事は期待を増殖させる。期待は破滅する。沈黙せよ』
白い鎖が無答核を締め上げる。
無答核が苦しげに揺れる。
ミライが叫ぶ。
「接続鎖、露出! 今なら切断可能。ただし切るだけでは崩壊します!」
桜が前へ出る。
「道を作ります!」
桜の影が地面を走る。
黒い影は、飲み込むためではない。
無答核の足元から返事の庭へ向かって、細い道を作る。
メドゥーサの鎖がその道の両側を支えた。
イリヤの豊穣の根が影の道に絡み、崩れないように補強する。
ユイが無答核へ声を届ける。
「こっちに来て!」
無答核は動かない。
『返事は……来た。でも、どこへ行けばいい』
ミライが答える。
「応答待機領域。あなたのための場所があります」
凛が宝石を砕く。
「士郎、今!」
士郎は手を伸ばす。
応答剣を投影する。
前回よりもはっきりした形。
刃に鈴の紋様。
柄に返事の庭の四つの芽の光。
切るためではなく、鎖をほどくための剣。
「投影、完了」
士郎は走った。
無声影が行く手を塞ぐ。
盾では間に合わない。
メドゥーサの鎖が影を払う。
凛の宝石弾が沈黙輪を砕く。
メディアの術式が士郎の足場を作る。
桜の影が黒い波を逸らす。
イリヤの根が白い空間に道を生やす。
ユイとミライの声が無答核へ届き続ける。
士郎は鎖の前へ到達した。
沈黙冠の声が響く。
『切れば、期待が戻る』
士郎は応答剣を構える。
「戻ればいい」
『期待は傷を生む』
「それでも、何も願えないよりはいい」
『返事は遅れる』
「遅れても、届くことがある」
『届かぬ返事もある』
「ある」
士郎は認めた。
「それでも、最初から全部黙らせる理由にはならない!」
応答剣が振り下ろされた。
鈴の音が鳴る。
ちりん。
白い鎖が斬れるのではなく、ほどけた。
一本。
また一本。
沈黙冠の鎖が無答核から剥がれていく。
無答核の胸の穴から、黒い波ではなく、薄い灰色の光が漏れた。
無答核が顔のない頭を上げる。
『返事は……来た』
ユイが泣きながら頷く。
「うん」
イリヤも叫ぶ。
「来たよ!」
ミライが言う。
「応答確認。接続変更開始!」
桜の影の道が光る。
イリヤの豊穣の根が無答核へ触れる。
無答核の身体が崩れそうになる。
メディアが叫ぶ。
「凛、安定化!」
「やってる!」
凛の宝石が砕け、青い光が無答核を包む。
ミライが接続制御を続ける。
「無答核、沈黙冠から分離。返事の庭、応答待機領域へ再接続!」
無答核の身体が黒い影から、小さな灰色の冠のない種へ変わっていく。
それはまだ芽ではない。
でも、影でもない。
応答待機領域へ向かって、ゆっくり流れていく。
沈黙冠が怒りのように白く輝いた。
『無答を奪うな』
メディアが冷たく笑う。
「それ、あなたが言うの?」
凛が叫ぶ。
「撤退!」
巨大な沈黙輪が全方位から迫る。
だが、無答核が分離したことで白い鎖の一部が崩れ、撤退線が見えた。
士郎は応答剣をもう一度振るい、撤退路を塞ぐ輪を砕く。
桜の影が全員を繋ぐ。
メドゥーサの鎖がそれを補強する。
イリヤが卵焼きの小箱を抱きしめる。
「帰るよ!」
ユイが灰色の種へ手を伸ばす。
「一緒に!」
ミライが叫ぶ。
「全員帰還、開始!」
白い空間が崩れる。
鈴の音が重なる。
◆
返事の庭へ戻った瞬間、全員が地面に倒れ込んだ。
ヘラクレスの守護結界が大きく揺れ、彼らを受け止める。
凛は肩で息をしながら宝石板を確認した。
「無答核は!?」
ミライが震える手で返事の庭の外縁を指した。
応答待機領域。
そこに、新しい灰色の種があった。
他の黒い種よりも少し大きい。
胸の穴はもうない。
ただ、灰色の殻に小さな亀裂が入っている。
ユイが近づく。
「聞こえる?」
灰色の種は小さく震えた。
声がした。
『……来た』
イリヤが涙を浮かべる。
「うん。来たよ」
士郎はその場に座り込んだ。
無答核は、まだ救われたわけではない。
返事が来たと知っただけだ。
でも、それは大きな一歩だった。
返事は来ない。
その固定文が、崩れた。
メディアが深く息を吐く。
「成功ね。沈黙冠からの分離は完了」
凛は宝石板を握りしめる。
「でも、沈黙冠の反応が上がってる。次は間違いなく本気で来る」
ミライが記録する。
「沈黙冠、無答核喪失により権能構造変化。予測、返事の庭への直接侵攻」
ユイが灰色の種を見る。
「この子、守らなきゃ」
イリヤが頷いた。
「うん。返事が来たって、忘れないように」
士郎は応答剣を見た。
刃はもう消えかけている。
でも、鈴の音は残っている。
次は、沈黙冠本体。
願いを言葉にする前に閉じる王冠。
それを止めなければ、返事の庭は本当に黙らされる。
◆
衛宮邸へ戻った夜、全員で卵焼きを食べた。
イリヤが無答核用に持っていった一切れも、返事の庭から持ち帰ってきた。
もちろん、無答核は食べられない。
けれど、イリヤは庭の灰色の種の前に一度見せてから、皆で分けた。
「返事が来た記念」
ユイは一口食べて言った。
「少ししょっぱい」
イリヤが驚く。
「えっ、砂糖控えすぎた?」
ミライが記録する。
「戦闘後味覚補正の可能性あり。涙成分も関与?」
凛が小さく笑った。
「そういう分析、嫌いじゃないわ」
桜は湯呑みを置きながら言った。
「でも、美味しいです」
メドゥーサも頷く。
「はい」
士郎は卵焼きを食べた。
少し崩れていて、少ししょっぱくて、でも温かい。
帰ってきた味だった。
◆
深夜。
願録聖堂に、新しい頁が浮かんだ。
無答核分離戦。
そこには、今日の戦いが記されている。
巨大沈黙輪。
無声影。
無響獣。
応答剣。
桜の影の道。
イリヤの豊穣の根。
ユイの声。
ミライの接続制御。
そして、無答核の一言。
来た。
士郎の文字。
遅くても、返事は返事だ。届かない返事もある。でも、届いた返事をなかったことにはしない。
凛の文字。
分離成功。次は沈黙冠本体。戦力不足を工夫で埋める。
イリヤの文字。
無答核にも返事が来た。卵焼きは少ししょっぱかった。でも帰って食べた。
ユイの文字。
来たって言った。よかった。守りたい。
ミライの文字。
固定文“返事は来ない”が変化。“返事は来た?”を経て“来た”へ。重要成果。
桜の文字。
影は道にもなる。飲み込むだけじゃない。
メドゥーサの文字。
サクラの道を守った。次も守る。
メディアの文字。
沈黙冠は本気になる。次からは庭そのものが戦場になる可能性が高い。
玄礼の文字。
無答は記録不能ではなかった。返事が届いた瞬間、記録ではなく変化が生まれた。学習継続。
返事の庭では、応答待機領域の中心に灰色の種が眠っている。
無答核だったもの。
その種は時折、小さく震える。
『来た』
ただそれだけを、何度も確かめるように。
柳洞寺地下のさらに奥。
沈黙冠は、白い玉座の上で静かに震えていた。
無答核を失ったことで、黒い波は弱まっている。
だが、その代わりに白い沈黙の光が濃くなっていた。
『返事は危険』
『返事は期待』
『期待は傷』
『ならば、庭を黙らせる』
沈黙冠の周囲に、無数の沈黙輪が生まれる。
その輪は、これまでよりも大きい。
人の声ではなく、場所そのものを閉じるための輪。
返事の庭を丸ごと封じるための王冠。
神杯戦争、第三十五夜。
士郎たちは無答核を沈黙冠から引き離し、返事の庭へ連れ帰った。
返事は来ない。
その絶望は、初めて「来た」という言葉へ変わった。
だが、沈黙冠は無答核を失い、ついに返事の庭そのものを標的に定める。
次に来るのは、防衛戦ではない。
庭を黙らせる王冠との全面戦争。
第三十六話へ続く。
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うわあ、読んでいてじんわりと胸が熱くなりました……。無答核に「返事が来た」って届いた瞬間、本当にぐっときました。遅くても、届いた返事をなかったことにしない――その一言が、この話の全部を支えている感じがします。卵焼きを持っていくイリヤの優しさも、みんなの鈴の音が重なる場面も、どれも心に残りました。次は沈黙冠との全面戦争なんですね。無答核を連れ帰ったその手で、今度は庭を守るんだ……祈るような気持ちで続きを待ちます。