テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ピシッ。
小さなノイズ音が鳴る。
壁際のモニターが、一瞬だけ赤く点滅した。
誰も気づかないくらい、短い音。
だが。
俺だけは、ゆっくり視線を向ける。
地下区画外周センサー。
異常反応。
……誰かいるな。
「予紬さん?」
しゆらが不思議そうにこちらを見る。
俺はすぐ視線を戻し、小さく首を振った。
「なんでもない」
そう言いながら、頭の中では地下の構造を整理する。
外周センサーに反応が出る場所は限られている。
搬入口か、
封鎖通路か。
どちらにせよ、あまり気分のいい反応じゃない。
「よつむー」
その時。
ルカがぴょこんと机へ飛び乗ってきた。
「これ描いたのボク!」
「お前か」
「うまい?」
「ルカだけ小さい」
「そこじゃない!」
地下にまた笑い声が広がる。
その空気に少しだけ気を抜きそうになるが、モニターの赤点滅はまだ消えていなかった。
一定間隔。
まるで様子を窺うみたいに。
「……ルカ」
「なに?」
「今日は外出るな」
ルカがきょとんと耳を動かす。
「なんで?」
「なんとなくだ」
「またそれ」
ルカは不満そうに頬を膨らませた。
「よつむ、最近ずっと変」
「元からだろ」
「そういう変じゃなくて!」
しゆらがくすっと笑う。
「ルカ、予紬さん困ってます」
「だって絶対何か隠してる」
妙に鋭い。
ルカは机の上で尻尾を揺らしながら、じーっとこちらを見ていた。
その時。
地下通路の奥から、小さな羽音が近づいてくる。
白い小型魔獣だった。
一直線に飛んできたかと思うと、俺の肩へ着地する。
「……伝令か」
足輪に挟まれた小さな紙片を外す。
しゆらが横から覗き込んだ。
『地下区画周辺に警備増加。
中央棟側通路、一部閉鎖中』
短い文。
だが十分だった。
ルカの耳がぴくりと動く。
「……なんかあった?」
「いや」
紙を握り潰し、ポケットへ突っ込む。
まだだ。
まだ地下へ来る段階じゃない。
だが確実に近づいている。
そんな嫌な感覚だけが、静かに胸へ残っていた。
その時。
ぐぅぅ……
間の抜けた音が地下へ響く。
沈黙。
しゆらがゆっくりお腹を押さえた。
「……」
ルカが吹き出す。
「しゆら、お腹鳴った!」
「ち、違っ……!」
「鳴った!」
耳まで真っ赤になったしゆらが慌ててルカの口を塞ぐ。
地下に笑い声が広がる。
俺は思わず小さく吹き出した。
「……笑わないでください」
「無理言うな」
「予紬さんまで……」
しゆらは恥ずかしそうに俯きながら、それでも少しだけ笑っていた。
その顔を見た瞬間。
胸の奥の嫌な感覚が、ほんの少しだけ薄れた気がした。
地下に流れる空気は穏やかだった。
ルカは薬瓶を抱えたまま机へ突っ伏し、半魔の子供達は描きかけの絵を見せ合っている。
奥では小型魔獣が丸くなって眠っていた。
地上の連中が見れば、
“危険生物の巣”にしか見えないんだろう。
だが今は。
どこにでもある、ただの騒がしい部屋みたいだった。
「予紬さん」
しゆらが俺の袖を軽く引く。
「ご飯、どうします?」
「もうそんな時間か」
壁時計を見る。
針は昼を少し回っていた。
「今日はボクも手伝う!」
ルカが勢いよく顔を上げる。
「お前この前鍋焦がしただろ」
「今回は焦がさない!」
「前も同じこと言ってたですよ」
しゆらが呆れたように笑う。
ルカは「今回はほんと!」と抗議しながら、勝手に調理台の方へ走っていった。
地下区画の食事は基本的に共同だった。
大鍋で作って、
適当に分ける。
研究施設とは思えないくらい雑な食卓だ。
「今日はシチュー!」
「肉あるのか」
「ある!」
「どこから」
「拾った!」
「捨てろ」
地下に笑い声が広がる。
しゆらは肩を震わせながら笑い、俺は小さく息を吐きつつ保存棚を確認する。
その時だった。
ふわり、と鼻を掠める違和感。
「……」
僅かだった。
香辛料みたいな匂いの奥に、
何か薬品臭が混ざっている。
「予紬さん?」
しゆらが不思議そうにこちらを見る。
俺は鍋の中を覗き込む。
白い湯気。
肉。
野菜。
いつもの配給品。
見た目に異常はない。
「……ルカ」
「なにー?」
調理台の向こうから元気な声が返ってくる。
「これ、誰が持ってきた」
「んー? 上の搬入口に置いてあったやつ!」
「……搬入口?」
胸の奥が、嫌な音を立てる。
地下の連中は外へ出られない。
だから食料は、
定期補給か、
俺が持ち込むかのどちらかだった。
勝手に置かれることなんてない。
「食べちゃだめですか?」
しゆらが少し困ったように首を傾げる。
その瞬間。
奥の檻から、小さな唸り声が聞こえた。
普段大人しい魔獣だった。
だが今は。
落ち着きなく床を引っ掻いている。
「……?」
ルカも耳をぴくりと動かす。
空気が変わった。
静かに。
じわじわと。
地下の温度が、少しずつおかしくなっていく。
最初に異変を見せたのは、小型魔獣だった。
檻の奥で丸くなっていた一匹が、突然苦しそうに呼吸を荒げ始める。
「……おい」
低い唸り声。
爪が床を引っ掻く音。
次第にその音が、あちこちから聞こえ始めた。
「なんか、変……」
ルカの耳が不安そうに伏せられる。
しゆらも周囲を見回した。
空気が熱い。
妙に息苦しい。
「予紬さん……」
しゆらが小さく俺の白衣を掴む。
その指先が熱を持っていた。
「顔赤いぞ」
「……なんか、変なんです」
呼吸が浅い。
地下にいる魔獣達も落ち着かなくなっていた。
低い唸り声が重なり、
檻が軋み始める。
その瞬間。
ガァンッ!!
奥の檻が激しく揺れた。
「っ!?」
半魔の子供達が悲鳴を上げる。
普段温厚な魔獣が、檻へ身体を打ちつけていた。
瞳孔が開き、
涎を垂らしながら呼吸を荒げている。
「予紬!」
ルカが震えた声を出す。
その顔も赤かった。
「熱い……っ」
まずい。
俺は鍋へ駆け寄り、匂いを嗅ぐ。
薬品臭。
間違いない。
「……混ぜられてる」
「え……?」
しゆらが苦しそうにこちらを見る。
「暴走誘発剤だ」
その瞬間。
地下の空気が凍った。
次の瞬間には、
爆発みたいな咆哮が響く。
ガシャァァン!!
檻が壊れた。
巨大な魔獣が暴れながら飛び出してくる。
半魔の子供達が悲鳴を上げた。
「下がれ!!」
俺は咄嗟に子供達を庇う。
だが魔獣は止まらない。
理性が飛んでいる。
目が合っていない。
本能だけで暴れていた。
「いや……っ」
しゆらが苦しそうに壁へ手をつく。
呼吸が乱れ、
肩が震えていた。
「しゆら!」
駆け寄った瞬間。
しゆらがぐらりと倒れ込んでくる。
熱い。
異常なくらい体温が高い。
「……っ、ぁ……」
潤んだ瞳がこちらを見る。
理性が崩れかけていた。
それでも。
しゆらは俺の白衣を掴むだけだった。
噛みつきもしない。
襲いもしない。
代わりに、
壊れそうなほど強く抱きついてくる。
「……予、紬さん……」
声が震えていた。
「……こわい……っ」
その瞬間。
──ドゴォォンッ!!
地下通路の奥で爆音が響く。
天井が揺れ、
赤色灯が一斉に点灯した。
警報音。
そして。
『地下区画暴走確認。
危険個体処分を開始します』
無機質なアナウンスが流れる。
直後。
銃声が響いた。
地下の奥から、
魔獣達の悲鳴が聞こえる。
「……は」
理解する。
最初からだ。
最初から、
地下を処分するつもりだった。
暴走剤を混ぜ、
理由を作り、
まとめて焼き払う。
地下に赤い警告灯が滲む。
炎の匂い。
血の匂い。
悲鳴。
その中で。
しゆらだけが、
必死に俺へしがみついていた。
「……いや……っ」
熱に浮かされながらも、
壊れながらも。
しゆらは俺だけを見ている。
その姿を見た瞬間。
胸の奥で、
何かが静かに切れた。
「……ルカ」
低く呼ぶ。
少し離れた場所で、ルカが息を荒げながらこちらを見ていた。
瞳が熱に滲んでいる。
だが、まだ理性は残っていた。
「子供達連れて、第三通路使え」
「……っ、でも!」
「行け」
いつもより低い声が出た。
ルカがびくりと耳を震わせる。
その瞬間。
奥の通路から、断末魔みたいな咆哮が響いた。
続けて銃声。
半魔の悲鳴。
「ぁ……」
しゆらの肩が震える。
俺は咄嗟にその耳を塞ぐように抱き寄せた。
聞かせるな。
これ以上。
「予紬……!」
ルカが唇を噛む。
それでも、子供達を庇うように抱き集めた。
「……絶対来て」
「先行け」
「でも!」
「ルカ」
目を合わせる。
数秒。
ルカは泣きそうな顔のまま、ぐっと歯を食いしばった。
「……っ、行くよ!」
半魔の子供達を連れ、第三通路へ走っていく。
その背を見送る間にも、地下の地獄は広がっていた。
暴走した魔獣達が檻を破壊し、
警備兵が火炎弾を撃ち込み、
炎が地下通路を赤く染めていく。
「撃て!!」
「近づけるな!」
「処分しろ!!」
人間側の怒号。
だが。
恐怖で叫んでいるのは、
どちらも同じだった。
「……っ、は……」
腕の中で、しゆらの呼吸が乱れる。
熱い。
異常なくらい。
「しゆら」
呼びかける。
しゆらは潤んだ瞳でこちらを見上げた。
理性が削れている。
なのに。
「……予紬、さん……」
俺へ触れる手だけは、
壊れ物みたいに優しかった。
「……だい、じょうぶ……です」
「大丈夫な顔してない」
「でも……っ」
しゆらは苦しそうに息を飲む。
爪が白衣へ食い込む。
「……こわいのに……」
震える声。
「予紬さんの匂い、すると……っ」
その先を言えない。
理性と本能が喧嘩しているみたいだった。
その時。
──バンッ!!
地下扉が吹き飛ぶ。
武装兵が雪崩れ込んできた。
黒い装備。
焼夷銃。
処分部隊。
その先頭が、こちらを見た瞬間。
「いたぞ!!」
銃口が向く。
だが狙いは俺じゃない。
腕の中のしゆらだった。
「半魔個体確認!!
危険度A認定——」
その瞬間。
しゆらの身体がびくりと震える。
怯えたみたいに、
俺へ縋りついた。
「……いや……っ」
その声を聞いた瞬間。
気づけば、身体が動いていた。
乾いた銃声。
次の瞬間。
武装兵の一人が壁へ叩きつけられる。
周囲が凍りつく。
俺の手には、
いつの間にか魔力制御用の注射器が握られていた。
折れている。
……投げたのか。
自分でやったくせに、
妙に冷静だった。
「予紬研究員!?」
誰かが叫ぶ。
だが、もうどうでもよかった。
赤色灯が点滅する地下で。
俺はしゆらを抱き寄せたまま、
静かに武装兵達を見る。
その目から、
もう迷いは消えていた。
コメント
1件
ああ、第7話、読み終えました。ここにきて一気に張り詰めた空気になりましたね……。最初の穏やかな地下の日常(ルカの絵の話とか、しゆらがお腹鳴らすシーン)から、じわじわと異変が忍び寄る構成が巧みで、読んでいて息が詰まりました。 特に、しゆらが暴走誘発剤の影響で理性を削られながらも、それでも予紬さんだけには縋りついて「こわい」って言えるあの感じ——あれがもう、切なくて。弱っているのに、予紬を信じるという一点だけは崩れない、その対比が胸に来ました。 そしてラストの予紬さんの決断。「迷いは消えていた」という一文で、彼の中で何かが変わったのがはっきり伝わってきました。次、どうなるんだろう……すごく気になります。