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大理石の柱に支えられた古めかしい図書館には古くから蒐集された夥しい数の文書が所蔵されている。施設の造形は巧みであり、どの時間帯でも直射日光を完全に防ぎつつ、透明石膏を通した日の明かりによって図書を閲覧するに十分な光量が保たれている。常に風通しが良く、涼やかな空気と紙の薫りが図書館を満たしていた。王に雇われた学者たちが行き来する中、広い机に広げられた文書を熱心に覗き込んでいる者がいる。
削る者。魔性の存在でありながら、膨大な石の知識と、石の加工技術を買われ、カドロウス王に招聘された名だたる石工たちの一人だ。
この土地へやって来たばかりの時に与えられた彫像に宿っている。まるで神代の英雄の如く、凛々しくも古典的な顔立ちの偉丈夫だ。時代遅れの石の衣を身に纏っている。
ペレティスティスが覗き込んでいるのは都市計画書だ。カドロウス王は遷都を計画しており、優秀な石工や彫刻家を招聘しているのも、それが理由の一つだ。
ペレティスティスは計画書を見つめながら石の柳眉を曲げて、石の喉から唸り声を漏らす。その様子を見かねて通りがかった学者が時折、声をかける。
しかしペレティスティスは「うむ。ううむ」などと相槌にもならない声を漏らすばかりだ。実際の所、この魔性は学者たちが何と声をかけたのか聞き取れていたが、人との交わりを避けて山奥の石切り場で過ごした年月が長すぎたのだった。
「どうだ? 計画は完遂できるか?」
ペレティスティスはもう一度唸り声のようなものを唇の隙間から押し出し、はっきりと首を横に振る。
「どういう意味だ? できないのか?」
ペレティスティスはやはり唸る。
「はっきりと申さぬか。余の悲願は貴様の腕にかかっているのだ」
「ただの都市としてなら、可能でしょう」ペレティスティスは諦めて交流に挑む。「膨大な時間を膨大な人間を使えば確かに可能です。ですが、この都市には別の計画があるようです。それを……。余の?」
ペレティスティスは驚いて顔を上げる。戦士としても名高い王カドロウスが目の前に立っていた。深謀遠慮を秘めた黒い瞳の輝きがペレティスティスを見つめている。濃い髭の隙間で軽やかな笑みを浮かべた表情は古より奉られたる偶像の如き威厳を保ちつつも、昔馴染みのような印象を抱かせ、人を遠ざけて生きてきたペレティスティスでさえも胸襟を開こうかと思わせる。
カドロウス王は思慮深いだけでなく、多くの戦で勲を立て、邪な魔性を退治した伝説も語られている。ペレティスティスが招聘される少し前にも、多くの民に憑りつき苦しめたという邪霊を調伏したという噂を聞いていた。
長らく生きてきて、短命な人間を軽視しがちなペレティスティスだが、カドロウス王には幾許かの敬意を抱いていた。
興味本位で覗き込んだ学者の問いだと思って答えてしまったペレティスティスは不躾な言葉を恥じ入り、何とか言い繕おうと言葉を探す。しかし見つける前に王が口を開く
「隠された計画を見抜いたか。慧眼よの、石工の魔性ペレティスティスよ。そして噂通りの気難し屋のようだ」
王は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「申し訳ございません。人には、まだ慣れておりませぬ」
王は大口で笑うとペレティスティスの肩を叩く。「気にすることはない。余も石の人形と話すのに慣れてはおらぬ。どれ、気づいたことを話してみてくれ」
観念してペレティスティスはもう一度計画書に目を通す。都市の完成予想図や必要となる資材、工夫、期間がどのような計算に基づくかも含め、全て書き記されている。王宮から水路、広場、庶民の家屋に至るまで全てが一つの思想に束ねられて企てられている。そこに魔法の意図があるのは明らかだが、意図の内容まで完全に把握するのはペレティスティスにも難しかった。
「素晴らしい街です。ですが、それだけではありません。私に分かるのは、これが何かを封印するための施設でもあるということです。表向きは外敵を跳ね除ける堅固なる都市でありながら、封印に関してはあらゆる変化や不備に対して柔軟な対応が可能になっていますね」
カドロウス王は深く頷き、さらに眦に皴を寄せる。
「全くもってその通りだ。実はある強大な罪人を永劫に封じなくてはならん。未だ知られざる魔法に通じているばかりか、剣士としても一級の腕前でな。そのような者が邪心を抱き、国を滅ぼさんと企んでおる」
「剣聖と謳われる陛下をしてそこまで言わしめるとは。しかし永劫とは穏やかではありませんね。如何な罪人といえども死すれば葬られるものでしょう」
生ある者の特権だ、とペレティスティスは心の内で呟く。
「死すれば、な」とカドロウス王は重々しい響きで答えた。「奴は不死だ。故に地の底に封じ、蓋するのだ」
ペレティスティスは新都ケボルソン建設に参加することにした。元々長い生に飽いていたところ、石工としての興味、その土地に集った優秀な学者や職人たちへの興味など理由は様々だが、結局のところはカドロウス王の人柄とその願いに呼応したから、というのが大きいところだ。
今やカドロウス王の勇名は石工と彫刻家の後援者であることとともに詩人によって競うように歌にうたわれ、太陽の日の差す所に知らぬ者はいない。それでいて身近で接してみれば懐深い人物であり、招き入れた学者や石工や彫刻家と、言語や血筋や信仰の壁、交わることのない人外をも超えて友誼を交わしていた。
少なからず王を見習い、ペレティスティスもまた多くの王の客と交わったが王ほど上手くはいかなかった。またほとんどの客も王のようには振舞えなかった。
しかしそれでも仕事場の仲間として多くの言葉を交わすと計画書を読むだけでは分からないことが分かってくる。
どうやらペレティスティスが想像していたよりも、都市計画の本当の目的、不死の罪人の封印を知っている者は少ない。魔法使いの大半でさえも、外敵を跳ね除け、災厄を鎮護する魔術に従事しており、それ以上の災厄となる存在も、その封印についても知らされていなかった。
ペレティスティスの仕事はというと数学者たちの割り出した神聖にして緻密な計算式に従って、都市を構成する石を切り出し、ケボルソン建設予定地へと送り出すことだ。大理石の石の目を読み、花崗岩を狂いなく切り出し、石英岩を寸分違わず削り出す。爪の厚さほどの誤差も許されない石は石切り場でも、建設地でも複雑なまじないを施され、地下牢獄とその蓋たる都市を造成すべく積み上げられていく。
百ヵ年計画だ。しかし十年目には街として十分な機能を持ち、移住が始まった。
カドロウス王は時折、ペレティスティスを新たな居城へと招き、あるいは石切り場に訪れ、唯一百ヵ年計画の全てを見通すだろうペレティスティスを存分に励ました。真の計画を知る者も一人また一人といなくなる。
五十年を超える頃、ペレティスティスはカドロウス王にケボルソンの居城へと招かれた。王は一人の老魔法使いと共に待ち受けていた。温かな食事と存分な酒が用意されていたがとても老齢の二人が食べきれる量ではない。もちろんペレティスティスも食事を必要としない体なのだが、時折催される宴の際には石の胃に納めることにしていた。希少な香辛料をまぶして焼かれた子羊の肉、今の季節には貴重な野菜ばかりを使った汁物、どれもこれもが冷えるのを待つばかりのはずだった。
確かに老魔法使いはちびちびと酒を舐めるだけだったのだが、しかしカドロウス王の方は年齢の割にはよく食べ、よく飲んでいた。油っぽい肉に億すこともなく、歯の衰えなどないかのように咀嚼する。見た目も出会った頃に比べれば老けたとはいえ、塩漬けか氷漬けにされたかのように若さを保っていた。
「ペレティスティスよ。タズルの作は見たか? お前にも匹敵する才能だ」
「ええ、もちろん。王と王の子たち全てを彫り上げた見事な彫刻でしたね。石材を発注された時は驚いたものです」
切り出すのも運ぶのも過去に例を見ない大仕事だった。
カドロウス王がくつくつと忍び笑いをする。
「奴がもう少し早く生まれれば計画もより早く完成しただろうな」
「現時点でも初期の計画よりはかなり前倒して完成する予定ではありませんか」ペレティスティスは三人きりの寂しい宴を眺める。「ですから、てっきりもっと多くの人間がこの宴に参加するものと思っていたのですが」
「いや、確かにこの計画に携わっている者は予定よりもずっと増えた。しかし計画を知る者は減らしたのだ」
ペレティスティスは訝しむ表情を王と老魔法使いに向ける。
「では計画を知る者はこの三人しか残っていないということですか」
「うむ。本来は封印を管理する組織を用意するつもりだったが、計画を変更することとした」とカドロウス王は答え、溜息をつく。「残念ながら余の息子は痴れ者だ。永劫の時を思えば、いずれ愚か者が封印を解くかもしれん、という当たり前のことを考えていなかった。それまでに不死の罪人を滅ぼす方法が見つかればよいが、ともかく封印は時間稼ぎにしかならぬ」
「つまり私が管理者になることをお望みなのですね?」とペレティスティスは尋ねる。
「いいや、我が友ペレティスティスよ。お前に重荷を背負わせるつもりはない。封印自体は他に類を見ない完全な魔術よ。ただし外からは無防備に近い。であれば隠匿することが最善と考えた次第だ。いずれ余と、この爺さんが死んだ暁にはお前が計画を引き継ぐのだ」
老魔法使いはいつからかこくりこくりと頷くばかりだ。
「そういえばずっとお尋ねしていなかったことがありました。不死の罪人は今はどうしているのですか?」
「この爺さんの調合する毒薬にてずっと眠らせておる。何せ死なぬのでな」
久々に計画のこと以外でも王と語らい、食事と音楽を楽しんだ。そして別れ際に王は一言言い残した。
「次に会う時は罪人を封印する時だろう。よろしく頼んだぞ」
しかしその二十年後に王は身罷った。盛大な葬儀へと招かれたがペレティスティスは欠席した。涙が流れることはなかったが、心もまた石のように冷たくなっていた。身分は違えどカドロウス王ほどに心を通わせた人間はついぞいなかった。もはや石や彫刻について語らう日々は過去に押し流され、寒々しい日々を前に進ませるのは王との約束だけだった。
老魔法使いはその十年前に亡くなったという。しかし王が崩御する前に届いた一通の手紙によると、全ての計画は順調に進んでいるそうだ。ペレティスティス以外の誰一人計画の全容は知らないが、カドロウス王の命令する通り、一切の狂いなくその意図を知ることなく皆が計画を進めている。
計画開始より百年の後、ペレティスティスはケボルソンの土地へと足を踏み入れた。王が亡くなる前に用意していたという手紙を読んでやってきたのだ。布に包んだ杖のような細長い石材を背負い、計画を仕上げに来たのだ。
計画書の通りに建設された新たな都ケボルソンは全てが石でできている。
既にケボルソンを囲む頑強な城壁は幾多の異民族を押し返し、神聖な尖塔は災厄から街を守り、偉大な戦士たちを称える碑は数え切れぬほど林立している。優れた彫刻家たちの彫り刻んだ数多の彫像が広場に、通りに、橋や水路の脇に、街中に溢れている。巨大にして緻密な石造りの街は堅固であり、邪な風雨に蝕まれることもない。ケボルソンの市民は神の如く石を愛し、仁君に対するように信頼し、そして人生を託していた。
街は完成したのだと誰もが思っている。迎え入れる者はいない。ペレティスティスを知る者がいない。石工の魔性はただ手紙に記された案内に従い、地下水路に巧妙に隠された入り口をたどり、地下深くへと潜っていく。既に黴臭い薄暗い空間を松明片手に突き進む。
罪人は既に収容されており、封印の最後の仕上げを待つばかりだそうだ。
ペレティスティスは開かれた空間へと出る。地下最奥の円形の空間にはいくつもの牢があった。どうやら不死の罪人以外にも罪人を収容しているらしい。しかし刑吏はどこにもおらず、怪しげな魔性を見咎める者はいない。
また円の内側にも鉄格子が並んでいて、そちらが不死の罪人の牢獄のようだ。ペレティスティスは松明を掲げ、百年前より生きている不死の罪人に明かりを向けた。中心にはペレティスティスが十数年前に用意した石の柱があり、磔にされている者がいる。その巨体は襤褸布に覆われ、手枷をかけられ、鎖で柱に繋がれている。
名君の友ペレティスティスは牢の中へと入り、布に包んで携えてきた最後の石材を取り出す。それは無数の魔術を鍍金の内に込められた石の剣だ。この封印を完成させる最後の一片であり、この罪人を永劫の時間に封じる。
石剣を持たせれば終わりだ。封印は完成し、ペレティスティスは隠遁する。この邪な罪人について知る者はいなくなり、ケボルソンに限らずこの地に人知れず平穏が約束される。
罪人を前にしてペレティスティスは魔が差した。友の人生をかけさせた罪人について何も知らないからだ。ペレティスティスはそっと襤褸布を外し、罪人の顔を拝んでおくことにした。
「陛下!?」ペレティスティスは悲鳴に近い叫びをあげる。
何が起こっているのか分からない。既に死んだはずのカドロウス王が不死の罪人として拘束されている。
カドロウス王は石のように重く固い瞼を開き、ペレティスティスを見つめる。その顔の皴は老いによってだけではなく、苦痛によって刻まれたことがありありと分かる。
「久、しいな」カドロウス王は苦痛に耐えながら言葉を押し出す。「我が、友よ。布を、外すことは、計画に無かった、はずだが」
「お待ちください。今手枷を外します」
「まあ、待て。せっかちな、我が友ペレティスティスよ。計画、は順調なのだ」
「一体何があったのですか? 計画? これが計画通りだと言うのですか?」
王はひび割れた唇を震えさせながら動かす。
「お前には、どのように偽った、のだったかな。思い出す、のも、難しい。余は邪霊を、我が、身に封じた。瞬く間に故国を滅ぼさん、とする、恐ろしい霊だ」
ペレティスティスも聞いたことがあるカドロウス王の武勇伝の中にそのような話があった。
「奴、は人に、憑りつき、暴れ、憑り殺す、と新たな者に、憑りつく。死、ねば、解放して、しまうが、我が身もまた、定命。故に永劫に、封じたければ、不死と、なる他ない」
「人の不死が成ったというのですか?」
「そうだ。余は、奴は、石となる。それでも奴を、滅ぼすことは出来んが、ここに、ここに、封じることは、出来る」
他に何か手立てはないのか。それはカドロウス王が百年間考え続けたことだろう、と気づく。ペレティスティスは絞り出すように言葉をかける。
「お労しや、陛下」
「お前にも苦労をかけたな、ペレティスティス」
ペレティスティスは鍍金を施した石の大剣を、微笑みを浮かべたカドロウス王に持たせる。すると王の体は目に見えない変質を起こし、人と石の間の存在となった。
「邪霊を滅ぼす手立てを見つけて参ります。今しばらくお待ちくださいませ」
ペレティスティスはそう言い残すと地下牢獄を立ち去った。