朝靄の残る街に、鐘の音がゆっくりと響いていた。
街の外の結界塔から放たれる淡い光が街全体を包み込み、夜に忍び込もうとする瘴気を追い払っていく。
人々はその光を「守護神たちの息吹」と呼び、朝の訪れとともに安堵の祈りを捧げていた。
ーーあれから十年が経った。
かつて小さな村だった場所は、今や高い城壁と石畳の大通りを持つ大都市へと発展していた。
街の中心には大聖堂が建ち、その最上階には巨大なステンドグラスが嵌め込まれている。
その日も大聖堂前の広場では、人々が集まり、守護神への感謝を歌にしていた。
澄んだ声で歌い上げる合唱団の旋律は、かつて大森たちが奏でた「音楽」を模したものだった。
ーー平穏な日々。
十年前、魔物に脅かされ、禁忌の薬に翻弄されていた日々はもはや遠い過去。
平和を築いた三人の姿は、今なお街の誇りであり、信仰の対象であった。
その中心に立つのが――大森元貴。
少し長い黒髪、陰陽師を思わせる装束を身に纏い、結界を張るための歌を口ずさむ姿は、神聖でありながらもどこか儚げだった。
「あなたが居る…それだけで今日も…」
静かに放たれる歌声が、空気を振動させる。
五線譜のような光が宙に描かれ、その旋律に呼応するように塔全体が淡く輝き出した。
街の子供たちが、遠くからその姿を見上げて声をあげる。
「もっくんだー!」
「今日も歌ってる!すごーい!」
大森はその声に気づくと、ふっと口元を和らげて子供たちに手を振った。
彼にとって結界を張るのは義務であり、使命であり、そして何より街の笑顔を守るための誓いだった。
その頃――。
石畳の大通りを歩く若井滉斗の姿があった。
背には大剣と琵琶が融合した巨大な武器を背負い、深い青のマントを翻して歩く。
パトロール中の彼に、街の子供たちが駆け寄る。
「ひろぱー!遊んで!」
「滉斗兄ちゃん!また鬼ごっこしよ!」
若井は立ち止まり、笑みを浮かべると大剣を地面に立て掛けた。
「おいおい、今はパトロール中だぞ。……でも、少しだけな。」
子供たちと手短に遊んだあと、若井は膝をつき、彼らの目線に合わせて真剣な顔になる。
「瘴気が増えてきてる。危ないときはすぐ大人を呼べ。いいな?」
「うん!」
子供たちは元気に答え、また街へ駆け出していった。
若井の真摯な眼差しは、街の人々からの信頼そのものだった。
子供には「ひろぱ」、大人からは「若井くん」と親しまれ、その姿はまさに頼れる兄のような存在だった。
そして、もう一人――。
街外れの小さな薬師の家。
白衣の上に淡い黄色の羽織を重ねた藤澤涼架が、病を抱えた母親とその娘を迎えていた。
「……先生、お願いします。娘の熱が全然下がらなくて……」
母親の声は涙で震えていた。
藤澤は優しく微笑み、膝を折って少女の額に手を当てる。
「大丈夫。少し疲れてるだけだよ。」
薬棚から取り出した小瓶を渡しながら、静かな声で言葉を続ける。
「これは特別な薬。飲めば楽になるはず。でも――薬だけじゃないよ。たくさん休んで、温かいものを食べて、ちゃんと笑うこと。それが一番の薬だから。」
少女はおずおずと頷き、瓶を握りしめる。
「ありがとう、涼ちゃん……」
その一言に、藤澤は少し照れくさそうに笑った。
「お礼なんていらないよ。僕は、君たちが元気でいてくれるのが一番だから。」
母娘が帰ったあと、藤澤は窓辺に立ち、街を見渡した。
――守りたい。この街を、この人々を。
胸の奥に、静かだが揺るぎない決意が灯る。
やがて、結界を張り終えた大森と、パトロールを終えた若井が藤澤の家に戻ってくる。
「おつかれ、涼ちゃん。」
「今日も人、多かった?」
「うん。でも大丈夫。まだやれる。」
3人は小さな卓を囲み、湯気の立つお茶をすする。
普段は笑い合い、ときに言い合い、けれど誰よりも互いを信じている。
街の人々は「守護神」と呼ぶ。
だが彼ら自身にとっては、ただの仲間であり、家族のような存在だった。
――この日常が、永遠に続けばいい。
けれど。
その和やかな光景の裏で、わずかなざわめきが広がりつつあった。
「聞いたか? 昨夜、北門で黒い影を見たらしい」
「影? 盗賊じゃなくて?」
「いや……人の形をしていたけど、目が赤く光ってたそうだ」
噂は、酒場や市場を通じて、街の隅々まで広がっていく。
誰もが最初は笑い飛ばした。
守護神がいる街に魔物が近づくはずがない、と。
だが、影を見たという証言は日に日に増え、次第に人々の心に小さな棘のように突き刺さっていった。
夜、灯火の消えた路地裏。
酔い潰れた男がふと見上げたとき、建物の屋根の上に、黒い影が立っていたという。
赤い光を宿した瞳だけが、夜闇に浮かんでいた。
その影は、すぐに消えた。
だが、見間違いではなかったと男は断言した。
藤澤はその噂を耳にしたとき、ふっと胸の奥がざわめいた。
薬師として街を歩けば、人々は笑顔で「藤澤様」と呼び、手を合わせる。
だがその瞳の奥に、微かに揺らぐ影を感じたのだ。
大森は広場で歌声を響かせながらも、どこか観衆の集中が途切れる瞬間に気づいていた。
若井は夜の見回りで、いつもより多くの家々の窓が固く閉ざされていることを見て取った。
三人は互いに顔を合わせ、同じ疑念を抱く。
――影は、本当に存在するのか。
――それとも、人々の心に生じた恐れが幻を見せているのか。
その答えは、まだ誰も知らない。
コメント
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このシリーズ人気ですね!!僕もこのシリーズ好きなのでうれしい!! 今度は平和がどれだけ続くかな?長く続いたら嬉しいな〜 そういえば最近僕運がいいなーって思ってた矢先にめちゃめちゃぴえんな不幸が 待ってました...悲しい(´;ω;`)今は何もしたくないですね
禁忌の薬師シリーズキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!ありがとうございます!待ってました! 今回は平和なお話…と思いきや、また何か起こってしまうんでしょうか…?何か、ドキドキです!(私、禁忌の薬師シリーズになった途端、語彙力消失モンスターになりますw) いつも更新ありがとうございます!これからも頑張ってください!応援しています✨️