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第192話 対錆再戦
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
六つの光が、少しずつラストを追い込んでいた。
前に二つ。
左右に二つ。
後ろに二つ。
警官たちは手持ち灯を構え、木崎の合図で位置を変えていく。
「前二人、半歩下がれ!」
「右、寄りすぎるな!」
「後ろ二人、光を切るな!」
六点の光は完全な檻ではない。
少しでも動きが乱れれば、隙間ができる。
そこへラストの錆が入り込む。
それでも、効いていた。
ラストは以前のように真っ直ぐ進めない。
足元の錆は伸びるが、光が交差するたびに進みが鈍る。
ラストは、ぼそぼそと呟いた。
「……動く」
「止まらない」
「古くならない」
木崎はカメラを構えながら言う。
「そうだ」
「お前が食えないものを、こっちは使う」
ラストの目の奥で、黒い文字列が走った。
その制服。
警官の形。
人を守る側に見える外側。
木崎はそこへ言葉を打ち込む。
「お前は警官じゃない」
「誘導する側でもない」
「守る側でもない」
「その制服で、人の前に立つな」
ラストの足が止まる。
一秒。二秒。
日下部の声がイヤホンから入る。
『停止、二・四秒』
『効いています』
『そのまま旧バス待機レーンへ』
木崎は頷く。
「聞こえたか」
「お前は止まれる」
ラストは顔を上げた。
「……止まる?」
「錆は、止まらない」
次の瞬間だった。
ラストの足元から、赤茶けた波が広がった。
これまでのような細い筋ではない。
地面の下を走る線でもない。
面だった。
錆が、旧バス待機レーンだけでなく、駅前全体へ向かって広がっていく。
「来るぞ!」
木崎が叫ぶ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺全域/規制区域・朝】
最初に崩れたのは、バス停の屋根だった。
すでに半分腐食していた支柱が、赤茶けた粉を吹く。
支柱の根元がへし折れ、透明な屋根が傾く。
ギギギギ、と嫌な音が響いた。
「下がれ!」
警官が叫んだ直後、バス停の屋根が崩れ落ちる。
ガシャンッ!
麗太
#追放
破片がアスファルトへ散らばった。
金属のフレームは、地面に落ちた瞬間からさらに錆び、赤い粉になっていく。
次に、駅前の案内板が傾いた。
駅名の一部が戻っていた白い看板。
その裏の金属枠に錆が走り、支えを失う。
案内板が、ゆっくりと前へ倒れた。
「看板、倒れる!」
対策班が人を下げる。
案内板は規制線の外側へ落ち、地面にぶつかって割れた。
その衝撃で、近くにあった仮設照明の脚も崩れる。
日下部の声が通信で響く。
『駅前全域に腐食反応!』
『バス停、案内板、仮設照明、排水溝、駅舎外縁に拡大!』
『ラストが局所攻撃から面攻撃へ切り替えました!』
木崎はラストを見たまま、歯を食いしばる。
「追い込まれたから、駅ごと食う気か」
ラストは答えない。
ただ、低く呟く。
「……場所が古くなる」
「道が古くなる」
「帰る場所が、古くなる」
その言葉と同時に、駅舎外縁の柱に錆が走った。
まだ完全に戻りきっていなかった柱。
現実のコンクリートと、異世界の石材が重なっていた部分。
そこへ錆が入り込む。
柱の表面が赤茶ける。
中の金属補強が嫌な音を立てる。
そして、駅舎の庇がわずかに沈んだ。
「駅舎側、下がれ!」
「誰も近づくな!」
崩れる。
その場にいた全員が、そう思った。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部の画面は、ほとんど赤で埋まっていた。
《RUST SPREAD / AREA WIDE》
《STATION CANOPY / UNSTABLE》
《BUS SHELTER / COLLAPSED》
《SIGN STRUCTURE / COLLAPSED》
《OUTER OVERLAP / CRITICAL》
《LIGHT CAGE / DISTORTED》
村瀬が声を失う。
「駅周辺全体に……」
佐伯も顔をこわばらせた。
「このままだと、完全復元どころじゃない」
日下部は必死に手を動かす。
「光の檻が歪んでます」
「ラストが周辺の金属を一気に壊して、持ち手の足場を崩している」
城ヶ峰が短く言う。
「木崎は」
「まだ前にいます」
「下げろ」
日下部は通信を開く。
『木崎さん、駅舎側が危険です』
『庇が落ちる可能性があります』
『一度下がってください』
木崎の声が返る。
『下がったら、ラストが駅舎へ行く』
『でも、このままだと巻き込まれます!』
木崎は少しだけ黙った。
そして、低く言った。
『日下部』
『駅を完全に戻すには、あいつを止めるしかないんだろ』
日下部は息を止めた。
『はい』
『なら、ここで止める形を探せ』
『俺はその時間を稼ぐ』
城ヶ峰が通信に入る。
『木崎、命令は撤退だ』
木崎は、ほんの少しだけ笑ったような声で返した。
『撤退する場所が、錆びてる』
城ヶ峰は一瞬黙った。
『……三十秒だ』
『それ以上は許可しない』
『了解』
日下部は画面に向き直った。
三十秒。
その間に、ラストの面攻撃を止める形を見つけなければならない。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
六つの光は、崩れかけていた。
光を持つ警官たちの足元で、排水溝の縁が錆びる。
倒れた標識が道を塞ぐ。
駅前の舗装の下から、古い金属管が赤く浮かぶ。
「足元を見るな!」
木崎が叫ぶ。
「光を見ろ!」
「自分の位置を、声で確認しろ!」
警官たちは互いに名前を呼ぶ。
「田村、右!」
「佐野、下がる!」
「木崎さん、左が開く!」
「開けるな、詰めろ!」
名前の声で、六つの光がかろうじて保たれる。
だが、ラストの錆は広い。
光の檻だけでは足りない。
駅全体が、ラストの武器になっていた。
ラストが片手を上げる。
駅舎外縁の庇が、さらに沈む。
ギギギギギ――
嫌な音が、朝の駅前に響く。
木崎はその音を聞きながら、ラストから目を離さなかった。
「お前が壊してるのは、駅じゃない」
ラストの目が動く。
木崎は続ける。
「戻ってきた人の足場だ」
「帰る場所だ」
「名前を呼んで戻ってきた人たちが、最初に立った場所だ」
ラストの周囲の文字列が乱れた。
「……場所」
「器」
「古くなる」
「違う」
木崎は一歩前に出た。
光の檻も、それに合わせて動く。
「そこは古い場所じゃない」
「戻した場所だ」
ラストの錆が、わずかに鈍る。
日下部の声が入る。
『反応低下、確認』
『木崎さん、今の言葉で外縁の腐食が一瞬落ちました』
木崎は小さく息を吸う。
役割を剥がす。
それは、ラスト本人だけではない。
ラストが錆びさせようとしているものの意味も、取り返す必要がある。
「お前は、ここを壊れた場所にしたいんだろ」
「でも違う」
「ここは、戻った人たちが立った場所だ」
ラストの黒い目が、木崎を見た。
「……戻った」
「戻る」
「でも、また古くなる」
「なら、何度でも戻す」
木崎は低く言った。
「お前が錆びさせるなら、こっちは戻す」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】
ノノは、現実側の映像を見ながら息を呑んでいた。
駅前のバス停が崩れた。
案内板が倒れた。
駅舎の庇が沈みかけている。
「ラスト、こんなに広げられるの……」
セラが画面を見つめる。
「追い込まれたことで、範囲を広げています」
「ただし、精度は落ちています」
ノノが顔を上げる。
「精度?」
「はい」
セラは指で画面を示す。
「最初は逃げ道を正確に腐食させていました」
「今は駅周辺全体へ広げている」
「威力は大きいですが、狙いが粗い」
ノノはすぐに理解した。
「広げたぶん、中心が薄くなる」
セラが頷く。
「ラスト本体の周囲に、隙ができます」
ノノは全体回線を開いた。
『現実側、聞いて!』
『ラストの錆は広がったけど、精度が落ちてる!』
『本体周囲の錆密度にムラがある!』
『六点光を、本体の足元へ寄せて!』
『駅全体を守ろうとしないで、ラスト本体を止める!』
日下部の声が返る。
『了解!』
『木崎さん、聞こえますか』
『駅全体ではなく、ラスト本体です』
『本体の足元へ光を絞ってください』
木崎の声が返る。
『分かった』
『全部守ろうとするな、だな』
ノノは目を閉じかけ、すぐに開く。
その言葉は、ハレルたちにも何度も言ってきたことだった。
全部ではなく、今止めるべき場所を。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
木崎は叫んだ。
「駅全体を見るな!」
「ラストの足元だけを見ろ!」
「六点、絞れ!」
警官たちが動く。
外側に広がっていた光の檻が、少しずつ小さくなる。
駅全体を守るような形ではない。
ラストの足元を切るように、狭く、鋭く。
ラストはそれを見て、初めて後ろへ下がろうとした。
「逃がすな!」
木崎が叫ぶ。
「前二人、下げるな!」
「左右、斜めに入れ!」
光が交差する。
ラストの足元の錆が、一瞬だけ止まった。
日下部の声。
『停止、四秒!』
「四秒あれば十分だ!」
木崎は叫び、ラストへ言葉を叩きつける。
「その制服を返せ!」
「その顔で人を追うな!」
「お前は警官じゃない!」
ラストの顔が歪んだ。
黒い文字列が、目から頬へ溢れる。
「……違う」
「借りた」
「余っていた」
「使っただけ」
「余ってなんかいない!」
木崎の声が駅前に響いた。
「顔も、制服も、役割も」
「誰かのものだ」
「誰かが生きて、使っていたものだ」
「お前の器じゃない!」
ラストの体が、一瞬ぶれた。
警官の制服の輪郭が乱れる。
黒と赤錆色の髪が、影の中で揺れる。
目の奥の文字列が、走り方を失う。
六つの光が、その隙を囲む。
しかし、ラストはそこで大きく口を開いた。
声にならない声が漏れる。
「……錆びろ」
駅前全体が、もう一度鳴った。
ギギギギギギギ――
駅舎の庇が、一気に落ち始める。
「駅舎側、崩落!」
誰かが叫ぶ。
木崎は振り向きそうになった。
だが、振り向かない。
今、振り向けばラストが抜ける。
「日下部!」
『庇は無人区域です!』
『人はいません!』
『ラストを見てください!』
「分かった!」
轟音が背後で響いた。
駅舎の庇の一部が崩れ落ちる。
金属とコンクリートと、異世界の石材のような破片が混ざって地面に叩きつけられた。
粉塵が上がる。
赤茶けた錆の匂いが広がる。
それでも、六つの光はラストから離れなかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部は拳を握った。
「ラスト本体、乱れています!」
「役割剥がしと六点光、両方有効!」
「ただし、駅舎外縁の損傷が拡大!」
村瀬が叫ぶ。
「このままだと駅が持ちません!」
佐伯も言う。
「でも今、ラストを逃がしたらまた広がります!」
城ヶ峰は画面を睨む。
「どちらを取る」
日下部は一瞬だけ迷った。
駅を守るか。
ラストを止めるか。
答えは、もう分かっていた。
「ラストです」
日下部は言った。
「駅を完全に戻すには、ラストを止めるしかない」
「今ここで逃がせば、駅全体を何度でも錆びさせられます」
城ヶ峰は頷く。
「なら、全員に通達しろ」
「駅舎外縁は捨てる」
「ラスト本体を拘束する」
日下部は通信を開いた。
『全班へ』
『駅舎外縁は追いません』
『ラスト本体を優先』
『六点光、さらに絞ってください』
『次の停止で、一時拘束へ入ります』
木崎の声が返る。
『了解』
『ようやく、捕まえる話になったな』
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
粉塵の中で、ラストが立っていた。
駅周辺のあちこちが崩れた。
バス停も、案内板も、駅舎の庇も。
だが、その中心で、ラスト自身の輪郭も乱れている。
警官の制服が、黒い影に溶けかけていた。
ラストは、初めてはっきりと木崎を見た。
「……なぜ」
「守る」
「古くなるのに」
木崎は答える。
「古くなるから守るんだろ」
ラストの目が揺れる。
「……分からない」
「だろうな」
木崎はカメラを下ろした。
もう記録だけの時間ではない。
「分からなくていい」
「お前はここで止まれ」
六つの光が、さらに狭くなる。
ラストの足元に、白い線が重なる。
一秒。
二秒。
三秒。
日下部の声が叫ぶ。
『停止、五秒!』
『拘束準備、入れます!』
木崎は頷く。
「入れろ」
ラストの周囲で、光が一斉に強くなった。
◆ ◆ ◆
駅周辺全体に、ラストの錆が広がった。
バス停は崩れ、案内板は倒れ、駅舎の庇は落ちた。
戻りかけていた駅は、再び傷だらけになった。
だが、錆が広がったことで、ラスト自身の足元に隙が生まれた。
木崎たちは駅全体を守るのをやめた。
今守るべきものを、ラスト本体へ絞った。
六つの動く光。
役割を剥がす言葉。
そして、錆の中心を見失わない目。
駅を完全に戻すために、まず錆を止める。
ラストとの本当の戦いが、ようやく始まった。