座敷の上で何かをする少年の姿が古民家の縁側から見えた。
「ひぃ…ふぅ……みぃ……よぉ…いつ…むぅ……なな………」
風呂敷の上に並びられている桃を一つ一つ指を指して確認しながら、九尾の妖狐──太宰治は数える。
「よしっ……」
太宰は達成感のある笑顔になると、桃を風呂敷で包んで持ち上げた。
「それじゃあ頼んだよ」
桃の木に触れ乍ら太宰は云う。呼応しているかのように木々が揺れた。
其の日は、太宰が久しぶりに山を出た日であった。
***
桃が入った風呂敷をもって、太宰は山道を歩く。或る妖狐の元へと向かっていた。
「ぇ、っと……確か此の山を越えれば………」
ガサガサッ!
上の方から木の葉が擦れる音が鳴る。
風が無いのに不自然だ、と思った太宰は顔を上げた。
「──っ!」
視界に赭い髪が映り込む。
太宰は目を丸くした。目の前で繰り広げられる全ての物質の動作が、スローモーションのようにゆっくりになる。
上から何か降って来た。
────ドサッ!!
「っ……」
痛みを堪えながら、太宰は瞼を少し開く。
「オイっ!」
少し低く鋭い声が太宰の耳に響き、感覚を呼び起こした。
「此処を通りたきゃ俺を倒してから行け!」
額から角を生やした──少年は、地面に倒れた太宰の躰の横に足を置き乍ら云う。
太宰は目を丸くし、鬼の少年の青い瞳に魂が吸い込まれたかのように、微塵も動かなくなった。
「倒す…?」
口先から声を溢す。
「おう!────って、何だ手前只の狐のガキじゃねェか……」
少年は高揚した声から一転、少し興醒めしたかのような声で数歩下がった。
子供には手を出さないと云う意思表示であると共に、太宰が起きれるように少年は退いたのだ。
一方、太宰は“ガキ”と云う単語に顔を顰める。
「何を云ってるんだい、ガキは君も同じだ!」
太宰は立ち上がって着物に付いた葉っぱや土を手ではらうと、少年を指して云った。
「大体、僕より背が低い癖に…!」
「あ゙ぁ゙!?俺は此れから伸びンだよ!喧嘩うってンのか手前!?」
少年が声を荒げた。
「喧嘩ぁ?君なんかに時間を割くなんて無駄だね、僕は忙しいんだ」
太宰は少年に対する煽りを入れ乍ら、前へと歩く。
「ッオイ!」太宰の手を少年が掴んだ。「此処は俺の山なンだぞ!」
「君の……?」
少し目を細めて、太宰は振り向く。
「おう!此処は俺──中原中也の山だ!」
「中原中也、ねぇ……」
太宰は表情を隠すように口元に袖を寄せ乍ら呟いた。
(この歳で山丸々一つ持つと云う事は、鬼としての地位が上──或いは強さか。然し何故だ?)
心中の全てを見透かすような太宰の視線が、中也を貫く。
(何故────他に鬼の気配がしない…?)
「なァ手前、何処行くンだ?」
中也が声をかけてきた事に、太宰は少し顔を顰める。
「はぁ……」
溜め息を吐いて、面倒くさそうに太宰は云った。
「玉藻前さんの処……」
「たまものまえ…?」
するりと手を離し、太宰は振り返る。
「それじゃあ僕は失礼するよ。以降此の山を通らないように善処しよう」
中也に視線を移し、そう云い残して太宰は歩き出した。
「待てよ狐!」
中也は太宰の後ろから声を張る。
然し太宰は中也の言葉の狐が自分を指している事に気付いているにも関わらず、視線を送る事も返事をする事も無く、前へと進んだ。
中也は拳を握りしめて少し太宰を睨み、脳内で気を此方に寄せる方法を考える。
────結果、其のまま云うしかなかった。
「玉藻前の山に行っても彼奴は居ねェぞ!」
中也の言葉は音に変換され、空気を伝い太宰の鼓膜に触れた瞬間、言葉として脳に響き渡った。
太宰が其の場で目を瞠る。そして暫くした後ゆっくりと振り返った。
漸く太宰は中也と目を合わせる。
「それ、本当?」
「嗚呼」
中也はそう云って太宰のそばまで近付くと、南東の方を指した。
「玉藻前は今、都に行ってる」
太宰は中也の指をなぞるように視線を移す。
──ポゥ…
瞳に柔らかな光が宿った。
視界の光景がどんどん進み、木々に山、丘までも透明になったように通り抜ける。
そして行き着いたのは人間達の笑顔と賑やかな町の光景だった。
「アレが都…?」
「ン?おう、手前も視えてンのか?」
「まぁ、一時的だけど」
太宰は瞼を閉じる。感覚が元に戻り、展開された光景がぶつりと止まった。
「君は普段から視えているのだろう?」
辺りを吸い込むように透明な、中也の瞳。
「まぁな」
何処か自信のある笑顔を中也はする。
(……山をもらえるだけはあるか…)
「場所判ったなら後は大丈夫だろ、迷子になンなよ」
そう云って、中也は太宰に背を向けて歩き出す。
少し太宰は考えた後、中也の手を掴んだ。
中也が振り返る。
「ン?如何した、何か用か?」
「………………中也って都に行った事ある?」
「一、二回は姐さんに連れられて……其れが如何かしたか?」
首を傾げた中也に、太宰は何処か嘲笑するような、人を莫迦にするような笑顔で云った。
「僕を玉藻前さんの処まで案内してよ、其れくらい君“でも”できるでしょ?」
「“でも”だァ?」
中也は不機嫌そうに顔をムッと顰める。
「なぁに?道案内もできないの?」
太宰の其の言葉に、完全に中也がキレた。
「佳いじゃねェか、してやるよ道案内!逸れンじゃねェぞ!!」
少し荒く太宰の手を掴み、中也は苛立ちを地面にぶつけるようにずかずかと進んでいく。
「チョロ………」
口元に袖を寄せて、太宰はボソッと呟いた。
「何か云ったか?」
「何も?」
***
──サアアァァ……
風が起こり、木々を鳴かせて木の葉を分裂させた。
葉が空中に舞い上がって、地面に落ちる。
其の自然現象が、何処か太宰にとっては特別に見えた。
桃の木では無い所為か、或いは閉じ込められていた山から出た事への開放感からか。
スローモーションのようにゆっくりと映し出され、そんな中、普段通りの速さで動く自分と中也だけは、まるで世界と切り離された別物のように太宰は感じた。
けれど其の妙な感覚も、太宰にとっては新鮮だった。
「──綺麗……」
「あァ?」
ポツリと呟かれた太宰の言葉に、中也は振り返る。
「いや、綺麗だね………君の森…」
中也が目を見開いた。
二人の足が止まる。
風に舞う木の葉が視界に入る中、二人の少年は目を合わせた。
「君は僕と同じだと思っていたのに………………何処か違うみたい」
悲痛なまでの其の愁えた太宰の表情は、鮮明に中也の瞳に映し出される。
太宰の手を掴む中也の手の力が緩んだ。
二人の手はどんどん離れていき、接し面が少なくなる。
指先が離れかけた瞬間────
「違くねェッ!!」
中也が太宰の手を握り返した。
まるで今にも消えそうな子供を引き止めるように、力強く中也は目の前に立つ太宰の手を握る。
「俺も手前も、同じ妖怪だっ!!」
「──・・・」
煌めきと揺らめきが、太宰の目の前で起こった。
「…………同じ…」
ポツリと太宰が呟く。
「おう!」
中也は真剣な表情で答えた。
「────ふ、んふふっ……あははははっ!//」
刹那、太宰が腹を抱えて笑い出す。中也は目をぱちくりと瞬きさせた。
「ぉ…オイ………そんな笑う事ねェだろ…///」
思い返すと恥ずかしくなり、顔を赤くして眉を顰め乍ら中也は云う。
太宰は涙を拭い乍ら笑いを堪えた。
「ふっ、く……んふふっ…、ッ……あっはははは…!//」
然し結局笑いのツボにハマり、大きな声で笑い出す。
「もう笑うなって!先刻の記憶から消せよッ!///」
「んっふふ、中也……君、面白いねぇw//」
何時までも笑う太宰を横に、先程云った台詞の後悔と羞恥心がひどく中也にのしかかった。
「だからもう笑うなって……///」
反対の手で顔を隠し、太宰から逸らしながら中也は云う。
太宰は息を整え、一つ深く吸った空気を吐き出した後に、嬉しそうな笑顔で中也に云った。
「僕の名は太宰治。九尾の妖狐だ」
握られた手に力を入れ、中也の手を握り返す。
「此れから宜しくねっ♪」
中也は目を見開き、そして同じように満面の笑みを浮かべた。
互いに強く手を握る。
「おうっ!──って、一寸待て!此れからって何だ!?此れからって……!!?」
焦った表情で中也が訊く。
ぱっと太宰が中也の手を離し、前に小走りに進んで行った。
「さぁ何の事だろうねぇ〜?知りたかったら捕まえてご覧よ」
そう云って、太宰は走り出す。
「オイ待て!逃げンなッ!!」
太宰を追うように中也も走り出した。
────一匹の鬼と、死にたがりの妖狐が出会った日。
コメント
21件
やっばい...ここ、にやにやが止まらないんだけど!?やっぱ2人は尊いなぁ...