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弁護士×弁護士 ~d×n 「勝てば、お前は俺のもの」
Side翔太
──弁護士になって、もうすぐ三年が経とうとしている。
都内のビル群にひっそりと構える中堅規模の法律事務所『渡辺綜合法律事務所』。そこに所属する若手弁護士として、俺は今日も朝から案件に追われている。
スーツの襟を正しながら、手にした資料を読み込む。案件は複雑じゃないが、依頼人の顔が浮かぶだけで気が抜けない。人の人生に触れるって、こんなにも重く、そして尊いものなんだって、毎日のように実感する。
俺の名前は、〇〇翔太。
学生時代から、正義感が強すぎるってよく言われた。白か黒か、きっぱり線引きしたがる性格だったけど、弁護士になってからは、グレーの中で誰かを救うことの難しさと大切さを知った。
法律って、冷たい。
条文は機械的だし、証拠や事実は残酷だ。
けど、そこに人の想いをのせるのが、俺の仕事だ。
「先生、話してよかったって、初めて思えました」
そう言われるたびに、救われる気持ちになる。
俺は、人を”説得する”のが得意なんじゃない。
“信じて、引き出して、共に闘う”ことが得意なんだと思う。
事務所の先輩にはよくからかわれる。
「渡辺は口説き上手だね。依頼人を落とすの、上手すぎ」って。
実際には、口説いてるつもりなんてさらさらない。
ただ、相手の言葉に耳を傾けて、心の底にある不安や痛みを探って、どうにかその人が前を向けるように導こうとしてるだけ。
感情で動きすぎるって、同期にはよく言われた。
証拠が足りないときも、相手の涙を見て引き受けてしまう。
それで何度、事務所の代表に怒られたことか。
でもそれでも俺は、「この人は助けてほしいって叫んでる」って思ったら、放っておけない。
目の前の誰かの”今”を変えられるなら、俺は何度だって立ち向かう。
今日も、また新しい相談が入ってるらしい。
お茶を淹れてくれてる事務スタッフの笑顔に軽く頭を下げて、俺は資料ファイルを手に取った。
──誰よりも熱くて真っ直ぐな弁護士。
――――――――――――――――――――
蒸し暑さの残る梅雨明けの午後、東京地裁の法廷に、俺の足音が静かに響く。
手に持った訴状と証拠資料は、すでに何度も目を通して頭に叩き込んだ。
今日の争点は、都内中堅企業で起きたパワハラ事案。上司による継続的な精神的圧迫と、それによって鬱状態に追い込まれた若手社員──原告である依頼人の人生がかかった裁判。
俺はその原告側代理人として、依頼人の声を”法の言葉”に変えて伝える役目を担っている。
いつも通り、深く息を吸って吐く。視線を真っ直ぐ前へ。
法服を纏った裁判官が入廷し、開廷の合図が響くと、緊張の糸がぴんと張る。
この瞬間だけは、何度経験しても慣れることはない。
そして、視線を横に流したそのとき──
心臓が、ひとつ跳ねた。
被告側代理人として、傍聴席とは反対側の机に姿を現したのは、見間違えようのない男だった。
茶髪を遊ばせて、無駄のない仕立てのスーツを着こなし、表情はまるで氷のように整っている。
手元の書類から顔を上げたその視線が、真っ直ぐに俺を射抜いた。
唇の端が、わずかに動いた──それは笑ったのか、それともただの確認だったのか。
「……マジか」
喉の奥で、そう呟いてしまったのは俺自身。
涼太。
司法修習の頃から、何かと張り合ってきた、俺の最大にして最悪のライバル。
彼が現れた時点で、ただのパワハラ裁判ではなくなることはわかっていた。
冷静さを装って、再び正面に視線を戻す。
でも内心は、穏やかじゃない。
──どうして、お前がここにいるんだ。
それが正直な気持ちだった。
よりにもよって、この案件で。
よりにもよって、このタイミングで。
勝率で言えば、俺より遥かに上。
理屈と論理だけで、人の心をねじ伏せるやり口。
徹底した準備、抜かりない言葉の選び方、法廷での立ち居振る舞いすべてが計算され尽くしている。
誰よりも冷静で、誰よりも強い。
けど、その強さに、かつて俺は一度だけ──
悔しいほどに負かされてしまったことがある。
すぐに振り払う。今は仕事だ。感情に流される時じゃない。
「弁論を始めますか?」
裁判官の問いかけに、俺は即座に立ち上がり、声を整えて答えた。
「はい、原告側、私より弁論いたします」
この裁判で勝つことが、依頼人の人生を取り戻す第一歩。
そして、涼太に二度と背中を見せるためじゃない。
“渡辺”という弁護士の正義を、今ここで貫くために──俺は、言葉を紡ぎ始めた。
「それでは、渡辺弁護士。原告側の主張をどうぞ」
裁判官の合図とともに、俺は静かに立ち上がった。手の中の訴状は何度も読み込んだ厚みのある資料。けれど、緊張でわずかに指先が湿る。
「原告は、長期間にわたり上司から継続的な人格否定と過剰な業務を強いられたことにより、精神的苦痛を受け、結果として鬱病を発症いたしました」
声を張る。依頼人の代わりに、ここで声を上げるのが俺の役目だ。
「証拠資料A-3、原告が記録していた業務日誌において、上司からの暴言や深夜残業の記録が明確に残っています。また診断書にも明記されている通り、症状は業務の負荷と心理的ストレスが原因とされ……」
「異議あり」
鋭く響いた低い声。
視線を向けると、すでに立ち上がった涼太が冷静な表情のまま言葉を続けていた。
「その診断書は、原告側の一方的な申告をもとに作成されたものです。医師の直接的な観察期間が短く、客観性に乏しい。また、証拠資料A-3についても、内容の信憑性については精査が必要です。日誌は後から改ざん可能であり、原本である証拠は提出されていないはずです」
「……っ」
まるで隙のない指摘。
確かに、俺の側に不安要素がある部分を、ためらいなく突いてきた。
けど──引くつもりなんてない。
「それでも、原告が実際に症状を訴えて医療機関に通っていた事実は変わりません。加えて、証人Bの証言では”上司の叱責が常態化していた”という証言がなされており、これは第三者による補強証拠になりえます」
「ですが、その証人Bは現在、原告と私的な関係にあるとされており、証言の中立性には疑義が生じます。さらに、叱責が”常態化していた”という主観的表現ではなく、具体的な発言や日時の記録がない以上、証拠能力としては弱い」
くそ……
やや劣勢か。
心の中で呻きながら、唇を噛む。
一つひとつの指摘は冷静で、正確で、まるで人の感情を無視する機械のようだ。
だが、涼太の目には情がないわけじゃない。
いや、逆に──俺を見据えるその瞳は、妙に熱を孕んでいた。
あの頃と変わらない。
言葉ではなく、目で「来い」と挑発してくるような、あの目。
「原告の精神的被害は、複数の証言と診断書、業務記録により裏付けられています。原告が実際に受けた”痛み”を、法の場で軽視するわけにはいきません!」
「本件は”痛み”を争う場ではなく、”法的根拠に基づく損害の有無”を問う場です。感情論に流された弁論は、司法の正当性を損なうだけです」
「感情論じゃない。”事実”として、原告は苦しんできたんだ!」
「それが”証明”されなければ、ただの主張にすぎません。法は、言葉より証拠を求める」
ギリ、と奥歯が鳴った。
負けたくない。
あいつにだけは──絶対に。
そのとき、裁判官の声が響いた。
「ここで10分間の休廷といたします。再開は15時10分から」
ぐっ……。
思わず深く息をつく。
気がつけば、手の中の資料が少しだけ湿っていた。
視線を下げたまま、呟いた。
「……くそ、やや劣勢かも」
資料を握る手に、無意識に力が入る。
勝ちたい。ただ勝ちたいんじゃない。
涼太に勝ちたい。
それが、どれだけ俺にとって特別なことか──
静まり返った控室のドアが、わずかに軋む音を立てて閉まる。
資料に目を落としていた翔太は、気配で誰が入ってきたかすぐにわかった。
視線を向けずとも、空気が変わる。ピリッと張り詰めて、だけど妙に温度がある。
「……来るなり黙ってるって、相変わらずだね、涼太」
「翔太がしゃべり出すと思った」
「そんな仲だった?俺達」
「少なくとも俺はそう思ってるよ」
「……で、何の用?」
静かに椅子に腰を下ろした涼太は、手にしていた水のペットボトルを一口飲んでから、唐突に言った。
「ねぇ翔太。この裁判に勝った方が、相手の”すべて”を手に入れるってのはどう?」
「……は?」
聞き間違いかと思った。
けど、涼太の目は冗談を言うときのそれじゃなかった。
「勝った報酬。どう素敵じゃない?弁護士の看板もすべて賭けようよ」
「冗談でしょ」
「ふふっ。冗談かどうかは、翔太が決めればいいよ」
「涼太……そういうとこ、昔からずるいって言ってるでしょ」
「ずるいのは翔太だと思ってるけど」
「どうして?」
「どうしても」
言葉が喉の奥で詰まった。
そのまま押し黙った翔太を、涼太はじっと見つめてくる。
熱くも冷たくもない視線。ただ、まっすぐに刺さってくる。
「でも知りたいな。翔太が勝ったら、俺の何を手に入れたいのか」
「……ねぇ、涼太」
「ん?」
「本当に、すべてを手に入れるんだね?」
「言った。撤回はしない」
翔太は一度目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
表情はいつものように柔らかいのに、瞳の奥にだけ静かな火が灯ってる。
「じゃあ──もし俺が勝ったら、涼太のすべてをもらうよ」
「……上等だね。俺も翔太のすべてをもらう」
涼太の表情が一瞬だけ揺れた。
けれど、次の瞬間には口元に小さな笑みが浮かぶ。
「……怖いな、それ。けど、面白い」
「覚悟しておけよ」
「そっちこそ。」
涼太が立ち上がる。
控室の空気がまた静けさを取り戻す。
「あと十分で再開か」
「うん。……ねぇ、涼太」
「何?」
「今度こそ、本気で勝ちに行く。涼太にも、自分にも」
涼太は振り返らずに答えた。
「期待してる」
静かにドアが閉まる。
残された翔太の胸の奥で、何かがかすかに震えていた。
すべてを手に入れる、そんな冗談みたいな取引──
(勝って、涼太の全部手に入れるんだ)
手にしたペンを強く握りしめ、再び書面に目を落とした。
戦いの続きを、その瞳の奥で、もう始めていた。
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作者名「木結」(雪だるまアイコン)でご検索ください。