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17 - 第17話 海に沈む花火(2) side 藤井香澄

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2025年07月09日

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土曜の朝、江ノ電の車窓から見える景色に、思わず目を奪われた。ローカル線は海沿いの住宅街をゆっくりと抜けながら、まるで時間そのものを緩めていくように走っていく。


瓦屋根の民家が並び、軒先には洗濯物が干されている。

細いフェンス越しに、色あせたビーサンや自転車、揺れる風鈴が目に入る。

そのひとつひとつが、この場所の呼吸のようだった。


車内には、柔らかな揺れと、ほんのりと潮の匂いを含んだ空気。

昨日の深夜まで社内で資料の修正に追われていた時間が、もう遠く霞んでいく。

窓の外でちらちらと見え隠れする海が、どこか現実離れした光をたたえていた。


長谷駅に着くと、ドアの開く音と同時に、ゆるやかな潮風が吹き込んできた。

ホームに降り立つと、空気の質が一段変わったのがはっきりとわかる。

湿気を帯びた風が頬を撫で、遠くでカモメの鳴き声がかすかに聞こえていた。


改札を抜けた先で、岡崎が軽く手を挙げて立っていた。


白いTシャツに、淡いグレーのシャツを羽織り、履きつぶしているのかくたびれたデニムに足元はスニーカー。日帰りということもあって、荷物は軽く、肩にウエストバックをかかえている。

無造作な髪を無頓着に流したまま、どこか肩の力の抜けた雰囲気。


──こうして私服姿を見るのは、初めてだった。


いつもオフィスで見るスーツ姿とはまるで違っていて、学生のように若く見える。

けれどこの湘南の空気には、今日の岡崎のその感じが、妙にしっくり馴染んでいた。


「おう。藤井さんようやく来ましたか。今日めっちゃ暑くね?俺もう汗だくなんだけど。」


汗だくと言う割には変わらない軽やかな声が、潮風に溶けるように響く。


「岡崎おはよう。…ようやくって、まだ集合10分前じゃん。てか予報、曇りだったよね?」


「ね。やばいわ。俺マジで晴れ男だからさ、呼んじゃったのかも。太陽を」


「あー…なんかたしかに。岡崎って晴れ男なイメージある。無駄に明るいから暑苦しいくらい」


「…あなた、それ、絶対褒めてませんよね?」


くっと笑う様子は、どこまでもリラックスしていて、

どこか“仕事”というより、“旅のはじまり”みたいな空気すら感じさせた。


駅前には、すでにフェリクスの制作チームと映像ディレクターが集合していた。


サンダルにカーゴパンツのディレクターが、

バインダー片手に陽気な声をあげる。


「おーっす!今日ちょっと天気予報不安あったけど晴れてよかったね!最高!太陽ありがとー!」


すでに陽射しは強くなりはじめ、チーム全員がキャップやサングラスをかけながら動きはじめている。


自分も早速役割をこなさなければと、フェリクス側の進行資料を片手に、全体のタイムラインと撮影スポットの優先度を頭の中で確認する。


企画サイドとして撮影の流れをつかみながら、

現場の判断にも柔軟に対応しなければならない。


だけど──


実際に現地に立つと、

やっぱり紙の上の情報とは違う。


踏切の音、自転車のベル、Tシャツ一枚の観光客が歩くリズム、足元を通りすぎる風の重さ。


資料やストリートビューには映らないものが、ここにはあふれていた。



長谷駅から線路沿いを歩き、最初に向かったのは由比ヶ浜へ続く小さな坂道。


道の片側には古びた商店が並び、もう片方には海へと開かれた抜け感のある通りが広がる。


「午後になると逆光きつそうだけど……この時間の光、けっこう柔らかくていいな」


岡崎がスマホを横にして画角を確認している。

その横でディレクターが頷きながら別角度の写真を撮っていた。


「でも人の流れ的には午後のほうが動きあるかも……ねえ、藤井さん的にはどう?」


突然名前を呼ばれ、数秒だけ、言葉を探してしまった。


視線を移すと、岡崎の隣に立つディレクターがこちらを見ていた。バインダーを片手に、じっと話を聞く構えでいる。


「…うーん、そうですね……。今の時間、光が柔らかくて、綺麗に当たってると思います。あとは……この路地の奥、斜めから人の影が差すのも映像的に面白いかもしれません」


ひと呼吸置いてから、少しだけ口元を引き結ぶ。


「あ、でも……ほんと素人の感覚なので、あんまり参考にならないと思い…ます……」


プロの現場に足を踏み入れるのは、これが初めてだった。

目の前にいるのは、実績ある映像ディレクター。そして、いつものように気軽な雰囲気とは違う“仕事モードの岡崎”。


自分の意見が場違いじゃないかという思いが、ふとよぎる。

それでも、何かを感じたなら言葉にするべきだと──少しの勇気で絞り出した答えだった。


「お、いいんでない?」


岡崎が、スマホの画面を確認しながら言う。


「うん、今、イメージしたら結構いい感じになりそう。想像って人それぞれだからさ。今みたいなの、藤井も遠慮なんてしなくていいし、思いついたらどんどん言って」


いつものように茶化すでもなく、

どこか素直なトーン。

ディレクターも「たしかに、光の抜け感、面白いかも」と頷いた。


その反応に、胸の奥がふっとほどける。

まだ手探りのはずの意見を、ちゃんと“現場の目”として受け止めてもらえた気がして、嬉しかった。



「よっし。では藤井監督、さぁさぁ次もいきましょう」


さぁさぁ。と

岡崎がスマホをくるりとポケットにしまいながら、軽く片手を差し出すようにして言った。

少しだけ得意げに、けれどどこか冗談めかした笑顔。


「ちょっと。それだけで監督呼びやめてよっ、ばかっ」



こぼれた笑い声が、自分でも思っていたより明るく響いて、少しだけくすぐったくなった。

観光客の足音、海の湿度、道路の熱。それぞれの体感が、映像のイメージに落とし込まれていく。


次に、七里ヶ浜のボードウォークへ移動。


白い欄干の向こう、海は朝の光を反射してやさしくきらめいていた。


波打ち際ではサーフボードを抱えた若者たちが冗談を言い合いながら準備をしていて、まるで“青春”という言葉そのもののような風景が広がっている。


「……ここは、やっぱり“湘南感”強いね」


ディレクターがぽつりと呟きながら数枚シャッターを切る。


隣に、ふと岡崎が立つ。


「こういう下見ってさ、意外と“撮る”より“感じる”ことのほうが大事だったりするんだよ」


「感じる、って?」


「ん?空気の温度とか、潮の匂いとか、街の音とか。そういうのって、思ってる以上に映像に出る。観てる人って、けっこう敏感だからさ」


海風が抜けて、岡崎のシャツの裾がふわりと揺れた。

海を見ながら、真面目な声でそう言う横顔は、さっきまでの飄々とした雰囲気と違っていて、不意にドキッとする。


「資料ベースで考えてると、どうしても“止まった画”で組み立てがちだけどさ、現場ってもっと生き物みたいにざわついてて、しっかり息してんだよな」


「……うん。あたしも、今日来て、ほんとにわかった。目で見る以上に、音とか空気で印象ってこんなに変わるんだね」


頷いたまま、ふと顔を上げると、水平線の向こうにうっすらと雲がかかっていた。

でもそれさえも、景色の一部として、絵の中に溶け込んでいく。


この場所にしかない光と音と空気。

その全てが、なにか今日の特別な日の輪郭をゆっくりと縁取っていた。







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