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#風見裕也
緑茶は飲めないが紅茶は飲める
「――全ては虚しい」
東雲アリアは、そう思った。
栗色の少し乱れた髪。白いシャツに黒いスカート、黒い靴。飾り気が何もないコーディネート。
好意的に見ても……どこにでもいそうな、疲れた社会人。
ただ、年齢は若かった。
飛び級で海外の大学を卒業したあと、この研究所に配属されて――
……彼女は今、15歳だった。
東京都心を離れた、郊外の研究所。
広い敷地にある、建物の7階。最上階の、彼女専用の研究室。
その中にはテーブルと椅子、本棚の横には観葉植物、他は――紙の束に、書籍の山。
……ふと、そんな彼女の元を、ひとりの女性が訪ねてきた。
彼女の名前は一ノ瀬ユキ。アリアと並び、この研究所では天才と呼ばれている存在だった。
年齢は20歳だが、見た目はそれよりも幼く見える。
「アリアちゃーん!」
「名前で呼ばないでください」
扉を突然開けて、いそいそと入って、丁寧に閉める。
ユキは満面の笑みで、アリアに声を掛けた。
「あたしの研究の方で、魂の解釈の話が出てきたんだけど……教えてくれる?
魂ってさ、半分に割るとどうなるの?」
「……急に、物騒な話ですね」
「どうしても詰まっちゃって~。魂といえば、アリアちゃんの専門でしょ?」
この研究所で……アリアは魂について、ユキは生命について、それぞれ研究をしていた。
そもそもが難解――
概念的なこれらの分野において、ふたりの研究は目を見張るものがあった。
「まぁ、私も割ったことはありませんが――」
「あったら怖いけどね!」
「……私の仮説では、そもそも割ること自体は可能です。但し、内部情報は当然ですが欠落するはずです」
「元のまま、ぱかーんっ……って、ふたつになるわけじゃないの?」
「例えばこのSSDメモリですが、容量は256PBですよね?」
「うん」
アリアは手元にある小さなストレージ――SSDメモリを取って、ユキに見せた。
「これを単純に半分にすると、128PBの容量のものがふたつ、になります。
元々128PBを超えるデータが入っていたら、どうなりますか?」
「んー? どう分けるかは置いておいて、データの方も、ふたつには分かれちゃうね?」
「はい。そのデータの中でも――
いわゆる魂のOS部分が中途半端な内容になれば、動作しなくなります」
「なるほど、単純に考えればいいんだねぇ。
ちなみに……もっともーっと、細かくし続けるとどうなるかな?」
「最低単位の1バイトまで分割してしまえば、入るデータは1バイトですからね。
何の役にも立たない、ゴミみたいな小さな魂の集合体が完成します」
「辛辣ぅ」
ユキは、アリアと喋りながらメモを取り続けた。
ただ、話した内容に対して、書いている時間が明らかに長い――
「……何を書いているんですか?」
「アリアちゃんが話してくれたことと、そこからの気付きぃ」
アリアは眉をひそめてから、ユキのノートを覗き込んだ。
そこには上から下へ……一本調子ではなく、情報が縦横無尽に走っている。
「ふむ……。先輩も、やっぱり頭は良いんですけどね」
「……うん? 頭は良いけど……なぁに?」
「いえ、何でも」
そう答えるアリアの顔を見て、ユキはにんまりと笑顔を向けた。
そしてアリアの頭を、優しく撫でる。
「……撫でないでください」
感情豊かなユキに対して、アリアの表情は動かない。
いつも通りの日常――こんな時間を、彼女たちは3年も過ごしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アリアが会議を終えて、研究室に戻ると――空はとっくに暗かった。
「……もう、21時か。
議事録をまとめてしまわないと……」
アリアはとっくに、家族とは暮らしていなかった。
その天才性ゆえに、昔からずっと、普通の関係は築けていない。
だから、アリアは研究所以外では孤独だった。
溜息をついてから、廊下の先の……自動販売機が置いてある小部屋に向かう。
そこでミルクコーヒーを買って、その温かさに癒される。
……そんな折、廊下の方から同僚の声が聞こえてきた。
「――東雲ってさ、本当に感情が無いよな」
「本当、それなー。まったく、薄気味悪い……っていうか?」
「頭が良いのを引けらかしてるのも、ウザいだろう? さっきの会議だってさぁ……」
「ははは。一ノ瀬も、よく付き合っていられるぜ」
アリアが気配を潜めていると、同僚たちはそのまま去っていった。
声の主と鉢合わせなかったことに――
……いや、不毛なやり取りをしなくて済んだことに、アリアは安心した。
「――別に構わないけど。程度の低い人たちの、陰口なんて」
アリアはペットボトルを両手で掴んで、まっすぐな視線をそこに向ける。
「……普通なら、悔しいと感じるのかな?
でも……何も感じないな」
ミルクコーヒーを、もうひと口だけ飲む。
「……馬鹿らしい」
何となく歩きたい気分になったので、アリアは廊下を少し歩くことにした。
足はふと、いつの間にか勝手に――見知った部屋に吸い込まれていく。
「――先輩。今日も残業ですか?」
「アリアちゃ~ん、バグが取れない~っ!?」
「名前で呼ばないでください」
ユキの涙目を前に、アリアは仕方の無さそうに言った。
「はぁ。休憩がてらに、5分だけ見てあげます」
「ありがとう!
まぁ、5分じゃ見つけられないと思うけど……」
アリアはユキから椅子とマウスを奪うと、パソコンの前に陣取った。
無駄のない動きで素早く確認を進めて――
モニターの1か所、プログラムの問題箇所を指で示す。
「……ありました、ここです」
「もう見つけたの!? はやっ!!」
「あと、こっちの更新処理が無駄だと思います。
一度データを入れたら、もう更新しない方が良いかと」
「えーっ。でも、もしものときのために……」
「一般に公開しない機能なら、最低限で良いです。バグの温床になるので、運用の仕方を考えるべきです」
「うーん。でもでも、あたしの方針的には――」
「5分が過ぎたので、仕事に戻ります」
「えー!?
もうちょっと、優しくして欲しいカナー。……なーんて。とほほ……」
「……飴玉、いりますか?」
アリアはどこからともなく、ユキに飴玉を差し出した。
ユキはそれを受け取り、いつものように、口に放り込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――少しだけ気分転換を終えたアリアは、研究室に戻って議事録を書き始めた。
自分の研究は――想定通りの進捗。
他の研究も――ほぼ問題ないレベルの進捗。
懸念として上がったのは、競合他社が開発しているAI――
『ORBIS』の新しい情報。
公表前ではあるが、何でも……『空間へのアクセス』が可能になったのだという。
例えば空中に文字を書いたり、モニターの代わりに映像を映したり、任意の場所にエネルギーを発生させたり――
さらにはもっと研究が進めば、より多くのことが可能になるのだという。
「……そんなのはもう、魔法でしょう……」
ふと、そんな言葉が口から出てきた。
しかし現実的な彼女は、そんな自分に少しだけ笑ってしまう。
……魔法なんて、あるわけがない。
アリアは本棚からファイルを出して、中をパラパラとめくっていく。
それは『ORBIS』の公開仕様書であり、そして最も目を引くのは――
……『完成された最適化』という、大きな文字で印刷された、壮大なテーマ。
「私は……やっぱり、違うと思う」
かつてアリアは、『ORBIS Project』の誘いを蹴って、この研究所に入った経緯がある。
『完成された最適化』に対して――
『進化し続ける最適化』。
それこそが、アリアやユキが開発に携わるAI。
それこそが、『Evolutionary Optimization Logic』――
……『進化最適化論理』の、最大のテーマだった。
コメント
1件
うわぁ…これ、東雲アリアの過去編なんだね。まだ15歳なのに、あの冷めた口調と天才感…すべてに“虚しい”って思っちゃう感じ、すごく伝わってきた。ユキ先輩との温度差がまたいいんだよね。「名前で呼ばないで」って言いながら飴玉差し出すギャップにぐっときた。陰口聞こえたシーンも、悔しいとか感じないって言い切るところが逆に痛くて。このふたりがどうしてああなったのか、続きが気になる…!