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翌日。
朝から雨だった。
窓を叩く雨音が絶えず響いている。
こんな日は庭の散歩もできない。
街へ出ることもできない。
つまり。
「暇だ……」
マナは窓辺に突っ伏していた。
昨日の舞踏会の疲れもあって、勉強する気も起きない。
本も読んだ。
紅茶も飲んだ。
やることがない。
「ライー」
「はい」
呼んで数秒で現れる。
もはや当たり前だった。
「暇」
「そうでしょうね」
「何かない?」
「勉強がございます」
「却下」
「予想通りです」
ライは苦笑する。
最近、二人でいる時はこういう表情を見せることが増えた。
昔から知っているライ。
執事としてのライ。
そして、自分の前だけで少しだけ素が出るライ。
その全部を見るたびに、マナはなぜか嬉しくなる。
「ライは暇じゃないの?」
「仕事があります」
「でも今ここにいるじゃん」
「マナ様の相手も仕事です」
「便利な言葉だなぁ」
「事実です」
マナは椅子から立ち上がる。
そしてふと思いついた。
「温室行こう」
「温室?」
「雨の日の温室好きなんだよね」
ガラス張りの大きな温室。
外は雨でも中は暖かく、色とりどりの花が咲いている。
マナのお気に入りの場所だった。
「かしこまりました」
二人は傘を差して温室へ向かった。
⸻
温室の中は暖かかった。
雨粒がガラスを伝う音が静かに響いている。
色鮮やかな花々。
湿った空気。
外とはまるで別世界だ。
「やっぱ好きだなぁ」
マナが満足そうに呟く。
ライはその後ろを歩く。
護衛として。
執事として。
けれど今は、それだけじゃない気がしていた。
「ライ」
「はい」
「こっち」
手招きされる。
ライが近付くと、マナは咲いている花を指差した。
「綺麗じゃない?」
「そうですね」
「興味なさそう」
「あります」
「嘘」
「少しあります」
「正直」
ライは肩をすくめた。
花を見るより、花を見て笑っているマナを見ている方が楽しい。
そんなことは言えないが。
「ん?」
その時。
マナが急に立ち止まった。
「どうされました?」
「雨強くなってる」
ガラス越しに見える景色は真っ白だった。
かなりの豪雨らしい。
「しばらく帰れないね」
「そうですね」
ベンチに腰掛ける。
ライも隣に座った。
少し距離を空けて。
その距離が気に入らなかったのか、マナがじりっと近付く。
「近くないですか」
「寒い」
「温室です」
「気分」
「理由になってません」
それでも離れない。
ライももう慣れていた。
むしろ今さら「離れてください」と言う方が不自然だった。
「そういえば」
マナが呟く。
「昨日の令嬢」
「はい」
「まだ気にしてる?」
ライが一瞬固まった。
「気にしておりません」
「嘘だ」
「気にしておりません」
「二回言った」
図星である。
マナは笑いながらライを見上げる。
「嫉妬?」
「違います」
即答。
けれど耳が少し赤い。
「してたじゃん」
「してません」
「してた」
「してません」
「してた」
子供みたいな言い合いになる。
そして先に折れたのはライだった。
「……少しだけです」
「やっぱり」
嬉しそうな顔。
ライは思わず額を押さえた。
「そんな顔しないでください」
「どんな顔?」
「嬉しそうな顔です」
「嬉しいもん」
「なぜ」
マナは首を傾げる。
それから少し考えて。
「だってライが僕のこと気にしてるってことでしょ?」
その言葉にライは返事ができなかった。
気にしている。
それは事実だった。
誰よりも。
きっと誰よりも。
だからこそ困る。
「……マナ」
珍しく先にタメ語になった。
マナが顔を上げる。
「何?」
「無防備すぎる」
「え?」
「そういうこと簡単に言うな」
少し低い声。
マナは目をぱちぱちさせた。
「なんで?」
「……」
言えるわけがない。
だからライは話を逸らした。
「風邪を引きます」
「温室なのに?」
「引きます」
「無理あるよ」
「引きます」
「頑固」
マナは笑う。
その瞬間だった。
外から雷の音が響いた。
ドンッ。
大きな音。
マナの肩がぴくりと震える。
ライは見逃さなかった。
「怖いんですか」
「別に」
「今震えました」
「気のせい」
「嘘ですね」
「うるさい」
図星だった。
昔から雷は少し苦手だった。
ライは小さく笑う。
そして。
そっとマナの頭を撫でた。
「っ!?」
マナが固まる。
ライも一瞬固まった。
やってから気付いたのだ。
子供の頃の癖だった。
怖がった時はこうしていた。
昔なら普通だった。
けれど今は。
「……悪い」
ライが手を引こうとする。
しかし。
その手首をマナが掴んだ。
「……別に」
「え?」
「嫌じゃない」
ライの心臓が大きく跳ねた。
マナは少し照れたように視線を逸らしている。
普段なら絶対見せない顔だった。
しばらく沈黙が流れる。
雨音だけが響く。
そして。
「ライ」
「何?」
自然にタメ語で返す。
「もう少しだけ」
マナが小さく呟いた。
「このまま」
ライは数秒黙った。
それから。
優しくもう一度頭を撫でた。
「……仕方ないな」
マナは満足そうに目を細める。
その顔を見ていると、ライも自然と笑ってしまう。
雨の日。
誰も来ない温室。
二人だけの静かな時間。
それは執事と主人という関係を少しだけ忘れてしまいそうになるほど、穏やかで特別な時間だった。
コメント
1件
うわあ、第5話、めちゃくちゃ良かったです…! 雨の日の温室という非日常の空間が、二人の距離感をぐっと縮める装置になってるのが素敵でした。ライが思わず「無防備すぎる」とタメ語で出てしまうシーン、あれすごくグッときました。それまで執事の言葉遣いを保っていたからこそ、あの一言が“素”の感情として刺さる。そしてマナがその手を離さず「もう少しだけ」と言う。あのやりとり、最高です。 二人の関係性が少しずつ変わっていく予感を、雨音と温室の暖かさで包み込むような優しいエピソードでした。続きが待ち遠しいです!