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第十話 にやけるその顔が憎い
いつでもどこでも城下町は騒がしい。
焼けた石の匂い、人の汗、家畜、酒。
鼻が慣れる日は来ないだろうな、と毎回思う。
隣で、アディポセラ様は焼きたての丸パンをちぎっていた。
「やっぱりここのパンは違います、とても美味しいわ」
嬉しそうだ。
それだけで、連れてきた意味はあるのだろう。
私は食べない。必要ない。
腹が減ることより、周囲の視線の方が気になる。
……見てんじゃねぇよ。
十字路でもそうだった。
今日も同じだ。
好奇、嘲り、値踏み。
貴族の隣を歩く“異物”を見る目。
慣れている。慣れているが、好きなわけがない。
「ねえ、ウラシェル」
思考を切り替える。
「……はい」
「お金はあげるから、互いにプレゼントを買い合うのはどうでしょう」
断れるはずがない。
「……仰せのままに」
アディポセラ様は満足そうに笑って、人混みの中へ消えていった。
三十分。
短いようで長い。
何を買えばいい。
貴族が喜ぶものなんて知らない。
宝石? 絹? 香油?
全部、アディポセラ様はもう持っている。
通りを歩き回って、結局入ったのは革製品の店だった。
丈夫で、実用的で、飾り気がない。
アディポセラ様には似合わない。だが、履けないものではない。
……これでいい。
選択肢なんて最初からない。
私が選べるのは「無難」だけだ。
気持ちなんてなくても、物は“贈り物”になる。
パン屋の前に戻ると、アディポセラ様はもう来ていた。
「あなたに似合うと思いました」
共に包みを差し出す。
アディポセラ様は目を輝かせた。
「素敵……」
本気で言っている。
嘘がない。
「これから毎日これ履きます。ありがとうウラシェル」
……安物だぞ、それ。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
喜んでいるなら、それでいい。
ただ、そのにやけている顔面だけは勘弁してほしい。
開く。
重い。
羽毛を詰めた分厚い上着。
狐の毛皮まで付いている。
「狐の毛皮で、強風が吹いても顔も寒くなることはないでしょう。
私があげたマフラーと是非一緒に」
また。まだ。
……俺が寒さに弱いとでも思ってるのか。
にやけるなよ。
違う。
アディポセラ様は、知らないだけだ。
いや、わかっていない。理解しようとしていない。
北で生まれたことも。
凍る川で働いたことも。
寒さより空腹の方が辛いことも。
血の繋がる両親からも繋がらない両親からも心無いことをされたことも言われたことも。
何も知らない。
「……感謝いたします」
それでいい。
その直後だった。
「きゃ……」
鈍い音。アディポセラ様の小さな体が揺れる。
振り返るより先に、状況は分かった。
酒の匂い。荒い息。
「どこ見て歩いてやがるこの小娘!」
拳が上がる。
体が勝手に動いた。
手首を掴む。
骨と筋の感触。力の流れ。
弱い。
「……触るな」
声が低くなる。抑えない。
男が喚く。唾が飛ぶ。
うるせぇな。
「失せろ。酔いが醒める前に消えないと、次は腕じゃ済まない。二度と拳を振りあげられないほど深く抉ろうか」
本気だと分かる目で見る。
すると大抵の人間は引く。
こいつも同じだった。
舌打ちして去る。
つまらない。
振り返ると、アディポセラ様がこちらを見上げていた。
大きな目。
震えている。
「お怪我は」
それだけ確認する。
それ以上は必要ない。
アディポセラ様はすぐに返事をしなかった。
何だその顔。
泣きそうでもなく、怯えでもなく、
熱でも出たみたいな目で私を見るな。
守ったわけじゃない。
ただ見たくなかっただけだ。
周りの友達が殴られ蹴られ血を出す光景は死ぬほど見てきた。
もうこの眼で二度と見たくなかっただけ。
「……ウラシェル」
呼ばれる。
声が妙に柔らかい。
胸の奥がざわつく。理由は分からない。
分からないものは考えない。
「戻りましょう」
そう言うと、アディポセラ様は嬉しそうに頷いた。
その顔の意味を、私は知らない。
知る必要もないと思っている。
今はまだ。
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