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第十一話 近寄るな
最近、やたらと呼び出しが多い。
用もないのに。
急ぎでもないのに。
茶が甘いだの、織物の色がどうだの、空が北に似ているだの。
……意味が分からない。
ほとんど内容は聞いていない。聞くだけ無駄。垂れ流し。
命令なら従う。
それだけの関係のはずだった。
なのに、アディポセラ様は妙にこちらを見てくる。
何かを確かめるみたいな目で。
落ち着かない。
今日もそうだった。
「あなたのこと、もっと知りたい」
そう言われた時、正直、面倒だと思った。
私の過去に価値などない。
聞いたところで、気分が悪くなるだけだ。
だが──
ああ、これが本題か。
その時やっと分かった。
だから最近、あんなふうに呼びつけていたのか。
言い出せずに、遠回りして。
……なら。
少し話せば済む話だ。
北の風のこと。
凍る川のこと。
寒さより空腹がきついこと。
どうせ理解はされない。
だが、話したという事実があれば満足するだろう。
そうすれば、無意味な呼び出しも減る。
「ありがとう、ウラシェル」
それだけのつもりだった。
部屋を出て、扉が閉まる。
静かな廊下。
石壁の冷たさが背中に染みる。
そこでようやく、息を吐いた。
……何だ、あの顔は。
あんな目で見られたことはない。
憐れみでも、恐れでもない。
もっと柔らかくて、熱のある目。
ぞくり、と背筋が震える。
まさか。
嫌な予感が形を持つ。
変な感情、持たれてないよな。
喉の奥がひりつく。
困る。
それは、困る。
私は物だ。
使われる側だ。
主人に情を向けられる道具なんて、ろくな末路にならない。
知っている。
主人は嗜虐心に逆らえず、淫らな行為を迫られ、襲われ、邪な関係になり、心も身体も傷つけられる。
優しくされた奴から壊れていった。
情が絡んだ奴から売られていった。
手放しづらくなる前に処分する。
そういう理屈は、何度も見た。
寒さより、そっちの方がよほど身に染みている。
「……長居する場所じゃない」
小さく呟く。
#ボカロ
ここは安全すぎる。
温すぎる。
だから駄目だ。
私は、いずれ売られる。
それが正しい形だ。
新しい買い手が現れた時。
使い物にならなくなった時。
それが、私の終わり方だ。
なのに今は、どちらでもない。
中途半端に役に立って、
中途半端に気に入られている。
一番まずい位置だ。
「……どうすれば、手放す」
考える。
嫌われるか。
アディポセラ様は正しくないことが嫌いだ。
だから、正しくないことをする。
身だしなみを整えなければ汚いと思って嫌うだろう。
傷がたくさんついていれば汚いと思って嫌うだろう。
それがいい。手っ取り早い。
なのに。
脳裏に焼き付いているのは、
あの時の声。
胸の奥が、わずかにざわつく。
意味の分からない感覚に、苛立って舌打ちする。
「……関係ない」
あれはアディポセラ様の気まぐれだ。
気の迷いだ。
一時の感傷だ。
私が考えることじゃない。
考えたら、駄目なやつだ。
廊下の窓から夜風が入り込む。
冷たい空気が頬を撫でる。
それでようやく、少しだけ頭が冷えた。
北の風に比べれば、生ぬるい。
明日から、決行する。
それだけ決めて、歩き出す。
足音が石に響く。
一刻も早く手放してほしいから。