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「…ほんとに、来てくれたんですね」
「言っただろ。“勉強”を教えるって」
大森の家に着いた若井は、いつもより静かな空気に思わず背筋を伸ばした。
リビングに案内されると、すでにテーブルの上には教科書とノートが広げられていた。
(ちゃんと……やるつもりではいるのか)
そう思って席についた若井は、淡々と式の解き方を説明しはじめた。
元貴も、最初は真面目に頷いて、時折質問を投げかけてくる。
「…ここの√の処理が分からなくて」
「ここはな、2乗して揃えると──」
数分間、会話はあくまで“教師と生徒”のものだった。
けれど──時間が経つごとに、空気がじわじわと変わりはじめる。
「……先生、近い。声が……耳に響く」
「は?近いって、お前が寄ってきて──」
「……だって。先生の声、好きなんです」
その言葉に、若井のペン先が一瞬止まる。
そしてその隙を狙うように、元貴が言う。
「……勉強なんて、もうどうでもいい。俺、ずっと今日のこと考えてた」
「大森──」
「……触れてくれないなら、せめて……言葉で感じたい」
その言葉の意味を理解する前に、元貴は自ら制服のネクタイを外した。
「……お願い。これで、僕を目隠しして」
「なっ……お前、何考えて──」
「見えなくてもいい。だって先生の声、全部、耳で感じられるから」
押しつけられるようにして結ばれたネクタイ。
元貴の吐息と鼓動が膨れ上がっていく。
「……お願い、先生。声を、いっぱい聞かせて」
「……本当に…知らないぞ」
低く、諦めたような声で呟きながら、若井の声が徐々に熱を帯びていく。
「……お前、こんなことして…どうなるか分かっててやってんだろ」
「うん、わかってる。でも……先生の声が欲しい」
「じゃあ、ちゃんと聞け」
囁きが、耳の奥に直接触れる。
吐息と声だけが頼りの世界で、元貴の感覚が研ぎ澄まされていく。
「……そんな顔して、誰に見せてんだ。俺しか知らないお前を、もっと見せろよ」
「っ……先生……もっと……言って……」
闇の中で、声だけが元貴の身体を這う。
指一本触れなくても、言葉が肌を撫でて、感覚を狂わせていく。
「……はぁっ…せ、先生……」
「お前、……こんな声出すんだな」
「ちが……先生が、言うから、こんな……」
「……俺の言葉で、感じてんの?」
「うん……っ…、声、止めないで……」
もう、理性なんて残っていない。
言葉と息遣いだけで満たされていく、甘くて苦しい夜。
目隠しの奥で、大森は確かに堕ちていく。
若井の声だけを頼りに——。
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