「こぐっちゃん、見てみろよ。すげえよ」
「……うん」
ざっと数えて30を越えるブースに、朱莉は軽く人酔いしながら、どんどん進んでいく吉野に続いた。
「起き上がりロボットマットレスだって。ちょっと俺、やってみるわ」
言うと吉野は小走りでそのブースに近づいていき、係員の指示のもと、マットの上に寝っ転がった。
「はい、腕を軽くクロスしていただいていいですか。それではじっとしててくださいね」
係員が離れた瞬間、背中に敷いていたマットレスが立体的に盛り上がり、まずは背上げ状態になった。座位が安定すると、今度は臀部部分の足が順繰りに組み上がっていき、身体を支える。
「おおおおおお」
吉野が歓喜と驚嘆の声を上げる。
いつもは作業着を着ているのに、今日はグレーのスーツを着ている長い足が、強制的に浮き上がらされて、ほんの少しだけ腰が前に出る。
(あ、なんかちょっとエロイ体勢)
心の中で笑いながら見ていると、吉野は感動で目を見開きながら朱莉に叫んだ。
「やってみ、こぐっちゃん!すげえよ、マジで!!」
係委員の人が朱莉にも勧める。
いつの間にか周りには他の会社のメンバーが集まり、ちょっとした人だかりができていた。
「ーーースカートだっつの」
言うと、
「いつも足開いてるくせにこんなときばっかり」
と吉野が吹き出す。
(だっていつもは私だって作業着だもん)
反論するのも面倒くさくなって、係員から目隠しのタオルを受け取り、腰あたりに巻き付けると、起き上がりマットレスの上に横たわった。
「ではいきますよー」
偉く痩せた男の係員が言うと、頭の後ろから、肩、背中と順に起き上がっていく。
「………シートが滑るから?それともスピードが遅いせいかな。腹圧がほとんどかからないですね」
目を瞑ったまま朱莉が言う。
「あ、でも角度がけっこう急で、誤嚥のくせがついた高齢者なんかは、唾液を嚥下しにくいかも」
素直な感想に、担当者は苦笑いした。
「そうかもしれませんね」
と、臀部の角度が変わり、前を隠していたタオルがするっとずれた。
(あっ!今、落ちたらパンツ見えちゃう)
自分の手は胸の前でクロスしているため、直せない。
係員の顔を見ると、たったいま感想を言った朱莉の言葉が面白くなかったのか、気づいていないはずはないのに、知らんぷりして向こうを向いてしまった。
目の前にはどこかの会社の男たちが、屈んだり、しゃがんだりしながらこちらを見ている。
(や、やばい……!)
ーーータオルがマットの上に落ちた。
朱莉の腰には、吉野が掛けた、スーツの上着が巻かれていた。
「ありがとー!!パンツ丸見えになるところだったよぉ」
笑いながらカラフルな看板やのぼりが立つ通路を歩く。
「女子高生や、20代なら“ラッキー”でも、30代のパンツなんてさ、逆セクハラで訴えられかねないよね」
「こぐっちゃん…」
「いや、公共の福祉に反するって逮捕されるかもわからんよ」
「そんなことはないと思うけど。いや、そうじゃなくて、こぐっちゃんってば!」
いつになく真剣な顔で立ち止まる吉野を振り返る。
「どうしたんすか、吉野マネージャー?」
ふざけて微笑むと、
「————」
吉野は何か大きなものを飲み込んだような顔をしてから、「やっぱり、いい」と言いながら、また歩き出した。
次に吉野が「何これ!」と足を止めたのは、移乗用ロボットだった。
コの字型の寄り掛かるひじ掛けに身体を預けた椅子に乗ったまま移動できるというもので、手元のグリップで前後左右に動き、椅子やベッドに合わせて高さ調整をすることで、前後のスライドで乗り降りができる。
「見て見て!こぐっちゃん!」
それに乗りながら目を輝かせている同期を見て、朱莉は笑った。
「どうですか?新商品なんですよ」
眼鏡をかけた説明員の男性が、こちらに寄ってくる。
「これは施設向けですか?在宅用ですか?」
朱莉が見上げると、手を胸の前で合わせながら、少し前かがみになった。
「施設でも、病院でも、在宅でも採用実績がございます」
言いながら、吉野が座っているロボットを触る。
「自宅であれば、ベッドや椅子への移乗だけではなく、トイレへの移乗にも一役買います。車椅子が入れないトイレでもOKです。
高齢者だけではなく、障害者の自立支援にもお慶び頂いてます」
朱莉は吉野が座っている後ろ姿を見た。
「でも、これは座位が安定している方限定ですね。もし後ろに倒れたら、ものすごく危ないですよね」
「一応ベルトが付いてまして」
言いながら、安全ベルトを、吉野の背中に撒いていく。
「これは介助者が留めないと、自力では無理ですね。自立支援…かなあ」
悪気のない朱莉の淡々としたものの言い方に、担当者が苦笑する。
「時速は何キロまで出ますか?」
「1キロから3キロまで選べます」
「3キロって言ったら、屋内ではだいぶ早いですけど、そこまで早く設定した理由は何ですか?」
「ーーー廊下が長いお家ですとか…」
「あー、豪邸用ってことですね」
「————」
ハラハラしながら吉野が下りる。
「こぐっちゃん、乗ってみなよ。シートもいい感じだよ」
「そうなんです」
気を取り直した担当者が顔を上げる。
「厚手クッションを使っているので、疲れにくいと思います」
「背もたれがないのに、疲れないってことはないと思いますけど」
呟いた朱莉を担当者が見下ろす。
吉野が慌てて質問をする。
「このモニターは何ですか?」
「あ、一応、介助者のことを考えて、高さ調整や方向、速さなど、本人の手元グリップとは別にモニターでもできるように作ってあるんですよ」
「ーーーでも」
朱莉が手元グリップを触りながら言う。
「横に立てば手元グリップは触れますし、モニターまで手を伸ばす必要はないのでは?」
「…こぐっちゃん」
さすがに吉野が小声で朱莉に注意するが、朱莉はポカンと同期を見つめ返すばかりだ。
「足に障害があって、水仕事に立てないという主婦やママにも人気なんですよ」
担当者が不気味な笑顔で朱莉を見下ろす。
これは、所帯を持っていなさそうな朱莉の派手な見た目に対しての嫌味だったが、朱莉は上下のつけまつげを瞬かせた目で、担当者を見つめた。
「へえ。すごい。防水ですか?」
「————ええ、一応生活防水でーーー」
「生活防水ってどの程度ですか?水仕事に立てば、相当濡れると思うんですけど」
言いながらシートに足を開いて座り込み、モニターの左右から手を伸ばす。
「水仕事するには、やっぱり邪魔ですね、モニター。チクワ程度なら切れるかもしれないけど~」
笑いながら包丁で切る真似をした朱莉に、担当者はもう笑わなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!