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「あれは、ない!!」
展示会が終わり、居酒屋で向かい合わせた吉野は、テーブルにつくなりビールジョッキを二本空にしてから朱莉を睨んだ。
「どーして、展示会社に喧嘩を売る?!」
朱莉は、乾杯し損ねた自分のグラスの中に入ったレモンハイを一口飲むと、酸っぱささに片目を瞑った。
「誰か喧嘩売ってた?いくらで?」
「はああああ???」
吉野が近寄ってきた店員に、人差し指を立ててから朱莉を睨む。
「あんたでしょ?あんた売りましたよね?盛大に喧嘩を!!」
「えっ?!ワタクシが?」
「ええ!ええ!!」
言いながら、店員が慌てて持ってきたビールをまた喉に流し込んでいる。
「こぐっちゃん、俺、こぐっちゃんのことは好きだけど、そういうところは本当に、なんていうのかな、その!!」
「嫌い?」
「———じゃなくて!!もどかしい!!」
吉野の言わんとしていることがわからず、朱莉は首を傾げた。
「君、よくそれで営業やってるね!しかも結構成績いいよね?!なんで?」
「そんなあ。マネージャーほどじゃありませんよお」
笑いながらまたグラスを傾ける朱莉に顔を寄せながら、
「褒めてない!!嫌味!!IYAMIです!!分かれよ!」
唾を飛ばしてくる。
「なによぉ。じゃあ、展示会つーのは、すごいですね、さすがですねって相手を褒める会なわけ?そんなの保育園の学芸会と一緒でしょ」
朱莉はグラスを置いて、同期を見つめた。
「仕事で来てるのよ。呼ばれてここに来てるの。それは見てもらいたいからじゃない。品評が欲しいからでしょう?
日々現場にいる私たちの意見もものすごく貴重だと思うけどな」
「そ、それは」
言いながら吉野が酒に逃げる。
「だってさ。正直あの商品、自分の大事なお客様に売れる?簡単な移乗なんてできないよ、あんなモコモコのシートじゃ!
水仕事?ふざけんなっつの。ちょっとフライパンが熱くて指をひっこめた拍子に後ろに転がっていくわよ。シートベルトなんて締めないから!若くて元気な人ほど!」
「—————」
マネージャーが黙る。
(別に言いくるめる気はなかったんだけどな。
私は楽しく吉野とお酒を飲みたいだけなのに)
「ごめんね、吉野。言い過ぎたよ。楽しく飲もう?二人で飲むの、久しぶりじゃん」
言いながらグラスを掲げて見せる。
「乾杯しよう。 吉野が私のこと嫌いでも、私は好きだよ、君のこと」
吉野はまだ何か考えるような目をしていたが、半ば据わった目で他意のない朱莉を睨むと、そのグラスにジョッキを合わせた。
「こぐっちゃん。いつもね、君の言うことは正しい。正しいよ?」
だいぶ呂律が回らなくなってきた同期を、微笑みながら頬杖を
「あの商品を、自分の客に売れるか?売れないよ。あんなもん。あんなん、ほら、へミングウェイだっけ?」
吹き出しそうになる。
「セグウェイ?」
「そう、それ。それと一緒だよ。オモチャとしては楽しくても、危なくて高齢者にも障害者にも使えない。もし使える市場があるとすれば、介護職員不足の施設とかさ、そんくらいだよ。本来二人介助のとこを一人でやるときとかさ」
「でしょでしょ?」
「でもさ。俺たちは社会人なんだよ。大人なの。このロボットに、何千万とつぎ込んで、何百時間と掛けてきた人たちを目の前に、その商品の欠点をここぞとばかりに上げて、全否定しちゃいけないの。わかる?」
「何千万つぎ込もうが、何百時間割こうが、お客様を殺したら、元も子もないわよ」
朱莉が呟いた言葉に、吉野がうーんと唸る。
「極端なんだよ!考え方じゃなくて、言い方が!」
「そう?」
「正論をそのまま伝えるのが、正義じゃないっつってんの」
言うと、吉野はガサゴソとビジネスバックの中から、手帳を取り出した。
「これ、なんだ」
「42期の成績表?2年前ね」
覗き込むと、それはボロボロになった営業成績表だった。
「ほら!ここ!!」
吉野が指さす。
「俺よりこぐっちゃんの方が成績いいだろ!」
「たまたまでしょ」
「たまたまじゃない!」
吉野がドンとテーブルを叩く。隣に座っていたカップルがこちらを睨む。
「ーーーこらこら。酔っ払い」
「誤魔化すなよ、こぐっちゃん!」
すっかり出来上がった目で吉野が朱莉を睨む。
「2年前、こぐっちゃんの方が、確かに成績が良かった。俺、悔しかったから、ずっと手帳に入れてたんだ。でも――――」
そこまで言って、ビールを口に含み、苦そうな顔をしながら飲み込む。
(馬鹿だなあ。ビールは喉に流し込まないと)
「でも、主任になったのは、俺だった」
その言葉を聞きながら、三杯目に選んだ梅酒のグラスを手で包む。
「いーんじゃない?男だもん。これから会社を引っ張ってってもらわなきゃ。一家の大黒柱になるんだから、それ相応の収入もいるだろうし?若い男に逃げられちゃ、会社も困るもんねー」
笑いながらグラスの氷が音を立てるほど、傾ける。
「……もしかして、男だから優遇されてると思ってる?」
吉野が一瞬酒の抜けた瞳でこちらを見つめた。
「ううん。逆」
「逆?」
「うん。女だから冷遇されてる」
言いながら朱莉は微笑んだ。
「女だから、何」
吉野が眉を顰める。
「女だから、結婚してやめるかもしれない」
言いながらグラスの中の氷を人差し指で回す。
「やめなくても妊娠して、産休に入るかもしれない」
クルクルクルクル。
「産休から復帰しても、時短勤務を申し出てくるかもしれない」
クルクルクルクルクルクル。
「時短勤務中にも、子供の発熱や、予防注射で休むって言うんだろうなー」
クルクルクルクルクルクルクルクル。
「そんな雰囲気を、感じるの」
吉野が真面目な顔をしたまま、朱莉を見つめる。
「そんなこと、ないと思うけど」
「男に何がわかるのー」
朱莉は笑った。
「経理の田村さん、営業補佐の横尾さん、事務の鴨川さん。この3人と私、同い年なんだけど。
田村さんは産休、横尾さんは正社員からパートに、鴨川さんは子供の体調不良で有給使い切ってもまだ足りない」
何かが込み上げてきて、グラスの中身を全て喉に流し込んだ。梅酒は舌で味わうものなのに。
「彼女たちが休むたび、赤ちゃん抱っこして会社に遊びに来るたび、みんなが私のことをちらりと振り返るの。
こっちは結婚の予定さえないっつうのに」
またグラスを手にする。
しかし中身が空なので、口に落ちてきたのは、大きな氷だけだった。
それをボリボリと噛む。
あまりに大きくて、口からはみ出しそうになる。
と、吉野の手が伸びてきて、顎を抑えられて上を向かされた。
椅子から腰を浮かせた吉野の顔が迫ってくる。
口ごと食べるように吉野が朱莉を咥えた。
そして器用に一番大きい氷の塊を自分の口に入れると、朱莉の唇を嘗めとった。
「俺は、そんな風に思ったことない」
席についた吉野は、先程までとはうってかわって、はっきりとした口調で言い放った。
「勿体ないなってしか思ったことねえよ。俺より仕事できる、いい女なのに」