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五棟の病人長屋を繋ぐ大廊下に、童達の賑やかな声が響き渡って、数人の童がドタドタと床板を踏み鳴らす音が聞こえた。
そこに、「静かにしなさい」と押し殺したおなつの声が重なるが、童達は気にすることもなく騒ぎ続けている。
すると、役人詰所の引戸が引かれて、「騒ぐでない!」という怒鳴り声が聞こえてきたので、私は、仕方なく診療室を出た。
五、六歳だろうか、三人の男の子が養生所見廻り同心である、樋口慎之介の前で金縛りにあったように固まっている。
その前で、おなつが子供達を庇う様に平伏していた。
私は、出来るだけ穏やかな笑みを浮かべて、樋口の前に進み出ると、「申し訳ありません」と詫びてから、「なに分、子供のすることですから…」と婉曲に許しを請う。
しかし、樋口の憤りは収まるどころか、私が出しゃばったことで更に怒りが増したのか、何か言いたげに口を開いたが、思い直して口を閉じると、大きな舌打ちを残して役人詰所に戻って行った。
樋口慎之介に関しては、最初から私に友好的でなかったのだ。
まあ、私の小石川養生所への入り方を考えれば、医師や役人が友好的な態度を示すこと自体に無理が有るのだが、樋口の場合は特に険悪だった気がする。
さすがに、北町奉行の推挙で入った私に対して、恫喝や暴力こそ無かったものの、あからさまな態度で嫌悪感を露にしてきた。
私は、気を取り直して子供達に笑顔を向けると、「ここは、怪我や病を治す養生所なのだから、騒いでいると、お前達の親だって治りが遅くなるよ」と言ってから子供達の背中を優しく押してやる。
「さあ、外で遊んでおいで」
私の言葉におなつが頭を下げる。
「申し訳ありません。
大人しくする様に言って聞かせていたのですが…」
私は、おなつにも柔らかな笑顔を向けた。
「仕方ないさ。
焼け出された上に、家族が怪我をしたり、亡くなったりしているのだから…
みな絶望や不安を抱えながら鬱々としてる。
おなつなら、その気持ちを誰よりも分かってあげられるだろう」
私がこう言うと、目を伏せたおなつが「はい」と頷いた。
おなつは、私の雨祓い、いや、雨祓いの邪法である「雨供養」によって、雨(邪気)による気鬱の病は完全に治ったものの、母親や弟妹を失ったことに変わりはなく、父親も行方知れずのままなので、私が小石川養生で働くことを勧めたのだ。
北町奉行の曲淵景漸に相談すると、養生所見廻り与力である三好次郎左衛門(みよし じろうざえもん)に話を通してくれたので、女病人長屋の下女として働くことが許された。
まだ幼いのに、しっかり者で骨惜しみせずに働くと、患者や中間の評判は上々だったが、役人にはあまり良い顔をされていない。
それは私と同様に、上からのお達しで物事が決まってしまうと、みな己が蔑ろにされたと思い込むからだろう。
どこの世界も同じだ。
朝廷も小さな世界で汲々としていた。
私が、「部屋に戻るよ」と告げると、「はい」と返事を返したおなつも、女病人長屋に戻って行く。
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部屋に戻ると、すぐに養生所見廻り与力の三好が私の部屋を訪れた。
どうやら、私と樋口のやり取りを役人詰所の中で聞いていたのだろう。
いつものように、私の前にどっかりと胡座をかくと「まあ、許してやってくれ」と言いながら、首の辺りをぼりぼりと掻いた。
「奴も不遇なのだ」
こう言うと自嘲気味に笑った後に、「まあ御家人なんて、みな等しく不遇なのだが…」と付け加える。
私が、興味を持って話の続きを促すと、大きな溜息をついてから喋り始めた。
「奴は、以前の名を長居と言ってな、旗本だったのだ。
しかし、父親の不始末で改易となり、様々な伝を辿って何とか御家人の家に養子に入ったのだが、元々は旗本だという気位の高さが仇となって、お役目が上手く務まらぬ。
一代限りの抱席という建前だが、樋口家は代々の定町廻りで、内証は下手な旗本などよりも遥かに豊かだ。
しかし、不浄役人と呼ばれることが許せないのだろう。
役目をしくじって養生所に廻されてしまった。
いや、ここのお役目が悪いと言っている訳ではないのだぞ。
だが、ここは同じ町奉行所の管轄でも役得の少ないお役目だからな。
貧乏人相手の養生所では、付届けなどは一切期待ができぬ」
私は静かに頷いた。
「だから、私の様な公家がお嫌いなのでしょうか?」
すると、笑顔の三好が首を横に振る。
「公家とか武家とかという問題ではなく、自分よりも身分の高い人間が許せないのだろう。
特に、公家の中でも王家を名乗るほどの家柄なら尚更だ」
そう言って、三好が悪戯っぽく笑ってみせる。
お奉行から色々と言い含められているのだろう。
私は、三好の嫌味を聞き流して、「ご用件はそれだけですか?」と訊ねると、三好が「いかん。忘れておった」と膝頭を叩いてから、口調を改めて肝心のお役目の話を始める。
「白川殿が、お奉行に願い出ておられた罪人の腑分けの件ですが、どうやら許可が降りたようです。
ただ、白川殿だけに便宜を図ったと言われては困るので、他の医師にも知らせる予定ですが如何でしょうか?」
私は、三好に深々と頭を下げてから、「かまいません」と承諾した。
「昨年も同じ時期に行ったのですが、前回と同様に参加者の人数を絞る為に、前日の告知を予定しております。
また、場所も前回と同じ小塚原で行う予定です。
本来なら、小伝馬町牢屋敷を使いたいのですが大火の影響で使えませんからね。
まあ、白川殿には事前にお知らせしたので、これをお奉行の便宜だとお考えてくだされ」
私が、白川家に代々伝わる白川流霊枢治療の邪法を妹の小雨に試みたことで、父親である白川霖雨(りんう)から、一旦は破門を言い渡されたが、母親である敬子の説得により、何とか破門は免れた。
それが原因で父親から疎まれて、江戸遊学という名目で白川家を離れることになったのだ。
しかし、私は江戸遊学を名目だけで終わらせるつもりはない。
白川家という後ろ盾が有る内に、学べることは貪欲に学び、試せることは何でも試す気でいる。
そこで、町奉行所の管轄である罪人処刑後の腑分けをお奉行に願い出ていたのだが、昨年も行われたと聞いて驚いた。
噂では、蘭方医師数人が蘭語で書かれた医学書と、実際の腑分けを照らし合わせながら行ったと聞いているが、この調子だと五臓六腑を盲信する保守的な漢方医が本道と呼ばれない日も、そう遠くないと感じてしまう。
時代は急速に動いている。
このままでは、白川流霊枢治療も朝廷の呪禁師と同様に、時代から取り残されてしまうのだろう。
肝心なことは、お家大事で武家との政治に白川流霊枢治療を使うのではなく、民の為に使わなければならない。
私の父である白川霖雨は、京都所司代に腑分けを願い出た山脇東洋の口添えで、十八年前に三条新地牢屋敷で行った腑分けに立会っていることから、私も、この機会に腑分けの立ち合いを行うべきだと考えたのだ。
当時、ご禁制とされていた腑分けは京都所司代の酒井忠用だけでは判断がつかず、白川家の口添えが必要だったと言われている。
ならば、今回も白川家の名前を使えば簡単に許可が降りると踏んでいたのだが、思いのほか時を要してしまった。
それに、役人への手間賃、非人支配頭や刑場人足に支払う謝礼も安くはないのだ。
私の考えを読んだ三好が、「掛かりは参加者の頭割りとなりますが、白川殿お一人の場合は六両が必要となりますのでお忘れなく」と言い置いて診療室を出て行った。
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