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私は樋口慎之介。
人々から「八丁堀」と呼ばれる不浄役人だ。
今、身体の大きな己れが、小さな童子のように打ち震えている。
肌寒い風が枯れ草を揺らし、物悲しい風景を一層寒々としたものに変えていた。
しかし、寒さに震えているわけではない。
恐怖に震えているのだ。
目の前に、乾いた土が溝状に掘られていて、その手前には罪人がひざまずく筵(むしろ)が敷かれていた。
己れが臆病なわけではない。
死が身近あった戦国の世とは違うのだ。
旗本は、その人数を一騎二騎と数えられてはいるが、今は、馬に乗れない者も多い。
全てが形骸化(けいがいか)している。
己れが、旗本という身分から御家人である町奉行所の同心に落ちると、周囲からは不浄役人と蔑まれた。
それは、捕物や罪人の処刑も担当するので、何人もの罪人を斬っているから不浄だというのだが、実際は人を斬っている同心の方が少ない。
己れも、人を斬った経験などなかった。
では、打首などの処刑をどうしているのかというと、腰物奉行支配で御試御用を勤める山田浅右衛門家が代行してくれる。
山田浅右衛門家では代々、打首を代行する代わりに罪人の躯(むくろ)が下げ渡され、その躯を使った刀剣の試し斬りが許されていた。
こうして、打首代行の手間賃と刀剣の切れ味を格付けするお役目で、莫大な収入を得ているのだ。
しかし、今回のように躯(むくろ)が腑分けに使われる処刑には一切関わらない。
そういう場合、誰が打首を担当するのかといえば、同心の中でも立場の弱い者だ。
己れのように、家門という絆に守られておらず、家門という絆から落ちこぼれた人間が一番弱い。
己れが、武士らしくあろうとすればするほど、「いつまで旗本風を吹かすつもりだ」と嫌がらせを受ける。
今回の首打役も、己れに対する嫌がらせでお鉢が回ってきたのだ。
しかし、これが揚座敷の武士が切腹する介錯となれば話は違ってくる。
武士の誉れである介錯では、失敗が許されないので、己れのような未熟者が選ばれることはないし、嫌がらせの道具に使われることもない。
切腹とは、罪人が罪を償う行為ではなく、武士の誇りを守る為に、罪が問われる前に己れを亡き者にするという神聖な行為なのだ。
武士の誉れと罪人の穢れでは、同じ首切り役でも天と地ほども差がある。
しかし、今は武士の誉れ云々よりも、単純に人を殺めることが恐ろしかった。
今更ながらに、長居家の実父が犯した過ちが悔やまれる。
厳格な父親だった。
いや、厳格な武士であった。
最後は、あろうことか十七歳の己れに向かって「切腹の介錯をしろ」と命じてきたのだ。
父上は気が狂っていると思った。
息子に、父親の首など打てなるはずがない。
それこそ、「戦国の世とは違うのです!」と叫びたかった。
しかし、いくら固辞しても準備は粛々と進められ、己れは、今と同じようにその場に呆然と立ち尽くしていたのだ。
父親である長居広慎(ひろしげ)は、屋敷の中庭に二枚の畳を敷いて、その上に白装束を身にまとい静かに座っていた。
手前に置かれた白木の三方には、小さ刀が置かれている。
その小さ刀は、わざわざ拵えが外されて茎(なかご)から刀身にかけて懐紙が巻かれていた。
本来であれば、そこには扇子が置かれていて、形ばかりの切腹を演じるのが慣例となっているのに、その形ばかりの切腹を潔しとしないのが長居広慎という侍だ。
愚直な侍というのは滑稽な上に融通が利かない。
だから周囲からも馬鹿にされる。
それが証拠に、介錯人を強要された己れの後ろには、長居家の用人が介添役として座り、切腹の指南書を読みながら、一々指示を出しているのが何とも滑稽だった。
その指示のもと、ご家来衆や中間が甲斐甲斐しく立ち働く姿は、まるで芝居小屋の幕間風景のようで、どこか牧歌的な雰囲気を醸し出している。
しかし、笑えたのはそこまでで、父親が腹に本物の小さ刀を突き立ててからは、滑稽な喜劇が凄惨な悲劇に早変わりした。
父親の白装束は、見る見る内に下半身が血で真っ赤に染まり、背後からでも新たな血が吹きこぼれているのが見える。
父親は、左の腹に突き立てた小さ刀を必死に右に引き回そうとするのだが、あまりの激痛に刃が動かず、力を入れる度に上半身だけが蛙のように、ピョンピョンと飛び跳ねていた。
そして遂には、頭を畳にうつ伏して亀のように丸まってしまい、痙攣と共に「うーうー」と大きな唸り声をあげ始めたのだ。
この状態で、介錯など出来るわけがないので、刀を放り出して父親を抱き起こすと、凄い形相の父親が「慎之介、かいしゃく、かいしゃく」と熱病にうなされた患者のように喘いでいる。
己れは、父親の返り血を全身に浴びながらも、どうして良いのか分からずに、背後の用人を振り返ると、上野老人もどうして良いのか分からない様子で、一心不乱に切腹指南書をめくり続けていた。
あの時、ご家来衆の一人が「ごめん」と言いながら、己れが放り出した刀を使って、父親の背中から心の臓を突かなければ、一体どうなっていたのだろう。
そして、父親が皺腹を切ってまで無理くり願い出た嘆願も、改易の沙汰を改めさせるような効果はなかった。
すると、急に、ざわざわとした人の気配が湧き上がって、己れは現実に引き戻された。
顔を上げると、牢屋敷見廻り同心に先導された罪人が白布で目隠しをされ、後ろ手を縛られた状態で現れる。
背後からは、刑場人足が腰縄を掴んで罪人を急き立てていた。
己れは、年嵩の牢屋敷見廻り同心を黙礼で迎えたが、相手は口元に歪んだ笑いを貼り付けたまま、「旗本の腕前とやらを見せてもらおう」と吐き捨てたのだ。
その言葉を無視して罪人の方に目をやると、目隠しで人相は定かではないものの、髷(まげ)を見れば無宿人などではなく、元は商人であったことがうかがえる。
磔刑や獄門ではなく、ただの打首なのだから悪人というよりも、真っ当な人間が弾みで転げ落ちてきたのだろう。
十両以上の盗みか、主家に対する傷害か、あるいは不義密通なのか、いずれにせよ極悪人の所業というわけではないはずだ。
刑場人足は、罪人が筵の上に立つと罪人の膝裏を強く蹴って、「こら、神妙にしやがれ!」と乱暴な態度で筵の上にひざまずかせた。
慣れない作業なのだろう。
通常であれば、打首は小伝馬町牢屋敷内で行われ、小塚原では主に磔刑や火刑など、場所を取る大掛かりな刑が執行される。
しかし今は、大火の影響で小伝馬町牢屋敷が使えない為に、打首に不慣れな刑場人足が準備をしなければならず、役人の数も揃っていなかった。
刑場人足は、罪人が神妙にひざまずいてからも、怯える罪人の背中を膝で小突き回している。
日頃から虐げられている刑場人足にとって、罪人を虐めることが唯一の憂さ晴らしなのだろう。
これが浮世の縮図なのだ。
水が、高い所から低い所に流れ落ちるように、人の悪意も高い所から低い所に流れ落ちてくる。
己れも、低い所に落ちてしまい、旗本の頃は受けなかった悪意を、この身に嫌というほど受けていた。
気づけば、罪人がぶつぶつと呟いているので、念仏かと思って耳を傾けてみると、「おっかさん、おっかさん、おっかさん、おっかさん」と小さな声で祈りを捧げるように、何度も繰り返している。
その声を聞いた途端、死んだ母親の口癖が鮮明に蘇った。
「侍とは、弱きを助け強きを挫く者です。
慎之介、立派な侍になるのですよ」
悔しくて、武士の魂に手を添えると柄頭(つかがしら)から金属の冷気が伝わってくる。
「母上、私は弱きを挫き強きに阿る最低の侍です。
母上のおっしゃっていた理想とは、真逆の侍になってしまいました」
自分の口から、その呟きが漏れ出た途端、斬るべき相手が、このか弱き罪人なのだろうかと素朴な疑問が浮かんできた。
他に斬るべき相手がいるだろう。
己れを虐げ嘲笑う者が…
悪鬼が耳元で囁いた。
その時、検視役として胡床に腰掛けていた二人の与力から下卑た笑いが湧き起こる。
己れは、その笑い声に反応するように鞘から刀を抜いていた。
この刀は、神田住兼常(かんだじゅうかねつね)の新刀で、父親の佩刀をそのまま受け継いでいる。
兼常を握った途端、抑え切れない程の激しい怒りが湧き上がってきた。
打首の場合、刀は八双に構えるものだが、己れは今、兼常を正眼に置いて正面の検視役を睨んでいる。
すると、正面の胡床に腰掛けていた検視役の与力二人が、一瞬、驚いた表情を浮かべたが、直ぐに「ぶっ」と吹き出して「構え方も知らんのか?」と揶揄い始めた。
「旦那、斬るのはこっちですぜ」
声のする方に目を向けると、刑場人足が戸惑った顔でこちらを見ながら、足元にひざまずく罪人を指差していた。
しかし、側にいた牢屋敷見廻り同心は、先程から、己れが発する不穏な空気を察知してか、刀の鯉口を切っている。
その備えを見た途端、己の中に残っていた僅かなタガが外れる音が聞こえた。
「不浄役人風情が小癪な。この同心から先に切り捨てるとするか…」
驚いたことに、心の中で呟いたはずの言葉は、いつの間にか外に漏れ出ている。
その言葉に激昂した同心が、左手の親指で鍔を押し上げながら、右手で刀の柄を握った瞬間、己れは、真後ろに立つ男の気配に気づいた。
「樋口さん、邪な気が身体中から溢れていますよ」
その言葉を最後まで聞き終わらない内に、己れの意識は、そこで完全に途切れてしまったのだ。
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