テラーノベル
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「ゴホッ、ゴホッ……。うわあ、建物が、まるごとなくなっちゃったよ?」
「ケホッ……。これは、一体……」
もうもうと黒煙が立ち込めるアビドス市街地の中央。かつて、あの柴関ラーメンが建っていたはずの場所で、例の爆発は起きた。その黒煙と砂塵の中から、4人の生徒が、ふらふらとおぼつかない足取りで立ち上がった。
「ゴホン、ゴホン……。う、うああ……」
そのうちの一人、陸八魔アルは激しく咳き込んだ後、目の前に広がる惨状を見渡し、完全に呆然としていた。自分たちが立っていたはずの店は、文字通り跡形もなく消え去り、ただ巨大なクレーターだけが残っている。
「……アルちゃん……。マジ? マジで、ぶっ潰しちゃったの?」
「え……え?」
そんな彼女の側に、少し趣の悪い顔をしたムツキが近づき、声をかける。しかし、まだ状況を全く理解できていないアルにとって、次にどんな言葉が飛んでくるのか、想像もつかなかった。
「情に絆されるからって、あんなに優しくしてくれたラーメン屋さんを、本当にぶっ飛ばしちゃうなんて! やるじゃーん!?」
「えっ?」
「これぞ、ハードボイルドなアウトローってやつだね!! すごいよ、アルちゃん! ちょっと見直しちゃった!」
「へ……あ……? ……あ、あははは! とっ、当然でしょう! 冷静無比! 情け無用! 金さえ貰えば何でもオッケー! それが、うちのモットーなんだから!!」
ムツキの言葉に煽られ、すっかり良くない方向へと流されてしまったアルは、胸を張り、高らかにそう宣言した。
しかし。
「――そういうことだったのね!」
その声は、よりによって、今、この世界で一番聞かれたくない相手の声だった。アルの運命が尽きた瞬間だった。声のした方へ、アルがぎこちない動きで振り返ると、そこには鬼の形相で仁王立ちするセリカと彼女らを睨みつけるアビドス対策委員会達だった。
「あんたたち……!! よくも、こんな酷いことを!!」
「……」
セリカの怒声を皮切りに、アビドス対策委員会の面々は、ただ黙って、燃えるような瞳で便利屋68を睨みつけている。その眼差しからひしひしと伝わってくる純粋な怒りに、アルの心は、申し訳なさと恐怖でいっぱいになった。
「大将の無事を確認できました! 幸い軽傷だったので、近くのシェルターに避難させました!」
無線越しに、アヤネの報告が届く。
「……ってことは、心置きなく大暴れしてもいいってことね?」
爆破されてしまった店の大将の無事。その唯一の救いが耳に飛び込んできたことで、少しは安堵できるかと思ったのも束の間、それは、セリカの最後のブレーキが壊れたことを知らせる合図に過ぎなかった。
「あんたたち、絶対に許さない。ぜーったいに、許さないんだから……!!」
「うっ……!?」
「おっと、噂をすれば」
「ちょっとタイミングはズレちゃったけど、どうせいつかは白黒つけないといけない相手だったし……。確保しておいた傭兵を、 こっちに呼ぶよ」
この爆発騒ぎをきっかけに、便利屋の面々も覚悟を決めたのか、それぞれが武器を構え、戦闘態勢を整え始める。こうなるとは思っていなかった……と、長く躊躇っていたアルも、ついに決心したように顔を上げた。
「……そっ、そうよ!! これで分かったでしょう、アビドス! 私が、どれほどの悪党かってことが!」
彼女は、震える足を叱咤して一歩前に踏み出し、再び高らかに宣言する。
「さあ、いざ勝負よ!! かかって――」
「待て! お前ら!」
「えっ?」
今まさに、両者の戦いの火蓋が切って落とされようとした、その瞬間。どこか凄みのある男の声が、両者の間に割って入ってきた。
「……そっ、その声は!?」
「よお。昨日ぶりだな、便利屋さんよぉ?」
アルが弾かれたように視線を向けたその先には、ヒースクリフとロージャ、そして先生とダンテが、いつの間にか立っていた。
「あっ!先生!どこに行っていたんですか!?」
“はは、ごめんごめん。ちょっと、この人たちを呼んでいたんだ”
先生は苦笑しながら、隣に立つ囚人たちを指差す。彼らの乱入が、この戦況に何を意味するのか、言うまでもないだろう。
「社長! あの人たちはまずい!」
カヨコが、冷静ながらも焦った声を上げる。
「そ、そんなこと、言われなくたって分かってるわよ!?」
便利屋の面々は、その身をもって知っていた。初戦で味わった、この大人たちの底知れない強さを。幾多の歴戦を戦い抜いてきた者だけが放つ、純粋な殺意を。そして、地獄を生き抜いてきた者たちだけが持つ、常識外れの理不尽さを。
ここから導き出される答えは、一つしかない。どう足掻いても、完全な敗北だ。
「どうするの、アルちゃん? せっかくあんなに強気に啖呵を切ったのに、ここで尻尾を巻いて逃げちゃうの?」
ムツキが、にやにやと、しかしどこか心配する気持ちを持って、アルを煽る。
「うっ……! それは、それで、絶対に嫌だけど……!」
ここで無様に逃げ出すのも、無駄だと分かっていながら戦って、結局は無様に負けるのも、どちらも嫌だ。アルは、進むも地獄、退くも地獄という、絶体絶命の選択を迫られていた。再び長く躊躇ったのち、彼女は、一つの答えを絞り出す。
「こっ、ここは!戦略的撤退で……!傭兵の到着を待つのよ!!」
「結局逃げてるじゃない……」
「りょーかい!じゃあね~!」
「アル様の意に従います!」
結局、彼女は前者を選び、逃げることに決めたようだ。便利屋68の一行は、アビドス対策委員会とは反対の方向へ向かって、一斉に駆け出していった。
「はっ!? ちょっと、待ちなさいよ!?」
「ん、逃しはしない」
セリカの怒声と、シロコの静かな宣言を皮切りに、アビドスの面々もまた、逃げる彼女たちの背中を追い、砂塵の中へと飛び込もうとしていた。
しかし、その一歩を踏み出す、まさに次の瞬間――。
ドゴゴゴゴーン!! スガガガガーン!!
耳をつんざくような轟音と共に、彼女たちのすぐ目の前の地面に、何かが撃ち込まれた。凄まじい爆発が起き、大量の砂と黒煙が空高く舞い上がる。その衝撃波は、追跡しようとしていた生徒たちの行方を阻んと、後ろへ押しやる。
突然の砲撃。それは、逃げていった便利屋のものでも、この場にいる誰のものでもない、第三者からの、明確な敵意だった。
砂塵が晴れるのを待たず、私たち大人組は、爆風で吹き飛ばされた生徒たちへと急いで駆け寄った。
「うおっ!? とんでもねぇ爆発だな。おい、お前ら、大丈夫か?」
ヒースクリフが、倒れている生徒たちに声をかける。
「ん、私たちは大丈夫だけど……。そっちは?」
シロコが、体を起こしながら冷静に答える。
「ええ、運よく爆発の範囲外にいたからね」
ロージャも、何事もなかったかのように返す。その時、アヤネの緊迫した報告が飛び込んできた。
「砲撃です!! 3km先の距離に、多数の擲弾兵を確認! 50mm迫撃砲です! 標的は、私たちではなく便利屋の方みたいですが……! もう少し詳しく確認を……!」
「迫撃砲……ですか?」
ノノミが、信じられないといった様子で呟く。
〈……とんでもない殺意だな。便利屋の連中は、大丈夫なのか?〉
ダンテも、その執拗な攻撃に眉をひそめるしかなかった。
それぞれが現場の状況について予測を立て、この突然の転機を見守る。そして、再びアヤネからの報告が入った。
「兵力の所属、確認できました! ……ゲヘナの、風紀委員会です! 規模は、一個中隊!」
「……風紀委員会」
シロコの声に、わずかな警戒の色が滲んだ。
アビドス対策委員会、便利屋68、そして、ゲヘナ風紀委員会。予期せぬ第三勢力の乱入により、この戦場の舞台は、より一層の喧騒と、先の読めない混乱の渦へと叩き込まれることになった。
幾度とない爆発によって、アビドス市街地の一角は、もはや荒れ地と化していた。私たちは、突然現れたゲヘナ風紀委員会の動向を、少し離れた場所から息を潜めて観察している。未だに砂塵が舞い上がり、正確な状況判断は難しい。だが、一つだけ分かったことがある。風紀委員会の目的は、あくまで『便利屋66』の捕獲である、ということだ。一見すれば、厄介な敵同士が潰し合ってくれる、こちらにとっては有利なハプニングのようにも思える。しかし、事はそう単純ではなかった。
爆発の範囲内に、私たちアビドスの生徒がいたという事実。そして、ゲヘナの治安維持組織が、アビドス側の許可なく、この自治区内で武力を行使しているという事実。様々な複雑な事情が絡み合った結果、風紀委員会を味方あるいは友好的な第三者と捉えることには、強い疑念が生じ始めていた。ホシノとも、未だに連絡がつかない。決断の時は、もうそこまで迫っていた。
「ね、ねぇ……。このまま、便利屋をあっちに渡しちゃえば、丸く収まるっていう話じゃないの?」
「……流石に、こっちもそれでうまく収められたらいい話だったけど。それは、もう無理」
困ったように提案するロージャ。しかし、シロコはその甘い提案を、申し訳なさそうに、しかしきっぱりと否定した。
「風紀委員会が、私たちの自治区で、すでに戦術的な行動をしたということは、学園間の政治的な紛争が生じるということ……。きっと、便利屋の皆さんが、この地区で問題を起こしたのは事実です……。しかし、だからといって、他の学園の風紀委員会が、私たちの許可もなく、こんな暴挙を働いていい、という意味にはなりません」
「はぁ……。ったく、政治が絡む話は、ごっちゃごちゃでよくわかんねぇな」
ヒースクリフが、心底うんざりしたように吐き捨てた。
〈……だとしたら、どうするんだ?〉
「 風紀委員会を、阻止する」
私の問いに対するシロコの答えは、あまりにも野蛮で、しかし、今の状況においては最も合理的なものだった。
「えっ!?」
「その通りだわ! よくもこんなことを! これは、私たちの学校の権利を、完全に無視するような真似よ! 便利屋を罰するのは、この私たち! 柴関ラーメンを壊した代償は、きっちり払ってもらわないと!」
セリカの怒りに満ちた宣言を皮切りに、アビドスの面々は次々と武器を構え、臨戦態勢へと入っていく。
“……よし。私が、まず一度、交渉を試みる。もし、それが決裂したら……その時は、お願いできるかい?”
「ん、もちろん」
シロコが、力強く頷く。
こうして、私たちはゲヘナ風紀委員会を阻止すべく、現場へと向かうことになった。相手の出方次第で、交渉、あるいは武力行使に打って出る。それが、今回の方針だ。
現場へと向かう途中で、ようやく砂塵が晴れ、視界が確保される。その先にいたのは、同じく臨戦態勢を整えている風紀委員会の部隊。その数は、私たちが思っていたよりも遥かに多く、兵器も多数確認できる。兵力は、まさに桁違いだった。
〈……なあ、本当に大丈夫か?〉
“大丈夫だよ。きっと、上手くいく”
私は不安になり、隣を歩く先生に尋ねたが、彼は、根拠のない自信と共に、大丈夫の一点張りだ。
さらに近づいてみると、風紀委員会の部隊の中に、幹部らしき二人の生徒がいることが確認できた。一人は、褐色肌に銀髪のツインテールが特徴的な、コッキング式のライフルを装備した生徒。もう一人は、大きな医療バッグを肩にかけた、拳銃を装備した生徒。それ以外に気になった点を挙げるとすれば、この中に、囚人の姿が見当たらないことだ。確か、ゲヘナ学園には、ウーティスがいたはずだが……。
そんなことを考えている、まさにその時だった。
ダダダダダダッ!
突然、警告もなしに、風紀委員会側からの掃射が始まった。
「あっ! あの人たち、お構いなしに撃ち始めました! 先生、指揮をお願いします!」
“了解! みんな、応戦を頼む!”
先生の号令と共に、アビドス高校の名誉と自治区の主権を守るための、新たな戦いが始まった。私は、囚人たちを指揮するため、翻訳用のシッテムの箱を即座に先生へと手渡す。そして、自らは急いで前線へと駆け出し、懐からPDA端末を取り出した。
「ねぇダンテ? 私、あんまり銃を振り回すのは得意じゃないんだけど……」
〈そんなことを言わないでくれ……。とりあえず、アビドスの面々が正面から迎撃しているうちに、私たちは風紀委員会の側面から、隙を突くぞ〉
生身の人間が、あの重武装の集団と真っ向から撃ち合えば、確実に死ぬだろう。ここは、奇襲を仕掛けるしかない。
「うし……オレだ。こっちは敵の横っ面を殴りに行くから、そっちでうまく注意を引きつけておけ!」
「了解です! 皆さん、どんどん撃ってください!」
ヒースクリフが無線でオペレーターのアヤネに作戦を伝えると、私たちは戦場の外周を大きく迂回し、敵のちょうど死角となる場所に身を潜めた。
その場所から戦況を窺うと、意外にも、アビドス側が優勢に戦いを進めているようだった。ノノミのミニガンによる掃討射撃。セリカの、怒りに任せた正確な射撃。シロコが投擲する手榴弾と、展開したドローンが、うまく敵集団の足を止めている。それに加え、先生の的確な指揮と、上空から飛来するアヤネのドローンによる弾薬や回復アイテムの補給が、彼女たちの継戦能力を支え、効果的に相手を押し込んでいるようだ。
「……なんか、うまく行ってそうだけど。私たちの出番、なくてもいいんじゃない?」
ロージャが、呑気なことを言う。
〈何言ってるんだ、ロージャ! さっさと行くぞ!!〉
「うわーん、酷いよー」
私の声が、囚人にしか届かないという欠点が隠密に向いていたようで、こちらに気づかれていないようだ。
私の声が囚人にしか届かないという、この仕様の欠点が、皮肉にも隠密行動には非常に向いていたらしい。敵は、まだ私たちの存在に気づいていない。
「よし、行くぞ!」
「援護は任せて!」
ヒースクリフが、率先して物陰から飛び出す。そして、敵の側面に向かって、容赦なくショットガンを放った。それを追うように、AKライフルを構えたロージャも駆け出し、彼の背中を守るように、的確な援護射撃を開始した。
「ガラ空きだぞ!!それでも軍隊か!?」
「なっ!?お前は……ぐっ……!?」
無慈悲で強力なショットガンが次々と、風紀委員会を倒し伏す。不意打ちがうまく行ったようで、相手のほとんどは奇襲に気付けず無様に倒されてしまう。
「ガラ空きだぞ!! それでも、規律を重んじる軍隊か!?」
「なっ!? お前は……ぐっ……!?」
ヒースクリフが放つ、無慈悲で強力なショットガンの弾丸が、次々と風紀委員会の兵士たちをなぎ倒していく。奇襲は完全に成功したようだ。敵のほとんどは、側面からの突然の攻撃に対応できず、為すすべもなく無様に倒されていく。中には、即座に反撃態勢に移ろうとした練度の高い兵士もいたが、彼らの試みは、ことごとくロージャの正確な援護射撃によって阻まれ、叶うことはなかった。
しばらくの間、激しい銃撃戦が続いた後、正面から戦っていたアビドスの戦線も、ついにこちらと合流を果たし、風紀委員会を完全に包囲する形となる。これで、こちら側の攻撃の手は、さらに増していく。このまま、何事もなく、勝利を掴むことができればいいのだが……。
私が、ようやく安全だと判断し、物陰から身を乗り出した、まさにその瞬間。問題は、起きた。
「まったく、何をやっているんだか……」
そんな、心底呆れたような、冷たい声が響いた。その声と同時に、風紀委員会の部隊の中から、ひときわ異質な影が、自らが放った銃弾と見まごうほどの、驚異的なスピードで飛び出してきた。その標的は、ただ一人。前線を突っ切っていた、シロコだ。
「んっ!?」
その影は、一切の予備動作なく、シロコの顔面目掛けて鋭い蹴りを放つ。シロコは、その殺気に瞬時に反応し、咄嗟に踵を返して身を捻る。蹴りは、彼女の頬の皮膚を、紙一枚の差で掠めていった。しかし、攻撃はそれで終わりではない。
蹴りを放った影は、その勢いのまま、今までとは比較にならないほど速く、そして重い一発の銃弾を、至近距離からシロコの顔面へと撃ち放った。シロコは、常人離れした反射神経の、さらにその限界を超える。コンマ数ミリ、彼女の銀髪が数本舞い散るのと引き換えに、その銃弾を完璧に回避した。
「……」
シロコは、即座に大きく後方へ飛び退き、敵との距離を取る。彼女の体には、傷一つない。だが、そのオッドアイの瞳には、先ほどまでの冷静さに加え、初めて見る強敵に対する、明確な警戒の色が浮かんでいた。これまでの相手とは、速さも、重さも、格が違う。それを、肌で理解した瞬間だった。
「へぇ……? 少しはやるじゃない」
ようやくその動きを止めた影の正体は、やはり、ゲヘナ風紀委員会の幹部らしき銀髪の生徒だった。彼女は、シロコの完璧な回避を見てなお、まるで格下の相手を品定めするかのように、冷たい言葉を投げかけた。
「ん……!」
その、明らかに自分を見下した言葉に、シロコの中で何かが弾けた。彼女は即座に反撃に移る。銀髪の生徒を包囲するように、アサルトライフルを連射しながら、その周囲を高速で旋回し始めた。
タタタタタタッ!
無数の銃弾が、銀髪の生徒へと殺到する。しかし、彼女は、まるでダンスでも踊るかのように、ひらり、と華麗なバク転でその弾幕を回避。そして、着地と同時に、地面を靴底で擦らせる甲高い音を立てながら、次の攻撃に備え、低く身構えた。その一連の動きには、一切の無駄も、焦りもなかった。
一切の隙を見せず、銀髪の生徒は再び地面を強く蹴り、銃口を向けたまま、一直線にシロコへと突進する。対するシロコも、焦る素振りなど微塵も見せず、即座に迎撃態勢へと移行した。 そして、二人が再び至近距離で交錯し、銃弾の火花が散るかと思われた、その瞬間――。
ガンッ!
互いに、ほぼ同時に、銃撃ではなく近接戦闘へと切り替えていた。 銀髪の生徒が突き出したライフルの銃口を、シロコが自らのアサルトライフルの銃身で受け止める。甲高い金属音が響き、二人は銃を十字に交差させたまま、力と力がぶつかり合い、完全に拮抗した。
しばらくの間、睨み合いが続く。 だが、その均衡を破ったのは、銀髪の生徒だった。
彼女は、交差させた銃身を、くい、と巧みに横へ捻る。その動きでシロコの銃を弾き、わずかに体勢を崩させた。
その、コンマ数秒の隙。 彼女は、その好機を逃さない。そのままの勢いで体を鋭く回転させると、遠心力を乗せたライフルの銃身を、がら空きになったシロコの胴体目掛けて、容赦なく薙ぎ払った。
「ぐっ……!?」
強烈の一撃を脇腹に受け、シロコは短い苦鳴と共に、数メートル後方まで吹き飛ばされてしまう。
「ちぃっ! テメェ!!」
その光景を見ていたヒースクリフが、即座にカバーに入る。彼は、銀髪の生徒がシロコに追撃をかけるよりも速く、その背中に向かってショットガンを撃ち放った。
しかし、銀髪の生徒は、まるで背中に目でもついているかのように、振り向きもせずに、その弾丸を最小限の動きで回避する。そして、その勢いのまま、今度はヒースクリフへと一直線に突進してきた。
「なっ!?」
あまりの速さに、ヒースクリフは咄嗟にショットガンを投げ捨て、背中に背負っていた金属バットを抜き放つ。そして、眼前に迫った敵の頭上目掛けて、渾身の力でそれを振り下ろした。
だが、その渾身の一撃は、ガギンッ!という硬い音と共に、敵がクロスさせて構えたライフルの銃身によって、いとも容易く受け止められてしまう。
「……っ、硬ぇ!」
力が完全に殺され、体勢を崩したヒースクリフ。そのがら空きになった腹部に、銀髪の生徒は、一切の躊躇なく、鋭い蹴りを叩き込んだ。
「ぐはっ……!」
生身の体で、その強烈な一撃をまともに受けてしまったヒースクリフの巨体は、まるで木の葉のように宙を舞い、近くの建物の壁へと、凄まじい勢いで叩きつけられた。コンクリートの壁に、大きな亀裂が走る。
〈ヒースクリフまで!?〉
「ったく……。やっぱり、生身の人間に、やりすぎないよう手加減するのは難しいな――っと!?」
悪態をついていた銀髪の生徒だったが、その言葉の途中で、真上から振り下ろされる巨大な影に気づく。ロージャの戦斧だ。 しかし、彼女はその凶刃を、まるで予測していたかのように、最小限の動きで転がって回避してしまう。
「ちょっと!? こっちだって、わざわざ手加減してあげてるのに、刃物を向けてくるなんて! それでも『先生』なの!?」
「ふふっ。生身の人間でも、ここまでやれるのよ?」
「……はぁ」
余裕たっぷりのロージャの発言に、銀髪の生徒は心底呆れたように、深いため息を一つ吐いた。 そして、次の瞬間。 彼女は、ロージャの方を見ることすらせずに、構えていたライフルを背後へと向け、ノールックで一発、発砲した。
キンッ!
その銃弾は、振り下ろされていた戦斧の柄の部分を、寸分の狂いもなく正確に撃ち抜く。
「なっ……!?」
ロージャは、手元を襲った凄まじい衝撃に、思わず戦斧を取り落としてしまう。 がら空きになった、その一瞬の隙。 彼女が体勢を立て直す間もなく、銀髪の生徒はすでにその懐に潜り込み、強烈な回-し蹴りを、ロージャの体に叩き込んでいた。 ロージャの体は、道路の反対側まで軽々と吹き飛ばされ、轟音と共に、建物の壁へと叩きつけられる。
〈……あっ〉
その一連の攻防を、私はただ、眺めていることしかできなかった。 銀髪の生徒は、そんな私を、その紅く鋭い目で一瞥したが、すぐに脅威ではないと判断したのか、興味を失ったように、アビドスの面々がいる方向目掛けて地面を蹴っていった。その圧倒的な光景に、私はしばらくの間、ただ唖然としていた。だが、すぐに我に返り、今やるべき行動へと移る。
〈そうだ……ヒースクリフを起こさないと〉
私は、壁際に叩きつけられたヒースクリフのもとへと駆け寄った。そして彼の体を確認するが、幸いにも、目立った出血はないようだ。少しだけ、安堵の息を漏らす。
〈ヒースクリフ? 気絶したのか?〉
「……んなわけねぇだろ。起きてるわ……」
〈ああ、よかった〉
瓦礫に背を預けたまま、ヒースクリフが、呻くように答える。
「おい、時計ヅラ……。一回、あいつらの元に向かって、オレに『人格』を被せろ」
彼の提案を聞き、私は、改めて周囲の戦況を見渡した。 放置された車が盾のように散乱する大通り。 向こうでは、ゲヘナ風紀委員会の兵士たちが、まだこちらを窺っている。 道路の反対側では、ロージャが腹部を押さえ、壁に寄りかかりながら、痛みに耐えている。 そして、そのさらに向こう、風紀委員会の兵士たちの反対側では、アビドスの生徒たちが、あの銀髪の生徒と未だに交戦している。
この状況、どう動くべきか。
〈……よし。アヤネに、ロージャの支援を頼めるか?〉
私の提案を聞いたヒースクリフは、その意図を即座に理解したのか、頷くと、無線でアヤネに指示を 飛ばし始めた。まずは、負傷したロージャの安全を確保することが最優先だ。
しばらくして、上空から飛来したアヤネのドローンが、ロージャのもとへ無事に救急箱を投下するのを見届けた後、私はヒースクリフの体を支えて立たせ、急いで先生たちがいる場所へと向かった。
その道中、今度はセリカが、あの銀髪の生徒に吹き飛ばされ、地面に倒れ伏すのが見えた。しかし、今は足を止めている暇はない。私たちは、そのまま先生のもとへと走り続けた。
“あっ……君たち! 無事だったか!”
私たちの姿を認め、先生が安堵の声を上げる。
「ああ。さっき、景気良くぶっ飛ばされたが、この通り無事だ。それより、この時計ヅラが『時間稼ぎをしろ』って言ってる」
“うん……うん、分かった。任せてくれ。それと、あそこでまだ動けないでいるロージャのことは、シロコに運んでもらってもいいかな?”
その提案に、私は、力強く縦に頷いて応えた。 作戦の準備は、整いつつある。
さて、新たに生まれた問題として、今回、どの人格を同期させるか。 いや、ここで躊躇している暇など、もう残されてはいない。
〈よし、ヒースクリフ! 人格を同期させる! 今すぐ突っ込め!〉
「はっ!? 急に人使いが荒くなってんじゃねぇか! ……ちっ、わかったよ!」
ヒースクリフは、悪態をつきながらも、私の意図を即座に汲み取ってくれた。彼は、一切の躊躇なく、無防備なまま、再びあの銀髪の生徒が待つ戦場へと突撃していく。 その背中を確認した私は、PDA端末を操作し、ある一つの人格を、彼に強制的に同期させた。
《ヒースクリフ:R社第4群 ウサギチーム》
パリン、と、どこかでガラスが割れるような甲高い音が響き渡り、ヒースクリフの姿が一変する。
体にぴったりとフィットする黒いインナースーツ。その上に重ね着された、硬質な素材で作られた黒とオレンジのプロテクター。そして、両手には、近接戦闘用のナイフと、彼と同じ身長ぐらいあるやけにでかいライフルが、いつの間にか装備されていた。
都市に存在する、とある翼。 その企業が、より優れた兵士を生み出すため、同一人物のクローン同士で殺し合いをさせるという、倫理観が完全に欠如したプロセスを経て生み出される、戦闘に特化した人格。 それが、R社第4群ウサギチーム。 勝利のためなら、手段を選んでなどいられない。
「うわっ……!」
ヒースクリフが戦線へ復帰する、まさにその途中。ついに、最後に残っていたノノミまでもが、あの銀髪の生徒によって体勢を崩され、地面に倒れ伏してしまう。無防備な彼女に、冷たい銃口が向けられ、完全に逃げ場を失っていた。
「ふっ……。大したことのない連中だったな。こんな戦力で、よくも風紀委員会に勝負を――」
再び、嘲笑うかのような言葉を放つ銀髪の生徒。アビドスの全滅は、もはや時間の問題だった。
だが。
「ぴょんぴょん飛びながら、ウサギがやって来たぞ……!」
「……は?」
その、あまりにも場違いで、不気味な声に、銀髪の生徒が思わず振り向く。
「お前を、潰しにな!!」
「なっ……!?」
慢心していた彼女の、その背後。 いつの間にか、音もなく忍び寄っていた『ウサギ』の姿のヒースクリフが、その手に握るナイフで、容赦なく斬りかかっていた。 反撃の狼煙は、今、上がった。
素早く、そして繊細なナイフ捌きが、銀髪の生徒を襲う。 それでも彼女は、一瞬面食らったものの、即座に冷静さを取り戻し、体を横へ捻る。オレンジ色の残光を引くナイフの軌道は、紙一重で彼女の体を逸れていった。
「大人はどいつもこいつも、奇襲だけは一丁前だな?」
「はっ! 勝手に言ってろ!」
彼女は、回避動作を終えると同時に、即座に反撃へと転じる。 ヒースクリフとの距離を瞬時に計算し、鋭く一歩前へ踏み込むと、手にしていたライフルを、まるで棍棒のように持ち直し、その頭上へと振り下ろした。
それを視界に捉えたヒースクリフは、間髪入れず、手にしていたナイフを逆手に構え、その一撃を、火花を散らしながら受け止めた。 再び、二人の力が、至近距離で拮抗する。 だが、今度は、互いの純粋な力比べで勝ったのは、ヒースクリフだった。
「うおおっ!」
彼は雄叫びと共に、ナイフを持つ腕にありったけの力を込める。そして、そのナイフを横へ勢いよく振り抜き、なんと、彼女のライフルを銃身ごと、力ずくで弾き返したのだ。
「……!?」
完全に体勢を崩した、銀髪の生徒。 そしてヒースクリフは、その一瞬の、しかし致命的な隙を、決して見逃さなかった。 彼は、弾き返した勢いのまま、がら空きになった彼女の腹部目掛けて、その鋭い刃を、深く、深く突き立てた。
“……!? ちょっと待て! 話が違……!”
〈いや……〉
先生が定めた、「生徒を傷つけてはならない」という制約。その絶対的なルールを、ヒースクリフは、今、再び破ろうとしている。先生がいち早くその意図に気づき、行動を止めようと叫んだが、次の瞬間、戦場に飛び散ったのは、生々しい血糊ではなかった。
――チィン!と、甲高い音を立てて、砕けないはずの場所から、硬質な火花が散った。
「ちっ……!!」
ヒースクリフの舌打ちが、虚しく響く。 それもそのはずだ。あの銀髪の生徒は、体勢を崩された、その絶体絶命の状況から、信じられないことに、その勢いを逆に利用してバク転。そして、その過程で、ヒースクリフのナイフを、自らの足で蹴り飛ばすという、常識外れの荒業を成し遂げていたのだ。
ナイフは、ヒースクリフの手元から離れはしなかった。だが、その切っ先は、ぽっきりと無残に折れてしまい、もはや武器としては使い物にならない。
「お返しだ!」
「させるかっ!」
バク転を終え、着地した彼女は、即座にライフルの引き金を引く。無慈悲な弾丸が、再びヒースクリフへと放たれた。 しかし、それとほぼ同時に、ヒースクリフもまた、使い物にならなくなった刃を、まるで手裏剣のように投げつけていた。
空中で、弾丸と刃が激突し、火花を散らして、互いの攻撃は完全に相殺された。 それは、もはや人間の域を超えた、達人同士の読み合いだった。
お互いに、決定的な一手を決めることができず、二人はばつが悪そうに表情を歪めた。そして、まるで示し合わせたかのように、同時に踵を返し、互いに距離を取る。
一方は、カシャン、と小気味よい音を立てて、ライフルのボルトを引き、次弾を装填する。
もう一方は、懐から、新品のナイフを取り出して構えた。
“……ふぅ。まったく、いつも君たちには驚かされるよ”
〈はは……それは、こっちのセリフでもあるよ〉
私たち指導者同士が、そんな驚きと安堵が入り混じった言葉を交わしていると、戦場の側から、ロージャとシロコがやってきた。
「ん。ロージャを連れてきたよ」
「どうもありがとうね~、狼ちゃん。それで、この後はどうするの?」
“そうだね……。おそらく風紀委員会側が、そろそろ部隊を立て直して、あの銀髪の生徒の援護に来るはずだ。だから私たちは、それに応戦する、という感じになるかな”
先生が、冷静に次の戦いの分析と、指令を下す。
再び戦場へと目をやると、先ほどまで倒れていたはずのノノミとセリカも、すでに目を覚まし、それぞれの得物を構え直しているのが見えた。
〈目覚めて早々、またドンパチをやるのか……。ここの生徒たちは、妙に元気だな〉
こうして、再び激しい戦火が灯されようとした、まさにその瞬間。 凛とした、しかしどこか切羽詰まった声が、風紀委員会側から響き渡り、その場の全員の動きを制止した。
「待ってください、イオリ! これ以上の戦闘は危険です!」
「チナツ? どうしてだ?」
“……あの子は……”
先生が、その声の主に心当たりがあるかのように、小さく呟いた。
風紀委員会の部隊の中から現れたのは、あの銀髪の生徒とはまた別の、大きな医療バッグを背負った、新たな幹部らしき生徒だった。そして彼女は、銀髪の生徒――イオリのもとへ駆け足でたどり着くと、その視線を、私たちの……正確には、先生の方へとまっすぐに向けた。
「まさか、このような形でお目にかかるとは……」
“……久しぶりだね、チナツ”
その生徒――チナツは、先生の顔を認めた途端、まるで「しまった」とでも言いたげな顔をして挨拶をした。対する先生も、どこか困ったような、怪訝な顔でそれに返す。どうやら、二人は見知った仲らしい。
「先生が、あちら側にいらっしゃると知った瞬間、私たちに勝ち目はないと判断し、即座に後退するべきでした……。これは、完全に私たちの失策です」
〈……先生は、そんなにすごい人物だったのか?〉
「はい……。先生は、赴任されたその初日に、『七囚人』の一人を退けた、という記録が……」
〈七囚人?〉
その、あまりにも物騒で、聞き覚えのない単語に、私は首を傾げるしかなかった。
後日、先生にこっそり尋ねてみたところ、どうやら彼は、キヴォトスに来たその日に、大規模な暴動の鎮圧に巻き込まれたらしい。そして、初対面の生徒たちに見事な指揮を執り、最終的には、七囚人の一人である『狐坂ワカモ』を退けたのだという……。はー、とんでもないな、この人は。
「アビドス対策委員会、奥空アヤネです。そちらはゲヘナ風紀委員会の方々とお見受けしますが、これは一体どういう状況か、ご説明いただけますでしょうか」
アヤネは、毅然とした態度で立ち上がるとと、チナツたちに問い詰めた。
「そっ……それは……」
イオリが、答えに窮して言い淀む。
「――それは私から、説明させていただきます」
アヤネの尋問に、チナツとイオリが答えられずにいると、ノイズ混じりの、厳格な声が響き渡った。 その声と同時に、二人の間に、青白い光を放つホログラムのディスプレイが展開された。 そこに映し出されていたのは、一人の、冷徹な表情を浮かべた生徒の姿だった。
「こんにちは、アビドスの皆様。私はゲヘナ学園の行政官、アコと申します。今の状況もついて少し説明させていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
アコと名乗る生徒は、冷静に淡々と私たちに向かって話していた。再び、状況は二転三転していく。
コメント
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なんかイオリが強いなぁ…このイオリなら脚を舐められることも無さそう…それはそうとラビットさん倫理観何処に捨てちゃったんだろ