テラーノベル
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山奥の家は、夜になるとやけに静かだった。
窓の外では風が木々を揺らしている。古いランタンの灯りが、木造の壁にゆらゆら影を映していた。
「涼ちゃん、見て」
ソファに寝転がっていたモトキが、尻尾をぱたぱた揺らしながら振り返る。
「今日はちゃんと肉焼けた」
皿の上には、少し焦げた鹿肉。
藤澤涼架は、それを見てふっと笑った。
「前より上手くなったねぇ」
「ほんと!? えへへ」
褒められた瞬間、狼耳がぴん、と立つ。
その反応が可愛くて、涼架は目を細めた。
三年前
血と薬品の臭いしかしなかった施設で、あの子はいつも怯えていた。
十五歳の、小さな実験体。
檻の中で震えていた少年。
『被験体M-17。獣人化適合率、高。』
モニター越しに見た彼は、人間だった。
けれど数ヶ月後には、狼の耳と尾を生やし、痛みに叫ぶ化け物扱いをされていた。
涼架は、あの日の声を忘れられない。
『やだ……っ、痛い……っ!!』
研究員達は記録を取るだけだった。
誰も止めなかった。
涼架も、止められなかった。
止めれば、自分が殺されるから。
十五歳で誘拐され、「研究員になれ」と脅され続けた少年に、誰かを救う力なんてなかった。
……だから
逃げた。
全データを消し、施設を爆破寸前まで破壊して。
檻を開けた時、モトキは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま言った。
『……いっしょに、きてくれるの?』
涼架は笑った。
『うん。一緒に逃げようか』
その日から二人は、ずっと一緒だった。
「涼ちゃん?」
「ん?」
「また怖い顔してる」
モトキが覗き込んでくる。
金色の襟足が揺れた。
「……なんでもないよ」
「うそ。昔のこと考えてたでしょ」
鋭い。
獣人になってから、モトキは人の感情に敏感になった。
涼架が少しでも苦しそうだと、すぐ気づく。
「……ごめんね」
「なんで謝るの?」
「君を、あんな目に遭わせた」
モトキはきょとんとして、それから困ったように笑った。
「涼ちゃんって、ほんと変」
「変?」
「オレを獣人にしたのは涼ちゃんだけどさ」
モトキはソファから降り、涼架の隣にしゃがみ込む。
「助けてくれたのも、涼ちゃんじゃん」
狼耳が、優しく伏せられる。
「だからオレ、涼ちゃん好きだよ」
まっすぐな言葉だった。
涼架は少し黙って、それからモトキの頭を撫でた。
「……ありがと」
その時だった。
ガタッ
窓の外で音がした。
モトキの耳がぴくりと動く。
一瞬で空気が変わった。
「誰かいる」
低い声。
獣の目。
涼架は立ち上がり、机の下から拳銃を取り出した。
「……モトキ、後ろ」
「うん」
外
木々の奥。
何かがいる。
獣の臭い。
でも、モトキとは違う。
もっと荒れて、壊れた臭い。
やがて、ふらり、と人影が現れた。
細身の少年。
赤みがかった茶髪。
猫の耳。
うねる尻尾。
そして――傷だらけ。
「……っ」
少年は二人を見た瞬間、怯えたように後退った。
「来るな!!」
爪が伸びる。
殺気をもろに感じる。
だが、その腕は震えていた。
涼架は息を呑む。
その耳。
その変異。
見覚えがあった。
……自分の研究データだ。
「モトキ」
「うん」
モトキは静かに前へ出た。
敵意を見せないよう、ゆっくり。
「大丈夫」
少年は睨む。
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」
「みんなそう言う」
猫耳が震えていた。
「痛くしないって言って……っ、いっぱい、変なの打って……!」
涼架の指先が強く震えた。
まただ。
また、自分のせいで。
「……君、名前は?」
「……ヒロト」
「そっか」
モトキはヒロトの前に立ち、視線を合わせる。
「オレ、モトキ」
狼耳が揺れた。
「同じだね」
ヒロトの目が揺れる。
「……同じ?」
「オレも、実験体だったから」
その瞬間。
ヒロトの顔から敵意が消えた。
代わりに浮かんだのは、壊れそうな安心だった。
糸が切れたみたいに、ヒロトの身体が崩れ落ちる。
「っ、ヒロト!」
モトキが抱き止める。
熱い。
異常な熱。
体が不安定なのだ。
獣人化が完成していない。
涼架は青ざめた。
「薬を打たれ続けてる……」
「助けられる?」
モトキが真っ直ぐ聞く。
涼架は数秒黙った。
そして頷く。
「……助ける」
その目は、昔と違った。
もう逃げるだけの少年じゃない。
誰かを救うために手を伸ばせる人間だった。
数日後。
組織はヒロトを回収しに来た。
山奥の静寂を裂くように、銃声が響く。
「いたぞ!!」
「被験体H-21を確保しろ!」
ヒロトが震える。
モトキはその前に立った。
狼の目が、夜の中で光る。
「ヒロト、下がって」
「でも……!」
「大丈夫」
モトキは笑った。
「オレ、強いから」
次の瞬間。
風みたいに飛び出した。
銃を持った男の喉元へ噛みつく。
悲鳴。
血。
だがモトキは止まらない。
自分を化け物にした場所。
涼架を苦しめた奴ら。
その全部が、許せなかった。
「モトキ!!」
涼架の声。
振り返る。
その一瞬。
背後の男が銃を向けた。
引き金を引こうとする。
だが
「……っ!!」
ヒロトが飛び出した。
銃声。
小さな身体が崩れる。
「ヒロト!!」
モトキが駆け寄る。
ヒロトは苦しそうに笑った。
「……おれ、初めてだった」
「しゃべるな!!」
「助けてもらえたの……」
涙が零れる。
「だから……ちょっと、うれしかった」
涼架が静かに銃を構えた。
乾いた音。
最後の敵が倒れる。
静寂
森の風だけが鳴っていた。
涼架は膝をつき、ヒロトの傷を見る。
「……大丈夫。弾は逸れてる」
「ほんと!?」
「うん。死なないよ」
ヒロトは呆然として、それから泣き出した。
子供みたいに。
ずっと我慢していたみたいに。
モトキはそんなヒロトを抱きしめる。
「もう大丈夫」
狼の尻尾が、ゆっくり揺れていた。
山奥の家に、同居人が一人増えた。
騒がしくて。
少し狭くて。
でも、前より温かかった。
夜
ヒロトが眠ったあと。
涼架は窓の外を見ていた。
「……これでよかったのかな」
小さく呟く。
すると後ろから、モトキが抱きついてくる。
「よかったんだよ」
「モトキ」
「涼ちゃんが助けた命、増えたじゃん」
涼架は少し目を伏せる。
するとモトキは笑った。
「だからもう、自分のこと嫌いになんな」
山奥を、静かな風が吹き抜けた。
逃げ続ける人生かもしれない。
また追手が来るかもしれない。
それでも
今この場所には、確かに“居場所”があった。
コメント
1件
読み終わりました……っ🥺 施設から逃げて、やっと掴んだ静かな暮らし。涼架の後悔とモトキのまっすぐな愛情が本当に丁寧に描かれてて、胸がぎゅっとなりました。「涼ちゃん好きだよ」って言うモトキの台詞、すごく刺さりました。ヒロトが加わって、少し狭くなったけど温かくなった家。あのラストの「居場所」という言葉が全部を包んでくれて、泣きそうになりました。連載なら続きも読みたいです……🌙