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ヴィドール領へと向かう馬車の行列が、長蛇の列を成している。
馬車から外を見ると、大荷物を積載した馬車が数台ヴィドール領からトロンへと走っていた。
「巷ではトロンはもうおしまいだと言われているのに、珍しいですな」
「関税システムが崩壊しているからな、今のうちに税関をすり抜けて儲けを出そうとする商人もいるのだろう」
辺境城塞都市トロンは人間の欲の坩堝だ。そう簡単には壊れないさ。
なるほど、と頷く御者は黒猫一座の座長だった。
馬車には一座の面々と深くローブをかぶった男、そして小道具の数々に黒猫もいる。
アベルがガヌロンに宣戦布告したことで、戦禍から逃れようと多くの人々がトロンを去った。
その方向は大きく分けて二つ。
北東のフリージア側に散る者と、南西のランバルドへ戻る者だ。
ランバルド出身者としては敵地となるフリージアに取り残されることだけは避けたい。
ただ、ランバルドへ戻る場合、ヴィドール領を通過する必要があり、ヴィドール領は先ほど宣戦布告を受けたばかり。移民としては戦争に巻き込まれる前に素早く移動したかった。
ヴィドール領は入領を渋り、待たされる人々の中には恐怖と焦燥に駆られる。
そんなじれったい牛歩のような歩みが一転、川の流れのように早まっていく。
「む、列が動き始めましたな」
次の者! 前へ! 出身はどこだ!
次の者! 前へ! 次の者! 次の者!
検閲が雑になっている。
ヴィドール領の門前で兵士が黒猫一座の馬車を止めた。
「出身はどこだ!」
「どこかと言われると、旅の一座ですので風の向こうですかな」
座長がそうはぐらかすと兵士が馬車を検める。
市民に兵士に盗賊にお姫様、深くローブを被った魔法使いと全員服装がバラバラである。
その上、猫までいた。
端にまとめられているのは小道具の類いだ。
「なんだ、剣の柄……? 刀身はないのか」
柄ばかりがまとめられた袋を見て、兵士は困惑した。
「練習には柄で十分なんですよ」
武器があれば理由をつけて接収しろと言われているが、これはどう扱うべきか。
「まさかとは思いますが、刀身のない剣で滅びるほどランバルドは貧弱なのですか?」
「そのようなわけがあるか!」
兵士は激高したが、ここでこじれると後が面倒だと思い直す。
上からは可能な限り検閲を簡略化して民をヴィドール領に通すよう言われている。
アベル王子が兵をまとめて攻め込んでくる前にこいつらをヴィドール領を通過させなければ、アベルに背中をつつかれた移民たちが暴動を起こす可能性がある。
『中立なるものは敵になる前に味方にせよ』
強引で横暴なガヌロンらしからぬ手管だったが、利にかなっている。戦う前に敵の数を減らせるなら、それにこしたことはない。
おそらく誰か、別人の策なのだろうと兵士は思った。
「一座の名を言え!」
「黒猫一座でございます」
ん、ううん。と慇懃に喉を鳴らし、座長が続ける。
「いやぁ、トロンでアベル王子をこきおろす劇をやりまくったら。しこたま突き上げをくらいましてな。まったくあの傲慢ちきな男はいけ好かない。虚構と現実の区別もつかないとは、まったく芸術というものの理解がありません。あのような心の狭い男では到底、民を導くことなどできやしないでしょう。劇を公演停止にするとは、人類に対する叛逆! ありえざる暴挙! 前人未踏の……!」
「わかった、わかったもういい! 行け!!」
「では、失礼して」
座長は馬車を進め、門は遠ざかっていく。
もう声が届かなくなるくらい距離が開くと、ローブの男がくつくつと笑い始めた。
「あの、怒ってませんよね……? あれは演技ですよ、演技」
おどけるように、でも内心は若干ビビリながら座長が顔を向けると。ローブの男、アベル王子が肩を叩いた。
「いい仕事だった」
「面白い演技でした」「よく即興であれだけ思いつきますね」
市民の姿をしているのはメイドのミレナ、兵士は料理長のパブロ。
扮装をしているのは、かつて戦場を生きた不在城の使用人達である。
国境を越えればもう扮装の必要は無い。
使用人達は次々とあるべき従者の服装に着替えていく。
アベル王子とその一行は移民に紛れヴィドール領へと浸透した。
向かうはフェーデの生家である。