コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
櫻塚家の屋敷に
断末魔の声が響いた。
夜闇を裂くような叫び。
それは
この屋敷を支配し続けた男の
最期の悲鳴だった。
「⋯⋯雪音様っ!今のは——!?」
牢の前で控えていた琴が
驚愕の表情で身を起こす。
その身を格子に寄せ
雪音を護るように覆い被さる。
だが
牢の奥にいる雪音は
微動だにせず
寧ろ、愉しげに嗤っていた。
「お父様の⋯⋯
あの男の、最期の声ですわ」
静かに告げられる、その言葉。
満足そうな、微笑み。
琴は、背筋が凍るのを感じた。
「⋯⋯雪音、様⋯?」
震える声が漏れる。
だが、雪音の瞳には
一片の迷いもなかった。
まるで、 最初から
この瞬間を待っていたかのように。
「⋯⋯琴」
その声が、牢の中で凛と響く。
「あの男が死んだからには
現当主はお兄様ですわ」
雪音の言葉には
冷たくも確かな権威が滲んでいた。
「さぁ、此処を開けなさい。
私は当主の⋯⋯半身です」
琴の手が、無意識に錠へと伸びる。
——拒めなかった。
雪音の命令には
どこか絶対的な力があった。
それが恐ろしくて
琴は恐る恐る
鍵を外した。
「琴⋯⋯どうか、私の傍へ」
琴の胸が、高鳴る。
(雪音様を⋯⋯護らねば!
賊が、この屋敷を襲っている)
琴は迷いなく
牢の中へと足を踏み入れた。
瞬間—⋯
ガチャンッ!
「——え?」
耳を劈くような、錠がかかる音。
琴が振り返った時には
雪音は既に牢の外にいた。
「ゆ、雪音様!? 何をなさいますっ!」
「琴⋯⋯今まで、世話になりました」
牢の外から、雪音は静かに言った。
その表情には
微かな慈しみと
決意が滲んでいる。
「貴女が居なければ⋯⋯
私達は
とうの昔に壊れていたでしょう」
琴の目に、涙が滲む。
「ありがとう。
そして⋯⋯さようなら」
琴が、絶叫した。
「雪音様っっっ!!」
その叫びを背に、雪音は歩き出す。
懐刀を手に。
「当主は討った!櫻塚 時也を探せっ!!」
屋敷の至る所で
賊達の足音が響く。
彼らは屋敷を荒らしながら
時也の居場所を探している。
しかし
雪音は、ただ静かに歩いていた。
この屋敷の中を、初めて歩くように。
まるで、懐かしむように。
いや、それは事実だった。
彼女は、生まれてから一度も
この屋敷の中を歩いた事がなかった。
幽閉され続けた、座敷牢の中。
この屋敷は
いつも格子の向こうにあった。
だからこそ
雪音はゆっくりと辺りを見廻した。
まるで
失われた時間を取り戻すかのように。
ふと、廊下の端に柱が見えた。
そこには
小さな刻み目が並んでいた。
雪音の指が、静かにそれをなぞる。
(⋯⋯この柱ね)
「青龍が、お兄様の背を記録した柱は。」
雪音は、微かに微笑む。
「ふふ⋯⋯
お兄様も、こんなにお小さかったのね」
その言葉を呟いた瞬間—
「誰か居たぞっ!!」
賊達が、雪音を発見した。
「櫻塚 時也⋯⋯!?
いや⋯⋯似てるが、女だっ!!」
雪音の目が、鋭く細められる。
「無礼者」
その声には、威厳が満ちていた。
「此処は、現陰陽頭である櫻塚家⋯⋯
それ以上、荒らすでないっ!」
——その声音。
——その気迫。
賊達は、一瞬たじろいだ。
しかし、すぐに気を取り直す。
「お前達も⋯⋯この顔に見覚えがあろう?」
雪音は、一歩前へ進む。
「櫻塚 時也は、双子⋯⋯
私が、時也に未来を予見し
導く者だ!!」
「み、未来を予見⋯⋯っ!?」
「⋯⋯道理でっ!!」
賊の間に、ざわめきが広がる。
「読心術ではなかった!!
未来視の女を捕らえよ!!」
「下がれ、無礼者どもっ!!」
雪音は、一喝するように叫んだ。
そして
懐刀を、己の首へと押し当てた。
「⋯⋯この異能が、欲しかろう?」
賊達は息を呑む。
雪音の瞳が、鋭く光る。
「だが⋯⋯私はっ!!」
次の瞬間——
手が、勢い良く引かれた。
弧を描く鮮血。
賊達の驚愕の叫びが響く。
「愚か者に触れられるのならば⋯⋯
私は自死を選ぶっ!!」
桜色の着物が
深紅に染め上げられていく。
雪音の唇が、微かに微笑む。
そして—⋯
彼女は、高らかに嗤った。
静かに、ゆっくりと⋯⋯
膝から、崩れ落ちていく。
(お兄様⋯⋯
どうか、どうか⋯⋯お幸せに)
(利用されるだけが
お兄様の人生ではありませんわ)
(愛し、愛される⋯⋯
それが⋯⋯お兄様の真の道。)
——血が、屋敷の廊下を染めていく。
夜は、静かに更けていった。
「お前の背に乗るのも
随分と久しいですね。青龍」
翌朝—
漆黒の鱗に夜空の星を宿し
銀白の鬣を靡かせながら
青龍は雲を裂くように翼を広げた。
その龍の背に
時也は静かに佇んでいた。
眼下に広がる大地を見つめながら
彼はゆるやかに風を感じる。
山崩れが起こるならば
馬では帰れない。
だからこそ
雪音は青龍を時也の傍に残したのだろう。
そう、何の疑いもなく思っていた。
何も知らずに—⋯。
「⋯⋯時也様」
青龍の声が、僅かに震えた。
「山崩れの跡が、見当たりませぬ」
時也の眉が僅かに寄る。
「え?
雪音の未来視が、外れる訳が⋯⋯」
言いかけた瞬間
彼の鳶色の瞳が見開かれた。
遠くに見えるのは
屋敷から立ち上る⋯⋯黒煙。
「⋯⋯っ! 屋敷、が——!!」
鼓動が、張り裂ける程に警鐘を鳴らす。
「青龍、急ぎなさいっ!!」
青龍は
何も言わずに猛スピードで滑空した。
屋敷など
どうなったって良かった。
ただ—⋯
雪音だけは。
まだ、彼方此方で火が燻る屋敷の上空。
地下の座敷牢へと
続く階段が見えた瞬間
時也は、青龍の背から飛び降りた。
「時也様っ! なんて、無茶を!!」
青龍も直ぐに人の姿を取り
後を追う。
空中で時也は素早く護符を取り出し
地面に撃ちつけた。
「破!!」
護符が衝撃を吸収し
時也の体を一瞬浮かせる。
着地の衝撃を緩めると
そのまま受け身を取り
転がるように走り出した。
目指すは——
地下の座敷牢。
「⋯⋯っ! 時也様っ!!」
其処で
座敷牢の格子の中に
琴の姿を見つけた。
「琴!? どうして、貴女が中に!?」
琴は
流れ込む煙の中で
説明しようとしたが
息を吸った瞬間
咳き込んで倒れ込む。
「青龍! 琴を頼みました!!」
「御意っ!」
青龍が琴を抱き上げるのを背に
時也は再び駆け出した。
煙の燻る座敷牢を突き抜ける。
炎が壁を焼き
木の軋む音が聞こえる。
焦げた畳の上を踏みしめながら
時也は真っ直ぐに進んだ。
途中で
父の遺体が転がっていた。
だが、時也は
刹那も気に止めなかった。
彼の鳶色の瞳が探すのは
ただひとつ—⋯。
「雪音っ! どこです!!」
火の粉が舞う中で、彼は叫ぶ。
「雪音ぇーーーっ!!」
そして、彼は
ー見つけてしまったー
膝が震える。
頭が、それを拒んだ。
進めない。
いや—⋯
進みたくない。
深紅に染まった、桜色の着物。
無数の刺し傷。
斬り落とされた首。
炎の赤に照らされる血の海。
それでも
彼女は、微笑んでいた。
まるで
全てを受け止めるかのように。
それが運命だったと
知っていたかのように。
時也の喉から
声とも言えないものが
掠れるように
焼き尽くすように溢れ出た。
最初は
それが自分の声だとは気付かなかった。
ーそれは、龍の咆哮ー
ー半身をもがれた、龍の咆哮ー
屋敷の天井が崩れ落ちる。
火の粉が宙を舞う。
時也の世界が
音と色を失くしていく——。
彼の中で、何かが崩壊した。