「殺してやるっっっ!!!」
炎の中に轟いた、その叫び。
それは——
時也が
生まれて初めて感じた
純然たる激情だった。
憎しみ
怒り
絶望
魂の底から沸き上がる
焼けつくような衝動。
「時也様っ!お鎮まりくださいっ!!」
青龍の声が響く。
だが、その言葉は
時也の耳には届かなかった。
「煩いっっっ!!」
時也の手が、激しく護符を握る。
その指は、血が滲むほどに強く──。
護符を数枚掲げると
そのまま空へと放った。
「探せ⋯⋯っ! 急急如律令ぉ!!」
次の瞬間──
護符が、桜の花弁へと変わる。
無数の花弁が弾けるように舞い
炎の中を散り散りに飛んでいった。
それは、敵を探し出し
時也に伝えるための術。
しかし──
その術を発動させた直後
時也は膝から崩れ落ちた。
炎の中、朽ちかけた床に座り込む。
その目の前には──
雪音の首。
彼女の顔は、血に濡れながらも
穏やかな微笑みを湛えていた。
時也は
震える手でそれを掻き抱いた。
まるで、幼い頃のように──
雪音の小さな体を抱きしめた
あの頃のように──
しかし、もうその体はない。
あるのは、首だけ。
「⋯⋯っ!!」
その喉の奥から
絞り出されるような声が漏れる。
音にならない
喉を焼き尽くすような叫び。
その場に倒れ込むように
雪音を抱きしめる。
そして──
心の底から叫んだ。
「雪音ぇええええええええええええええええええええええええっっ!!!!!!」
半身の名を。
その名を。
その名だけを。
炎が、紅く燃え上がる。
崩れゆく屋敷の中──
時也の咆哮だけが
夜の闇を裂くように響き渡っていた。
炎が屋敷を飲み込み
瓦礫が崩れ落ちる。
舞い上がる灰の中で——
時也は、雪音の首を抱きしめ
叫び続けていた。
「雪音っ⋯⋯っっ!
雪音ぇえええええええええええっっ!!!!」
涙が枯れる事はなかった。
彼の心の半分が、其処で死んだ。
幼い頃から
ずっと支え合ってきた存在。
誰よりも近く
誰よりも大切だった妹。
その存在を、たった一夜で──
奪われた。
「時也様っ!避難を!!」
青龍の声が響く。
だが、時也は動かない。
崩れ落ちそうな屋敷の中で
ただ雪音の首を抱き
震えながら叫び続ける。
「ああぁあぁあああぁああぁああぁあぁあぁああぁぁああぁあぁあっっっ!!!」
それは、嗚咽というよりも
壊れた魂の断末魔だった。
「雪音⋯⋯雪音っ⋯⋯!!」
──もう、返事は無いのに。
青龍の表情が苦しげに歪む。
(⋯⋯このままでは⋯⋯)
「時也様っ!!失礼いたします!!」
次の瞬間
青龍は時也の身体を担ぎ上げた。
「⋯⋯離せっ⋯⋯!!まだ⋯⋯っ!」
「時也様っ!今は生きねばなりません!」
「うるさい!!離せっっっ!!」
時也は暴れた。
それでも、青龍は彼を離さない。
「お前は⋯⋯!
何も⋯何も、わかっていない⋯⋯っ!!
雪音が⋯⋯雪音がぁぁっっ!!!!」
ー痛かっただろうー
ー苦しかっただろうー
何度でも繰り返し
壊れたように叫び続ける時也。
青龍に運び出され
屋敷の外に降ろされたその背中を
琴がそっと撫でた。
「⋯⋯時也様⋯っ」
彼女もまた
声にならない嗚咽を漏らす。
青龍も
ただ黙って彼の背を撫でた。
何も言えなかった。
何を言えばいいのか、わからなかった。
──無力だ。
青龍は、無力だった。
時也の叫びを止める事も
雪音を救う事も
何一つ、できなかった。
後悔しても戻りはしないと
わかっている。
それでも──
青龍の拳が、強く握りしめられた。
「⋯⋯申し訳ありません⋯時也様⋯⋯っ」
時也の背中に、震える声が落ちた。
だが
その声すらも
時也の壊れた叫びに掻き消されていく。
夜は、ひたすらに長かった。
桜の花弁が、舞い落ちる。
その美しさとは裏腹に
この夜ほど
悲しく、狂おしいものはなかった。
潰れた喉で
嗚咽を零す時也の腕の中には⋯⋯
雪音の首。
その微笑みは
今もなお穏やかだった。
時也は
崩れ落ちたまま
ただ声にならない嗚咽を漏らし続ける。
ー何もかもが、奪われたー
ー何もかもが、壊れたー
その彼の背に
一枚の桜の花弁が降り注いだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯みつ、けた」
その瞬間
時也の顔が、僅かに上がる。
その顔を
青龍は忘れる事はないだろう。
瞳に宿るのは、底なしの闇。
其処には
かつての櫻塚 時也はいなかった。
あるのはただ
復讐という名の修羅。
(⋯⋯修羅⋯っ!!)
刹那──⋯
時也の身体が
桜の花弁となって消え始めた。
「時也様っ!!」
青龍の手が、彼を掴もうとする。
だが⋯⋯
その手は
桜の花弁を掴む事ができなかった。
青龍の指を
無数の花弁がすり抜け空へと登って行く。
残されたのは、虚空。
(⋯⋯時也様⋯っ)
そして⋯⋯
青龍が、時也の気配を追い
辿り着いたときには──
すべてが、終わろうとしていた。
「────っ!!」
青龍が見たのは
血に染まった一つの光景。
肩で荒く息をする時也。
その腕には、微笑む雪音の首。
そして──
その視線の先には
無数の桜の花弁に首を吊り上げられた
屋敷の主。
男の顔は、恐怖に歪んでいる。
首に巻き付く、無数の桜の花弁。
桜の花の鎖が
男の生命を静かに締め上げていた。
「ひ、ひいいっっ!!
助けて⋯⋯っ!!
誤解だ、誤解なのだっっ!!」
無様な命乞いの声が響く。
だが、時也の耳には届いていなかった。
彼の目に映るのは、ただ復讐のみ。
桜の花弁が、舞う。
それは、刃と化し——
男の身体を、斬り刻み始めた。
幾度も。
幾度も。
幾度も。
血が飛び散る。
桜色の花弁が、鮮血に染まる。
男は、悲鳴を上げる間もなく
何度も何度も切り裂かれ──
そして
沈黙が落ちた⋯⋯⋯。
血の雨が降る。
時也の身体に。
雪音の首に。
全てが、紅に染め上げられていく。
だが──
それでも、時也は満たされなかった。
彼の中で
怒りも、悲しみも
何一つとして収まらない。
喉が潰れ、血を吐きながらも⋯⋯
彼は、再び咆哮する。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っっっ!!!!!」
その叫びは
夜の闇を引き裂くように響き渡った。
それは
愛するものを喪った
哀しき修羅の咆哮だった。
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雪音を喪った時也は、神々すら喰らい尽くす修羅と化した。 禁忌を犯し、十二神将を召喚し、銀白の龍に命じる。 神を喰らい、血に塗れ、狂気に染まる夜── これは、哀しみから生まれた最凶の破壊譚。