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雨上がりの夕暮れ 。
わたしはひとり、学校からの帰り道を歩いていた。
オレンジ色に染まるアスファルトの道には、ところどころ水たまりができていて、その上を通るたびにパシャリという音がした。
いつもならば部活や習い事でもっと遅い時間まで学校にいることがほとんどだったけれど、今日はそのどちらもお休みだったので、少し早めに帰ることができたのだ。
それでも下校時刻ギリギリにはなっていたけど……
でも早く帰れたぶん、帰り道にあるスーパーで晩ご飯のおかずになる食材を買うことができるというものだ。
ちなみに今日の夕飯当番はわたしではない。だから自分で作るしかないんだけど、お母さんもお父さんも仕事で遅くなると言っていたため、必然的に料理を作ることになる。
なので、こうして買い物をしているわけだけど――
「さすがにちょっと買いすぎたかなぁ?」
レジ袋に入った商品を見ながら呟いた。
普段よりも量が多いせいか、ずしりと重く感じてしまう。
「ん~」
両手で持ったレジ袋を持ち直してから歩き出すと、肩に掛けている鞄の中から軽快な音楽が流れてきた。どうやら携帯電話に着信があったらしい。
足を止めてから携帯を取り出して画面を確認すると、そこには『結野嵐子』の文字が表示されていた。
「あ、嵐ちゃんからだ」
メールではなく電話だったことに一瞬驚いたものの、すぐに通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
『あっ! みつきさんですか!? あのですね!』
いきなり元気いっぱいの声が響いてきて思わず苦笑してしまう。
「どしたの? そんな慌てて」
『大変なんです! 大変すぎるくらいなんですよ! とにかく急いで来て下さい!』
「えっと……どこに行けばいいのかわからないと困るんだけど」
『学校の近くの公園です! そこで待っていてください!すぐ行きます!』
そんなメールが届いたのは、午後四時半過ぎ。
俺は今、指定された場所に向かっているところだった。
今日は土曜日だが、いつものように学校があったのだ。しかも一時間目の授業が終わった直後に届いたメールなので、俺としては早く帰って寝たかったのだが……無視すると後々面倒になりそうだったので行くことにした。
そして現在、約束の時間まであと十分くらいというところで目的地に到着したわけである。
辺りを見回すが、それらしき人影はない。まだ来ていないのか、それとも別の場所にいるのか――と思いながら待っていると、
「あ、先輩!」
という声と共に一人の女子生徒が飛び込んできた。
「大変だよ、うちのクラスに変人がいる!」
「え?」
思わず聞き返した僕だが、その瞬間には、既に僕の足はその教室へ向かって走り出していたのだ。
「待ってよ、どこ行くんだよ!?」
背後からそんな声が追いかけてくるけど無視だ。廊下を走るのは良くないことだけど、今は緊急事態だから仕方ないよね! そして階段を二段飛ばしで降りながら踊り場までやってきたところで……私は盛大に転んでしまった。
「いたたた……ああっ!?」
慌てて立ち上がってスカートについた埃を払っているうちに気づいた。
――手提げ袋の中に入れていたはずの教科書やノートが無くなっていることに!! ああどうしようどうしようと頭を抱えても事態は何も変わらないわけで。このまま教室に戻って自分の机の中を見たらきっとなくなっているだろうことは想像に難くなかった。
でもこのまま諦めたら成績表の数字が大変なことになる! 先生たちに失望されたくない!
「こうなったら最後の手段!」
そう言って私が向かった先は生徒会室だった。ここならば生徒会役員である先輩たちがいるはずなので事情を説明して助けてもらうのだ。
ドアを開けるとそこには誰もいなかった。あれれと思って部屋を見回していると奥の方にある扉が開いてそこから人が出てきた。
それは生徒会副会長にして私の彼氏でもある一ノ瀬瞬くんであった。
彼は私の姿を見るといつものように優しく微笑みを浮かべてこちらに近づいてきた。
「こんにちは。どうかしたんですか?」
「あのね、実はさっき転んだ拍子に手提げ袋を落としてしまったんだけどその中に授業に使う大事なものが入ってるんだよ~!!」
「それは大変ですね。どんな物が入っているのか教えてくれますか?」
「えっとまず今日使う予定の国語と数学と歴史と理科と英語とあとそれから……」
「ちょ、ちょっと待ってください。メモしますから」
慌てる彼に申し訳なく思いながら、私は手早く服を着た。
彼の視線が私の身体を舐め回すように這い回る。そしてまたあの表情を浮かべていた。
きっと彼はこう思っているだろう。『どうしてあんな女を選んだのか』と。
そう思われても仕方のない事をした自覚はあるけれど……やっぱりちょっと悲しいかも。
「そろそろ時間だから行くね」
私は努めて明るい声で言った。
「あぁ……うん」
まだ少し名残り惜しそうな彼を残して部屋を出る。
扉の前で待っていた運転手さんに行き先を告げると車は静かに走り出した。
車が赤信号で止まったタイミングで携帯電話を取り出す。
発信履歴の中から彼の名前を探し出してコールボタンを押した。
2回目の呼び出し音が鳴り終わらないうちに相手が出た。
「はい! どうしました?」
そんな声を聞いて、私は顔を上げた。目の前には、人の良さそうな青年がいた。
「あ……えっと」
突然声を掛けられ、戸惑っていると彼は微笑んで言った。
「お疲れですか? もし良ければ休憩室まで案内しますけど」
「あぁ、いえ……大丈夫です」
正直あまり人に近づきたくはなかったのだが、親切心で言ってくれているのだろうと思い、断った。すると青年は少し悲しげに笑った後、「そうですか」と言った。
その時だった。
「――ねぇ、ちょっと君さ」
今度は女性の声がした。視線を向けるとそこには二十代半ばくらいの女性が立っていた。女性はこちらを見るなり、目を細めた。そして私の方に向かって歩いてくる。
一体誰だろうかと思っているうちに彼女は私のすぐ隣まで歩み寄ってきていた。そして私の手を取り、両手で包み込むようにして握ってきたのだ。彼女の体温はとても暖かく、柔らかかった。私は思わずどきっとしてしまったのだが、それを隠すように顔を背けてしまった。
「大丈夫?」
彼女は心配そうな声でそう尋ねてきた。私は少しばかり躊躇いながらも小さく首肯した。すると彼女はほっとした様子で笑みを浮かべた。それから暫くの間は何も言わずにただ黙々と歩いていたが、ふと彼女が立ち止まりこちらを振り返るような素振りを見せたため、私もそれに合わせて足を止め彼女を見つめ返した。しかし彼女の視線は私のそれと交わることなく、そのまま虚ろな表情でどこか遠くの方を向いていた。そして彼女はゆっくりと口を開いた。
「あなたは……どうして自殺なんかしようとしたの?」
突然の質問に戸惑いながら返答を探しているうちに、彼女は更に言葉を続けた。
「答えたくないならそれでも構わないけど、できればその理由を教えて欲しいかな。きっとそれが私達にとってとても大切なことだと思うから」
相変わらず私の目を見てくれない彼女と、そんな彼女に戸惑っている自分。だが私はどうにかして言葉を紡ごうとしたが上手く声を出すことができなかった。
「無理しないで良いんだよ。ゆっくり考えてみて」
やがて彼女は優しい口調で言うと再び歩き始めた。仕方なく私もそのあとに続くことにした。
「あぁそうだ。まだあなたの名前を聞いていなかったよね。教えてくれる?」
今度は前を向いたまま彼女は尋ねた。
「佐藤です」
「下の名前は?」
「正人と言います」
「素敵な名前だね。君にぴったりだよ、アリス」
そう言って微笑む彼の顔が忘れられなかった。
彼はいつも笑っていたけれど、心からの笑顔を見せたことはなかったと思う。だから余計に忘れたくても忘れられず、今でも鮮明に覚えているのだ。
私はその日からずっと彼を想い続けている。