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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
それから約二年後の晩冬。
雅は大学卒業を控え、私も二年が終わるまで残り数週間となっていた。
雅が離れた場所にある大企業での就職を決めていたため、同時に遠距離になることが決まっていた。出来る限り傍に居ようと雅の家に居たのだけれど、私はずっと怒っていた。
というのも、雅は遠方への就職を私に相談もなく決めていて、私は強制的に遠距離恋愛を強いられたから。
就職した時も受かったとだけ数か月前に言われて、遠距離になると知らされたのは年が明けてからだった。
その件について謝罪もされないまま、私はずっと怒っていた。それでも別れる選択なんて出来ないほど、私は雅が好きだった。だから怒っていても、残り少ない時間を一緒に過ごしたくて、結局傍に居てしまう。
そんな自分を私もちょろいとは思った。
同じ空間にいる私を、雅は変わらず構い続けてきて、ちょっかいを出されても応える気にはなれなかった。
「夏帆」
怒っているのに優しい声で名前を呼ばれたら、反応せずにはいられない。不機嫌な表情のまま雅の方を見ると、私の左手を掴み、そのまま薬指に指輪をはめられた。
突然の指輪に当然驚いたけれど、それ以上に、指輪をはめる位置に驚いて目を見開く。
「え……、これ……」
「これは安物だからすぐにとか考えないでほしいんだけどさ」
「うん?」
「夏帆が大学卒業したら結婚しよ」
まさか二十歳でプロポーズされるなんて思ってもいなくて、何も言葉が出なかった。
それに、雅は結婚なんて考えない人だと、ずっと思い込んでいた。私もまだ学生だし、結婚なんてずっと先の話だと思っていたのに、まさかのプロポーズだった。
「え、本気?」
「うん、本気。これから先も、一緒にいるなら夏帆がいい」
そう言いながら髪を掬われ、そのまま口付けられる。
細かいことを気にしてしまって喧嘩も多く、雅に怒りをぶつけてしまうことも少なくなかった。それでも雅は、そんな私を嫌だとは言わず、私がいいと、はっきり言葉にしてくれた。
胸の奥がじわり、と熱くなって、言葉より先に、視界が滲んだ。
雅の言葉が嬉しかったのと、きっと嫌なところもたくさんあったはずなのに、それでも受け入れてくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……早く卒業したい」
「待ち遠しいな」
そう言って、雅は私の身体を抱き締めてくれる。
思い返してみれば、この日が一番幸せだったのだと思う。
それから夏までは順調だったけれど、夏を過ぎてから春が来るまでの間に、少しずつ喧嘩が増え、会えない日も多くなり、話す回数も減っていった。
その間、雅との関係について考えることが増えて、不安定な関係のまま、仕事を頑張っている雅を追い詰めることしか出来なくなっていった。
そんな自分に耐えきれず、私は電話で雅に別れを告げた。
『……後一年じゃん。今別れなきゃダメなの』
「一年後も一緒にいれるかわかんないじゃん。これから先どうするかとかちゃんと話す時間も無いのに」
別れる時も話し合ったけれど、お互いに納得出来る答えは見つからなかった。最終的に雅は、疲れたように電話の向こうで深く溜息を吐いて『わかった』とだけ言い、それから通話は切れた。
私が寂しさや不安に耐えきれず、雅の気持ちすら疑って、信じられなくなってしまったこと、全部、こんなに苦しい気持ちから逃げたくて、私が雅を突き放した。
この別れ話のあと、SNSの繋がりは消したけれど、連絡先だけは消せなくて、私はずっと後悔を抱えたまま過ごしていた。
─────ここまでが、大学時代の私と雅の交際期間の話だ。
⏲
時は戻って現在。二十六歳の私と、二十八歳の雅は、再会した。
一通りの流れを話し終えると、玲くんは「へぇ、めちゃくちゃ真剣に交際してたんだ」と、雅へ言葉を投げる。
雅はそれに軽く笑って、煙草を蒸かした。
「あーあ、俺可哀想」
「あんたが大元変わって無くてその頃から手癖酷かったのよね。女遊びはやめてただけだったんだわ」
「お前ね、二十歳のガキの俺がどんな思いでお前を口説いたと思ってんの」
そう言いながら隣でグラスを掴み、呆れたように笑っている。
あの時の距離の詰め方も、今思えばかなり手慣れていた。だから当時の私は、どうせああやって、いつも女の子を持ち帰っているのだろうと思っていた。
「結婚とか迫って逃げられた挙げ句今もこの扱い、俺不憫すぎ」
「自分で言えるなら元気ね」
あの頃の、顔にすっかり騙されていた子供の私に、今なら言える。こいつはやめておきなさい、と。そして、もし遭遇したら、すぐに逃げなさい、とも付け加える。
顔がタイプだと思ってしまうと、全部が好きに見えて危険だし、だいたい長続きなんてしないから。
顔に騙された過去の自分が悔しくて、この男にどうにか八つ当たり出来ないか、なんてことまで考えてしまう。
「今からあんたの顔をボコボコにしたら良いのか」
「何だお前、発想がヤクザかよ」
その綺麗な顔に騙されて、これまでどれだけの女性が泣かされてきたか。その女性達を代表して、私には一発殴る義務があるような気さえしてきた。
「でも私本気で殴っていいと思ってるのよね、てことで思いっきりグーで行って良い?それでこの間の事許してあげなくもないけど」
思いきり手をグーにして握り、肩を回す。すると雅は、いつもの腹立つような表情で笑って「ていうか、こんな近くにいい女いたら、誰でも抱くって」と言いながら、平然と髪に触れてきた。
「よし、歯食いしばりなさい。今すぐその顔使い道ならなくしてあげるから」
「絶対お前、表で働けない仕事してんだろ」
そう言って笑う雅を睨みつけて、伸びてきた手を軽く払い落とす。
出会いは最悪だったけれど、子供なりに、本気で好きだった。
だから私も、馬鹿になって、騙されてもいいなんて、本気で思っていた。
もう傷つくのも、恋に感情を振り回されるのも、こりごりだ。
本気の恋は、あれで最後でいい。
コメント
1件
うわぁ…プロポーズのシーン、めちゃくちゃ胸に来たよ。「これから先も一緒にいるなら夏帆がいい」って、あのクズな雅が本気で言ったんだなって思うと、余計に切ない。でもその後の別れ方も含めて、すごくリアルで刺さる。今の二人の軽口叩き合ってる感じも、過去があったからこその距離感なんだろうな…。