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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
「……もしもし、私だけど」
『あ?』
電話の相手は、もう声すら聞きたくないはずの雅だった。
休日の昼間に起こされたらしく、不機嫌さがそのまま伝わってくる声。
「ムカつく事にあんたしかついに頼めなさそうなのよね」
お見合いを断るために、仮の恋人をお願いする、そう話していた件。
あれから一緒に実家へ行く話はうやむやにしていたのだけれど、父の繋がりで、母が本格的に相手探しを始めてしまい、もう四の五の言っていられない状況だった。
今の私にとっては、雅の顔を見るよりも、お見合いのほうが無理。
『ああ、言ってたやつね。行ってもいいけど何してくれる? 抱かせてくれる?』
「……ああ、もういっそ玲くんにお願いしようかな」
『はあ? 無しだろ、玲だけは』
玲くん、わりと有りでは? 多少迷惑はかけちゃうけれど、と、私は一瞬本気で考え始めてしまう。
反省もせずに「抱かせてくれる?」なんて言葉が出てくる雅には、本気で呆れるし、もし他に相手がいるなら、絶対に頼みたくない。
それでも残念なことに、どう考えても適役は、雅以外にいなかった。
『俺が行く。それとさ、俺が泊まる所決めても良い?』
「あんたに任せたら部屋一緒にされそうだし、無理。そうなったら私だけ実家に泊まるから」
『それで怪しまれて困るのお前だろうが』
確かに、私だけ実家に泊まるとなれば母が『雅くんと喧嘩してたの?』だの『どうして交際してるのに別々に泊まるの?』だの、根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。
そう思うと、雅の言葉に何も言い返せなかった。
だとしても、同じ宿に泊まるなんて、あの日と同じことになるに決まっている。
どう返そうか悩んでいると、電話の奥からやけに楽しそうな声が聞こえてきた。
『もう良くね? 割り切った関係もありじゃん?』
「ここまで清々しいと、もはや気持ちが良いわね」
『そんなに嫌?俺とそういう関係になるの』
「逆にクズに抱かれて嬉しいって思う女がどこに居ると思う?あんたが私をいかに安く考えているかよく理解したわ」
『何言ってんの。俺可愛い子しか抱かないから、希少だよ』
「お願いだから死んで」
そんな言葉で喜ぶと思うな、このクズが。
『とりあえず楽しみにしてて。良い所予約するから』
「……いろいろ準備あるから切る。またね」
それだけ言って電話を切り、私は大きく溜息を吐いた。
この男が、部屋を分けるなんて選択をするはずがない。どうせ同じ部屋になって、そういう流れになるに決まっている。
この時点で、もう半分は諦めていた。今から、あの男に手を出される覚悟をしておかなければならない、と。
それから二週間ほど経って、約束の日がやってきた。
新幹線に揺られ、三時間ほどかけて実家へ向かう。
窓の外を流れる景色を眺めながら、これからのことに少しの不安が私を襲っていた、はずなのだけど……。
「うっまー!」
駅で買ったお弁当とお酒を広げて、二人で乾杯し、昼間から飲んでいた。昼間から飲めるなんて、控えめに言って幸せすぎる。
雅も満足そうにビール缶に口をつけ、喉の奥へ一気に流し込む。缶を置くと、わずかに微笑んでこちらを見た。
「昼から飲めるなんて贅沢すぎない?」
「本当、昼飲みも悪くないな。てか、今日泊まる旅館の近くに、日本酒有名な店あんだって。買って旅館で飲まね?」
「日本酒とか最高すぎる。リサーチ優秀すぎるのやめて」
今日泊まる旅館は有名で、私も前から一度泊まってみたいと思っていた。
露天風呂付きで、部屋も広く、夕飯も豪華。文句のつけようがない。そこに、美味しい日本酒まで加わるのだから、もう最高の予感しかしない。
しかも隣には、目の保養になる男がいる。
……性格には、やや難ありだけど。
雅に任せると決めた直後は、不安しかなかったけれど、旅館の連絡を受けた瞬間、一気に気持ちは高まった。
雅は出掛ける前に妙に下調べが丁寧で、提案してくる場所もほとんど外れがない。そんなことを思い返すと、今回も任せて正解だったのかもしれない、と自然に笑みがこぼれた。
今日は顔合わせだけだし、雅には奇抜じゃなければどんな格好でも良いと言っていたのだけど、カジュアルなスーツを着用してきた。
控えめに言って最高。肩のラインに沿ったジャケット、ほどよく開いたシャツの襟。すごく似合っていて、格好良くて、思わずじっと見てしまう。
「というかスーツじゃなくていいって言ったのに」
「カジュアル系にはしてきたろ。本当優秀俺」
「今日だけは素直に褒められるわ。スーツ似合いすぎて大優勝。自画自賛も認める」
さらに、雅はちゃんと手土産も用意していた。こういうところを見ていると、営業で働いていて、社会人としての基本はきちんと押さえていることが分かる。
この女癖さえなければ、普通に生活していたら間違いなく優良物件だと思う。
「あー、本当。このクズさと女遊びさえなければな」
「でも顔は好きだろ?」
「そこだけはまじで満点」
悔しいことに否定はできない。
飲み干したビールの缶をべこっと片手で潰すと、雅は笑った。
多少のイケメンくらいで「顔は好きだろ?」なんて言われても、自惚れるなと一蹴できるのに、雅に言われると否定する余地もなく、肯定ばかりしてしまう。私がこの顔を好きすぎるせいもあるけれど。
「よし! 今日は全部私持ち!」
「え、お前。金持ってんね、養ってくんね?」
「馬鹿じゃないの、プライドを持て、プライドを」
なぜ、二つ上の男を私が養わなければならないのか。
地元に戻り、まっすぐ実家へ向かうと、私も雅も両親とは久しぶりの再会だった。
事前に、雅と最近再会して縒りを戻したことは話しておいたのだけれど、本当に雅が目の前に現れると両親は目をまんまるくして驚いていた。
「まさか最近出来た恋人が雅くんだったなんて……、いつの間にそんな事に?」
「ご無沙汰しております。たまたま最近再会して、お互いまだ好きだったみたいで」
雅は表向きの笑顔で、落ち着いた口調で答えている。
さすが元営業というべきか、愛想と話し方で安心感を与える雅に、思わず感心してしまう。
「そんな偶然が起きるなんて、世間は狭いね。それよりも、さ、雅くん飲んで飲んで」
そう言いながら、お父さんは雅のグラスにお酒を注いでいる。
会ってすぐに両親の機嫌は良く、雅がいかに好かれていたかを実感した。
付き合っていた頃、雅が両親に会ってくれたのは初めてで、大学時代、親に「付き合っている人がいる」と言ったら、「連れてきなさい」と言われた。
その時も奴は嫌がらずに来てくれて、愛想も良かったから、両親はすぐに雅を気に入った。
別れたと伝えた時も、両親は悲しそうな表情を浮かべながら「そう…」と言われたくらいだ。
「あ、いただきます」
「ちょっとあんま飲ませないで、この後も行く所あるし、顔見せに来ただけだけだからすぐ出るのよ」
そう言いながら父を制しても、父は上機嫌に笑いながら雅のグラスにアルコールを注ぐ。
少し飲まされたくらいじゃ酔う男でもないし、私の心配は杞憂に過ぎなかったけれど。
「やっとこれで安心できるわ。結婚とかは考えているの?」
「まだ縒り戻したばっかりなのよ。結婚とかそんな早く考えられない」
そう答えながら雅に視線を向けると、口元には笑みを浮かべているものの、目は全然笑っていなかった。
結婚の話題が出ると、どうしても付き合っていた頃のことを思い出してしまう。きっと雅も、同じ気持ちだったのだろう。
あの時別れていなければ、今ここには仮初の恋人ではなく、夫婦として座っていた未来もあったのかもしれない。
けれどもう、今更そんなことを考えても、私と雅が交わることはきっともうない。
コメント
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読み終わりました。この二人の会話のテンポ、本当に絶妙ですね。「顔は好きだろ?」「そこだけはまじで満点」——このやり取り、クズなのに憎めない雅のキャラと、正直に認めてしまう主人公の心情が一気に立ち上がってくる。旅館や日本酒の話で盛り上がるシーンから、実家での「結婚」の話題で雅の目が笑っていなかった落差が、読んでてグッと来ました。あの瞬間、二人とも過去のあの時を思い出してるんでしょうね。最後の「もう交わることはない」という確信が、この再会の物語に切なさを添えていて、すごく好みです。