この作品は個人的に制作されている「ザ・ビートルズ」の伝記であり、情報も個人的に調べているものです。すべて正しいとは限りません。ご注意ください。また、私は個人ライターでもない為、文章の書き方や表現が非常に下手です。これらを不快に感じない方のみ、読むのを推奨します
1956年
あるところに、ジョン・レノンという16歳の少年が居た
彼は音楽に熱中していて、バンドも作った
そのバンドの名は「ザ・クオリーオメン」
そんな中、教会で彼らは演奏することになった
「なぁジョン」
彼にそう話しかけたのは、彼の共通の友人であるアイヴァン・ボーンだった
彼は続けた
「紹介したいやつが居るんだ」
そこには、ジョンより1歳年下であろう男が居た
彼こそがポール・マッカートニーだった
「やぁ。君がジョンだね。僕はポール。ポール・マッカートニー。よろしく」
「こちらこそ。私はジョン・レノン。レノンでもジョンでも、呼びやすい方でいいさ。よろしく」
彼はその後、クオリーメンに所属することになり、クオリーメンにポール・マッカートニーが加わった
1958年2月
ポールがジョンにこう言った
「そういえば、僕の知り合いにギターが上手いやつが居るんだ。紹介しようか?」
「あぁ。頼むよ 」
「それじゃあ伝えておくね」
「やぁ。君がジョンか。俺はジョージ・ハリソン。ジョージとでも呼んでくれ。よろしく」
「ジョージだね。よろしく。ギターのことはポールから聞いてるよ。ちょっとやってみてくれないかな?」
「おう、なんかやってみる」
「おお、想像以上に上手いね。バンドに入らないかい?」
「おぉ、マジ?入るよ」
ジョンの母の死
「早く、救急車を!」
1958年7月15日、ジョンの母親が非番で休みの警察官の運転する車にはねられ死亡する事故が発生した
「…ジョン…母親が…亡くなったんだってね…」
そう話しかけたのはポール、彼も14歳の頃に乳癌で母親を亡くしていた
「…あぁ…」
「…その気持ちは分かるよ…僕の母も、癌で亡くなった…」
「…そうなんだな…」
この出来事はレノンに大きなショックを与えたが、同時にポールとの友情が深まった
1958年9月、レノンはリヴァプール・カレッジ・オブ・アートに入学し、そこで最初の妻と出会う
1959年1月、クオリーメンのメンバーはレノン、マッカートニー、ハリソンの3人だけになった
彼らは西ドイツハンブルクなどでも活動しつつ、レノンはエレキギターを買ったりしていた
ある日、新メンバーの話が出た
「なぁ皆」
そう言ったのはレノン
「どうしたんだい?」
「実は新メンバーを加入させようと思ってるんだ。同じ学校のスチュアート・サトクリフってやつなんだけど…」
その後、サトクリフが加入した
レノンは言った
「なぁ、ちょっと名前変えてみないか?」
「それじゃ、どんな名前にする?」
「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグスとか、どう?」
「んー…なんか違うんだよな…ザ・シルヴァー・ビートルズとかどう?」
「ビートルズって響きは良いけど虫じゃないか!んじゃあ…うーん…シンプルに行こう。「The Beatles」とかどうだ?」
「なるほど、Beatなら音楽っぽいしシンプルだもんな」
「だろ?!」
ビートルズはこうして誕生した
コメント
1件
なんかデータ消えてて結果書き直す羽目になって草