ゆらゆら。ゆらゆら。心地のいいリズムに揺られている。それになんだかあったかくて心地が良い。今日はすごく暑い日だったはずなのに、今はちょっとだけ寒い。いや、外気が寒いんじゃない気がする。熱が高い時の悪寒のような、そんな寒気に似ている。俺は身体を少し震わせて、その温かなものにもっと触れようと抱きしめる力を強めた。
「大丈夫?寒い?」
ぼんやりと藤澤さんの声が聞こえる。なんでだろう。分からないけれど、とりあえずこくこくと頷いてみる。寒いです、と答えようと思ったが唇からは、うう、と呻き声が漏れただけだった。あれ?そうか、俺今日黒田さんに会ってみたくて飲み会に行ったんだった。それで今後の活動をどうするのかって話を振られて……。間違えてお酒飲んじゃって、それで俺どうなったんだっけ?
「ごめんね、もうちょっとで着くから我慢してね……シュン、俺のトートバッグの……そうそれ、悪いけど開けてくれる?……うん」
藤澤さんの声ともう一つ、低い声が遠くに聞こえる。よいしょ、という藤澤さんの声が聞こえて、ゆらゆらとした揺れが大きなものに変わる。そうか、俺あの後倒れて……いま藤澤さんが背負って運んでくれてるんだ。だんだんと状況の把握が進んでくる。しかし自分でアクションを起こすにはやけに体が重くてしかも寒くてうまく動けない。それに寒さを自覚してから、やけにそれが強くなってきている気がする。
金属音。ドアの開くような音。なにか、藤澤さんの声。やわらかいものが体に触れて、温かな藤澤さんの身体が離れる。とっさにその服を掴もうとしたが指先をすり抜けてしまう。おそらく布団に寝かせてくれたのだろう、掛布団も続けて身体にかけられる。藤澤さんの香りがする。
「大森君?少しでもお水かお湯飲めそう?」
うう、と俺は首を振る。だめか、少しでも飲んだほうがいいんだけど……。と藤澤さんの声。
「でもとりあえずお湯は沸かしとこう。シュン、大森君の様子見てて。吐きそうだったらそこの袋に吐かせちゃっていいから」
「分かった」
あれ、黒田さんも一緒なんだ。ていうかなんでこんなに寒いんだろう。もう8月だってのに、寒気のせいで身体も震える。え、これアルコールのせいなのかな。目も開けられないし……。あ、なんか急に気持ち悪い。どうしよう。何とか起き上がろうと頭を持ち上げる。
「大丈夫か?気持ち悪い?」
これは黒田さんの声だ。あぁもう最悪だ。せっかくの飲み会でこんな迷惑かけて。お湯を沸かし終えたらしい藤澤さんが戻ってきて、俺の身体を支えてくれる。
「吐きそうかな、トイレまで行ける?ダメそうなら袋用意してあるからここで吐いちゃっていいよ」
「う、ごめんなさい……だめかも」
「シュン、袋!」
がさがさという音がして、俺はこらえきれずに嘔吐する。酸っぱい匂いが鼻腔を刺激する。二度、三度と吐いてようやく気持ち悪さが収まった。
「ぬるめのお湯持ってきたから飲んで……そうそういい子いい子、これで少しは楽かな」
促されるままに藤澤さんが差し出してくれた湯呑のお湯を飲む。まだ少し寒いがさっきよりは全然マシだ。目も開けられるし、意識もさっきに比べればはっきりしてきた。
「ごめんなさい、本当にすみません、ご迷惑を……」
「何言ってんの、大丈夫だよ~。お酒だと思ってないもんね、びっくりしたよね~」
よしよしと背中を撫でられる。藤澤さんはそっと俺の手を握り
「あ、でもさっきより指先あったかくなってきた、よかった~」
とほっとしたように明るい声を出す。ほら、寝てたほうが楽だよ、と促されるままに横になり、また布団が被せられた。あったかいし、藤澤さんの香りがするせいかやけに安心する。波が寄せるように眠気が押し寄せ、俺はぎゅっと強く身体に布団を巻き付けるようにした。ふたりが話している声が遠くに聞こえる。
「うん、多分これで少し眠れば大丈夫……シュンありがとね、手伝ってもらっちゃって」
「別に。ていうかこのあとどうすんの」
「どうするって……回復まで時間かかるだろうし、終電もそろそろなくなっちゃうだろうからこのままうちに泊めるよ。彼、実家勢だからおうち遠いんだ」
へぇ、と黒田さんは少し棘を含んだ声音で続ける。
「ミズノから聞いたけど、ずいぶん仲いいんだって?」
少しの間、沈黙が空間を支配する。
「……大森君が新しく見つけた『素敵な恋人』ってわけ?」
ぱちん、と乾いた音が部屋に響いた。
「ごめん。でもそういうんじゃないし、彼にも失礼だよ……それに聞こえてたらどうするの」
藤澤さんが声を潜める。
「大丈夫だよ、もう寝てるだろ。それに、少なくともあの子は涼架のこと、ただ仲のいい先輩以上の存在に思ってそうだけど?」
はぁ、と苛ついたように藤澤さんがため息を吐く。
「シュンも今日は飲みすぎだよ。大体いつもノンアルだったくせに、今日はビールに、俺の頼んだ日本酒まで」
「向こうじゃ否応なしにビール呑まされるからずいぶん慣れたよ、別に酔ってない。……ねぇ、涼架、さっきの話どうするの」
「……別に僕がどうしようがクロには関係ないだろ」
「またそうやって突き放そうとする……関係あるよ、言っただろ、これからも好きだって」
「そんなのはクロの事情だ。僕には関係ない。だって僕は……」
「もう俺のことは好きじゃない?」
「……当たり前」
誰かが動いた気配がして、次にがたん、と何か大きな音がした。
「……やめっ」
藤澤さんの声だ。瞼が重くてまったく持ち上げられないが、何かまずい状況な気がする。黒田さんの声も微かにしたが、半分眠りの海に沈んでいる意識下ではよく聞き取れない。俺は鉛のように重たい身体を何とか動かそうとした。がたん。伸ばした指先が触れた何かが倒れる。ぴたり、と人の動く気配が止んだ。
「帰って」
藤澤さんの凄むような低い声。
「ごめん、確かに今の俺は冷静じゃない。一個だけどうしても聞きたいことがあるんだ」
少しの間、沈黙の帳が下りる。
「なんであの日、来なかったの」
「……インフルにかかってた」
少し間をおいてから、はは、と黒田さんは笑った。呆れたような、悲しそうな。
「分かったよ、そういうことなんだな……ごめん、今日は」
それから物音がして、ドアの閉まる音がした。おそらく黒田さんが出て行ったのだろう。少しして、ふわりと俺の頭に誰かの手が触れた。
「ごめんね……」
消え入りそうな声。誰への謝罪の言葉なのだろう、と思ったが深く考える前に俺はまた眠りの渦へと引き込まれてしまった。
コメント
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ふぃぃいんやばい泣くぅ😭😭
今回も楽しませていただきました😭😭 これからどうなっていくのか本当に楽しみです!!! いろはさんの作品読みやすいので大好きです🫶🏻
最高です🫶🫶🫶🫶 続きがどうなるのか楽しみすぎる(っ ॑꒳ ॑c)ワクワク