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おおお、第17話やっと2人が本音でぶつかり合ったな!勇太くんが「美紗が好きだ」って認めたところから、お互いの誤解が溶けていく流れがめちゃくちゃ良かったわ。特に「トランプとUNOと花札です」からの「そっちの方が無理あるわ」の掛け合い、笑ったし泣けた。和馬くんが実はいいヤツだったってオチも効いてるし、真琴の良いところ探しの宿題も残ってるし、小田さんの登場で次回も目が離せない🔥 2人の復活、心から嬉しいわ!
何も出来なかった。
俺は何をしに旅館まで美紗を追いかけて行ったのだろう。
和馬から美紗を取り返そうと思っていた。美紗と和馬の旅行をぶち壊してやろうと思っていた。
だけど、美紗の楽しそうな笑顔を見たら、出来なかった。すべきでないと思った。
ここのところずっと、険しい顔で辛さに耐えている美紗しか見ていなかったから。
邪魔をしてはいけないと思った。
でも、やっぱり嫌なものは嫌で。苛立ちは止められなくて、美紗に当たってしまった。
後悔しか残らず、こんなにも楽しくも何ともなく、ただただ嫌な思いしかしなかった旅行など初めてだ。
「……はぁ」
平日の中日に2日連続で有給を取った為、仕事が溜まってしまい、今日はいつもより1時間早く出勤。
溜息を吐きながらパソコンに向かっていると、まだ勤務時間には早いのに、事務所のドアが開いた。
入って来たのは、紙袋を持った美紗だった。紙袋の中身はおそらく、一昨日買ったおみやげのまんじゅうとせんべいだろう。
俺に気付いた美紗と目が合う。
「おはようございます、佐藤さん。早いですね」
美紗が俺に挨拶をした。
ちょっとビックリした。
ずっと美紗に避けられていたから。俺から話しかけることはあっても、美紗が俺に声を掛けることなどなくなっていたから。
「あ……おはよう。休んだ分の仕事、やらなきゃと思って……」
驚きと嬉しさで声が裏返ってしまった。
「私もです。話しかけてすみません。続けてください」
美紗は『もう喋りません』とばかりに、左右の人差指を口の前で交差させると、ペコっと頭を下げながらお茶台の方へ掃けて行った。
旅行に行く前と明らかに様子が違う美紗。
何かが吹っ切れたと言うか……。
あの旅行で何かがあったことは、一目瞭然だった。
俺にとっては悪夢の様な旅行でも、美紗にとっては有意義なものだったのだろう。
美紗が元気を取り戻せたのは良いこと。
でも、そうさせたのは俺じゃない。和馬だ。
2人の間に何があったのかは分からない。だけど、それを想像出来ないほど、俺は馬鹿でもおめでたくもなかった。
美紗が普通に俺に話しかけてきたのは、そういうことなのかもしれない。
もう俺には気持ちがないから。なのかもしれない。
お茶台にお土産の箱を置き、『ご自由にどうぞ』という貼り紙をする美紗の後ろ姿を眺めながら、ネガティブなことばかりが頭の中を駆け回る。というか、この状態でポジティブでいられるわけもなかった。
お土産をセットし終わった美紗が自分の席に着いた。
小声で「よし」と気合を入れ、パソコンに電源を入れる美紗。
美紗は俺とは違い、仕事やる気モードらしい。
美紗の席は俺のデスクと離れたところにある為、会話はない。
パチパチとキーボードを叩く音だけが響く所内。
そうこうしていると、始業時間が近づいてきて、次々と社員が出勤してきた。
「おはようございます。2日間、お休みありがとうございました」
美紗が同じ業務を請け負う事務員さんたちに挨拶をしながら頭を下げた。
しかし、新しい彼氏と温泉旅行帰りの美紗に、周りの風当たりは以前に増して強くなっていた。
美紗の声掛けが聞こえなかったかの様に、美紗の存在が見えていないかの様に、完全無視をされる美紗。
そんな美紗が買ってきたお土産に、全員気付いていたはずなのに、美紗を嫌忌する社員たちは手を付けず、昼休みになっても大量に残っていた。
「……美紗、みんなが喜ぶと思って買っただろうに……」
昼休み、社員たちがランチに出払った事務所で1人、お茶台に乗った温泉まんじゅうを見つめる。
箱を手に取り、側面に目をやる。
「明日までかぁ……」
思いの外、温泉まんじゅうの賞味期限は短かった。
おせんべいの方は日持ちするだろうと、温泉まんじゅうを箱ごと持ち上げ、空いている会議室に持って行く。
賞味期限を過ぎても残っていたら美紗が可哀想というよりは、美紗を良く思えない気持ちは理解出来ても、あからさまに美紗の善意を無下にする周りの社員たちに苛立ちを覚える。
適当な椅子に座り、昼メシ代わりにとまんじゅうの包み紙を剥ぎ、口に入れる。
「……あーまー」
甘さ控えめのまんじゅうと言えども、そんなに甘いものが得意ではない俺にとっては、充分甘い。
それでも次々に包み紙からおまんじゅうを取り出し、テンポよく口の中に放り込んでいると、ドアの外から誰かがノックをした。
「あ、はい。どうぞ」
モゴモゴしながら返事をすると、
「気を遣って無理して食べなくても良かったのに……。どうぞ」
苦笑いを浮かべた美紗が、ペットボトルのお茶を手にしながら中に入ってきた。
温泉まんじゅうの箱の横にお茶を置いた美紗が、俺の隣に座った。
やっぱり、今日の美紗はおかしい。前にみたいに普通に接してくれる。普通な美紗を【おかしい】と感じてしまう俺の方がおかしくなっているのだろうか。
「……別に腹減ってただけで、無理してるわけじゃ……。お茶、ありがとう。もらうね」
美紗が持ってきたお茶に手を伸ばす。
まんじゅうに唾液を持って行かれたこともあるが、何か変に緊張して口の中が乾く。
「だったらどこかに食べに行けばいいじゃないですか。お土産がみんなに喜んでもらえなかったのは残念ですけど、そうなる原因を作ったのは自分なので、別に落ち込んでないですよ、私。大丈夫です」
美紗が笑顔を見せながら、まんじゅうの箱に蓋をした。
「……別に、ただ甘いものが食べたかっただけだし」
「嘘吐き。佐藤さんが甘いものを食べたくなるわけないじゃないですか」
ふふふと息さえ漏らしながら笑う美紗。
美紗の笑顔が見れて嬉しいのに、困惑してしまう。
「美紗にだけは嘘吐き呼ばわりされたくないわ」
美紗に笑われたことが何だか恥ずかしくて、変に言い返してしまった。
「ですよね。すみません。お腹が空いているならおせんべいの方を食べてください。今、持ってきますね」
笑うのをやめた美紗が腰を上げ、会議室を出て行こうとするから、
「待って‼ まんじゅう食うの‼ 賞味期限がやばい‼」
と言いながら自分も立ち上がり、咄嗟に美紗の手を掴んだ。
別に逃げようとしているわけでもない美紗を逃がしたくなくて。どこにも行かせたくなくて。
キャスター付きの椅子が物凄く遠くまで転がって行く程の焦りっぷりを披露する。
そんな俺に一瞬目を点にした美紗が、
「……賞味期限、気にするんですね」
声を震わせながら「くくくっ」と笑った。
「……するよ。うるさいよ」
カッコ悪いな、俺。と思いながら、遠くの椅子をいそいそと取りに行く。どこまでも格好の悪い自分。
「本当に無理しないでくださいね。余ったら、家に持って帰っておやつに食べるので」
美紗が椅子に座り直した。
「無理なんかしてない。……独り占めしたかったんだよ。俺だけの為に買ったわけじゃないって分かってるんだけどさ。美紗が買ってきたものだから。……もう、美紗から何かを貰うことなんてないと思うからさ」
本心を吐露しながら、コロコロと椅子を転がして元にいた位置に戻り、腰を掛ける。
美紗の気持ちが和馬に向いてしまったとしても、こんなに意地汚いことが平気で出来てしまうほどに、俺は今も美紗が好きだ。
「……」
美紗が無言で俺を見つめる。その目は何故か潤んでいた。
「ちょっと、話さない? 俺の話、聞いてくれない?」
美紗の涙の意味は分からないが、それでもこのチャンスを逃してはならないと思った。
美紗が和馬のものになってしまったのなら、美紗をこうして話す機会ももうないかもしれない。
今、自分の気持ちを全部話しておきたいと思った。
「私も、佐藤さんと話がしたいと思ってました」
どうやら、美紗も俺に話がある様だ。
和馬の話なら聞きたくない。そんな話を聞いてから出来る話ではない。だから……、
「美紗の話も聞く。だけど、俺から話させて」
勝手だけど、俺から先に。
「はい。聞かせてください」
美紗は快諾してくれた。
急にこんなことになってしまったから、何をどう話せば良いのか分からない。
「……真琴のこと、親のこと、赦せないと思った。何で何でって人のせいにしてたけど、俺だって悪い。自分のことも赦せないんだ。ずっと後悔しているんだ。どうして美紗を助けられなかったんだろうって。俺なら気付けたはずなのに。真琴と一緒に暮らしていたわけだから。俺なら真琴を止めるられたはずなのに、美紗が苦しんでいる時、俺は高校生活を笑いながらのうのうと過ごしてた」
話を順序立てる余裕なんかないから、とりあえず思いのままに話し出す。
「それは佐藤さんが気に病む必要ありません。真琴ちゃんと家族からって、四六時中一緒にいるわけじゃない。気付かなくて当然です。後悔なんかしないでください。私、佐藤さんの高校生活が楽しいものだったって分かって嬉しいです。本当に。良かったって思ってます」
美紗が首を左右に振りながら、俺の懺悔を否定した。
「良くないよ‼ 俺、美紗がどんな思いをしたのか知りたくて、聞いたことを全部してみたんだ。……でも、無理だった。口に土と虫を近づけただけで嘔吐したし、便器に顔を付けることさえも、身体が拒否した。ごめん、美紗。本当にごめん。ごめんなさい。美紗が俺と結婚したくない気持ち、理解してるくせに素直に受け入れないで苦しめてごめん。全部全部、ごめんなさい」
勢いよく美紗に頭を下げると、
「なんで⁉ なんでそんなことするの⁉ 私は佐藤さんに同じ思いをしてほしいわけじゃない‼ 佐藤さんに苦しい思いをしてほしいわけじゃない‼」
美紗が俺の両肩を掴んで揺らした。
俺を揺すった振動で、美紗の目から涙が零れ、スカートに染みを付けた。
「……じゃあ、美紗は俺にどうして欲しい? 解放して欲しい? もう俺のことは好きじゃない? 和馬くんを好きになっちゃった?」
美紗の目から次々溢れ出す涙を「スカート濡れちゃうよ」と親指で拭うと、
「日下さんと一緒に旅行に行ったら、好きになるんじゃないかと思いました。佐藤さんより好きになれるんじゃないかと思ってたのに……佐藤さんが旅館まで来ちゃうから……」
美紗の頬に触れる俺の手を、美紗が強く握った。
「行ったけど、邪魔してないじゃん。お土産売り場で話し掛けただけじゃん。それさえも邪魔だった?」
「存在が邪魔だったんですよ」
泣きながらなかなか辛辣なことを言う美紗。
「……ひっど。美紗」
「隣の部屋に佐藤さんがいると思ったら、気になって気になってしょうがなくなるじゃないですか」
美紗が、悔しそうな目で俺を見た。
「本当に俺のことなんか気にしてた? 朝から仲良さそうに2人で朝メシ食ってたじゃん。俺のことなんか、気にも留めずに楽しんだんだろ? 結局、付き合ったんじゃないの? 和馬くんと」
正直、悔しいのは美紗ではなく俺の方がだ。攻め立てる様に問い掛ける俺に、
「旅行は楽しかったです。でも、付き合ってません」
美紗が否定をしながら首を左右に振った。
「でも、一緒に寝たんだろ⁉」
苛立ちと悔しさが入り混じり、勢い余って答えなど聞きたくもない質問が口をつく。
「一緒には寝てません。一緒の部屋で寝ただけです」
真剣な目で答える美紗が、冗談を言っている様には見えない。でも、
「何その、女子のありがちな言い訳。女子あるある? 正直に言えばいいじゃん。何の為の否定?」
大人の男女が温泉に行って、何もないはずがないことを、大人の俺は分かりきっている。
簡単に信じられるわけもなく、変に嘘を吐かれるくらいなら潔く認めてくれた方がマシだ。と乾いた笑いが漏れた。
「佐藤さんに信じてもらえなくても、佐藤さんに堂々と【日下さんとは何もしていない】と言いたかったからです。私は、日下さんとは何もないです」
それでも美紗は切実に訴えてきた。
「だから、何で美紗は俺に『和馬くんとは何もない』って言いたかったの?」
「無理だったからです。諦めようと、忘れようと、自分の気持ちを押し殺そうと頑張ったのに、ダメだったんです。やっぱり私は、佐藤さんが好きです。佐藤さんの中で小田ちゃんの存在が大きくなっていたとしても、私は佐藤さんが好きなんです」
ぎゅうっと胸の辺りを掴み、泣きながら必死に言葉を紡ぐ美紗。
美紗からこんな言葉を聞けるなんて予想もしていなくて、今度こそ突き放されるんだと思っていたから、気持ちに頭がついていかなくて混乱する。しかも、
「……俺の中で小田さんの存在?」
何のことを言っているのかさっぱり分からない事柄も出てきているから。
「慰めてもらったんですよね。小田ちゃんに」
美紗が、肩で呼吸をしながら泣く。
「は? え⁉ 何もない‼ それこそ何にもない‼ 頭を撫でてはもらったけど、それだけだし‼」
いつの間にか、立場が逆転。何故か俺の方が疑いの目を向けられている。
「正直に言っても大丈夫ですよ。私、大丈夫ですから」
美紗が心を決めたかの様に、胸に置いた手に更に力を入れた。
「イヤ、本当に‼」
美紗の目の前で両手の平を左右に振って「違う違う」と打ち消す。
「……そうですか」
と言う美紗が、納得している様には見えなかった。
「美紗、全然信じてないじゃん‼ 俺、まじで潔白なのに‼」
「……大人なのに、頭撫でてもらって終わり?」
さっきの俺の乾いた笑いを完コピしたかの様に、美紗が泣きながら「ふっ」と息を漏らした。
「ちょっと待ってよ‼ それを言うなら、美紗は和馬くんと一緒に寝ないで何してたって言うんだよ、大人なの‼」
「トランプとUNOと花札です」
「そっちの方が無理あるわ‼」
美紗に突っ込みを入れたところで、
『くくくくくくっ』
2人で吹き出してしまった。
涙も笑いも止まらない美紗をそっと抱き寄せる。
「俺も無理だよ。美紗のことが大好きなんだもん。諦めきれないよ。……和馬くんとのこと、引っかかりまくってるけど、今回だけはお互い様ってことで無理矢理流さない? 俺、そんなことより美紗と居たい。美紗が結婚したくないならしなくていいよ、俺。形に拘る必要ないと思う。色んな形があっていいと思う。美紗と居られれば、何でもいいんだ。俺は」
美紗の首元に顔を埋め、久々の美紗の匂いを感じる。
「……本当にそれでいいの?」
美紗が俺の肩を掴み、自分から引き離した。
「私も色んな形があっていいと思います。だけど、私の夢は小さい頃から【好きな人のお嫁さん】になることでした。結婚は私の夢です。佐藤さんは結婚したくて私にプロポーズしてくれたんですよね? 私、佐藤さんから結婚の制度を奪う様なことはしたくないんです。だから……」
「嫌だ‼ 絶対に嫌。そんな理由で別れないよ、俺。美紗も俺のことが好きだって言ってくれたじゃん。何でそういうこと言うの?」
美紗の言わんとすることが分かって、先を言わせない様に遮る。
「最後まで聞いてください。日下さんに言われたんですけど……」
「今、和馬くんの話を聞かされるの?」
困った顔で話を続けようとする美紗の発する【日下さん】に拒絶反応が起こり、再度話の腰を折る。
「美紗の話も聞くって言ってたのに……」
美紗の眉間に皺が寄った。
「ゴメン。聞きます。すみません。どうぞ」
出来れば短めに話して欲しいと思いながら、しぶしぶ耳を傾ける。
「日下さんに、『真琴にも良いところはあるんだよ。だから俺は真琴のことが好きだったんだよ。美紗ちゃんには見えていない良いところがあるんだよ』って言われました。それが見つかれば、結婚の糸口が見えるかもしれないって。探そうと思いました。だから教えて欲しいんです。真琴ちゃんの良いところを。私、佐藤さんと結婚したいです。佐藤さんはまだ、私と結婚する気はありますか?」
美紗の話は、全然しぶしぶ聞いて良い話ではなかった。
「……和馬くんのこと、忌み嫌いすぎた。めちゃめちゃイイヤツだったんだ。俺、心の中では【くん】なしで呼んでたのに」
自分の悪態を反省しつつ、美紗と和馬くんの間には本当に何も無かったのかもしれないと思った。
「めちゃめちゃいい人ですよ、日下さんは。……それで、真琴ちゃんの良いところは教えてもらえますか? 佐藤さんにはまだ結婚の意志がありますか?」
美紗が答えを急かすように同じ質問を繰り返した。
「あるに決まってるでしょ‼ だから敬語と【佐藤さん】呼びもうやめてよ、美紗」
今度は強く美紗を抱きしめる。もう2度と何処へも行かせない様に。
「……ほっとした。良かった。勇太くんは優しいから、私がちゃんと反省して謝れば今までのことを赦してくれるんじゃないかって思ってたんだけどね、結婚する気はもうなくなってしまったかもしれないって不安だった。勇太くんに『結婚しなくてもいい』って言われて、当然だって理解はしているのに、しつこく粘っちゃった。勇太くんと結婚したくて、でもしたくなくて、だけどうしてもやっぱりしたかった。……勝手なこと言ってるよね、私。ごめんなさい」
美紗が敬語をやめて、俺を【勇太くん】と呼びながら俺の背中に手を回した。
「本当に勝手。勝手すぎ。今度からは何かあったら絶対俺に相談して。何でも聞くから。自分ひとりで決めないで。俺、頼りないかもしれないけど、頼ってよ。美紗のことは全力で守るから。いつでも盾になるから」
ちゃんと聞こえる様に美紗の耳元に顔を寄せると、
「……盾になってくれるんだ」
美紗が俺の顔を見て「ふふっ」と笑った。
「……何。クサい? キザすぎ? 今くらい良くない?」
恥ずかしくて少しむくれて見せると、
「クサいしキザだけど、盾、ずっと欲しかったんだ。ありがとうね、勇太くん」
美紗が俺の頬を撫でた。
頬を撫でる美紗の手が心地良くて目を閉じていると、
「……ねぇ、勇太くん。真琴ちゃんのことが知りたい。教えて?」
美紗が、真琴のことなどすっかり忘れ、幸せ気分に浸る俺の目を覚ました。
そう、問題は解決していない。
「……ちょっと待って。考える。何せ、ついさっきまで真琴のこと、憎んでしかいなかったから」
顎を親指と人差し指で挟み、盛大に悩む。
「考えるって……。パッと出てこないの?」
ひたすら斜め上を見ながら真琴の良いところを思い出そうとしている俺に、美紗が不安そうな表情を見せた。
「待って待って。大丈夫‼ 今までアイツの悪い所ばっかり目に付いてたからさ。……うーん。あ‼ 美紗と和馬くんの旅行の情報流して来たの、真琴なんだよね」
ひらめいた様に答える俺に、
「……でしょうね」
苦笑いの美紗。
「真琴からしてみたら、美紗と和馬くんの旅行をぶち壊して欲しいからだったんだと思うけど、俺もそうだったから利害が一致しただけなんだけど、結果的にナイスアシストだったんだよね、俺にとっては。正直、何も出来なかったから、無駄な旅行だったなって思ってたんだけど、無駄じゃなかったみたいだし。美紗が俺のことを気にしてくれたから」
「……うん」
俺の説明に納得していない様子の美紗の『うん』はきっと、『そうですね』の意味ではなくただの相槌だ。
「真琴にあの旅館を予約してもらった時にさ、真琴が『美紗を取り戻すことが出来たら、ハネムーン代出してあげるよ』ってさ。『行きたいところも泊まりたいホテルも好きなの選べばいい』って言い出してさ。まぁ、何割かは社割利くし、自分の営業ポイントになるからってこともあるんだろうけど」
それでも尚、話し続ける俺に、
「自腹で営業成績上げても、結果損するじゃん。海外旅行しようものなら、お給料2か月分飛んじゃうよ」
美紗が首を傾げた。
「俺もそう思う。真琴ってさ、昔から人に謝るってことが出来ない奴でさ。『謝罪=負け』だと思ってる節があるって言うか……。アイツ、小さい頃から俺に劣等感があったみたいでさ。いつも『どうせお兄ちゃんには敵わない』って言ってた。家での鬱憤を学校で……美紗で晴らしてたんだと思う。誰かを虐めて人の上に立った気でいたんだと思う。馬鹿丸出しだよな。今も素直に謝れないでいるんだよ。真琴も大人になって、自分の過ちが分かって、アイツなりに反省してるんだと思う。謝れないから、わざと自分に荷重をかける様なことを自ら提案したんじゃないかな。だからって、赦さないけどね。絶対謝らせるけどね。このまま謝罪も出来ない人間でいられるのは、兄として恥ずかしいから。更に遠慮もしないからね。新婚旅行代、真琴に出させるから。美紗、たしかフィレンツェに行きたいって言ってたよね?」
前に2人でテレビを見ていた時に、旅番組で放送されたフィレンツェの景色を見て美紗が『行ってみたいな』と言っていたのをふと思い出した。
「イヤイヤイヤイヤ。さすがにそれはやり過ぎ。新婚旅行は2人でお金を貯めて行こうよ」
美紗が顔を左右にブンブンと降った。
「美紗ならそう言うと思った。俺も反省をお金や物で返すのってどうなのかな? って思うこともあるけどさ、人の気持ちって目に見えないから、良く分かんないじゃん。例えば、結婚だってそうでしょ? 俺さっき、『美紗が居てくれるなら形に拘らない』的なことを言ったけどさ、それは全然嘘じゃないけどさ、やっぱり『美紗は俺の妻です』『俺は美紗の夫です』って証明が欲しいと思ったもん。美紗の3年間の苦しみが、真琴の給料2ヶ月分ぽっちなわけないと思う。だけど、真琴ってまじで貯金ないんだよ。ボーナス当てにしてボーナス払いで鞄買っちゃうくらいに計画性がないし。だから、これが真琴の目に見える精一杯の反省なんだと思う。金持ちの【金で解決】とは違うんだよ。そこは汲んで欲しい」
何とか真琴の反省が美紗に届けたくて、懇願する様に話す。
「……じゃあ、熱海にしよっか?」
美紗は真琴の気持ちを受け取ってくれたのだろう。優しい美紗は、真琴の負担を軽くしようと行き先の変更を提案した。
「熱海にフィレンツェないじゃん。熱海は行こうと思えばいつでも行けるじゃん。フィレンツェ行くの‼」
しかし、折角の新婚旅行。言葉も違う異国で2人きりの世界に浸りたい。
「じゃあ、実際いくらかかるのか調べてから決めよう。別にフィレンツェ一択にしなくても……ね?」
美紗が俺を諭しながら困った様に笑った。
「そうだね。家に帰ってゆっくり決めよう。どこがいいかなぁ?」
『家で考える』と言いながら、既に考え始めている俺に、
「……ねぇ、勇太くん。真琴ちゃんって、きっと今も日下さんを好きなんだよね? 日下さんと私の旅行を邪魔したかったわけだから」
美紗が、もうなかったことにしてしまいたい美紗と和馬くんの旅行話を蒸し返した。
「だと思うけど」
だから素っ気なく答えると、
「じゃあ、日下さんに『真琴ちゃんが新婚旅行をプレゼントしてくれるんだって』って報告しておこうと思う。真琴ちゃんへのお礼として、ちょっとでも真琴ちゃんのアシストになればいいなと思って。それで、日下さんとの連絡は辞める。私には盾があるから砦ははなくても大丈夫」
美紗は、和馬くんが抱いているだろう真琴のあまり良くない印象の改善を図ると、訳の分からないことも言い出した。
「あの2人、より戻せる可能性あるの? てか、何? 砦って」
「……うーん。難しいかもだけど……でも、ウチラだって復活したんだし、どうなるか分かんないでしょ? 砦は……勇太くんさえいてくれればそれでいいってこと‼」
普段、割とゆっくり話す美紗の口調が、後半早口になった。
自分が言ったことに、顔を真っ赤にして照れる美紗があまりにも可愛くて、
「あぁー‼ 帰りたい‼ 今すぐ美紗と一緒に家に帰りたいー‼」
美紗とこうして話すのが久々で、嬉し過ぎて楽し過ぎて、もう今日は仕事したくない。
「帰っちゃだめでしょ。勇太くん、午後から戦略会議入ってるでしょ? 私も今日は、帰りに実家に寄ってお母さんに温泉まんじゅう渡す約束してるから、家に帰ってる場合じゃない。残業しない様に午後はきっちり働かないと」
今日もしっかり俺の予定まで頭に入れている美紗が、完全にやる気をなくした俺の髪を撫でながら宥めた。
お母さんに、温泉まんじゅう……かぁ。
「今日、俺も美紗の実家に行ってもいい?」
「別にいいけど、おまんじゅう渡すだけだよ?」
突然の俺の申し出に不思議そうな顔をする美紗。
「……あのね、美紗。実は俺、美紗との約束破ってるんだ。ごめん」
「え?」
俺の髪を触っていた美紗の手が止まった。
「美紗との結婚がだめになりそうになった時、美紗のお母さんに会いに行ったんだ。ちゃんと謝りたかったし、もし美紗がお母さんにまで嘘を吐いていたとしたら、『違う』って全力で否定しようと思ってさ。美紗に口止めされてたのに、美紗のお母さんに美紗が過去に受けていた苛めのこと、話した。勝手にごめん。美紗のお母さん、泣いてたよ。美紗のお母さんも後悔してた。『なんで気付かなかったんだろう』って。美紗、お母さんを泣かせたくなくて黙ってたのにな。俺、泣かせちゃった。本当にごめん」
謝りながら頭を下げると、
「勇太くんの優しさを侮ってたな。勇太くんがお母さんに会いに行くこと、想定してなかった。勇太くん、そういう人だもんね。私のお母さんのことも大事に思ってくれる人だもんね。だから好きになったのに。謝らなくていいよ、勇太くん。お母さんを泣かせたのは勇太くんじゃない。お母さんはきっと、自分にまで嘘を吐いて婚約破棄をしようとした私に悲しくなって泣いたんだよ。私今日、お母さんに謝る」
美紗が俺の顔を覗き込んで微笑んだ。
「俺も美紗のお母さんに心配かけたことを謝りたいし、お礼もしたいから、今日は俺も絶対残業しない‼ 定時で帰る‼」
美紗に笑い返すと、
「お礼って何の?」
微笑んでいた美紗の顔が、右側に少し傾いた。
「俺さ、美紗のことが好きな気持ちは変わらないのに、どうしたら良いのか分かんなくなっちゃったんだよね。俺との結婚が美紗を苦しめているのなら、手放して自由にさせてあげた方が美紗は幸せなのかもしれないって。でも、やっぱり美紗のことが好きだから、どうしてもそれは出来なくて……って時に、美紗のお母さんが背中を押してくれたんだ。自分の大事な娘を酷い目に遭わせた人間の兄にそんなこと、なかなか出来ないよ、普通。凄く嬉しかった。有難かった。物凄く感謝してるんだ」
傾いた美紗と視線を合わせようと、自分の頭も左に傾けると、
「……嬉しいね。自分の家族を褒められるって。なのに私は、勇太くんの家族を悪く言ってばっかりだった。最低だ。本当にごめんなさい」
美紗は俺と目を合わすことなく、両手で顔を覆って泣き出してしまった。
「最低なんかじゃないよ。自分のこと、そんな風に言わないで。美紗、真琴に酷いことをされたのに、真琴の良いところ探そうとしてくれたじゃん。真琴をアシストしようとしてるじゃん。優しい気持ちがなきゃ、そんなこと出来ないよ。美紗が最低なわけがないよ。……って、話逸らして、真琴の良いところ1つも言ってなくね? 俺」
顔を隠したままの美紗の手を剥がして、情けなく笑ってみせると、美紗も洟を啜って笑った。
「ありがとうね、勇太くん。ゆっくりでいいよ。真琴ちゃんが反省してくれてるって教えてもらえただけで、何かちょっと救われた。勇太くんが思いついた時に聞かせて」
「うん」
俺と美紗は結婚する。焦らなくても、2人の時間はたくさん作れるんだ。
「もうすぐお昼休み終わっちゃうね」
美紗が壁掛け時計を見上げた。
「日本の昼休み、短すぎだよな。スペインは3時間休めるのにな。日本にもシエスタが必要だと思う」
美紗ともっと一緒にいたくて、美紗に抱きつく。
「休んだ分帰りが遅くなるんだから、お昼休みは1時間で充分だよー。早く勇太くんと一緒に帰りたいもん。……ていうか、仕事どうしよう。今更退職願取り下げられないし、就活しなきゃだー」
美紗が可愛いことを言って、嘆きながら俺に抱きつき返した。
「しなくていいよ、就活。だって美紗の退職願、部長に揉み消してもらったし。『後任が見つからない』って、俺が部長に頼んで吐いてもらった嘘だし。あ、部長にこのこと報告しないと。部長、詮索するタイプじゃないから、俺もサラっとしか説明しなかったんだけど、部長も俺たちのこと、心配して応援してくれたんだよ。美紗のこと、大好きだけど、美紗の好き勝手にはさせませーん」
ふふーんと美紗に笑ってみせると、
「私も大概だけど、勇太くんも知らないところで色々動いてたんだね。おそるべし。でも、ありがとう。もう少し勇太くんと働きたかったから、本当に良かった。部長にもちゃんとお詫びして来なきゃ」
美紗が驚きながらも嬉しそうに目尻を下げた。
「じゃあ、折りを見て2人で部長のところに行こっか」
俺にぴったり抱き着く美紗の髪を撫でると、
「うん」
美紗が気持ち良さそうに俺の胸に顔を埋めた。
そんな顔でそんなに密着されると……、
「……美紗ー。そんな風にくっつかれると離れられなくなるでしょ。仕事、したくなくなるでしょうが。さっきから俺、帰りたくてしょうがないのに」
仕事に戻る気力を根こそぎ吸い取られる。
「じゃあ離れる。デスクに戻ろう。本当にお昼休み終わりだから」
離れがたくて仕方ない俺とは逆に、美紗はアッサリと俺から身体を離した。
「そんなにスッと離れて行かないでよ。淋しい気分になるでしょうが‼ 『私も離れたくない』くらい言ってよ‼」
ずっとこうしていられないことは分かっていても、ちょっとくらい美紗にも寂しがって欲しかったんですけど。
「私は早く戻ってサクっと仕事を終わらせて、勇太くんとゆっくりしたいんだもん。仕事が残ってると思うと、落ち着いて勇太くんと過ごせない」
ごもっともな美紗の意見。美紗の意見には完全に同意。
こういう時、美紗は案外男前で俺の方が若干女々しくなってしまう。恥ずかしい。
「その通りだね。仕事、頑張る‼」
もう、仕事やるしかない‼ さっさと終わらせるしかない‼ と椅子から重い腰を上げると、
「私も頑張る‼」
美紗も一緒に立ち上がった。
食べ切れなかったおまんじゅうの入った箱を持ち上げ、会議室を出ようとドアを開けると、
「……え? 何で2人が一緒にいるの?」
ちょうど扉の先にいた小田さんが、こっちを見て眉を顰めた。