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 午後の診察が珍しくほぼ入っていない為、昨日とは違ってどこかのんびりした気持ちで仕事をしていたリアだったが、当然自分と同じように気持ちに余裕があると思っていたウーヴェは、出勤してきた時から不安になる程眉を寄せて不機嫌–とはまた違った感情を眉間に浮かべていた。

 その理由を聞きたいが聞いてはいけない気がしてぐっと堪えていた彼女は、午後の早い時間に患者が安心の笑みを浮かべてクリニックを出て行くのを見送り、ドアを閉めて無意識に溜息をこぼす。

 昨日リオンが不気味な笑顔で言い放ったルバーブの入ったチーズケーキが食べたいの一言だったが、ウーヴェからではなく直接リオンから今朝、来週はカップケーキが食べたいとスマイルマーク付きの文が届けられたのだ。

 それをウーヴェには伝えたものの己の心身の疼痛と向き合っているからか生返事があるだけでもう一度説明した方がいいかと天井を見上げた時、診察終了の札をぶら下げていなかった事を思い出して両開きの扉を開けてその準備をしようとするが、目の前に突如現れた壁に顔をぶつけそうになる。

「キャ!」

「……大丈夫か、リア?」

 目の前の壁が口を利いたことへの驚愕に目を見張り恐る恐る顔を上げた彼女は、そこにいるのが壁などという無機質なものではなくひまわりの束を抱えたハーロルトであることに気付いて別の驚きで顔を彩る。

「ハール? 久しぶりね」

「ああ。ひまわりを持ってきた」

 ウーヴェの分もだがあんたの分もあるとひまわりと白さが引き立つ百合の小ぶりの花束を差し出したハーロルトにリアの顔が今度は喜色に染まり、ついでくしゃくしゃの笑みを浮かべてそれを受け取る。

「ありがとう、ハール。お花を貰えるのは本当に嬉しいわ」

「そうか」

 喜んでもらえてこちらも嬉しいだの百合が似合うだのという美辞麗句や歯の浮くようなお世辞から最も遠い場所にいる朴訥な男が、日頃は見せない最大限の気遣いをした結果の花束にリアが心底嬉しそうにそれを受け取って抱えて百合の匂いにうっとりとしてしまうが、中に入って良いかと問われて赤面する。

「ええ、もちろん。入ってちょうだい」

 診察終了の札をぶら下げるから、何故扉を開けたのかを思い出させてくれたハーロルトに礼を言って中のカウチを勧め、自らはドアノブに吊るしていた札を表のドアノブに引っ掛けて扉を閉める。

「……リア?」

 扉を閉めて花束に顔を再度近づけていたリアは診察室のドアが開いてウーヴェが出てきたことに気付き、ハールに花束を貰ったと宝物を紹介する顔でウーヴェに笑いかけると、流石にそれに気付いたウーヴェが綺麗だなと笑みを浮かべる。

「ええ。お茶を淹れるわ」

 ハーロルトの分も淹れるから待っていてと男二人に笑いかけた彼女は、軽やかな足取りでキッチンスペースに向かい、鼻歌を歌いながらお茶の準備をする。

 そんな彼女を何となく目で追いかけたウーヴェだったが、ハーロルトがひまわりの花束を差し出したーというよりは突き付けた事に気付いて頭を仰け反らせてしまう。

「ハール?」

「今年一番のひまわりだ」

 家でもクリニックでも好きなところに飾ってくれといつからか習慣化しているそれを今年もしてくれと差し出されて受け取ったウーヴェは、リアほどではないがあぁと短く感嘆の声を零し、ハーロルトに極上の笑みで礼を言う。

「ダンケ、ハール」

「ああ」

 あんたは本当にひまわりが似合うと朴訥なくせに臆面も無く告げるハーロルトに微苦笑するウーヴェだったが、今日は面白い男に会ったと教えられて眼鏡の下で目を丸くする。

「面白い男?」

「ああ。リオンに良く似た男だったな」

「!」

 ハーロルトが投げかけた言葉はウーヴェの目を限界まで見開かせるもので、ひまわりの花束をリアのデスクに置いたかと思うと、ステッキも使わずに左足を引きずりながらカウチへと向かおうとするのを立ち上がったハーロルトが支えてカウチに座らせる。


「ウーヴェ?」

「リオンに似た男に会ったのか!?」

「ああ。ウィーン出身のフォトグラファーと言っていたな」

 リオンに良く似た男に出会ったことがそんなに驚くことなのかと逆にハーロルトが驚きに目を見張るが、お茶の用意を持って戻ってきたリアがウーヴェと同じような表情を浮かべた為、何があったと問いかける。

「……昨日、リオンと良く似た男を見かけたのよ」

 結論から言えばそれは人間違いで、結果的にリオンにチーズケーキを貢いで謝罪する事になったとリアがテーブルにカップを並べながら告げて溜息をこぼす前では、ウーヴェが名前は覚えていないかとハーロルトを意外なほど真剣な目で見る。

「……名刺がわりの写真をもらったな」

 作業着のオーバーオールのポケットに突っ込んであったノアからもらった写真を取り出したハーロルトは、ノア・クルーガーという名前だったとも告げると、ウーヴェとリアが顔を見合わせて異口同音に叫んでしまう。

「ノア・クルーガー!?」

「あ、ああ。知っているのか?」

 昨日はリアとウーヴェが見間違い、今日はハーロルトが見間違えたという男がノア・クルーガーと言う名のフォトグラファーだと知り、昨日のランチ時に個展が開かれれば見に行かないかと話していた写真家でもある事に二人が呆然と顔を見合わせる。

 昨日の今日でリオンに良く似た男とノア・クルーガーという名前がウーヴェとリアに纏わり付いていたが、それがハーロルトの言葉によって一つになり、脳内でリオンに良く似たノア・クルーガーという青年の像を作り出す。

「ウーヴェ、この人よ」

 昨日の新聞の情報では全然足りなかったノア・クルーガーの情報をリアがラップトップを操作してネット記事を発見し、ウーヴェとハーロルトの前に持ってくる。

「……ああ、この男だ」

 ハーロルトが昼食前まで一緒にいたノアの顔を思い浮かべながら頷き、ただこの写真は少し若い気がすると告げ、リアが淹れてくれた紅茶のカップを手に取る。

「後ろ姿がリオンにそっくりだったから声をかけたらノアだったが、リオンよりは随分と若かったな」

「ハールも見間違える程だったから、私たちが間違えても仕方がないわよね……」

 ハーロルトとリアの呟きにウーヴェが無意識に頷き、確かに似ているがこの写真を見てもあまり似ている感じはしないのは何故だと呟き、何かが気になったのか更にノアの記事をネットで検索し始める

「ウーヴェ?」

 リアの疑問の声を無視しながら画面を睨みつけていたウーヴェは、いくつかの写真や記事を読んだ後、何とも言えない顔で溜息を吐き訝る顔の二人を交互に見る。

「……確かに、ノア・クルーガーはリオンに似ているが、彼は若いな」

「ええ、そうね。プロフィール写真を見てもリオンよりかなり若いわね」

 ウーヴェがラップトップに表示していたのはノアの経歴や仕事ぶりを伝える写真のサイトで、本人の写真も複数枚アップされていた為、ハーロルトとリアが身を乗り出して画面を見つめる。

「父親が同じ写真家でヴィルヘルム・クルーガー。母親がハイディ・クルーガー。ウィーンで活躍している女優?」

 ノアの経歴が一覧表記されているのにざっと目を通したリアは、ハイディ・クルーガーという女優なら聞いたことがあったが親子だとは知らなかったと苦笑し、芸能関係に詳しくないウーヴェがどんな女優なんだと問いかける。

「主役というよりはその映画に欠かせない女優とでも言うのかしら」

 彼女が出ている映画やドラマをいくつか見たことがあるが、どんな役柄でも安心して見ていられるからか特定の監督の映画やドラマには必ず助演クラスの俳優として出演していた事実をリアが呟くと、彼女が出ている映画やドラマの情報も検索する。

「……ああ、確かにこのドラマは見たことがあるな」

「でしょう? 出身は……旧東ベルリンですって」

 リアが呟いた一言にウーヴェとハーロルトが顔を見合わせて随分と久しぶりに聞いた単語に思えるが、確かに彼女の年齢ならば旧東ベルリン出身であっても不思議はないことに思い至り、ヴィルヘルムの記事も同時に検索し始めるが、ノアよりも沢山の写真や記事が出てきた為、そのうちのいくつかのインタビュー記事をブックマークし他の情報を探していく。

 そして、東ベルリンを出た後は写真家としての一歩を踏み出したことをインタビューで答えているのを見つけてそれもブックマークするが、その後ハイデマリーと二人ウィーンへと向かい、そちらでハイデマリーが女優として頭角を現し順調にキャリアを積んでいったこと、それと同時にヴィルヘルムもフォトグラファーとしての実力を発揮し始め、世界中に仕事で飛び回る日々が増えたが、ベルリンにだけはどんな種類の仕事であっても足を踏み入れなかったことなども書かれていた。


 その彼が決して出向くことの無かったベルリンの壁が崩壊したその日、自分たちの希望の星となり、辛く苦しかった過去から自分たちを救ってくれるような子供が生まれてノアと名付けたとも書かれていて、華やかな芸能界やマス・メディアで活躍する人達だが、自分たちと同じように悩み苦しんできたのだろうかと肩を竦める。

 辛く苦しかった過去とやらは旧東ドイツでの事なのかとぼんやり思案し、ノアとリオンの年の差を何となく考えたウーヴェだったが、不意に芽生えた仮説に突き動かされたようにカウチの上で飛び上がり、ラップトップを同じように見ていたリアとハーロルトを驚かせてしまう。

「ウーヴェ?」

「いや、何でもない」

 まだまだ脳内で捏ねくり回している仮説があるがはっきりとした形を得たら話をすると断り、リアが淹れてくれたが温くなってしまった紅茶のカップを手にとる。

「しかし、本当に似ていたな」

「そうね……」

 検索画面を閉じてふうと溜息を吐いたウーヴェにリアも頷くが、己が先ほど出した名刺がわりの写真をハーロルトがじっと見つめ、素直な礼儀正しい男だったと呟きつつ写真の角を撫でる。

「……天使の階段だったかしら?」

「俺はヤコブの梯子と聞かされたが、そういう呼び方もあるようだな」

「キレイな写真だな」

 三人でL判サイズのそれを見下ろし、ウーヴェは新婚旅行で泊ったホテルから見た景色を思い出し二人もそれぞれ共通する光景を脳裏に描いているようだったが、素直な礼儀正しいリオンを見ているようで気持ち悪かったとハーロルトが再度呟いた為、ウーヴェが紅茶を喉に詰めそうになる。

「ぐっ……!」

「ウーヴェ、大丈夫!?」

 液体を喉に詰めた時の苦しさにウーヴェの顔色が再度悪くなるが、リアが背中を撫でていると咳き込んだウーヴェの手が上がり、いきなり何を言い出すんだと涙をにじませた目でハーロルトを睨む。

「……俺が悪いわけじゃない」

 ウーヴェの睨みを視線をそらして躱したハーロルトは、うまい紅茶をありがとうと礼を言って立ち上がり、ひまわりはこれから満開になるから必要ならば声をかけてくれと二人に伝え、また来ると言い残してクリニックを出ていく。

 出ていく大きな背中を呆然と見送った二人は、どちらからともなく顔を見合わせるが、ハーロルトが残していった天使の階段と呼ばれる薄明光線が美しく写された写真を見、本当にキレイだなと感心し合うが、ウーヴェの脳味噌はクルーガー夫妻の辛く苦しい過去がどこの暮らしの事なのかという疑問と、ノアが生まれた年とリオンの年齢差を無意識のように考えてしまっていた。

「ウーヴェ?」

「……少し、考え込んでしまったな」

 まさかたった二日で似ている男の存在と名前が判明するなんて一体どんな風の吹き回しだ、いや、神か悪魔の導きという名の悪戯かと、熱心なクリスチャンがいれば眉を顰めそうな事を皮肉気に呟いたウーヴェは、ハーロルトが残していった写真を手に取り、矯めつ眇めつした後、本当に綺麗だなと心からの感想を口にすると、閉じたラップトップの上にそっと置く。

 この時、ブックマークをした検索記事を精読していれば、脳内で組み立てては砂の城のように崩れていく仮説に強固な地盤を作ることが出来たのだが、ノアの存在が判明した事実に驚愕した脳味噌がそれ以上先に進まないように無意識にウーヴェの行動を制御してしまうのだった。

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