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ハーロルトがひまわりとノアの情報を抱えてウーヴェのクリニックを訪れ、ウーヴェが伴侶に良く似た見知らぬ男の情報を得て密かに頭を悩ませた日より数日後の午後、リオンは会社でソワソワしながら己のデスクで仕事をしていた。
そんなリオンにレオポルドが、祭り前の子供みたいだから少しは落ち着け、そんなに楽しみかと呆れ顔で諌めていたが、今までほとんど意識することのなかった映画祭だが、有名人が文字通り山ほど集まる会場に初めて行けるのだ、楽しみに決まっていると、楽しみが芸能人と直接会える事以外にもあると教える顔でデスクの端にサイン帳を積み重ねながらリオンが言い返す。
「……仕事にならんな」
「今日は仕事をしている方がバカでしょ」
うちもスポンサーになっている映画祭、今日は前夜祭で数多の有名、著名人が訪れて講演会やメディアによるインタビューなどがあり、明日は授賞式で今日とはまた違う雰囲気のお祭りが続くのだ、パーティーだ、有名人が山ほど集まるパーティーだ、サインをもらって売り払ってやると悪魔じみた事を呟くリオンにお前が本当に楽しみにしているのはそれかと呟いたレオポルドは、本当に楽しい人なのだからと口元に手をあてがって心底楽しそうに笑う妻へと溜息を吐くが、気分を切り替えるようにデスクを拳で一つ叩くとボディガードを頼むとリオンを見やる。
「Ja.」
流石にその言葉に対しては真摯な返事をするリオンだったが、ついさっき届いた旧友からの一報を思い出し、ハンガーラックに吊るしてある己のタキシードへと顔を向ける。
「リオン?」
「や……ナントカって女優に脅迫状が届いたって本当なんですかね……」
「新聞社に届いたと言っていたな」
「Ja.」
つい先ほど、今よりは少しマシな態度で仕事に臨んでいたリオンに前職での同僚であり仕事を離れた今でも付き合いのあるコニーから、ハイディ・クルーガーを殺傷するという脅迫状がこの街に本社がある大手新聞社に届けられたという連絡が入ったのだ。
差出人の情報等は不明だったが脅迫状が投函されたのは数日前の地方都市らしく、今あちらの警察に連絡を入れて協力を仰いでいる所だとも教えられ、その女優は命を狙われるほど悪いことをしたのかとリオンが前職を彷彿とさせる顔で問い返し、華やかな世界に生きているのだ、裏では何があるか分からないとコニーに返されてそんなものかと納得していた。
その脅迫状の内容が実行されてしまえば街をあげて盛り上げている映画祭が中止になるだけではなく、スポンサーであるバルツァーも何かしらの損害を被るかもしれなかった。
女優に危害が加えられないように警備がつく事、昨今の事情からテロ対策の専門家も応援に来ることも教えられたが、バルツァーの会長夫妻と社長がゲストとして招待されているだろうから一応お前も周囲に気を配っていてくれとも教えられ、リオンにとって色々な意味で大切な人達であるレオポルドとイングリッド、そしてギュンター・ノルベルトをしっかりと守れと言外に告げられて一瞬だけ真摯な顔で頷いたリオンは、己を見つめる二対の双眸に安心させるように太い笑みを見せて通話を終えていたのだ。
「まあ、その女優については警察に任せておけば良い」
お前は俺とリッドを守っていれば良いとリオンを秘書として雇っている最大の理由が発揮されないことを祈りつつレオポルドがイングリッドの横に腰を下ろすと、リオンを手招きして今仕事をしても効率が悪いからもう今日は仕事をするなと太い笑みを浮かべてハンガーラックで出番を待っているタキシードへ目をやる。
「あのタキシードはウーヴェのお気に入りの店で誂えたものだったな」
「久しぶりに引っ張り出してきたけど、腹回りも特に窮屈じゃなくて良かった」
結婚して幸せ太りしていたらどうしようとその気配を微塵も感じさせない己の腹を見下ろしつつ二人の向かいに腰を下ろしたリオンは、女優や映画監督からサインを貰ってネットで売ればどれくらい稼げるだろうかと砂糖菓子で出来たような甘い夢を口にするが、バルツァーの関係者だと分かると評判が落ちるからサインを貰っても売り払うのは禁止だとレオポルドに釘を刺されて一気に苦虫を噛み潰したような顔になる。
「チッ。親父のケチ」
「なんだと?」
「人の小遣い稼ぎの邪魔をするなっての」
「あら、結構な給料を出しているはずなのにまだお小遣いが足りないの?」
夫と息子の伴侶の険悪になりつつあるやりとりを黙って聞いていたイングリッドがこの時初めて口を挟み、お小遣いが足りないのかと素朴な疑問を問いかけて来るが、金はあればあるほど嬉しいとリオンが素直に返す。
「確かにそうねぇ」
「だろ? だってさー、オーヴェをハニーって呼ぶだけで1ユーロ貯金させられるんだぜ!?」
どうして最愛のウーヴェをハニーと呼んだら張本人に金を徴収されるんだと、憤懣やるかたない顔で拳を握るリオンにレオポルドとイングリッドが顔を見合わせるが何も返す言葉が思い浮かばず、ただ気の毒そうに溜息をこぼす。
「前は警部にタバコを売って小銭を稼いでいたけど、ここじゃあ誰もタバコを吸わねぇし」
「そんなに小遣いが欲しいか?」
「欲しいに決まってる! 小遣いが増えれば増えるだけオーヴェをハニーって呼べる!」
その結果が豚の貯金箱から硬貨が溢れかえることになろうとも呼びたいのだから呼ぶのだと、ウーヴェのいない場所で高らかに宣言するリオンに小遣い稼ぎをする理由が自分達の末っ子をハニーと呼びたいが為だと知った今、明確な意思を持って何も言い返さなかった二人だったが、ノックに気づいてレオポルドが入れと声をかける。
「社長が戻りました」
「そうか。ヴィルマ、社長の用意ができれば会場に行く。後は頼んだぞ」
「はい」
映画祭の関係者と打ち合わせをしていた社長が戻ってきた事を秘書のヴィルマが伝え、その言葉にレオポルドが頷き後のことを頼むと返す横でイングリッドが彼女を手招きする。
「ヴィルマ、誰かのサインが欲しいなら言いなさい。リオンがもらってくれるそうよ」
「げ! ムッティ!!」
俺がサインを貰うのは俺の小遣い稼ぎの為だとソファの上で飛び上がるリオンを尻目にイングリッドの耳に口を寄せたヴィルマは、ハイディ・クルーガーがノミネートされている映画を撮った監督のサインが欲しいと囁き、イングリッドが満面の笑みでリオンに伝える。
「だそうよ、リオン」
「~~~むぅ」
仕方がないとは言わないが盛大に顔で語った後に気分を切り替えて笑顔で頷いたリオンは、大切なことを思い出したと呟き己のデスクに置いたままのスマホを取りに立ち上がる。
「どうした?」
「前夜祭の様子ってテレビで放送するよな?」
俺が映るかもしれないから録画していて欲しいとウーヴェに頼むのを忘れていたと本当に浮かれている顔でスマホを耳に宛がったリオンは、回線の向こうから聞こえて来る声に若干の恨みがこもっていることに気付き、ウーヴェが見えないのを良いことに不気味な笑みを浮かべて周囲の男女の表情を凍り付かせる。
「まーだ拗ねてんのかよー。あれはお前が悪いんだからなー」
だから俺は絶対に謝らないからなと、今朝も同じやりとりを繰り返した事を否が応でも教える言葉を少しだけ不機嫌に伝えたリオンだったが、どうしたと問われて表情を切り替える。
「ああ、今日前夜祭に親父とムッティのボディガードで行くけどさ、もしかしたらテレビに映るかもしれないから録画して欲しいなーって」
どんな感じに映っているのかを後で見てみたいと笑うリオンに数時間後の事件のことなどこの時予想できるはずもなく、己の姿を客観的に見る良い機会だと笑って念押しをするが、ウーヴェの声が若干色を変えて何か問題でも起きたのかと問いかけてきた為、流石に拗ねてようが不機嫌であろうが勘の良さは損なわれていないと肩を竦め、コニーから得た情報を手短に伝えると心配そうな空気が伝わってくるものの、小さな吐息の後にお前がいるから大丈夫だろうと全幅の信頼を置いている声が聞こえてきて、うん、大丈夫だとリオンもそれに応えるように太い笑みを浮かべる。
「だからさ、録画してくれよな」
『分かった。帰りは遅いんだな』
「そうだな。また適当に電話する。ああ、兄貴も一緒だから」
『分かった。……リーオ』
「ん?」
『有名人からサインを貰って後で売るとか言うなよ』
「……なぁんでオーヴェまで同じ事言うんだよー」
せっかくの俺の小遣い稼ぎをみんなで寄って集って邪魔しやがってと盛大に不満を訴えるリオンに呆れた溜息を聞かせたらしいウーヴェだったが、機嫌を直せとキスをし帰る前に電話をくれとも伝えればリオンもそれですっかり機嫌を直したらしく同じくスマホにキスをする。
「分かった。また後で、ダーリン」
『ああ』
俺がテレビに映ったら見ててくれてよなーと最高に期待している顔で笑うリオンを、わざわざテレビで見なくても毎日見ているのにまだ見ていて欲しいのかと言いたげな顔でレオポルドが目を眇めるが、それはそれこれはこれだとある意味最強の言葉を言い放ち、ハンガーに吊るしてあるタキシードに着替えるために移動する。
「さっきウーヴェが悪いと言っていたが、何かあったのか?」
「へ? ああ、ちょっと前に俺と良く似た男が知らない女と一緒に歩いているのを見て俺が浮気したって勝手に不機嫌になったから口論しそうになった」
タキシードに手早く着替えながらリオンがなんでもないことのように答えるが、ウーヴェと喧嘩など珍しいんじゃないのかと問われて肩を竦める。
「んー、最近は無いなぁ。ああ、でも新婚旅行でもあったから、そう珍しいことでもねぇかな」
それよりもこの蝶ネクタイの結び方が分からないと情けない顔でくるりと振り返ったリオンは、いつもならばウーヴェがどれほど文句を言いながらでもネクタイを結んでくれるのにと更に情けない顔でイングリッドをみると、本当に仕方がないと言いたげな顔でイングリッドがリオンを手招きする。
「私にこんなことをさせるなんてレオでも無いことよ」
「へ、そうなのか?」
イングリッドの言葉に朗らかに感謝の言葉を伝えたリオンにレオポルドが嫌味も通じないのかと頬杖をつくが、ムッティはそんな嫌味は言わないと憎たらしい顔で舌を出されて目を瞠る。
「はい、出来ました」
「ダンケ、ムッティ!」
感謝の気持ちを言葉と頬へのキスですませたリオンは、ドアが開いてこちらも盛装に着替えているギュンター・ノルベルトに馬子にも衣装かと嫌味な笑みを浮かべられて歯をむき出しにする。
「マジでこの親子は嫌味を言わせれば世界一だよな!」
「どうした?」
「さっきウーヴェにも色々言われたから拗ねているだけよ。さあ、年に一度の映画祭を楽しみましょう」
ギュンター・ノルベルトとリオンが顔を合わせれば始める啀み合いを笑顔で制したイングリッドは、制止することすらしなくなったレオポルドに笑顔でこの後の楽しみを訴え、有名人との挨拶は少しだけ面倒だがそれでも楽しみだと笑い、頭を下げるヴィルマに後は頼んだ事、ヘクターと二人でテレビ中継でも見ていなさいと笑いかけて会長室を出て行くのだった。
街を挙げてのお祭りは春と秋のビール祭りを含めていくつかあるが、初夏のこの時期はドイツ国内外で一年の間に作られた映画の出来を競うお祭りで盛り上がっていた。
カンヌやベルリン、ヴェネチアと言った三大映画祭には及ばないものの、我が街の映画祭といった手作り感から徐々に大きくなってきたそれを街の人たちも娯楽が増えてきた現代でも楽しみにしていた。
映画祭の期間は街中の映画館で新作旧作海外作品に関わりなく様々な映画が上映され、映画好きな人達や時間潰しを探している人たちに提供されていた。
その祭の空気を、前夜祭が行われる会場周辺に近付けば否が応でも感じ取り、仕事にならないと言われた気持ちが完全に祭りモードに切り替わってしまう。
車から真っ先に降り立ったリオンの背中にギュンター・ノルベルトがそんなに楽しみなのかと子供をからかう声を掛けるが、振り返ったリオンの顔に浮かぶ笑顔と双眸の感情にギャップを感じて密かに眉を寄せる。
その勘の良さにさすがはウーヴェの兄貴だと感心したリオンは、特に何も言わずにイングリッドが車から降りるのを手伝い、素早く周囲の様子を窺う。
その動きは刑事の頃にクランプスと罵倒していた上司から叩き込まれたもので、まさかここで役に立つとはと感心しつつレオポルドの傍に立ち、ギュンター・ノルベルトに合図を送る。
「……リオン、まさかとは思うが……」
ギュンター・ノルベルトが顔を寄せて不安そうに囁く言葉にリオンが無言でタキシードの前をそっと開けて脇を見せると一瞬不安の色が濃くなるものの、ある種の信頼へとそれを昇華させたようにそっと頷く。
「お前に任せる」
「兄貴は安心して親父やムッティと祭りを楽しめよ」
こんな時のために自分は雇われているのだとレオポルドの秘書という立場にカモフラージュされたそれを彷彿とさせる顔で笑うリオンの肩を信頼の証に一つ叩いたギュンター・ノルベルトは、明日の授賞式の会場ともなる特設会場に敷かれたレッドカーペットの周囲に集まるマスコミや招待客らを見回し、見知った顔をいくつも発見する。
「ああ、ゲープがいるな」
「ゲープって新聞社の?」
「ああ。……さっき父さんが話していた脅迫状の件、彼に聞いてみるか」
「そーだな。ただ正直な話、親父やムッティやあんたに危害が加えられなければどうでも良い」
俺の本領は愛する人が守ってくれと頼んだ人たちを守り抜くことだと刑事時代を彷彿とさせる顔で前髪をかき上げるリオンの横顔を見惚れたような顔で見つめてしまったギュンター・ノルベルトは、頭を一つ振って咳払いをし、とにかく彼に少し話を聞いて来ることを別の知人と話している両親に伝えて手を挙げてゲープに合図を送り、その背中を見送ったリオンはイングリッドとレオポルドの傍にさりげなく立ち、周囲をぐるりと見回して少し離れた場所に懐かしい顔を見つけて顔に笑みを浮かべる。
「親父、コニーと警部がいる」
「そうか。仕事中だからあまり話は出来ないか」
ウーヴェの誘拐事件の時に世話になって以来の再会にレオポルドも嬉しそうに目を細め、知人と話を終えたイングリッドにも囁き掛ける。
「そう、ここでもお仕事なのは大変ね」
あの脅迫状が無ければ自宅で楽しんでいられたのかしらと気の毒そうな表情を浮かべるイングリッドにヒンケルが映画を観に行った話を聞いたことがない、そもそも映画など理解出来るのかと元の上司を扱き下ろすリオンがチラリと仕事中のヒンケルを見ると、己の言葉が聞こえていたかのように睨まれてしまいつい癖で首を竦めてしまう。
「さすがはクランプスだな。地獄耳だ」
「……お前は懲りるという言葉を知らんのか」
離れていても扱き下ろすリオンに心底呆れた顔でレオポルドが呟くが夫妻共通の友人のカメラマンが手を挙げながら近づいてきたため、リオンが一歩引くように下がり、レオポルドとかなり親しい様子のカメラマンー名前をジーノというそうだ-がレオポルドと握手をし、イングリッドには恭しい挨拶を大袈裟に行うのを見守っているが、一歩身を引いたリオンをチラリと見るなり不可思議な表情を浮かべてレオポルドにどうしたと苦笑される。
「……ノア・クルーガー……?」
「は?」
「何を言ってる、ジーノ。これは俺の秘書のリオンだ」
ノア・クルーガーなどと言う男ではないぞとレオポルドが旧友の言葉を否定しもうボケたのかと太い笑みを浮かべるが、いや、よく似ているから見間違えたと上の空で返されてイングリッドと目を見合わせる。
「リオンがそのノアと言う人に似てるの、ジーノ?」
「ああ。最近名前が売れてきた若手のフォトグラファーでな、親父も同じフォトグラファーだ」
ノア・クルーガーとリオンが口の中で音を転がして記憶していると、その拍子に脳内で一つの単語がカラカラと音を立てたために腰の上で無意識に手を組んで親指を回転させ始めたリオンだったが、ゲープとの会話を終えて戻ってきたギュンター・ノルベルトが両親の友人がいる事に笑顔になる。
「ジーノ、久しぶり!」
「おお、ギュンターも来ていたんだな」
「ああ」
家族三人が旧友と久闊を叙している横ではリオンが脳内で目まぐるしく思考を働かせているが、昨日ウーヴェとリアが見間違えた男がそのノア・クルーガーで、その男と腕を組んで楽しそうにしていた女が脳内でカラカラと音を立てる名前の女優だとすればと仮説を組み立てた時、彼の父親はヴィルヘルム、母親はハイディ・クルーガーという女優だとジーノが呟き、脳内で組み立てられた仮説が揺らぐことのない土台を得て頭を擡げる。
「……その、ノア・クルーガーの母親はハイディ・クルーガー?」
「ああ、助演女優賞にノミネートされているだろう?」
ジーノの手がリオンの背後の柱に飾られている映画のポスターを指し示し皆の視線がそちらへと向くと、パネルに飾られたポスターの中、主役の男女の次に大きく写っている女性と目があったような錯覚に陥ってしまう。
ハイディ・クルーガーというリオンやレオポルドらにとっては映画の紹介やゴシップなどでしか見聞きすることのない女優の名前を今日は随分と耳にすると思案した時、周囲にざわめきが沸き起こり、少し離れた場所でカメラのフラッシュが瞬き始める。
「ああ、ハイディとヴィルヘルムが来たぞ」
その歓声やカメラのフラッシュに気付いたジーノが顔を向け、彼の声に釣られてリオンもそちらを見ると、自分たちがいる特設会場に上がる為の階段下に敷かれたレッドカーペットの上を身体のラインを見せながらも品を失わない、初夏に相応しいカラーのドレスに身を包んだハイディ・クルーガーが同じくタキシードで正装している夫のヴィルヘルムと腕を組んでマスコミの取材を受けていた。
「あれがハイディとヴィルヘルム。ノアの両親だ」
「ふぅん」
そのノアという男を見たことがないから良く分からないし二人の顔も見たことがないからはっきりと見てみたいと目を細めるリオンにジーノが頷き、あとで挨拶をするから一緒に来るかとリオンを誘うが、レオポルドの側を離れられないからと肩を竦めて誘いを断る。
「そうか、まあ今日明日ここにいるのなら顔を合わせる機会があるだろう、その時にでも挨拶をすればいい」
両親がここにいるということはノアも来る可能性が高いとも告げ、少し離れた場所から名を呼ばれたジーノがレオポルドとイングリッド、ギュンター・ノルベルトにまた後でと手をあげて立ち去ると三人が一斉にリオンを見つめる。
「なんだ?」
「いや、ジーノも有名なカメラマンだぞ、サインを貰えば良かったのに」
「げ! 忘れてた!!」
ギュンター・ノルベルトが囁いた映画の名前を聞いてリオンの蒼い目が見開かれ、どこに行ったまだ間に合うかと周囲を見回すもののジーノの姿は見えず、ちくしょうと、ウーヴェの前では滅多に口に出すことがなくなった言葉を吐き捨てる。
「他にもスターはいるわ。その人達からサインをもらったらどう?」
イングリッドが慰めるようにリオンに笑いかけて肩の埃を払うように手で肩を撫でると、優しいのはムッティだけだとリオンがレオポルドとギュンター・ノルベルトを睨む。
「うるさいぞ」
レオポルドの言葉にリオンが憎たらしい顔で舌を出し、ああ、いつもの光景だといつからか思えるようになった事をイングリッドが胸中で呟くが、ノア・クルーガーとリオンに良く似た男の名を口の中で呟き息子に訝るように見つめられてなんでもないと笑みを浮かべると、インタビューを終えたクルーガー夫妻が階段下から見つめている事に気付かずに懐かしい声に呼び掛けられて顔を振り向け、旧友の笑顔を見出して同じく笑みを浮かべるのだった。