波の音が薄く響く無人駅。
海風がホームを抜けて、ベンチの錆た背もたれを軽く揺らす。
――けれど、誰もいない。
はず、だった。
「うぉっ……なんだこれ?」
トラゾーは、駅の片隅に落ちた白い紙切れに足を止めた。
拾い上げて、指先でトントンと埃を払う。
「“紛失物リスト”? ……え、無人駅なのに?」
好奇心で開いたのが運の尽きだった。
一行目――
傘
二行目――
手袋
三行目――
命
「急にスケール上げるのやめてもらえる!?こわっ!!」
ツッコミを入れた瞬間、背後で“チャリン”と鈴の音がした。
トラゾーはゆっくり振り返る。
「……あの……サービス精神旺盛すぎません? 今の演出いらないよね?」
もちろん誰もいない。
ただ、風もないのに、ホームの案内板がカタカタと揺れた。
紙を持つ手が自然と強くなる。
次の行に、うすく書かれた文字。
――最後に聞こえた音:鈴
「え、待ってやめて、関連性えぐっ!!」
怖がりながらも逃げないのがトラゾーだ。
“誰か困ってるなら助けなきゃ”が、恐怖に勝ってしまう。
ホームを歩きながら、トラゾーは紙をめくる。
出てくるのは、失踪した人の名前と、最後に聞こえた音の羅列。
足音
水滴
ハミング
金属音
そして――読むたびに、背後でその音が再現される。
ぺチャ……
カン……
〜~♪……(※妙に陽気)
「いや誰!?絶対誰かいるよね!?ていうかハミング下手だな!!」
軽くツッコんだ瞬間、空気が変わった。
駅の構内に、足だけがチラリと見える。
誰かがベンチに座っているようで、上半身が“ない”。
「すいません!上の方は今日お休みですか!?!?」
声を出したら、足がスッと消えた。
次の瞬間、自販機がガタンと揺れ、
買ってもいない缶コーヒーが1本転がり出てきた。
「……あの、奢り? いや受け取るけど!!!」
トラゾーは拾って頭を下げた。
ホラー相手に律儀に礼を言う男は多分この世で彼くらいだ。
そのとき、電光掲示板に文字が点滅した。
次の失踪者:トラゾー
「はい解散!!怖い!!俺もう帰るから!!」
叫びながら改札へ向かおうとするが、
ホームのスピーカーから、かすれた声が落ちるように響いた。
『……待って』
トラゾーは足を止める。
「……誰?」
『紛失物リスト……返してくれる?』
姿は相変わらず見えない。
けれど声は、どこか寂しそうだった。
虎造は深く息を吸う。
「これ……君の?」
『うん。もう私は帰れないから。
でも……あなたは、帰らなきゃ。
――“奥さん”、大切にしてる?』
「もちろん!?
俺の人生の8割いなりさんでできてる!!」
『そっか。……なら、早く帰ったほうがいいよ』
静かなのに、妙に優しい声だった。
ページをめくる手が止まった。
最後の行に――
紛失物:いなり
最後に聞こえた音:涙
「………………え」
トラゾーの喉がひきつる。
「なんで……いなりさんの名前が……?」
駅のスピーカーが再び鳴る。
『次の到着音は――“涙の音”です』
ぽたり。
トラゾーの足元に、透明な“涙のしずく”が落ちた。
「ちょ、ちょっと待って!?俺泣いてないよ!?」
けれど泣いているのはトラゾーじゃない。
すぐ背後で、誰かが小さく呟いた。
「……どうして来てくれなかったの……?」
「あっあっ待って!!振り返らないでって声がしてる!!俺の脳内で!!」
理屈より本能が叫ぶ。
トラゾーは全力で走り出した。
足音
金属音
すすり泣き
潮騒
ハミング(※また下手)
“駅の音の亡霊”が、追ってくる。
「来ないでぇぇぇぇぇぇぇえええ!!!」
改札を飛び出した瞬間、音が完全に消えた。
駅は普通の無人駅に戻っていた。
ただ静かで、風の匂いだけがする。
――そして、スマホが鳴る。
画面には「いなりさん」の名前。
「いなりさん!?無事!?なんか変な……!!」
『……大丈夫ですよ。迎えに行きますからね』
やさしい声。
でも、どこか距離を感じる声。
通話はそれだけで切れた。
トラゾーは混乱しながらポケットの紛失物リストを開く。
最後のページ。
さっきあった“いなり”の名前は――消えていた。
代わりに、下の余白に、
細い文字でひとこと。
ありがとう
「……はぁ……もう……絶対帰ったらいなりさんに抱きつこう……」
そう呟き、駅の出口に向かう。
背後で、掲示板に一瞬だけ文字が灯った。
『また 来 て ね』
ノイズが走る。
トラゾーは全力で振り返らずに走った。
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