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#さのじん
さき
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あの後勇斗が会議室のドアを開けたのは、集合時刻の5分前だった。他のメンバーが揃った室内を見て、今日は俺がラストだったか、なんて普段通りのテンションで空いた席に座った。
もしかしたらなんて、淡い期待を乗せて何度か目配せしたもののそんな思い通りには当然行かなかった。正直内容なんてろくに入ってこなかった打合せを終え、帰ってから読み直しをしないとなぁとバッグに資料を詰め込む。
後ろが詰まっていたのか、急ぎ足で部屋を出て行った太智と舜太、それから勇斗。彼らを見送って、自分のスケジュールを確認していると向かい側から視線を感じてそっと顔を上げた。
「なに、どした?」
「眼鏡、珍しいね」
「ふっ、顔合わせて結構経つけど?」
「まあ今かなって」
長時間掛けていたせいか耳が少し痛み始めた眼鏡を外し、勇斗にも言われたなと呟いた。
「……何かあった?」
「は?」
「勇ちゃんと」
「何かってなんだよ、別になにもねぇよ」
「そう?」
眼鏡を外していてよかった、今柔太朗とはっきり目が合うと余計なボロが出てしまいそうだ。考えなしに言っているように見えて、周りの空気を読むことに長けている柔太朗には、色々見透かされている気分になる。
「今日一回も勇ちゃんの名前、呼ばなかったからさ」
そう言われて今日の打合せを思い返すと、確かに呼んだ記憶が見当たらなかった。なるほど、いくら目配せしても無駄なはずだ。そんなことよく気がついたなと思う反面、内容に集中しろとも思うが。
「集中してたから、気がついたパターンね」
「俺の心を読まないでくれる?」
「お、当たっちゃった感じか」
駄目だ、このままだとこいつの掌の上で転がされる気がする。
眼鏡をかけ直し柔太朗にピントを合わせると、思っていた表情とは少し違う姿が映った。
「からかってないよ」
「……うん、わかってる」
「なんだろうね、……まあ二人が納得できればいいと思うよ」
含みを持たせた言い方に、一体どこまで知ってるんだろうと勘繰りたくもなるが、柔太朗相手だと無駄な労力に終わりそうで早々に諦めた。この男が実際の人間関係について面白がるような性格じゃないのは自分がよく分かっている。
「できっかな」
「できるっしょ、よっしー最近良い感じだし」
「そっか、そう見える?」
「俺的にはね? だから大丈夫よ」
柔太朗に言われるとそう思えてくるから不思議だ。
マネージャーから連絡が来たのか、スマホを確認し立ち上がる。
「柔太朗」
「ん?」
「ありがと」
「何にもしてないけど、一旦受け取っとくわ」
じゃあお先に、そう手をひらひら振って部屋を後にする背中を見やって小さく息を吐いた。
柔太朗にはああ言ったものの、やっぱりやっと掴んだ距離感が台無しになるのだけは避けたい。せめてメンバーとしてくらいはなるべく近くにいたい。俺が納得できる関係性は恐らくそんな都合の良いものだ。
なんて、ずる過ぎるか。
そんなことを考えながら、殺風景な壁をぼんやりと眺める。俺の部屋によく似たその空間はもはや見慣れたものになっていた。
「仁ちゃん」
こんな時でも、やっぱり勇斗の夢を見た。いや、こんな状況だからこそ、作り物に安心を求めているのだろう。一種のセラピーみたいなもの、あるいはただの現実逃避だ。
日中のあれこれのせいか、今日は勇斗の声を聞いてもいつもみたいに表情を緩められなかった。
「また難しいことを考えてる顔して。俺といる時くらい全部忘れたらいいのに」
柔く笑って頬を撫でられた。胸がぎゅっと苦しくなって、思わず全てほっぽり出して頷きたくなる。
相変わらず夢の中の勇斗はただひたすらに俺に優しい。夢から醒める度にぶち当たる現実との差が痛かった。朝の光にもアラームの音にも目を塞いで耳を塞いで、ずっとここにいられたらいいのに。
そんなことを考えるのはもう何度目だろうか。結局俺を夢から連れ出すのは、現実の勇斗を放っておけないという思いだった。
「だいたい予想はつくけどね。あいつのことでしょ」
「……俺なんかに好かれて気の毒な、ね」
メンバーの範囲から外れた感情を抱いているくせに、そのままなるべく隣に居続けたいなんて、身勝手も良い所だ。思わず自嘲的な笑みが零れる。
「ね、仁人」
不意に勇斗の表情が冷えて、一気に何も読み取れなくなる。この表情は苦手だ。相手が何を考えているかわからないという状況は警戒心を煽られるし、それが勇斗であれば尚更。
「……なに?」
「どうしたらさ、俺のことだけ見てくれるの」
「……俺は、今勇斗のことしか見てないよ」
「そうじゃなくて、ずっと俺のことだけ。他のやつのことなんて忘れさせたいんだけど」
ぐっと肩を押されてベッドに身を横たえる。少し鋭い目をした勇斗が、俺の頭の横あたりに手を突いた。綺麗な顔が目と鼻の先に来て、夢の中だというのに胸のあたりが騒がしくなるような気がした。
「……仁人、」
いつもより低い声は、少し掠れてざらついていた。
怒っているような、寂しがっているような、苦しんでいるような表情。なんとかしてやらなければ、と思わされるような。
「はやと……?」
どうしてそんな顔をしているんだろう。
心配と困惑を込めて色の濃い双眸を見上げれば、一瞬勇斗の動きが止まる。それからため息を吐くと、がくりと力を抜いて俺の肩のあたりに顔を埋めた。
「もう、あのさあ……」
「なに? なんなの」
勇斗はガバッと顔を上げたかと思えば、勢いよく吠え立てた。
「だめじゃん! なにをこんな簡単に押し倒されてんの!」
「はあ? 勇斗がやったんだろ、意味わかんねぇ」
「ちょっとは警戒してよってこと、それくらい分かるっしょ!?」
「分かんねえよ! そもそも、なんで勇斗を相手に警戒しないといけないの」
夢の中で勇斗に押し倒されるなんて、妙な状況だった。俺に都合の良い作り物の筈なのに。それとも、もしかしてこれも俺が望んでいることなのだろうか。
俺の返事に、勇斗は苦虫を噛み潰したような、なんとも言いようのない顔をした。何か言おうとして口を開けたものの、結局それは音にならず引き結ばれた喉の奥に飲み込まれていったようだ。
「ふ、変な顔」
よく分からないところで感情表現が極端に下手になる彼の、喜怒哀楽のどれにも当てはまらないような表情が面白くて、つい自然と頬に手を伸ばすとその顔が驚いたように固まった。
「あ、ごめっ」
昼間の光景が脳裏にフラッシュバックする。
あんなにはっきりと拒絶されたばかりなのに、また俺は同じことを。はっとして、咄嗟に引っ込めようとした手は、それよりも早く手首ごと強く包み込まれた。
そのまま引き寄せられ、半ば強引に頬にくっつけられる。
「誰のせいだと思ってんの」
子どもみたいに拗ねたような言い草が可笑しくて、でも、握られたままの手が嬉しくて、自分の中の感情がぐちゃぐちゃになってしまう。
遠ざけられた時の痛みが、今になってじわりと滲む。
俺は、あの時どうすれば良かったんだろう。
「……仁ちゃん」
──ああ、駄目だ。
そう思った時にはすでに目尻から溢れてしまっていた。壊れたかのように流れ続けるそれを止める術を、今の俺は持ち合わせていなかった。
こんなところを見せたら、また困らせるだけなのに。
どんな顔をしているのか見るのも怖くて、ぎゅっと目を閉じたまま空いている手で必死に拭った。
「っごめん、大丈夫だから」
「じんと、」
背中に腕を回されてそのまま身体を起こされる。肩に顔を寄せられて、一定のリズムで背中を撫でられた。
「ごめんね、俺が悪いね」
「ちがっ、おれが……っだめで」
「駄目じゃないよ、仁人は何も悪くない」
おまじないのように繰り返されるそれに、段々と呼吸が落ち着いてくる。無意識に強く擦っていたのか、赤くなっていたらしい目元にそっと触れられる。
「……やめよっか」
「え……? なにを」
「こうやって会うの、やめよう」
何を言われているのか、全然理解ができなかった。現実の勇斗とも上手くいかなくて、目の前の勇斗にも突き放されてしまったら、俺は。
「っなんで、」
「仁人が苦しそうだから」
「そんなこと」
ない、と言い切れない自分が嫌だった。
でも勇斗がいたから、やっと気持ちに折り合いをつけられて、息がしやすくなったのも事実で。今、この勇斗が消えてしまったら抑え込んでいたものが一気に溢れてしまうのは分かりきっていた。俺が俺であるために、何としてでも繋ぎ止めないといけない。
「どうしたらずっといてくれる?」
「仁ちゃん」
「無理だよ、俺、勇斗がいないと」
もう泣いたりなんてしないし、余計なことも考えたりしない。全部ぜんぶ、上手くするから、だからお願い。
しがみつくように服を固く握り込んで、必死に訴えかける俺に勇斗がとうとう折れて首を縦に振った。
「わかったから、……そんなに強くすると痛くなっちゃうよ」
そう言って指をゆっくり解かれ、両の掌を親指でそっとなぞられる。その表情はお世辞にも明るいとは言い難い。
結局また、困らせてしまった。
だけど、これで俺だけの勇斗でいてくれるなら、なんでもいいや。
ごめん、柔太朗。俺は、自分だけが納得できる方法しか思いつかないみたいだ。
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