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「ん……」
目が覚めると、まぶたの裏で光が揺れているのが分かった。薄暗い部屋に、カーテンの隙間からうっすらと朝日が差し込んでいる。
「今、なんじ……?」
無意識のうちに手を伸ばし、スマホを探すけれど、枕元にはそれらしきものは見当たらない。夢と現実の境目が曖昧なまま、髪をくしゃっと掻き上げて、御堂蓮はうっすらと目を開けた。
見慣れない天井、そしてその先に広がる部屋の景色。頭の中で、ココはどこだろう?と、数秒間呆けてしまう。
眠気が残る瞼をこすりながら、寝返りを打つと、突如として目の前に見慣れない男の顔が現れた。蓮は思わず目を見開き、驚きで僅かに身を引いた。
「……っ!」
恐る恐る布団の中を覗くと、そこには二人、まったく服を着ていなかった。いや、正確には、何も身に着けていない。
――これは、もしかして……。
蓮の背中に冷たい汗が流れる。待て待て、今一体、これはどういう状況だ?
確か、昨日は――。仕事が終わったその足で、大阪行きの夜行バスに乗り込んだ。
特に何か用事があったわけではない。ずっと片思いしていた男にフラれて、仕事中も上の空、最近は何をやっても上手くいかない。
このままじゃダメだと思い、一念発起して気分転換でもしようと決めた。
東京から大阪まで約10時間。ゆったりとしたシートに体を預けて眠っているうちに、大阪に到着なんて最高じゃないか。
初めて利用したけれど、車内は思った以上に広々としていて、平日だからか空席も目立つ。
ごちゃごちゃしているのが苦手な自分としては、正直ホッとした。
何より、3列シートでちょっとした仕切りがあって、半個室みたいな感じになっているから、隣に誰かがいてもあまり気にならないのが嬉しい。
これなら、他人に気兼ねすることなく、ゆっくり眠れるだろう。
そんなことを考えながら荷物を置き、ゆったりとシートに腰掛ける。オットマン付きのリクライニング機能があるので、ゆったりと寝そべることもできそうだ。
窓側の席に座り、外の景色をぼんやりと眺めながら一息つく。
着いたら何をしようか。とりあえず、腹ごしらえをして観光かな。
でも、一人で回るのはやっぱり、何となく寂しい気がする。
誰か一緒に回ってくれそうな人がいたらいいのに。
いっそのこと、現地で可愛い男の子でも引っ掛けてしまおうか。
そんなことを考えながら、何気なくゲイ専門のマッチングアプリを開いてみる。
しかし、案の定、自分の性癖に刺さりそうな男は中々見つからない。
(なんで薄らハゲか、子豚みたいな奴ばっかなんだよ!)
心の中で悪態をつきながらスワイプしていると、突然、頭上に影が差した。
「すみません。そこ、俺の席なんですが……」
ハッとして顔を上げると、こちらを困ったように見つめる小奇麗な顔の青年が目に入った。
透き通るような白い肌に、色素の薄い茶色い瞳。サラリとした前髪は頬あたりまで伸びて、耳にかけて後ろへ流れている。スラリとした細身の身体つきだが、服の上からでもしっかりと筋肉がついているのがわかる。――いや、何よりも…。
なんだろう? 紺色のジャケットに黒いパンツ、シンプルな格好なのに、なぜか青年の持つ雰囲気が、そこはかとなくエロティックに感じられ引き込まれる。
「あの……?」
声をかけられて我に返る。どうやら考え事をしていたせいで、返事をするタイミングを逃してしまったようだ。
「あ、あぁ、すまない。僕の席は隣だったみたいだね。すぐに退くよ」
「なんだ、隣の席だったんならいいですよ。荷物動かすの大変でしょう?」
そう言いながら、彼はクスっと笑うと背負っていたバッグを棚にしまい、蓮の隣の席にストンと腰を降ろした。
「なんかすみません」
「大丈夫です。どうしても窓側が良かったわけじゃないし…」
彼の言葉で、なぜか心が軽くなった。苦手なタイプじゃなくてよかったと、ホッと胸を撫で下ろす。
その時、ふと彼が身を乗り出してきて、蓮の顔を覗き込んだ。
「ところで……お兄さんって、ゲイなんですか?」
突然の質問に、蓮は思わず身体が強張る。なんて返事をすればいいのだろう? 頭の中で何を言うべきか迷う間に、数秒の沈黙が二人の間に流れる。
「あはっ、なんでわかったんだって顔してる。ごめんね、さっきそのスマホの画面がチラッと見えちゃって……」
その瞬間、彼の手が蓮の膝に重なり、ドキッと胸が跳ねる。頬にかかる髪を耳にかけながら、彼がゆっくりとした動作で耳元に顔を近づけてくる。
「……実は、俺もゲイなんだよね」
甘く囁くような蜂蜜色の声。色気を含んだその吐息が背中を駆け抜ける。思わずゾクっとして、全身が反応する。
驚いて顔を上げると、綺麗な顔がすぐそこに迫っていて、蓮は思わず喉をゴクリと鳴らした。
「そのアプリ、ジャガイモみたいな男しかいないでしょう? そんなので探すくらいなら、いっそ俺とマッチングしてみない?」
青年の指が蓮の指を絡め取り、息がかかるほどの距離で囁かれる。唇が擦れるようなリアルさに、蓮の鼓動が一気に激しくなった。
「――随分、積極的なんだね」
「ふふ、こういうの、嫌いだった?」
「……まさか」
答える代わりに、腕を伸ばして引き寄せ、触れるだけのキスをした。最初はほんの一瞬、軽く唇を重ねる程度。だがすぐにそれだけはで物足りなくなり、舌を差し込み、深く口付けを交わした。
「ん……ぅン」
静かな車内に、くぐもった吐息と唾液が絡み合う音が響く。
近くの席に人がいなくて良かった。まだ消灯前で、車内には薄明かりが灯っている。もし、誰かに見られたら、言い訳なんてできない。
だが、そのスリルがさらに興奮を煽り、気分が高揚していく。
もっと欲しい。この男との快楽を味わってみたい。頭の中で擡げ始めた欲望がぐるぐると回り、気がつけば互いの体に手を伸ばしていた。
消灯と同時にリクライニングシートを倒し、彼を引き寄せて、貪るように深い口づけを交わす。狭いシートで体が密着し、彼の体温が伝わってくる。
青年の手が自分の股間をまさぐり、熱を持った中心に触れられると、堪らずビクンと腰が跳ねた。
「はぁ……、凄いね。もうガッチガチじゃん」
「君だって人のこと言えた義理か?」
そう言って同じように青年の下半身に手を伸ばす。 彼もまた自分と同じように硬く反応しているのが、ズボン越しに感じ取れた。
「だって……お兄さん、キス上手いんだもん」
少し拗ねたような仕草と、赤らんだ目元に色気を感じて、つい悪戯心を起こして耳を軽く噛んでみる。
すると、彼は小さく肩を震わせ、甘い声を漏らした。
「……んんっ」
「可愛い声出すじゃないか」
「やめて、言わないでよ。恥ずかしいじゃん」
「どうして? 誘って来たのは君だろう?」
「それは……そう、だけど……」
言いながらもごもごと口籠る。その様子が可笑しくて、蓮は再び青年の耳を口に含んだ。
「あっ、だめ……、そこ弱いから……っぁ……」
そのまま耳の穴の中に舌先を入れ、わざと音を立てて舐め上げる。同時にもう片方の手で脇腹から腰骨に掛けて優しく撫でてやると、青年は小さく身じろいだ。
「はぁ、……っんん……っ」
周りを気にして、肩口に顔を埋め声を押し殺している姿に嗜虐心を煽られて、更に執拗に責め立ててやる。
「ねぇ……、耳ばっか、やだぁ……っ」
甘えるように腰を摺り寄せられ、蓮は青年のベルトを外すと下着の中へと手を滑り込ませた。
そこは既にしっとりと湿っていて、先端からはぬるつとした蜜が溢れ出している。
掌で包み込むように握り込んでやると、それだけで達してしまいそうな程敏感になっているのか青年は切なげな声を漏らした。
「いや? 嫌ならやめるけど?」
「や、ちがう……嫌じゃ、ないから、続けて……?」
はぁ、と艶かしい吐息を洩らしながら潤んだ瞳で見つめられ、ドキッとする。何なんだコイツ。可愛すぎるだろ。
「こんなバスの中で興奮してるなんて、随分淫乱だな」
「はぁ……ん、そんなこと、言わないでよ」
羞恥を煽りながら、ゆっくりと上下に扱き上げてやれば、くちゅくちゅと濡れた水音が響いて、次第に手の滑りが良くなっていく。
「……っ、お兄さんだって、人の事言えないんじゃない?」
されっぱなしなのが気に入らなかったのか、青年が酷く艶かしい吐息を洩らし、腰を熱くたぎったソコに押し付けてきた。
行為を思わせるように揺らして煽られ、ゾクゾクとした快感が全身を駆け巡る。
「は、悪い子だな」
「どっちがだよ。……っあ、あんまり焦らすなって……」
強請るように腰を動かしてくる姿に我慢が出来なくなり蓮の下半身にも熱が集まっていく。
「ハハっほらまた硬くなってる」
「……いい性格してるじゃ無いか」
「お互い様でしょ? それより……俺、もっとお兄さんの事知りたいな……?」
甘く掠れた声で誘われ、思わずごくっと喉がなった。
「ねえ、シよ? 俺もう我慢できそうに無いんだ」
「や、流石にそれは……」
布地を押し上げる先端を指先でくるりとなぞられ、蓮は思わず息を飲んだ。
「大丈夫。任せて。最後までは流石にしないよ。……。それに、お兄さん、そういう状況好きでしょ? 散々焦らした責任取ってよ、ね?」
クラクラするような甘い声、妖艶な仕草。窓から差し込む月明かりに照らされた整った顔立ちに魅入られたように目が離せない。
気付けば、蓮は青年の誘いに首を縦に振っていた。
そこから先はもう、なし崩しだった。
狭い車内では流石に最後までは出来ず、物足りなくてバスを降りるなり近くのラブホテルへ雪崩れ込んだ。
部屋へ入るなり互いの服を脱がせ合い、シャワーを浴びることも忘れてベッドに押し倒され、互いの身体を貪るように夢中で求め合い現在に至る。
(そう言えば、結局名前すら聞いていないな……)
そっとベッドを抜け出し熱いシャワーを頭から被る。
我ながらどれだけがっついていたんだと、少し呆れてしまう。
でもまさか、あんな小綺麗な顔をした青年が自分と同じゲイだったなんて。しかも、今まで自分が出会ったどの男よりも断然エロかった。
積極的にグイグイと誘ってくるような男はウザいだけだと思っていたのに、身体の相性がすこぶる良かったのか、つい時間を忘れて夢中で求めてしまった。
30代半ばにもなってあんな余裕のないセックスをしたのは初めてだった。今思い出しても心臓の鼓動が激しくなる。
いつ誰に見つかってもおかしく無い状況で声を押し殺しながら快感に耐える表情に感じる背徳心が余計に情欲を掻き立てた。
失恋の痛みを忘れる為に旅に出たはずなのに、一体なにをやってるんだと冷静になった今なら思う。
だが、あの時はそんな事を考える余裕もなかった。
『やばい……気持ち良すぎて、おかしくなっちゃう』
耳元で囁かれた甘美な言葉を思い出しそうになり、蓮は慌てて頭を冷やそうと勢いよく冷水を頭から浴びた。
外に出ると、陽はすでに高く、空を真っ青に染め上げていた。
10月半ばの空気はひんやりとしていて、火照った身体にはちょうどいい涼しさだった。
「あ〜あ。いいとこだったのにな」
「仕方ないだろ。もう昼過ぎだし」
早朝、まだ空も明けきらないうちに梅田に到着し、そのままホテルに直行。あれからずっと部屋にいたことに、今さらながら驚く。
……おかげで予定はめちゃくちゃだ。まあ、最初から行き当たりばったりの旅だったし、別に困ることもないのだけど。
「そういえば、お兄さんって何してる人なの?」
朝から何も食べていなかったこともあり、近くのお好み焼き屋で昼食をとることに。
食後のソフトクリームを食べながら、ふと思い出したように青年が聞いてきた。
「僕? うーん……今は舞台関係の雑用係、かな」
「へぇ、意外と地味なことやってるんだ。なんか、すごくカッコいいから芸能事務所とかに所属してるのかと思ってた」
「まさか。そんな柄じゃないよ。……それに、昔ちょっと色々あってさ。今は裏方に徹してるんだ」
「ふぅん? なんか訳ありっぽい」
青年はぼやきながらソフトクリームをひと口。蓮は、頬杖をついたまま、その横顔を眺める。
(訳ありって言うなら、こっちも大概だけどな)
普通に見えるけど、明らかに一般人じゃない雰囲気がある。
整った顔立ちに、モデルみたいなスタイル。それに、この物怖じしない態度。
大学生って感じじゃないし、芸能人……って可能性もなくはない。
でも、だったらなんで一人旅? なんであんなことした? そもそも、スタジオで見かけた記憶もない。
……ホストって感じでもないし、まさか――男娼?
「……ねぇ、今、失礼なこと考えてたでしょ?」
「えっ!? な、なんのことだ……?」
ジトッと睨まれて、思わず動揺する。
まさか、心の声が漏れてた? 適当にごまかさなきゃ――
「君が、どうして大阪に来たのかなぁって思ってただけだよ?」
青年は一瞬キョトンとした後、スプーンをくわえたまま何か考えるような仕草を見せて――ニッコリ笑った。
「内緒♪」
「……あっそ」
詮索されたくない事情でもあるのかもしれない。
たった一晩の相手に、踏み込みすぎるのも野暮だろう。
今の質問は失敗だったかな。なんて思いつつ、それ以上は敢えて聞かずに窓の外に目を向けてぼんやりと外を眺めた。
「――あ! ねぇ、お兄さん、あそこにいるのって、超有名女優のMISAじゃないかな? やば、初めて見た! 一緒にいる男って誰だろ。まさか、お忍びデートってやつ?」
そう言うと、青年は興奮気味にスマホを構え、数枚パシャパシャと連写した。
「……あんまり、そういうの良くないと思うけど」
「え、あ、はは……やっぱダメ?」
少しも悪びれた様子はなく、青年は舌を出して笑った。軽く咎めたつもりだったけれど、全然響いていない。
芸能関係の仕事をしているけど、実のところ蓮は芸能人にはあまり興味がない。
プライベートを無遠慮に撮るのはどうかと思う、という程度の話で。
(……なのに、あの反応。慣れてる、というか……)
違和感まではいかない。ただ、少し引っかかる。
気まずい空気がわずかに流れたところで、タイミングを計ったようにスマホが震えた。
ポケットから取り出すと、ディスプレイには兄・凛の名前が表示されている。
(……渡りに船、ってやつか)
青年に「ちょっと電話」と声をかけ、蓮はその場を少しだけ離れた。
「――はい、もしもし」
『今どこにいる?』
開口一番のその言葉に、少し面食らう。
普段から無口な兄だけど、今日はどこか様子が違う。いつも以上にぶっきらぼうで、どこか急いているような、落ち着かない声。
「大阪に来てるけど……どうかした?」
『悪いが、明日までに戻れないか。……お前の力が必要なんだ』
唐突にそう言われ、蓮は思わず眉をひそめた。
自分なんかが必要とされるなんて珍しい。けれど、それ以上に兄の焦ったような口調が引っかかった。
「……わかった、戻るよ」
返事をする間もなく、一方的に切られた通話に呆れつつ顔を上げると、青年が心配そうにこちらを見ていた。
「何かあったの?」
「うん、ちょっとね。僕はそろそろ行くよ。君は?」
「俺? うん、もうちょい観光しようかな。……ていうか他にも、寄るとこあるし」
「そっか。じゃあ……ここで」
軽く手を上げると、青年もひらひらと手を振って応えた。
「――またね。お兄さん」
そのひと言に、足を止めそうになった。けれど振り返らずに歩き出す。胸の奥に、わずかに引っかかる感触だけを残して。
新幹線の中。窓の向こうを流れる景色をぼんやりと眺めながら、蓮は小さくため息をついた。
(……結局、何しに来たんだか)
元恋人を忘れるための失恋旅行。
一人で気ままに街を歩いて、美味いものでも食べて、ちょっと泣いて――そのつもりだった。
けど、現実は。
「……ホテルでヤりまくって帰るだけって、我ながら終わってんな」
笑い声すら出てこない。
やってることだけ見れば、完全に性欲に負けた男だ。
(いや、待てよ……?)
旅の目的がずれていったのは確かだけど――
あんなふうに、誰かと過ごしたのは久しぶりだった。
無防備な笑顔と、どこか肝が据わった態度。謎の多さも込みで、妙に印象に残っている。
「やっぱ……名前くらい、聞いとけばよかったな」
ぽつりと呟いて、目を閉じる。
ふと思い出す。スプーンを咥えながら笑っていた顔。
ふざけてるようで、どこか寂しげだったような気もする。
(……あいつ、本当に何者だったんだろ)
スマホに連絡先は残っていない。連絡する手段もない。
それでも、またどこかで――そんなことを、ほんの少しだけ期待してしまっている自分がいる。
そんな自分に、またため息が漏れた。
「……ほんと、俺ってバカみたいだな」
車窓の外はどこまでも続く線路と、流れる景色。
いつか、どこかの交差点でまたあの笑顔とぶつかる日が来るのかもしれない――
そんなことを、根拠もなく思った。