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新大阪を出て2時間ほどで最寄り駅に辿り着いた。改札を出て直ぐ出た所に兄である凛が立っていることに気付く。
190近い長身に、がっちりとした適度に厚みのある身体は、遠目で見てもよく目立つ。
どちらかと言えば細身でシャープな顔立ちをした自分とは対照的な男らしい顔立ちは一見すると近寄りがたい印象を受けるが、その実面倒見がよく優しい性格をしていることを蓮は知っている。
「迎えに来てくれなくても良かったのに」
「急に呼び出したのは自分だからな。この位はさせてくれ」
蓮が声を掛けると、凛はホッとしたような表情で答えて手に持っていた蓮の荷物をあっさり攫って行ってしまう。
あまりの鮮やかさに呆気に取られていると、そのままスタスタと歩いていくので慌ててその後を追った。
「旅行中に悪かったな」
「本当だよ。お陰でたこ焼き食べそびれたじゃないか」
不満げに文句を言うと、凛は困ったように眉尻を下げて苦笑した。
そのまま黙って歩いていると、兄が愛用している黒塗りの車が視界に入って来る。
凛はそれに乗り込むと、助手席に座るように促してきたので蓮は大人しく従った。
「で? 僕はこれから何処に連れていかれるわけ? わざわざ兄さんが迎えに来てるって事は真っすぐ家に帰るわけじゃないんだろ?」
「あぁ」
シートベルトを締めると、車は滑るように発進して駅から離れていく。
元々口下手で多くは語らない性格の兄だ。沈黙には慣れているつもりだが、せめて行き先位教えてくれたっていいじゃないか。
そう思ってチラリと横目で見ると、ちょうど信号が赤になったタイミングと被っていたようで、凛は前では無く蓮を見ていた。
深い海の底を思わせる深い藍色の瞳は、感情を読み取りにくい。何を考えているのか分からなくて、思わず怯んでしまう。
この眼差しに見つめられると、心の奥底にある不安を暴かれてしまうような、そんな気分になる。
きっと、この人は自分の全てを知っている。そんな風に思えて仕方がない。
「大阪は楽しかったか?」
「えっ? あぁ、まぁ……」
信号が変わり視線が外れ、それと同時に口を開いた兄からの予想外の質問に戸惑いつつも、蓮は曖昧に言葉を濁す。
流石にバスの中で引っ掛けた男とヤリまくって観光どころでは無かったなんて口が裂けても言えるはずが無い。
適当に誤魔化すと、凛は特に追及してくる事無く再び前を向いた。
「そうか……。なら、いい」
「……?」
相変わらず何を考えているのか全く読めない。
本当に何処に連れて行こうとしているのだろう? 蓮の疑問を置き去りにしたまま、車はとあるスタジオの駐車場へと滑り込んだ。
「兄さん。こんな所に何の用が」
「着いてくれば分かる」
それだけ言って車を降りる兄の後を追い、建物の中に入る。
見覚えのあるスタジオ、懐かしいセットの数々。
廊下に乱雑に積まれた段ボールから覗く小道具や衣装。
それらを見た瞬間、嫌でもここが何の施設なのか理解させられた。
しかし、何故ここに自分が連れて来られたのか分からない。 なんだか嫌な予感がする。
困惑しながらも、とりあえず兄に言われた通りついて行くと、一つの扉の前で足を止めた。
「御堂です。弟を連れてきました」
ノックと共に声をかけると、中からは聞き覚えのある声で入室を促す言葉が返ってきた。
「失礼します」
兄に続いて部屋に入ると、そこには予想通りの人物が居た。
仕立てのいいスーツを身に纏った、初老の男性。
やや大きめの眼鏡が狐のように吊り上がった目元を隠しているが、それでも隠しきれない鋭い目つきは健在だ。
「久しぶりだね蓮君」
「お久しぶりです猿渡監督」
彼は主に特撮系を多く手掛けている名監督である。
彼は監督としての見る目も腕もいいが、女好きで有名で気に入った女性タレントの主演映画は必ずチェックし、枕営業を持ちかけているという噂もある。
正直言って苦手な相手の一人である。 スーツアクターとして活動していた頃はよく声を掛けてくれて世話になっていた。 しかし、引退した今、彼と会う意味がよくわからない。
「兄さん、これはどういう事?」
「言わなくちゃわからんか?」
質問に質問で返されてムッとする。まさかとは思うが……。
「実は、今回撮影を予定していた『獅子レンジャー』のレッド役のアクターに少し大きめの病気が見つかってしまってね。長期入院が必要だって言う事で撮影に参加することが出来なくなってしまったんだ。そこで急遽代役が必要になったんだが主役の彼と同じような体格の子が中々見つからなくて困っているんだよ」
「……」
やっぱりそういうことか。此処に来た時から薄々そう言う話では無いかと思ってはいた。
だが、自分は一度引退した身だ。
「監督。声を掛けてくださったのは嬉しいですが、僕には主役は務まらないかと」
「腰の怪我は凛君からもう完治していると聞いているよ? 君の復活を望む声も未だに多いんだ。それに、今回はアクションシーンが多い。主役級の役を任せられるような人材がなかなか見つからないんだ。どうか引き受けてくれないだろうか」
「ですが2年もブランクがある僕に出来るでしょうか?」
確かに、引退してから暫く経つが、今でも自分の復帰を望んでいるファンが少なからずいるという話は聞いたことがあった。
だが、現場を離れて久しい自分が現役のアクター達と一緒の動きが出来るとは到底思えない。
「……お前が引退してからも、仕事終わりに毎日ジムに通ったり走り込んだりして欠かさずトレーニングを続けていることは知っている。本当は、アクターの仕事を続けたかったんじゃないのか?」
兄の指摘に一瞬の間が出来る。その沈黙が肯定だと気付いた瞬間、思わず舌打ちしたくなった。
「…………そんなこと無いよ」
しばしの沈黙の後。結局、絞り出すように言ったのは否定の言葉だけだった。
「監督。気持ちは嬉しいのですが、少し考えさせて貰ってもいいですか?」
「勿論、無理強いするつもりは無いよ。でも、よく考えてみて欲しい」
「……はい」
いい返事を期待しているよ。と、念を押され、戸惑いながら部屋を出る。
「何がそんなに気になっているんだ? 2年前の事故の事を引き摺るのはわかるが……」
「……違う。引きずってなんかいない」
「ならどうして頑なに拒否する?」
食い下がる兄に対して苛立ちを覚える。これ以上踏み込んでくるなと叫びたい衝動を抑えて睨みつけると、凛はふっと小さく溜息を吐いた。
「まぁいい。気が向いたら話してくれ」
「……」
凛の言うとうり、戻りたいと思った事が少しも無かったかと言えば嘘になる。
だが、事故の後何度か現場付近の海へと足を運んでみたが、どうしてもあの日の光景を思い出してしまい、恐怖で足がすくんで動けなくなってしまった。
危険なシーンを率先して行うのがアクターの仕事の一部でもあるのに、これでは全く使い物にならない。
だから、もう二度とこの仕事に戻る事はないと思っていたのに――。
「あれっ? もしかして、蓮君?」
思わず洩れそうになった溜息を押し殺し、重い足を引きずりながら歩いていると不意に背後から名前を呼ばれ振り返る。
そこに居たのは、蓮がまだ事務所に所属していた頃、一緒に切磋琢磨していた仲間の内の一人だった。
蓮より少しばかり背が高く、健康的な浅黒い肌に柔らかそうな茶色の髪。がっしりとした体格に似合わぬ優しげな顔立ちは一見すると頼りなさそうだが、演技に関しては貪欲で妥協を許さない男――。
「……誰かと思ったら、雪之丞じゃないか!」
歳は自分より7つほど若いが、自分と同じく戦隊モノのヒーローに憧れてアクター業界入りした彼と一緒に仕事をする事が多かった為、プライベートでも何度かつるんで遊ぶ程度には仲のいい同僚だった。
棗 雪之丞(なつめ ゆきのじょう)と言う芸名のような名だが、本名だと言っていたのを思い出す。
「久しぶり。良かった生きてて。ずっと連絡ないから死んだかと思ってた」
「いやいや、人を勝手に殺すなよ」
「冗談だって。でも、会えてよかった。ずっと会いたいって考えてたから」
そう言ってどこか嬉しそうに微笑む姿は、まるで飼い主を見つけた大型の子犬のようだ。
雪之丞は基本大勢でワイワイするより、一人でいる事を好む。引っ込み思案でいつも現場の隅で一人ゲームばかりしているようなタイプで、人付き合いが苦手だ。
けれど、何故か昔から蓮にだけは懐いてくれていた。
「蓮君は今日は何しに? もしかしてこれから撮影とか!? あ! それとも稽古?」
「残念だけど、どっちもハズレ。ちょっと野暮用でさ」
「……なんだ、そっか」
あからさまに落胆した様子で肩を落とす雪之丞の姿に、思わず苦笑する。
「いつ復帰する?」
大きな体を丸め、おずおずと尋ねて来る。その仕草は、主人に構って欲しいと様子を伺う大型犬を連想させる。
「まだ分からない」
「……そっか。またいつか共演出来るといいな」
そう言って少し寂しそうに笑う雪之丞の笑顔を見て胸が痛くなる。
本音は、自分ももう一度アクターとして活躍してみたい。
だけど、まだ怖いのだ。
また同じ失敗を繰り返すのではないか、という恐怖がどうしても拭えない。
「あぁ」
曖昧に笑って返すと、雪之丞は何か言いたげに口を開きかけたが、そのまま何も言わずに黙って俯いた。
「――棗さん! こんなとこで何やってるんっすか。もうすぐ休憩時間終わっちゃうって」
微妙な沈黙を切り裂くように響いた甲高い声に視線を向けると、首からタオルを掛けた10代と思しき黒髪の少年がこちらに向かって駆け寄ってくる所だった。
「あっ、ごめん。今行く」
「も~、何やってんだよ。ほら、行こ!」
「ごめんってば、|東海《はるみ》君……じゃぁ、また今度。たまには連絡してよ」
「あぁ」
嵐のように去って行った二人の背中を見送り懐かしさに目を細めた。
「見に行ってみるか?」
「え?」
突然の兄の提案に驚いて聞き返せば、兄は相変わらずの無表情のまま「お前が嫌でなければ」と付け加えた。
「いや、今日はいいよ。長旅で疲れてるし」
古い友人が頑張っている姿を見たら、きっと自分も参加したくなる。
だが、今の自分にはそんな資格は無い。
「そうか」
兄は特に追及すること無く、それ以上は何も言わなかった。