テラーノベル
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まだ朝靄の残る、王都騎士団舎の演習場。
木剣を打ち合う音だけが、静まり返った早朝の空気を裂いていた。
入団してから半年。まだ半人前の身でありながら、私は今日こそ、組み手の相手である先輩騎士の連撃を、一度でいいから完全に凌ぎきりたいと思っていた。
憧れのレオナ隊長が率いる遊撃部隊への配属を志願してから、もうすぐ一年になる。あの人のように、誰もが認める強さと誇りを、この手で掴みたかった。
(今日こそは……。一度でいいから、完全に凌いでみせる……!)
木剣を構え、相手の踏み込みに合わせて半歩下がる。頭の中では、避けるべき軌道も、返すべき一撃も、すべて描けているはずだった。
「行くぞ、エマ!」
木剣が振り下ろされる。半歩下がりながら、大きく息を吸い込もうとする。
(――え……? 息、が……)
胸元に幾重にも巻きつけた布が、肋骨ごと肺を締め上げるように軋んだ。呼吸が、思うように入ってこない。視界の端が、ふっと白く濁る。
避けたはずの一撃が、なぜか肩口に鈍い衝撃をもたらした。
「っ……!」
膝をつきそうになりながら、なんとか木剣で体を支える。
「大丈夫か、エマ!」
「……エマ、今のは避けられていたはずだ。何度も同じ動きを繰り返している。集中力が足りん」
「も、申し訳ありません……!」
「配属されてもう半年だ。いつまでも新人気分でいられては困る。……レオナ隊長の下にいるのだから、それに恥じぬ動きを見せてもらいたいものだな」
(また、名前を出された。……レオナ隊長に、恥をかかせてしまう……)
下唇を嚙む。
(分かってる。分かってるのに、なんで、こんなところで……)
○
教官の言葉が、いつまでも耳の奥にこびりついていた。
レオナ隊長に恥をかかせている。その一言が、他の何よりも重く胸にのしかかる。
配属志願の面接で、私は迷わずレオナ隊長の下を希望した。かつて単身でオークの群れを退けたという逸話を聞いた時から、あの人のようになりたいと、ずっと思い続けてきたのだ。
だが憧れれば憧れるほど、自分とあの人との差ばかりが際立って見える。特に、背は伸びないのに胸だけは育ってしまった自分の体型は、戦場では邪魔者でしかないと、入団当初から思い知らされてきた。
(……入団した時から、ずっとそうだ。この身体のせいで、まともに剣も振れない。先輩たちにも、時々変な目で見られる)
だからこそ、古参の女性騎士から聞いた話に、藁にもすがる思いで縋りついた。
曰く、レオナ隊長も昔、胸のせいで支給の鎧が正しく身体に沿わず、隙間や軋みに悩まされていたのだという。「防具は分厚く硬いほどいい」というのが、この稼業に染み付いた常識。ならば、その理想の鎧を正しく着こなすためには、鎧の形に身体の方を近づけるしかない。レオナ隊長は、そう考えて胸をきつく縛り上げ、標準規格の鎧に隙間なく身体を押し込めることで、あの若さで隊長にまで上り詰めたのだと、まことしやかに語られていた。
(だから、古参の方に聞いたあの話に、縋ったんだ。レオナ隊長も昔、この胸のせいで支給の鎧が合わなくて、隙間や軋みに悩まされていたって。……防具は分厚く硬いほどいいのが常識だから、鎧の形に身体を合わせるしかない。それで、胸をきつく縛り上げて、あの若さで隊長にまで上り詰めたんだって、そう聞いたから)
私も、その理屈に納得した。人知れず、誰よりもきつく、誰よりも徹底的に。それが、憧れの人に近づき、理想の鎧を正しく着こなすための、唯一の道だと信じて。
「……エマ、少しいいか」
水音に紛れて聞こえなかったのか、気づけばすぐ側に、当のレオナ隊長が立っていた。
「っ……! た、隊長……!」
慌てて振り返る。心臓が、稽古の疲労とは違う理由で早鐘を打ち始める。
「今日の組み手、お前らしくなかったな。避けられるはずの一撃を、なぜ受けた」
「そ、それは……その……」
(言えない。まさか、隊長のことを噂で聞いて、真似をしていたなんて……)
「顔色も悪い。……何か、隠していないか」
「い、いえ、何も……!」
(隠し通さなきゃ。隊長に、こんな情けない姿、これ以上見せられない)
言い淀む私の様子に、レオナ隊長は追及の手を緩めなかった。
「……エマ。私はな、後輩の様子がおかしい時、見過ごせない性分なんだ。話せ」
「……」
「言いにくいことなら、無理にとは言わん。だが、今日みたいなことが戦場で起きたら、命に関わるぞ」
「ーー!」
その一言に、覚悟を決める。
「……実は、その。胸元に、布をきつく巻いているんです。訓練の時も、いつも」
「布を……? なぜ、そんなことを」
「あの……古参の方から、伺ったんです。隊長も昔、支給の鎧が胸のせいでうまく合わず、悩んでいたと……。でも、『鎧は分厚く硬いほどいい』というのが常識ですから、鎧の方じゃなく、身体の方を鎧に合わせて、きつく縛り上げることで乗り越えられたんだと、そう伺って……。だから、私も、同じようにすれば、少しでも隊長に近づけるんじゃないかと思って……」
レオナ隊長の表情が、明らかに強張った。
「……なんだと」
「た、隊長……?」
「……その噂、半分は当たっていて、半分は真っ赤な嘘だ。確かに私も昔、支給の鎧が胸のせいで合わず、難儀していた。だが、そこで『鎧に身体を合わせよう』と考えたのが、そもそもの間違いだったんだ。……私を変えたのは、締め上げることじゃない。むしろ、真逆だ」
「真逆……?」
「私はな、あの頃、自分の身体を『呪い』だと思って、力任せに押さえ込もうとしていた。だが、それのせいで、まともに剣も振れず、呼吸すらろくにできず、死にかけたことすらある。……今の私があるのは、締め上げるのをやめて、正しく支えることを教えてくれた人がいたからだ」
(――え……。じゃあ、私がずっと真似してきたことは……)
「そんな……。じゃあ、私は、間違った話を、ずっと……」
「悪いのは、噂を鵜呑みにした自分じゃない。中途半端にしか事情を知らず、面白おかしく話を広めた奴らの方だ。……今すぐ、その布を外せ。これ以上、お前の身体を私と同じ目に遭わせるわけにはいかん」
○
その日の非番を待つこともなく、レオナ隊長に半ば引きずられるようにして辿り着いたのは、噂にも聞いたことのない、控えめな佇まいの防具店だった。
レオナ隊長ほどの人が、なぜこれほど慌てて自分をここへ連れてくるのか、まだ半信半疑のままだったが、店に足を踏み入れた瞬間、その理由の一端を垣間見た気がした。
「トウヤ、緊急だ! この子を診てやってくれ!」
レオナ隊長が、店の扉を勢いよく開ける。
「……いらっしゃいませ。手短で構いませんので説明していただけますか」
トウヤという名のこの店の主が、レオナ隊長の姿を見るなり、いつもとは違う何かを察したように、わずかに目を細めた。
「私の後輩だ。……噂に聞いた話を鵜呑みにして、私の真似事で、自分の胸をきつく縛り上げていたらしい」
「……なるほど」
トウヤの視線が、私の胸元へと注がれる。値踏みするような、しかし不快感のない眼差しだった。
(見られてる……。でも、なんだろう、この人の目……)
「レオナさんの時よりも、締め方が幾分粗そうだ。……独学、ということですか」
「は、はい……。あの、古参の方に聞いた話を、自分なりに、その……」
「なるほど、伝聞の劣化コピーというわけですか。……奥へどうぞ。すぐに確認します」
「私も付き添う」
「お好きにどうぞ。……では、胸元の布を緩めてください」
「は、はい……」
フィッティングルームに移動した私は、すぐに鎧を脱いだ。次にインナーに手をかける。
それから布を緩め終えた瞬間、胸元に赤黒い痕がいくつも浮かんでいることに、私は今更ながら羞恥を覚えた。
(……こんな痕、隊長に見られたくなかった)
だが、トウヤは眉一つ動かさず、指先で肋骨の輪郭を丁寧になぞりながら、淡々と観察を続けていく。
「……第五肋骨から第七肋骨にかけて、変形の兆候が出ています。レオナさんの時よりも、進行が早い」
「……私より、早いだと?」
「独学ゆえに、加減を知らなかったのでしょう。伝聞だけで真似ると、往々にしてこうなります。手本より過激な方向へ、無意識に振れてしまう」
(……レオナ隊長より、酷いことになってた……。憧れて、真似したつもりが……)
「わ、私……」
「自分を責める必要はありません。……そもそも、鎧の形に身体を合わせようという発想そのものが、根本から誤っている」
「でも、防具は分厚く硬いほどいいって、ずっとそう教わってきて……」
「防具の防御力と、身体の適合性は、別の話です。硬い防具が優れているという前提そのものは間違っていない。ですが、その硬さに身体を無理やり押し込めるのではなく、身体の形に、防具の側を合わせるべきなんです」
レオナ隊長が、静かに頷く。
「……その通りだ。私も、そこを取り違えていた」
「もう少し、詳しく確認します。深く息を吸ってみてください」
言われた通りに息を吸おうとするが、胸元の痛みで途中で止まってしまう。
「……っ、痛くて、あまり吸えません」
「今の時点で、肺活量が本来の4割程度まで落ちています。放置すれば、骨格そのものが歪んだまま固定される可能性もあった」
その言葉に、レオナ隊長の顔が青ざめた。
○
採寸を終えたトウヤが作業台に向かう間、レオナ隊長は珍しく落ち着かない様子で、何度も私の方へ視線を向けていた。
程なくして仕上がったのは、レオナ隊長が着用しているものよりも幾分か小ぶりな、しかし同じ設計思想で作られたインナーだった。
「着けてみてください」
「は、はい……」
袖を通し、背中の留め具を締める。
「……あ」
これまで胸を押し潰していたはずの重さが、綺麗に分散されていくのを感じる。
「どうです」
「……痛くない。それに、息が、こんなに自然に入ってくる……」
恐る恐る、大きく息を吸い込んでみる。肺の奥まで、痛みを伴うことなく、驚くほど自然に空気が満ちていった。
「隊長……! 私、こんなに深く息を吸えたの、初めてです……!」
「……そうか。よかったな!」
レオナ隊長の表情には、安堵と、それでも消えきらない苦さが混じっていた。
「あの……隊長。ごめんなさい、私、間違った話を鵜呑みにして、勝手に真似をして……」
「謝るな。……お前が悪いんじゃない。私も、正しいことを誰かに伝えられるほど、周囲に気を配っていなかった。……お前にきちんと話してこなかった、私の落ち度でもある」
「肋骨の変形については、今後の成長でほとんど矯正されるはずです。ですが、念のため、月に一度は経過を診させてください」
「はい、必ず伺います」
○
数日後、王都近郊。私にとって初めての、単独同行を許された哨戒任務。
これまでなら、長時間の移動と警戒だけで息が上がり、集中力が続かなかったはずだった。だが今日の私は違った。
深く、静かな呼吸を保ちながら、周囲への警戒を怠らず、隊列の中で自分の役割を淡々とこなしていく。
哨戒の途中、茂みの奥に潜んでいた小型の魔物の気配にいち早く気づいたのは、他でもない私だった。声を張り上げて仲間に警告し、落ち着いた動きで剣を構える。以前の自分なら、緊張と呼吸の乱れで、恐らく気づくことすらできなかっただろう。
任務を終えた帰路、隊を率いていた先輩騎士が、珍しく私を労う言葉をかけてきた。
「エマ、今日の警戒、随分と冴えてたな。魔物の気配、俺より先に気づいてただろう」
「あ、ありがとうございます……!」
(前は、長時間の移動だけで息が上がってたのに。今日は、全然違う)
「顔色もいい。……なんだ、最近、調子でも上げてきたのか」
「はい。ちょっと、装備を見直してもらったので」
「装備? ああ、隊長がよく通ってる、あの防具屋か」
「はい……!」
(隊長が通っている場所に、私も繋がれた気がする。少しだけ、憧れの人に近づけたかもしれない)
○
数日後、トウヤの店。
経過報告のために店を訪れると、休日を利用して寛いでいたレオナ隊長の姿があった。せっかくの機会だからと、私は思い切って、あの日聞ききれなかった続きを、改めて尋ねてみることにした。
「トウヤさん、この間はありがとうございました。おかげさまで、初めての単独任務も、無事に果たすことができました」
「それは何よりです。……肋骨の状態も、良好のようですね」
「はい! あの……隊長。もしよろしければ、あの時のこと、もう少し詳しく伺ってもいいですか。その、トウヤさんに出会う前の、本当のこと」
「……ん? ああ、別に隠すようなことでもないが」
レオナ隊長は少し照れくさそうにしながらも、オークの群れとの死闘、泥にまみれて店に転がり込んだ夜のこと、それまで自分の身体を「呪い」だと思い込んでいたことを、途切れ途切れに語ってくれた。
(……隊長にも、そんな時期があったんだ。今の、あんなに凛々しい隊長にも)
憧れの人の過去を、噂ではなく本人の口から直接聞けたことに、私は胸が熱くなる思いだった。
「……お話ししてくださって、ありがとうございます。私、これからも、隊長みたいになれるよう、頑張ります」
「憧れてもらえるのは嬉しいが……。私の真似をするんじゃなく、お前は、お前の身体に合った戦い方を見つけろ。今度は、私が保証してやる」
「はい……!」
「……ちなみにレオナさん、あなたの分の再採寸も、そろそろ時期です。最近、また訓練量が増えているようですし」
「なっ……! わ、私はまだ大丈夫だ!」
急に慌てだすレオナ隊長の様子に、私は思わず頬を緩めた。
(……隊長でも、こんな顔をするんだ)
コメント
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うわあ、この話、めっちゃグッときました……。憧れの人に近づきたい一心で、間違った方法をとってしまうエマの心情が痛いほど伝わってきました。「鎧に身体を合わせる」という発想自体が誤りで、正しく身体を支えることの大切さに気づく展開、すごく好きです。レオナ隊長も過去に同じ轍を踏んでいたっていう構造が、伏線として綺麗に効いてますね。トウヤの「伝聞の劣化コピー」という指摘も鋭くて、情報の正確さって大事だなと改めて思いました。息が楽になった場面、思わず一緒に深呼吸しちゃいましたよ〜。