テラーノベル
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シャンデリアの光を弾いて、幾重にも重なる金属の意匠が煌めいていた。
王都、巨大武具商会オクタヴィアが主催する新作発表会。着飾った貴族や、取引先の商人たちが居並ぶ、豪奢な広間には、香水と葉巻の匂いが濃く漂っている。
今期、実利派が最も力を入れているという「戦乙女コレクション」。その目玉となる金属製のビキニアーマーを纏い、わたしは幾度となく練習を重ねてきた演目を、舞台の中央で踊っていた。
薄く鍛えられた金属の意匠は、遠目には息を呑むほど美しい。曲線に沿って流れるような細工は、遠く離れた客席からも歓声が上がるほどの完成度だった。
だが、その内側では――。
何ヶ月も擦れ続け、赤黒く爛れた肌に、縁の立った金属の端が容赦なく食い込んでいる。
(また、あの角度だ……。回転のたび、右腰のあたりに、あの縁が食い込む……)
かれこれ半年、この衣装を纏って踊り続けてきた。
最初の頃は、まだ痛みも浅かった。だが繰り返し擦れるうちに、皮膚は爛れ、瘡蓋になり、その瘡蓋がまた剥がれ、を繰り返す。今では、擦れる感覚だけで身が竦むようになっていた。
回転の振り付けに差し掛かった、その瞬間。
いつも以上に深く食い込んだ痛みに、頭の奥で火花が散るような衝撃が走った。
(――っ、熱い……! いえ、笑って。ここで顔を歪めたら、すべて台無しになる)
それでも、わたしの顔からは、貼り付けたような笑顔が一切崩れることはなかった。
何年もかけて、そう振る舞うことだけは、身体に叩き込まれている。痛みを飲み込みながら笑うこと。それが、この商会における「看板娘」としてのわたしの、たった一つの取り柄だった。
演目を終え、万雷の拍手を浴びながら退場する。
「素晴らしい!」
「さすが商会の看板娘だ」
観客の歓声が、遠くで鳴り響く花火のように、実感の薄いものとして耳を通り抜けていった。
(……やり切った。今日も、誰にも気づかれなかったはず)
退場した瞬間、貼り付けていた笑顔をようやく崩し、わたしは壁に手をついて荒い息を吐いた。
(……痛い。今日は、いつもより酷い)
じくじくと熱を持つ右腰のあたりに、そっと手を当てる。布越しにも、そこがひどく熱を持っていることが分かった。
だがその一瞬の隙も、商会の管理者は見逃してはくれなかった。
「シルヴィ、最後の回転、一瞬顔が強張っていたな。取引先の視線が集まっている場面で、あれはいただけない」
「……申し訳ございません。以後、気をつけます」
「看板娘なんだ、常に完璧な笑顔を絶やすな。お前の笑顔一つで、商会の評判が決まると思え」
労いの一言もなく、管理者は次の予定へと去っていく。
その背中を見送りながら、わたしは奥歯を噛み締めた。
(……何年、この身体を差し出してきたと思ってるのよ。……なんて、口が裂けても言えないけど)
十七で商会にスカウトされ、当時は「顔と踊りで生きていける」という言葉を、誇らしいものとして受け止めていた。だが、その誇りがいつから、こうも重く、身を削るだけのものに変わってしまったのだろう。
一人残された控室で、ふと、少し前に街角で交わした短い会話が脳裏に蘇る。
まだ日も高い時分、商会の使いで街へ出た帰り道。道端でリュートを弾いていた、旅の吟遊詩人の女性。名前はリラ。気が合って何度か食事を一緒にしている仲だ。そんな彼女と、世間話の流れで、着ている衣装の話になり、彼女はふと真顔になってこう言ったのだ。
「――衣装の締め付けで困ったら、訪ねるといい店があるよ。職人街の外れの、ちょっと変わった仕立て屋なんだけどね」
あの時は、他愛のない雑談だろうと聞き流していた。
けど、今夜は、その言葉に縋りたい気分だった。
○
誰にも見られてはならない。
商会専属の身でありながら、他の職人の店を頼ったなどと知られれば、契約に関わる。下手をすれば、看板娘としての地位そのものを失いかねない。
厚手のローブを身に纏い、人目を避けながら夜の職人街を歩く。冷たい夜風が、衣装の下、擦れた肌に容赦なく染み入ってくる。
(こんな時間まで、開いているかしら。……いえ、今夜を逃したら、もう限界だわ)
古びた木の扉を、わたしは縋るような思いで叩いた。
こんな夜更けに応対してもらえるかは一か八かだった。けど、灯りの点いた店内から現れたトウヤという店主は、深夜の訪問にも眉一つ動かさなかった。
「……こんな時間に、どうされました」
「あの……こんな時間に、申し訳ありません……。わたし……その、旅の吟遊詩人の方に、こちらのことを伺って……。もう、我慢の限界で……」
涙をこらえきれず、声が震える。
「……とりあえず、中へ。立ち話するような状態ではなさそうだ」
店内に招き入れられ、ローブを脱ぐ。
明るい灯りの下で、トウヤの視線がわたしの衣装へと注がれる。
「……その金属製の衣装、意匠を優先して、内側の保護が一切ありませんね。何ヶ月、これを着続けているんですか」
「……半年、以上になります」
「半年も、まともな保護なしに、金属の縁が直接肌に触れ続けていたと。……よく今まで、感染症を起こさずに済みましたね」
(感染症……。そこまで、酷いことになっていたなんて……)
「商会側は、この状態を把握していましたか」
「……多少の擦れは、仕事のうちだと。それに、笑顔を絶やすなと、いつも……」
トウヤの表情が、わずかに険しくなる。
「多少の擦れ、で片付けられる状態ではありません。……見せていただけますか」
半ば崩れ落ちるようにして、わたしはフィッティングルームへと案内された。
誰かにこの痛みを打ち明けること自体、これが初めてだった。何年も「看板娘」としての笑顔の下に隠し続けてきた本当の姿を、ようやく晒せる場所に辿り着いたという安堵からか、緊張の糸が切れたように涙が止まらなくなる。
「……こんな姿、誰にも見せたことがないんです」
「診察に、羞恥心は不要です。……患部を、確認させてください」
「は、はい……」
震える手で、衣装の留め具に手をかける。指先が上手く動いてくれず、何度も留め具を取り落としそうになった。
涙が、次から次へとこぼれ落ちていく。声を殺して泣くことにも、もう慣れていた。誰にも迷惑をかけないように、誰にも気づかれないように――そうして生きてきた歳月の分だけ、涙は止め方を忘れてしまったかのようだった。
「……大丈夫です。ゆっくりで結構ですので」
トウヤの声には、急かす色も、憐れむ色もなかった。ただ淡々と、けれど優しい気遣いが滲んでいた。
留め具が、一つ、また一つと外れていく。金属の意匠が緩むたび、擦れて熱を持った肌に、ひやりとした夜気が触れる感触があった。
トウヤが患部を一瞥した瞬間、これまでの淡々とした表情に、明確な険しさが加わるのが分かった。
「……想像以上ですね。この炎症、放置すればひどい傷跡が残ります。……まず、これを」
差し出されたのは、清潔に折り畳まれた布と、小さな陶器の壺に入った軟膏だった。
「患部に、薄く塗ってください。私は見ていませんので、ご自身で」
そう言うと、トウヤは静かに視線を逸らし、作業台の方へと向き直った。
その気遣いに、わたしは思わず息を呑んだ。
(見ない、でいてくれるんだ……)
半年間、誰にも見せることのできなかった場所だ。舞台の上では、これでもかというほど肌を晒してきたはずなのに、この爛れた傷跡だけは、誰にも、自分自身でさえ、正面から見つめることを避けてきた。
「……ありがとう、ございます」
震える指先で、軟膏を掬い取る。ひやりとした感触が指先に広がり、それを恐る恐る、腰のあたりの爛れた肌へと運んでいく。
「……っ」
染みる痛みに、思わず息を詰めた。だがその痛みの奥に、これまで感じたことのない、じんわりとした冷涼感が広がっていく。まるで、燻り続けていた熱が、少しずつ引いていくかのようだった。
指先が、そっと患部をなぞる。自分の肌でありながら、これほど丁寧に触れたのは、いつ以来だろう。半年間、ただ「隠すもの」としてしか扱ってこなかったこの身体を、今、初めて労わっているような感覚があった。
「……ええ、それで結構です」
背を向けたまま、トウヤの声が静かに告げる。
「それと、その衣装ですが。デザインの承認は、どのような形で行われましたか」
「……静止した状態で、ポーズを何種類か取って、それで良ければ、という形でした」
「やはり。……この衣装、静止した姿勢を基準に、金属片の配置が調整されています。ですが、あなたの振り付けには、腰のひねりや、脚を高く上げる動作、回転が含まれますね」
「はい……。それが、何か」
「動くたびに、金属片の位置がわずかにズレるんです。承認時には内側に収まっていたはずの縁が、動作の瞬間だけ外側へ迫り出し、鋭い角がそのまま肌に触れる。……つまり、この衣装は、あなたが実際に踊ることを、そもそも想定して作られていない」
(想定、されていなかった……。半年間、毎晩あんなに痛かったのは、そのせい……)
「……デザインの担当者は、何度も『完璧です』と言っていました」
「その完璧は静止した状態での完璧でしょう。それは踊り子のための衣装ではなく、飾り物のための衣装です」
その言葉に、これまで積み重ねてきた我慢が、静かに崩れていく感覚がした。
飾り物。ずっと、自分がそう扱われていることには薄々気づいていた。だが誰かの口からはっきりとそう言われたのは、これが初めてだった。
○
処置を終え、身なりを整えたところで、トウヤはようやく作業台の方へと振り返った。
わたしは複雑な思いで、その背中を見つめる。
契約上、あの金属衣装そのものを変えることはできない。商会の看板として、あの意匠のまま舞台に立ち続けなければならないという事情を、わたしはまだ一言も説明していなかった。
「あの……このアーマー自体は、契約上、変えることができないんです。商会の看板として、この意匠のまま舞台に立たなければならなくて……」
「承知しています。衣装自体に手を加えるつもりはありません。……作るのは、その内側に着るものです」
トウヤはまるで最初からそれを織り込んでいたかのように、迷いなく作業に取りかかっていく。
選ばれたのは、氷結蚕の糸で編まれた、驚くほど薄い生地だった。指先で摘んでみせられたそれは、ほとんど霧のように頼りなく見えるのに、引っ張ってみても一向に伸びきる気配がない。
(こんなに薄い生地で、本当に……)
「金属片が触れる位置だけ、重点的に補強しています。それ以外は、限界まで薄く、透けるほどに。……外から見えては、意味がありませんので」
無駄のない手つきで糸が織り上げられていく様を、わたしはただ黙って見つめていた。半年間、誰にも相談できずに一人で抱えてきた痛みが、こんなにもあっさりと、目の前で解決されていくことへの戸惑いと、それ以上の安堵が、胸の中で入り混じっている。
程なくして、トウヤが一枚の薄い布地を手にカーテンの向こうから戻ってきた。
「着けてみてください。それと、先ほどの回転の動作を、試しに」
「は、はい……」
カーテンの内側で、わたしは震える指で衣装を緩め、手渡された薄いインナーに袖を通した。
肌に吸い付くようでありながら、締め付けの感触はほとんどない。まるで、もう一枚の皮膚を纏ったかのような、不思議な軽さだった。腰のあたり、あの爛れた場所を覆う部分だけが、心なしか少し厚みを増しているのが分かる。それでいて、外からその厚みを気づかせるような膨らみは、一切なかった。
衣装を身につけ直し、鏡の前に立つ。
「……本当に、何も分からないくらい薄いんですね」
外見上、これまでと寸分違わない。金属の意匠が、いつも通りの優美な曲線を描いている。だがその内側に、これほど心強い盾が隠されているとは、鏡を見ているだけでは到底信じられなかった。
恐る恐る、回転の動作を再現してみる。金属の縁が、いつも通りわずかに位置を変える感触が、腰のあたりに伝わってきた。
「……あ」
「どうです」
「痛くない……。金属が、動いているのは分かるのに、肌に触れる感覚が、まったくない……」
何度も同じ動作を繰り返しながら、涙が滲んでくる。
回転する。もう一度、また一度。金属が肌をかすめるはずのその瞬間に、身が竦むこともなければ、笑顔を保つための余計な力を入れる必要もない。ただ純粋に、身体を動かすことそのものの心地よさだけが沸き上がってきた。
「半年間、これがどれだけ、当たり前じゃなかったか……」
「これで、応急処置をしたその部分も、これ以上悪化することはありません」
「……本当に、ありがとうございます」
深く頭を下げながら、わたしは半年ぶりに、自分の身体を取り戻したような感覚を覚えていた。
○
数日後。同じ発表会場での追加公演。前回と同じ演目を、あらためて披露する機会が訪れた。
半年ぶりに、痛みを気にすることなく舞台に立つ。そう自覚した瞬間から、身体の動かし方そのものが変わっていくのを感じた。
これまでは、いかに苦痛を表情に出さないかということだけに、意識の大半を割いていた。だが今日は違う。
腰をひねる動作にも、脚を高く上げる動作にも、一切の恐れを感じない。
(痛くない……。今日は、本当に、何も感じない)
振り付けの一つ一つに、これまで抑え込んでいた感情の機微を、そのまま乗せることができる。楽団の音色に耳を傾ける余裕さえある。
脚を高く上げる動作。恐れることなく、深く踏み込む。
(これまで、いつも身体のどこかで痛みに身構えてた。今は、それが、どこにもない)
回転の場面。いつもなら痛みに耐えるための硬い笑顔しか作れなかったその瞬間、今日のわたしは、心から湧き上がる高揚感のままに、自然な笑みを浮かべていた。
演目を終えた瞬間、これまでとは明らかに違う質の拍手が、会場中から沸き起こる。
「今日の踊り、いつもと違うぞ……」
「表情が、こんなに生き生きしてるの、初めて見た」
深く一礼する。顔を上げた瞬間、視界に映る客席の熱気が、これまでとはまるで違う色をしていた。
「シルヴィ、今日の踊りは一体……! 取引先の反応が、これまでで一番だったぞ!」
管理者が、珍しく興奮した様子で駆け寄ってくる。
(……痛みを我慢することだけが、看板娘の仕事だと思ってた。でも、違ったのね)
わたしは、その言葉を胸の内だけに留めた。
○
数日後
報告のために店を訪れたわたしは、これまで誰にも見せたことのない素の表情のまま、トウヤと向き合っていた。
舞台の上で完璧な笑顔を作ることには、誰よりも自信があったはずなのに、この店の中でだけは、その仮面を外していても構わないと、なぜか思えてしまう。
「トウヤさん、この間はありがとうございました。……あの公演、取引先からの評判が、これまでで一番だったそうです」
「それは何よりです」
「表情が変わった、踊りに深みが出た、なんて言われて……。正直、少し戸惑っています。ずっと、痛みを我慢して笑顔を保つことだけが、わたしの仕事だと思っていたので」
「痛みを我慢することと、笑顔を作ることは、本来別物です。あなたが評価されたのは、我慢をやめて、本来の表現力を出せたからでしょう」
(……本来の、表現力)
その言葉を胸の内で繰り返しながら、ふと、これまで誰にも打ち明けたことのなかった本音が、するりとこぼれ落ちた。
「……こんなこと、商会の誰にも言ったことがないんですが」
「聞きましょうか」
「わたし、本当は、踊ること自体は、好きなんです。ただ、いつからか、痛みを隠すことの方が、踊りそのものより大事になっていて……。何のために舞台に立っているのか、分からなくなる時が、ありました」
そう言った瞬間、初めて誰かに本音を明かせたという安堵から、目の奥が熱くなる。
「それは、装備のせいで、あなたの本来の姿が見えなくなっていただけです。……今は、違うでしょう」
「……はい。そう、思います」
少しの沈黙の後、わたしは小さく微笑んだ。舞台用の作られた笑顔ではない、久しぶりに浮かべる、自然な表情だった。
「……ちなみに、患部の経過は。念のため、数日後にもう一度、確認させてください」
「はい、必ず伺います」
少しだけの照れくささと、胸いっぱいの信頼を込めて頭を下げ、わたしは店を後にした。
コメント
1件
シルヴィが長い間ずっと痛みを隠しながら踊ってたのが切なかったけど、トウヤに「飾り物のための衣装」って言われたシーンでグッときたよ…。最後、自分の気持ちを素直に「踊ることが好き」って言えたのが本当に良かった!自然な笑顔が見られて嬉しかったなあ🌷