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その週末、勇斗は店を臨時休業にしていた。仕入れの都合だと、以前ふと零していたのを、仁人はふんわりと覚えていた。だから、金曜の夜、つい、いつものように店に向かった足が、閉まった扉の前で止まった時、自分でも驚くほどの落胆を覚えた。
──別に、他の日に行けばいいだけの話だ。
そう分かっていながらも、仁人はしばらくの間、暗い店先に立ち尽くしていた。看板の灯りが消えた扉を見つめながら、何とも言えない物足りなさが、胸の中に広がっていく。
結局、その夜は近くの別の店に入ったが、酒の味も、店内の雰囲気も、どこか物足りなく感じられた。誰かと軽口を叩き合うこともなく、ただ静かにグラスを傾けるだけの時間が、これほど味気ないものだったかと、仁人は改めて思い知らされた。
──おかしいな、俺。
これまで、一人で過ごす時間を苦痛に感じたことなど、ほとんどなかったはずだった。むしろ、人と近い距離で関わることの方が、よほど負担に感じるタイプだったはずだ。それなのに今は、たった一晩、あの店に行けなかっただけで、こんなにも落ち着かない気持ちになっている。
翌週、店の扉を開けた瞬間、仁人は自分でも意外なほど、安堵の息を漏らした。
「あ、仁人くん、いらっしゃい」
「先週、休みだったんですね」
「うん、仕入れでちょっとバタバタしてて。もしかして、来たりした?」
「……別に、それはたまたまです」
しれっと嘘をつく仁人に、勇斗は面白そうに目を細めた。
「あ、そうなんだ。じゃあ、たまたま来て、たまたま閉まってて、たまたまがっかりした、みたいな感じ?」
「がっかりなんて、してないですけど」
「あーね、了解了解」
からかうような口調に、仁人は思わずむっとした顔をする。だが、その反応そのものが、すでに図星を突かれた証だと、勇斗には筒抜けだった。
「なんですか、その生温かい目は」
「いや、別に。なんか、嬉しいなって思っただけ」
「嬉しいって、何がですか」
「仁人くんが、俺のこと、ちょっとは気にしてくれてるってことがさ」
その率直な物言いに、仁人は言葉に詰まった。強く否定しようとしたが、うまく言葉が出てこない。実際、否定できるだけの根拠を、仁人自身、持ち合わせていなかった。
「いや、おかしいだろ、それは。単に、店が空いてるかどうかの問題です」
「じゃあ、他の店でも良かったってこと?」
「──それは」
「それは?」
意地悪く問い詰められ、仁人は答えに窮した。他の店でも良かったはずだ。理屈の上では、そうであるはずだった。だが、実際にあの夜感じた物足りなさは、単に「酒を飲む場所」が変わったことによるものではないと、仁人自身、うっすらと気づいていた。
「別に、他の店でも良かったですよ」
強がってそう答えたものの、その声には、いつもの塩対応特有の鋭さが、明らかに欠けていた。勇斗はそれを聞いて、満足そうに笑う。
「そう? まぁ、いいけどさ。──俺は、仁人くんがいないと、なんか調子狂うんだよね、最近」
不意打ちのように告げられた本音に、仁人の心臓が、小さく跳ねた。
「そういうこと、簡単に言わないでください」
「なんで? 本当のことだし」
「……調子、狂わせるつもりなんてないです、俺」
「知ってる。だから、わざとじゃないところが、余計に厄介なんだよね」
そう言って、勇斗は柔らかく笑った。仁人はそれ以上何も言い返せず、黙ってグラスに口をつける。だが、その口元には、隠しきれない小さな笑みが、確かに浮かんでいた。
その夜、仁人は帰り道、自分の変化について、改めて考えていた。誰かがいないだけで、これほど落ち着かない気持ちになるなど、これまでの人生で経験したことがなかった。人との距離を、常に一定に保つことを心がけてきた自分にとって、これは明らかな異変だった。
──いつの間に、こんなことになったんだろう。
答えはまだ、はっきりとは見えない。だが、少なくとも、この落ち着かなさを、もう嫌なものだとは思えなくなっている自分がいることだけは、確かだった。