私はたんぽぽだ。どこにでも生える。どこにでも存在するつまらない存在。風に揺られて、雨に打たれて、生き物に踏まれる。そんな花。
「たんぽぽ!」
小さな子どもが近寄ってきて、ぶちっと私を千切る。あぁ、私はもう枯れてしまうらしい。そう絶望する私をよそに、子どもは母親の元へ走っていく。
「あら、ちぎったの?可哀想だわ。」
我が子の手に握られる無惨な私を、悲しそうな瞳で見つめ、何かを思いついたような顔をする。バッグからポケットティッシュを取り出すと、水で濡らして茎部分を優しく包む。そして、「花は雑に扱ってはダメよ」と子どもに優しく諭していた。
殊勝な事に、その母親は私を家へ持ち帰り、水を溜めた浅い皿に私を住まわせ、陽の当たる場所へと移した。子どもはそんな私を毎日見に来ては、「たんぽぽさんこんにちは!」と太陽のような笑顔を向けた。
「たんぽぽさん、今日はうちの子のお誕生日なのよ。」
ある日突然そんなことを言われる。誕生日を祝えるはずもない私に言うなんて、この母親は相当浮かれている。なんてったってわかりやすいくらいに顔が綻んで、初春に咲く満開の桜のように思えるから。
「幼稚園から帰って来たらお祝いするのよ。楽しみだわ。」
鼻歌が混じる言葉に、私も不思議と気分が良くなる。今日は普段より鮮やかに咲けそうだ。
「たんぽぽさん!僕ね、小学生になったんだ!」
人には小学生という時期がある。どうやら今日は入学式らしく、普段とは違うとても気取った服を着ている。黒いランドセルを背負い、私の前でくるくると回って見せる。私に人と同じ体があったらきっと、抱きしめてしまうほどに愛らしい。
「たんぽぽさん行ってきます!」
いってらっしゃい。そう伝えるように花弁を落とした。
「たんぽぽさん、今日は台風だって。」
残念そうな顔をする少年を、私はどうすることもできない。
「花火大会楽しみにしてたのにね。来年見ようね。」
母親が慰めるように頭を撫でている。毎年恒例の花火大会なのに、台風が来てしまったらしい。私も台風は苦手だ。風でちぎれそうになるし、私より大きな葉っぱが横を掠める瞬間は恐ろしい。
「見たかったな。」
普段の暖かい笑顔ではなく、曇った顔に気分が萎れる。元気だして、大丈夫だよ。そう伝えるために一つ花弁を落とした。
「たんぽぽさん。明日はね、修学旅行に行くんだ!」
そう言う少年は明日を心待ちにして、興奮した様子だった。どうやら一大イベントらしく、一日中旅先で何をするのか母親に自慢していた。
「あの子ったら楽しそうだわ。しばらくあなたと二人っきりになっちゃうね。」
私の近くに座り、母親は呆れたような、微笑ましいような顔で私に話しかける。でも、その声には少しの不安もあった。今まで遠い場所へ少年だけで行くことがなかったからか、母親としては心配なのかもしれない。
「たんぽぽさん、花びら一つちょうだいな。あの子に持たせたいの。」
お安い御用だよ。そっと私は花弁を手放した。
「ねぇ、あの子戻ってこないの。」
母親が困り果てた顔で私に言う。青年が帰ってこないらしく、連絡もつかないと嘆いている。少し前から青年は母親に辛く接していて、それが反抗期であることは明白だった。しかし、どんなに喧嘩しても必ず帰ってきていたものだから、母親は事故にでもあったのではないかと、とても心配している。私も、こんな顔は見たくない。
「どうしたら…..」
母親の不安げな言葉と一緒に花弁が落ちる。今綿毛になれたなら、青年を探しに行けるのに。無力感とはきっと、このことなんだろう。
「ただいま…..」
青年が帰ってきたのは日付が変わる頃だった。母親の顔を見た瞬間に、「ごめんなさい。」なんて素直に謝って眉を八の字にしていた。
「ねぇたんぽぽさん。俺さ、好きな人できたんだよね。」
青年が私に相談してきた。聞き役には私が最適だと思ったのだろう、こそこそとまるで悪い企みでもするかのように小さい声だった。
思春期のせいで羞恥心が勝り、私にしか相談できないらしい。頑張れ、励ますように花弁を散らした。
「ただいま母さん。」
久しぶりに男の声がした。どうやら帰省しているようで、私の元へゆっくり歩いてきた。
「もう枯れそうだな。」
少し悲しそうな顔で私に語り掛ける。
「俺、結婚することになったんだよ。それを伝えに来たんだ。」
「律儀ね。」
男はどうやら添い遂げる人ができたようで、小さい頃とはまた違う柔らかい笑顔をしている。
「枯れても家にいるだろ?母さん寂しがるからさ。」
母親を頼む。そんなことを言いたげに私を見ている。任せて、私のその言葉を代弁するようにして太陽が差し込んだ。やっぱり、暖かな光がこの家にはぴったり。
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