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消滅

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消滅

5 - 第5話

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2025年09月15日

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呼吸の音が耳の奥で響いている。

それが自分のものなのかどうか、確かめる気にはなれなかった。

吸って、吐く。

それだけ。

胸が上下するのを、ただ眺めている。

「眺める」という感覚すら正しいかどうかはわからない。

ただ、そういうふうに世界が動いているだけだった。

かつて「ここから出たい」と思った。

かつて「名前を思い出したい」と思った。

かつて「ボク」と名乗っていた。

けれど、その「かつて」がいつのことなのか、もうわからない。

思い出そうとしても、頭の中に靄がかかり、言葉はすぐに崩れ落ちる。

それでも、不思議と焦りはなかった。

失うことに、もう痛みを感じない。

床に横たわり、壁を見上げる。

白い。

ずっと白い。

その白が、やがて自分の皮膚に染み込んでいくように思えた。

境界がなくなる。

壁と自分が同じものになっていく。

指を動かそうとする。

けれど、動いたのかどうか確信できない。

指の感覚と床の感覚が混じり合って、区別できなくなっていた。

夢を見る。

暗闇の中に自分の輪郭だけが浮かんでいる。

けれど、次の瞬間にはその輪郭も揺らぎ、波紋のように広がって消える。

声がした。

――そこにいるの?

誰の声かはわからない。

ただ、その問いに答えようとした。

口を開こうとするが、声が出なかった。

いや、そもそも「声を出す」という機能があったかどうかが怪しかった。

答えられないまま、夢は途切れる。

現実に戻る。

壁を見つめる。

そこに「いる」のは自分か? 壁か?

そんな疑問が浮かんでも、すぐに溶けて消えた。

どうでもよかった。

パンが小窓から差し入れられる。

以前は「食べなければ」と思った。

今は「手が勝手に動いた」と思うだけ。

噛む。飲み込む。

その動作に意味はない。

ただ、身体がそうしているだけ。

「食べているのは誰だ?」

そう考えかけたとき、頭の中で何かが空転した。

その問いは途中でほどけ、言葉にならなくなった。

眠る。

眠っているのか、起きているのか。

区別はつかない。

夢の中で壁を見ている。

現実でも壁を見ている。

同じこと。

夢と現実は重なり合い、どちらがどちらでもよくなった。

身体が軽くなる瞬間があった。

浮いているような感覚。

床に触れているはずなのに、接触を感じない。

「自分」という重さがなくなっていく。

皮膚の境目が消えていく。

壁も床も、自分も、すべてが溶けて混ざっていった。

記憶が途切れる。

昨日があったのかどうか、わからない。

今日があるのかどうか、わからない。

時間という言葉が、ただの記号のように空中に漂い、意味を持たなかった。

あるのは「今」という瞬間。

けれど、その「今」すら曖昧だった。

夢を見る。

広い空。風が吹いている。

身体が透けていく。

指先から透明になり、腕が、胸が、顔が。

誰かが「消えていくよ」と囁いた。

でも、それが脅しなのか、慰めなのかもわからなかった。

消えることに、怖さはなかった。

ただ「ああ、そうなんだ」と受け入れた。

目を開ける。

天井の白が目に入る。

それがまぶしいのか、暗いのかもわからなかった。

まばたきをしても、変化はなかった。

ある瞬間、気づいた。

「ここにいる」と思う感覚すら、消えかけている。

呼吸をしているのか。

鼓動があるのか。

そんなことも曖昧だった。

存在しているのかどうか。

その問いすら――どうでもよかった。

壁と自分が同じであるように、

空気と自分が同じであるように、

ここにあるすべてと自分が混ざり合っていく。

抵抗はなく、痛みもなく。

ただ、希薄になっていく。

「ボク」という言葉が完全に失われても、もう困らなかった。

名前がなくても、形がなくても、存在がなくても――

何ひとつ、不足はなかった。

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