コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
君を始めた見た日を今でもはっきり覚えているんだ。
桜が舞い散る中、眩しそうに空を見上げた君を。
君に絶対に言えない言葉がある。
どんなに伝えたくても伝えられない言葉。
桜が舞うはずのこの場所で、君は悲しく笑うだろう。
出会ったことも必然で別れる事も必然。
そんな出会いをしたかったわけではない。
でも、それは俺には必要なことだったんだ……。
俺は君の事が好きだったよ。
また、桜の中で笑う君を見たい……。
※※※
冬の夜は長い。18時を過ぎたばかりの駅前はすでに空が暗く、街の街灯が灯る。その下を寒そうに帰路につく人たちが慌ただしく行き来している。
栞里はカウンターの中から窓の外のそんな景色を見ていた。
そんな景色から目を移し、店内に一人だけとなったその彼をちらっと見ると、コートを手に取り席を立つところだった。
その様子を見て、栞里も移動する。
「すみません。あの……」
栞里は呼びかけられたのが自分だとわかると、目の前にいるその人をそっと見た。
少し恥ずかしそうに声を掛けてきたその男の人が、なぜか可愛らしく見え、栞里は微笑んで返事をした。
「はい?」
自分では微笑んだつもりだったが、相手にどう映ったかは定かではない。
「あの……。僕とお友達に……」
そう言うと、その男性はぺこりと頭を下げた。
ここは大通りから一本入った喫茶店だ。
栞里は大学近くのこの喫茶店が好きでよく通っていたことから、マスターに誘われて週に三日ぐらいアルバイトをしていた。
落ち着いた店内。今流行りのカフェではなく、昔ながらの喫茶店だ。
サンドイッチやナポリタンがあるような喫茶店。
マスターと奥さんが二人で切り盛りしているその店の、閉店間際のレジの前にその男性と栞里はいた。
毎週木曜日の夜に決まって来るようになった男性は、きちっとしたスーツに身を包み、端正な顔立ちとすらっとしたスタイルで目を引いていた。
決まって空いていれば窓際の席に座り、頼むのはカプチーノ。
ブラックを飲む男性が多いと思っていた栞里は、「少し可愛い人だな……」と常日頃思っていた。
砂糖はスプーン一杯。
そこまで栞里は覚えてしまうほど、毎週その男性は来店していた。
失礼な話だが、栞里はいつしかこの男性を〝木曜日のカプチさん″と、勝手に心の中で呼んでいた。
勝手にあだ名を付けて呼んでいた罪悪感なのか、綺麗な顔のせいかわからないが、栞里はその目の前の男性を見ることができず、目線を逸らした。
ただ、その男性が少し照れながら自分に声を掛けていることが不思議だったが、嫌な気持ちはしなかった。
しかし――。
すぐに栞里は返事をすることを躊躇った。
そんな栞里に畳みかけるように、真っすぐな瞳を向けた。
「俺と友達になってほしいんです。お願いします。俺、神田拓海です。この近くのコンサルタント会社に勤めています」
少し早口に、真摯に放たれるその言葉に、栞里は拓海と名乗った男性をそっと見た。
「これ! 俺の連絡先です! 気が向いたら連絡ください! 仕事の邪魔をしてすみません! よろしくお願いします」
年上だろう拓海は、ぺこりと頭を下げて店を出て行った。
栞里は、それだけを言って帰ってしまった拓海に拍子抜けし、足早に出ていく拓海の後ろ姿を見送った。
「栞里ちゃん! 見たわよ」
マスターの奥さんの友里さんがにこにこしてやってくると、栞里の顔を覗き込んだ。
「すみません。仕事中に」
ぺこりと頭を下げて謝った栞里に、
「ほかにお客様もいないし、そんなの全然いいのよ。なかなかの好青年じゃない!」
嬉しそうに友里は栞里を見た。
友里は三十歳になったばかりで、気立ての良い姉御肌の女性だ。
マスターと結婚して三年。子どもはまだいない。
二十歳を少し過ぎたばかりで、実家も地方の栞里にとって、東京での姉のような存在だった。
「で? もちろん連絡するわよね?」
「どうしましょ?」
少し不安げに答えた栞里を、友里はじっと見た。
「とりあえず、お友達ならいいんじゃない? 栞里ちゃん、奥手すぎるわよ。もっと女は積極的に行かなきゃ」
ふふっと、綺麗な顔が華やかに輝いた。
そんな友里の言葉に、栞里は戸惑いながら、今受け取ったお金をレジへと入れた。
栞里は、どちらかといえば奥手な人間だ。対男性になると特に。
対人コミュニケーションも、それほど得意な方ではない。
しかし、相手が何を考えているかとか、空気を読むのはわりと得意だったため、相手の求めている答えを言ってしまう傾向があった。
そのため、友人や教授などからは人当たりよく見えているかもしれない。
そして、それに加えてネガティブな性格だ。
別段、器量が悪いとか、性格に極端に問題があるわけではないが、ついつい悪いことばかり考えて、いざという時に自分を守るようなところがある。
そのため、恋愛に対して臆病になりすぎるところがあった。
もちろん、好きになった人はいたが、見ているだけで終わることばかりだった。
告白やお付き合いをして、いつか別れるぐらいなら、初めから付き合わなければいい。
そうすれば、傷つくこともない……。
栞里は常日頃そう思って生きてきた。
年が明けた一月は例年より寒く、マフラーを巻いていてもスースーする気がして、栞里はコートの前をぎゅっと握った。
そして寒さなど感じないのだろうか、楽しそうな若者の集団や、少し疲れて寂しそうに見えるサラリーマンの顔を見ながら、栞里は東京の街を歩いていた。
ふと目線を移すと、たまに立ち寄る古本屋の外にあった「SALE」の文字が目に入った。
栞里は、この寒い中で本を読むか読まないか、自分の中で葛藤した。
しかし、誘惑には勝つことができず、小走りに古本屋に近づくと、左から順に棚に並んだ本の背表紙を目で追った。
幾分か古い本が並ぶ中、栞里は寒空の下一心不乱に本を物色していた。
その中でも、一冊の文庫本のタイトルが目に留まる。
三~四年前に映画にもなった原作本だった。なんだか懐かしく、嬉しくなり、手に取った。
寒さのせいでページをうまくめくれず、少し苦戦していると――
「その本、好きなの?」
少し低音で、どこかで聞いたことのあるような声が後ろから聞こえた。
その声に慌てて後ろを振り向くと、先ほどまで栞里に声を掛けていた拓海が、にこにこ笑って立っていた。
「あっ……」
本がバサッと音を立てて下に落ちた。
「ごめん! 脅かすつもりも、後をつけてたわけでもないから!」
慌ててしゃがみながら言い訳をする拓海がおかしくて、つい栞里は笑っていた。
「いえ……拾っていただいてありがとうございます」
拓海から渡された本を栞里は受け取ると、頭を軽く下げて拓海を見た。
今までにないくらい近い距離にいるその男性に、栞里はドキッとして、
何かを言わないといけないという気持ちから、とりあえず言い訳のようにこの本を持っている理由を話していた。
「この本、ずっとなんか気になっていたんです。映画も見たかったけど、気づいたら終わっていたし……。
そんなこんなで、今まで忘れていたんです。実は。でも、急に目に入ったら読みたくなって」
栞里の話を、拓海はじっと聞いていた。
そんな拓海の視線に、栞里は落ち着かなくなり、早口で言葉を続けた。
「あっ、ごめんなさい。寒いのに……。こんな話。私、買ってきますね。じゃあ、失礼します」
栞里は話しすぎてしまったことを後悔し、店内へと足早に入った。
レジの前まで来ると、大きく息を吐いて天井を見上げた。
(びっくりした……)
軽く息を吐いて、少し早くなった鼓動を落ち着かせると、レジでその本を購入した。